絵はがきの中を駆けめぐるスポーツなんて他にある?

1903年に始まったツール・ド・フランスが世界最高峰の自転車レースになった要因は3つある。世界のスポーツイベントのどれよりも早く商業化を導入したこと。バカンス時期に開催されること。そしてフランスの美しい大自然が舞台となることだ。

アルプスのガリビエ峠中腹から直下のロータレ峠を望む。2006年第16ステージ

ピレネーなんて走ったら選手が人食いグマに襲われるだろ!?

1910年の第8回大会、当時の大会ディレクターであるアンリ・デグランジュが、「自転車でピレネー山脈を越えることができたら、どんなに素晴らしいだろう」ととんでもないことを提案した。

だれもがそんなことは無理だとちゅうちょした。それというのも当時の自転車は変速機がなく、平たん路も上りも同じギヤで走っていたからだ。選手はパンクに備えてタイヤとチューブを肩にたすき掛けして、水の入った容器をハンドルにくくりつけていた。100年前はそんな時代だった。

コルシカ島の最南端ボニファシオ。岬に立つとイタリア領のサルデーニャ島が見え、征服者の気持ちがちょっと分かる。2013年第1ステージ
第100回大会はコルシカ島で開幕。ナポレオンの生まれたアジャクシオの海。2013年第2ステージ

フランス南西部、スペインとの国境にそびえるピレネー山脈。その当時はクマやワシなどの凶暴な野生動物が生息しているとされ、選手が襲われて餌食にならないだろうかと本気で心配した。

「演じられたことのないようなドラマを大観衆は目撃できる。翌日には新聞の一面を飾り、手に汗を握るようなレース展開が全国に報じられる。これこそがツール・ド・フランスのやるべき道なのだ」

こうしてその年に参加した136選手は、それまでの常識をはるかに超えた過酷な上り坂を体験することになる。ピレネーの4つの峠、ペイルスールド、アスパン、オービスク、そして標高2115mのツールマレーがコースに加えられた。選手にとっては苦しさとの戦いで、主催者をののしる選手もいたほどだ。

ピレネーのオービスク峠。2015年第11ステージ

翌日の新聞は「過酷な山岳は勝負を決する治安判事だ」とかき立てた。これに呼応するように、上り坂で展開する真剣勝負を見ようとフランス中から大観衆が山岳区間に集まるようになり、歴史を刻んでいくいくつもの名勝負を目撃することになる。こうしてピレネーの峠越えは毎年の定番となり、それに加えてアルプスの山岳ステージも加わった。

2015年はオランダで開幕し、第4ステージにこのベルギーのスランを出発した
モンサンミッシェル。ツール・ド・フランスに参加するチームスタッフや選手まで、見学に訪れるほど興味のある世界遺産だ。2016年第11ステージ
フランスには町を彩る花壇をランク付けする制度がある。町に入ったところに花の数でそれと分かるようになっている。2017年第4ステージ
アルプスのアニェル峠。右がイタリア、左がフランス。2011年第17ステージ
巡礼地サンティアゴデコンポステーラへの出発地の1つ、ル・ピュイアンブレ。2017年第15ステージ
ツール・ド・フランスでよくみかける景観。フランス中南部。2019年第10ステージ
アルセーヌ・ルパンの「奇巌城」のモデルとなったエトルタ。2012年第4ステージ
エトルタ。断崖絶壁でも柵などないので、自己責任で歩く。2012年第4ステージ