死ぬまでに一度は上ってみたいツール・ド・フランスの峠ベスト10(後編)

ツール・ド・フランスの総合優勝を争う勝負どころとなる秀峰を10カ所選んで紹介するコラムはいよいよベスト5。大会の期間中でなくてもヨーロッパのサイクリストが走りにやってくるスポットで、絶景とともにツール・ド・フランスのホントの過酷さが味わえるはずだ。上り坂はツラいど、周囲を見渡せば地上で最も美しい景色を満喫できる。

アルプスのイゾアール峠は荒涼たる景観を見せる

■地上のものとは思えない景観を見せるイゾアール峠(アルプス)
イゾアール峠(Col d’Izoard)は標高2361mで、すでに森林限界を超えていて地上のものとは思えないような独特の景観をみせる。屹立した岸壁。長年の風雪によって岩肌が崩れ落ち、極限の傾斜角で斜面を維持している。コース脇には伝説的な自転車選手、ファウスト・コッピとルイゾン・ボベの偉業を称える碑が建てられていて、サイクリストにとっては神がかり的なルートである。

■悪魔の棲む山モンバントゥー(プロバンス)
モンバントゥー(Mont Ventoux)は、ピレネーにもアルプスにも属さない南フランスの独立峰だが、有名な伝説が生まれた場所として人々の記憶に残っている霊峰にほかならない。標高1912mと、それほどの高さではない。上りのきつさもそれほどではない。しかし一度この山岳に足を踏み入れると、立ち込める霊気にゾッとするはずだ。

草木も生えない悪魔の棲む山、モンバントゥー

昆虫学者のファーブルが生涯30回も登ったという山岳は、セミ時雨が聞こえるプロバンス地方にあって特異な景観と異様な雰囲気に満ちあふれているのだ。森林限界でもないのに草木が朽ちて、直径30cmほどの白い瓦礫が白骨のように敷き詰められる。地中海から吹くミストラルにより真冬は豪雪地帯となる。

頂上より2kmほど下ったところに1つの墓石がある。「トム・シンプソン。オリンピックメダリスト、世界チャンピオン。1967ツール・ド・フランス、7月13日、ここに死す」。かつてレース中に昏睡したイギリス選手が命を落としたところなのである。

1937年11月30日にヨークシャー州ハートワースで生まれたシンプソンは、1959年にプロ選手となった。1961年にはツール・ド・フランドルで優勝。1962年のツールではイギリス選手として初めてマイヨジョーヌを着た。総合成績は6位。その後も1964年にミラノ〜サンレモ、1965年にジロ・デ・ロンバルディアで勝ったが、30歳が近づくにつれ、持ち前のスプリント力にかげりが見え始めていた。

1967年、春先のパリ〜ニースで総合優勝したシンプソンは、ツールのメンバーに選出された。しかし彼を取り巻く環境は前年とはまったく違うものだった。この年、最高権威ジャック・ゴデの気まぐれでツール・ド・フランスは、かつてあったナショナルチーム形式でのレースに逆戻りしたからである。襟つきジャージの肩にユニオンジャックを縫いつけたシンプソンは、文字どおり国家の威信を肩にかけて出場していた。しかもモンバントゥーに登る前日、シンプソンは監督から来年度の契約を更改しない最後通告を受けていたという。そのためシンプソンは手段を選ばなかった。

翌日のモンバントゥーは気温40度を超える猛暑に見舞われた。総合優勝をねらう有力選手の集団から脱落したシンプソンは、徐々に蛇行を始め、沿道の観衆に抱きすくめられながら道ばたに倒れ込んだ。その場の雰囲気はよくありがちなアクシデントだったが、ヘリコプターで搬送されたアビニオンのホテルで元世界チャンピオンは息を引き取ったという。

標高2642m、アルプスのガリビエ峠

■幾多の伝説を生んだガリビエ峠(アルプス)
アルプスのガリビエ峠(Col du Galibier)は2645mで、ツール・ド・フランスがよく通過する峠の中では最高峰だ。2015年のツール・ド・フランスでも最高峰としてコースに加えられたが、ラルプデュエズに向かうルートが崩落により通行できなくなり、ガリビエ峠はカットされた。

南面からのアプローチではロータレ峠からさらに上を目指す。ロータレ峠までは緩斜面だが、そこからはセンターラインのない狭い道となり、草木のない岩肌を突き進む。大会の記録集を見るとガリビエ峠の標高は2645mと2556mの2つの表記があるが、低いほうは峠の下を貫通するトンネルをコースにしたときのもの。

ガリビエ峠から南に少し下ったところに、ツール・ド・フランス創始者アンリ・デグランジュのモニュメントがある

南面のトンネル出口にはツール・ド・フランス創始者アンリ・デグランジュの碑が建てられている。その年の最高標高の峠には「アンリ・デグランジュ記念賞」という特別の賞金が設定されるが、ガリビエ峠がコースに採用された年はこの峠に記念賞がかけられることがほとんど。

ガリビエ峠の北側。欧州サイクリストが一度は上ってみたいという秀峰だ

■大会の転機となったツールマレー峠(ピレネー)
1910年の第8回大会で当時の常識をはるかに超える難攻不落の峠が設定された。その筆頭が標高2115mのツールマレー峠(Col du Tourmalet)だ。周囲は針のように屹立した山岳が取り囲み、真夏でも天候が崩れれば降雪する。そんな過酷な条件が勝負どころとして定着し、大観衆が沿道を埋め尽くすようになった。ツールマレーはピレネーの重要な拠点であり、毎年のように登場することも人気の秘けつ。

ピレネーのツールマレー峠はほぼ毎年ツール・ド・フランスに採用される

普段はヒツジの鳴き声や牛の鈴が風に乗って聞こえてくるだけの美しい原野だ。1913年にフレームを欠損したクリストフが鍛冶屋に飛び込んで溶接したというサントマリー・ド・カンパンは東麓側に16.5km下ったところにある。

■ツール・ド・フランス最高の大舞台、ラルプデュエズ(アルプス)
アルプスの大岸壁をジグザグによじ上る激坂の頂上にあるスキーリゾートがラルプデュエズ(Alpe d’Huez)だ。

ツール・ド・フランス最高の舞台、アルプスのラルプデュエズ

距離13.8kmで、平均勾配7.9%。最初の2kmが10%超、ラスト5kmから4kmまでが11.5%という。ふもとのブールドワザンからラルプデュエズ入口までのコーナーには21から1までの数字が振られ、カウントダウンしながら上る。コーナーごとにオランダやデンマークなど各国の応援団が占拠し、異様な盛り上がりを見せる。かつては「オランダ人の山」とも言われるほどオランダ勢が優勝することが多く、オランダファンが大挙してやってきたのがきっかけ。

ふもとの町ブールドワザンからラルプデュエズのゴールまで13.8kmの最速記録は、1997年にマルコ・パンターニが記録した37分35秒。平均時速は22km超で、しかもパンターニは、1994年に38分(このときはコンティが先行して優勝した)、1995年に38分04秒で駆け上がり、1人でベスト3の記録を持っている。ちなみに2004年にはラルプデュエズで史上初の個人タイムトライアルが行われた。このときはブールドワザンの中心地からスタートしたので距離は15.5km。ランス・アームストロングが39分41秒でトップタイムを記録した(現在記録は抹消)が、序盤の平坦区間のタイムを差し引いてもパンターニには及ばなかった。

ラルプデュエズ

現地を訪れると計測開始地点に「デパール=スタート」という横断幕があり、ゴール地点に「アリベ=ゴール」の看板があるので、一般選手も計測することが可能。その数字をメモしてツーリストインフォメーションに行くと、記録証を発行してくれる。

⚫ツール・ド・フランス現地観戦に行くならラルプデュエズでしょ!

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