アイスクロスの冬季五輪入り…日本がリーダーとなる必要性

昨今話題のアイスクロス競技だが、その日本人パイオニアである猿渡亮が、2月2日に長野県小諸市の高峰高原にあるスキーリゾート、アサマ2000パークで開催されたATSX100長野大会に出場。選手としての活動を終えて、今後はアイスクロス競技の発展のために尽力したいと語った。

猿渡亮。2012年のオランダ大会でのシーン ©Sebastian Marko/Red Bull Content Pool

2009年、早稲田大4年生のときにレッドブル・クラッシュドアイスのケベック(カナダ)大会にアジア選手として初出場を果たしたのが猿渡だ。学生時代からアイスホッケーやアルペンスキーの競技選手として活動し、氷の上をダウンヒルするという新種目に魅了された。2012年は、ワールドツアー全4戦(米国、カナダ、スウェーデン、オランダ)に出場。最高成績はベスト24。2012年スウェーデン戦のタイムトライアルでは5位をマークした。

「世界的にも貴重ですね。アイスクロスの練習ができるのは」と、長野のスキーリゾートに設営したアイストラックを見ながら感慨深げに語り始めた。
「2012年にオーストリアを拠点として活動して。そのときはかなり成績がよかったですから」

山内斗真(左)が果敢に滑る。その背後は鈴木雅仁 ©Jason Halayko/Red Bull Content Pool

暖冬の影響もあって、日本でアイスクロス大会を開催するのは苦労が多い。2019年も大会を企画したが、気温が高く氷作りができなかった。

「今回もこの暖冬。それでも昨年の失敗を生かして、そして鈴木雅仁選手たちの力もあってコースができてうれしい。これまでの努力が救われました」

シーズン前半に積極的に海外転戦してきた鈴木雅仁

駅至近の横浜大会こそ醍醐味が味わえる

気象変動が影響を及ぼしている環境ではあるが、それでも大観衆が集まる横浜大会を開催する意義は大きいと語る。

「アイスクロスの会場は2タイプあるんです。今回の長野大会のような大自然の中で作るのと、横浜のような場所と。気温が高くても枠組みを作って冷却チューブを敷いて氷を作る。その装置があればどんな都市でもできる。これを最初にやったのがケベックです。世界遺産の町並みの中で戦った。当時で6万人の大観衆、現在は10万人が集まるイベントになりました。大都市とか世界遺産の中で、何万人の観客の中で滑る刺激がこの競技の1つの醍醐味なんです」

出場選手たちがアイスコースを設営し、補修も協力しながら行う

長野大会には出場したが、じつは今シーズンは選手としては出ないつもりだったという。だから横浜大会にも出場しない。選手という立場を離れてやるべきことがあるからだという。

「冬季五輪の正式種目採用に向けて、国際協会はそれを視野に入れて動いている。五輪種目になるには競技レベルの向上、地域性の拡大などをクリアしていく必要がある。それを日本はアジアのリーダーとなってやっていくべきなんです。今は選手たちが中心になって大会運営をしていますが、今後は選手として現場を経験した人が運営側に回りながら、中長期的に競技発展のために見ていかなければ。選手がこれだけ集まるという基盤が見えてきたので、世界協会との連携を積極的にやっていきたい。競技を育てていく運営側として勉強していきたいんです」

●レッドブル・アイスクロス横浜大会のホームページ