ツール・ド・フランスの勝負どころとなる山岳ステージの峠は、数々の伝説の舞台となった。美しい大自然のまっただ中にあり、自転車で上ればもちろん過酷なんだけど、素晴らしい一大パノラマを目撃することができる。チャンスがあれば現地に自転車を持ち込んで一度は上ってみたい。そんなツール・ド・フランスの峠を選んでみた。
■片側2車線で豪快に上るエンバリラ峠(ピレネー)
ピレネー山脈のなかにあるアンドラ公国にエンバリラ峠(Port d’Envalira)がある。標高2408mで、片側2車線という広い道路が壮大な景観の中をジグザグに上るさまはこの峠にしか見られない特徴。免税の買い物天国でフランスからも国境を越えて観光客がやってくるゆえの道路整備だ。近年はエンバリラトンネルが開通したことにより交通量が減り、これまで以上にサイクリストが上りを楽しめるようになった。
1964年にツール・ド・フランスで史上初の5勝目を飾ったフランスのジャック・アンクティルが、唯一苦戦したのはこのエンバリラ峠だ。当時のフランスには最大のライバルであるレイモン・プリドールがいて、人気を二分していた。アンクティルはジロ・デ・イタリアを、プリドールはブエルタ・ア・エスパーニャを制して7月のツール・ド・フランスに乗り込んできた。
アンドラでの休息日に、肉汁たっぷりのヒツジの丸焼きが用意され、スター選手のアンクティルは相変わらずそんなごちそうを好み、ロゼのワインもシャンパンも1杯たりとも断らなかった。翌日、アンドラを出るや霧のエンバリラ峠が待ち構えた。前日の丸焼きを消化できないでいたアンクティルは窮地に追い込まれた。頂上でプリドールは4分差をつけたが、下りでアンクティルはリズムを取り戻し、100kmの追跡の果てにプリドールを捕らえたという。
別府史之と新城幸也が初出場した2009年もエンバリラ峠を上った。アンドラからフランスのサンジロンまでの176.5kmを走る第8ステージだった。スタート直後にカテゴリー1級に位置づけられたエンバリラ峠を越え、片側2車線の大きな道を高速ダウンヒルしてフランスとの国境に作られた検問所を飛ぶように通過していった。
■主催者が必ず花束を手向けるポルテダスペット峠(ピレネー)
1910年のツール・ド・フランスに初登場したポルテダスペット峠(Col de Portet d’Aspet )は標高1069m。この伝統的な峠で悲劇が起こった。1995年の第15ステージ、ポルテダスペット峠からの下り坂でバルセロナ五輪金メダリストのファビオ・カザルテッリ(イタリア)がクラッシュ。道路脇の縁石に頭部を打ち付け、即死した。翌ステージは追悼走行で記録なし。この悲劇を教訓に、ノーヘルメットが常識だったレースが着用義務化へと移行していく。現在その現場にはカザルテッリの碑が建てられ、ツール・ド・フランスがこの峠を通過するときは必ず大会幹部がレースから大きく先行して花束を手向ける。
ピレネーは常に波乱の舞台となる。過去にもマイヨジョーヌを着用したルイス・オカーニャ(スペイン)が落車骨折でリタイア。総合優勝をふいにした。2018年も百戦錬磨のフィリップ・ジルベールなどが下り坂でコースアウトして間一髪の事態となった。あれほどまでのバイクコントロール技術を備えたトッププロさえ、落車してしまうのはおそらくワケがあるはずだ。ピレネーの道路構造がおそらく特殊で、コーナーの角度や深さに戸惑う選手らが多いのではと推測。そうでなかれば過去にゴシップ紙が報じたようなカルト的な理由があるのか…。
■真打ちとして登場したラセドモンベルニエ(アルプス)
2015年のツール・ド・フランスで初採用されたのが、主催者がこれからの大舞台として打ち出したラセドモンベルニエ(Lacets de Montvernier)だ。「lacet」は英語の「lace」、つまりシューレースのことで、クツヒモのようにジグザグな道というニュアンスだ。中世の貴婦人が愛用していたコルセットを締め上げるヒモもこう呼ばれる。
センターラインが存在しない狭くて急しゅんな林道で、スイッチバックのコーナーは18。よくこんなところに道を作ったなあと驚くばかり。大会当日は観客が一切排除され、カメラマンなど一部の関係者だけが徒歩で上ることを許された。標高は782mだが、平均勾配値8.2%の坂が3.4km続く。
■アルプスの中でも美しいグランドン峠(アルプス)
標高1924mのグランドン峠(Col du Glandon)は、「鉄の十字架」という意味を持つクロワドフェール峠(Col de la Croix de Fer=標高2067m)へのアプローチに位置するため、2015ツール・ド・フランスの高低表などにその名前が登場しないが、実際には3回通過している。最終日前日は、当初予定されたコース上にあるシャンボントンネルが崩落によって通行止めとなり、ガリビエ峠を通過するコースが使えなくなったことで、スタート地点からこのグランドン峠を越えてラルプデュエズに向かった。
山麓部の牧歌的な風景から一変して、峠の頂上は荒々しい景観が見渡す限り広がる。一度は走ってみたい峠である。
■断崖絶壁をえぐるオービスク峠(ピレネー)
1903年に始まったツール・ド・フランスが世界最高峰の自転車レースとしての地位を決定づけたのは、当時として自転車で上ることなどだれひとりとして想像できなかった過酷な峠をコースに加えたことだ。1909年にツール・ド・フランスはピレネーにある4つの峠、オービスク、ツールマレー、アスパン、ペイルスールドを越えた。
そのなかでもオービスク峠(Col d’Aubisque)は100年後の今でも当時の面影を残す秀峰だ。急傾斜の断崖絶壁をえぐって、無理矢理に取りつけた道。現在もガードレールなんてない。下りでコントロールを失ったら奈落の底に転落するのみ。キリスト教の巡礼地ルルドには宿泊施設もたくさんあるので、ここを拠点として日帰りで走りに行くのがいいかも。
■番外編・登場回数は少ないが走ってみたいアニェル峠(アルプス)
フランスとイタリア国境に位置するアニェル峠(Col d’Agnel)は2008年と2011年のツール・ド・フランスで越えた。登場回数こそ少ないものの、サイクリストにとってほどよい勾配値と絶景が楽しめるルートなのでおすすめ。
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