マイヨジョーヌ物語…2019年はこの黄色いジャージの生誕百年

ツール・ド・フランスで個人総合1位選手が着用する黄色いリーダージャージがマイヨジョーヌだ。すべての自転車選手の憧れであり、たった1日でも手中にすれば世界中にその名が知れ渡る。晩年になっても「マイヨジョーヌを着た選手」として尊敬されるほどの名誉なもの。そんな栄光のジャージーが誕生して100年を迎える。

1836年7月29日、ナポレオンの命によって建設されたエトワール凱旋門が完成した日、英国のゲラント・トーマスが凱旋 © ASO

フランス語でマイヨ[maillot]はジャージ、ジョーヌ[jaune]は黄色という意味だ。ツール・ド・フランスはたった1枚しかないこのジャージを奪い合う戦いであり、マイヨジョーヌを着てパリ・シャンゼリゼに凱旋した選手が、その年の覇者ということになる。

ところでマイヨジョーヌは1903年の第1回大会から存在したわけではない。「集団のなかでも首位選手がすぐに見つけられるようにしてほしい」という取材陣の要望で、主催者が1919年に設定した。主催するスポーツ新聞のロト(現在のレキップ)の新聞紙の色が黄色だったことから、これがシンボルカラーとして採用された。

このマイヨジョーヌはこの大会においてはどんなジャージよりもプライオリティが高く、最優先で着用しなければならない。世界チャンピオンや各国ナショナルチャンピオンであっても、総合1位となったらマイヨジョーヌを着用する義務がある。

1977年に優勝したフランスのベルナール・テブネが獲得したマイヨジョーヌ
黄色はツール・ド・フランスのシンボルカラーだ

現在のツール・ド・フランスには4種類のリーダージャージが存在する。マイヨジョーヌ。ポイント賞のマイヨベール、山岳書のマイヨブランアポワルージュ、そして新人賞のマイヨブランだ。大会最多タイとなる5つのマイヨジョーヌを持っているベルナール・イノー(フランス)は「でもね、マイヨジョーヌ以外はアクセサリーだよ」とそれが特別の存在だと公言している。

各ステージのゴール後に行われる表彰式では個人総合成績の1位となった選手が登壇し、マイヨジョーヌにソデを通す。翌ステージにこのジャージーを着てスタート地点に現れ、レースを走るのが習わしだ。

タイムトライアル用のエアロスーツはルコック社が首位選手を採寸しながらオートクチュールする
現場にミシンを持ち込んでその場でマイヨジョーヌのワンピースを制作

ちなみにどんな体格の選手がリーダーになってもいいようにマイヨジョーヌは数サイズが用意されている。さらに全チームのロゴシートが用意され、表彰台横にスタンバイした専用車両のなかでアイロンプリントされる。チームの名前を胸に付けたマイヨジョーヌができあがり、1位選手が表彰台で着てみせる。さらには個人タイムトライアル用のワンピースジャージも存在する。

マイヨジョーヌを着用することはルールであり名誉なことだが、100年の歴史の中で1位選手がこれを拒否した例も何度かある。

2015年、マイヨジョーヌを守りながら鎖骨骨折によってリタイアを余儀なくされたトニー・マルティン

最近では2015年の第6ステージ。その日はトニー・マルティン(ドイツ)がマイヨジョーヌを着用し、大集団のまま難なく首位を守れる展開だった。ところが残り1kmで大落車が発生。マルティンは鎖骨骨折し、チームメートに励まされながら大きく遅れてゴールした。残り3kmを切ってからの不可避のアクシデントは、それまで位置していた選手らと同タイムでゴールしたとみなされるルールがあり、マルティンはマイヨジョーヌを守った。ただし翌日に走れる状態ではなかった。

翌日のスタート時にマルティンの不出走が決まると、前日までの総合2位クリストファー・フルーム(英国)が繰り上がりで首位となった。ところがフルームは「不運に見舞われたマルティンに敬意を表したい」とマイヨジョーヌの着用を拒否。ルール違反ではあったが主催者もこの考えを支持し、この日はマイヨジョーヌ不在のレースとなった。

誕生から100年。2019年はだれがゲットするのか?

沿道の市民がツール・ド・フランスを歓迎するときもマイヨジョーヌは象徴だ
表彰式でマイヨジョーヌ着用選手が掲げるLCL銀行のライオン。尻尾が取れかけていたのでお姉さんが針仕事
2018ツール・ド・フランス、マイヨジョーヌを死守したゲラント・トーマス © ASO

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