ラグビーW杯開催…その原点となった45年前の美談を忘れてはならない

2019年はラグビー界最高峰のワールドカップ日本大会が開催される。前回大会では日本が世界3位の南アフリカに歴史的大金星。日本ラグビー黎明期から尽力してきた関係者にとっては、日本大会開催も南ア撃破も夢物語だったはずだが、今から45年前、ひとつのエピソードがこの快挙の出発点となったことを忘れてはならない。

イングランド中部にあるラグビー高校。写真はすべて1987年撮影
ギルバートの店内には初期の楕円球も

ただひたすらに楕円球を追う。そんなラグビーこそ30年前から激変したスポーツはない。かつては五カ国対抗(その前は四カ国、現在は六カ国)が頂点に君臨するリーグ戦だったが、1987年に世界一位を決めるワールドカップが始まり、2016年には五輪種目として復活した。

機材を扱うスポーツの自転車競技ならその進化のめまぐるしさは直感的に実感できる。ヘルメットをかぶりアイウエアを着用して走るシーンは、30年前に掲載された専門誌の写真とはまったく違う。その一方で、国際自転車競技連合が自転車の本来的な美しさを保守するために、国際規定を設定しているので選手のライディングフォームそのものは100年前とほとんど変わらない。主役である選手も、スプリンターはちょっと筋肉質、山岳スペシャリストは女性モデルのように細身と、そのシルエットは30年前とさほど変わらないように見える。

ラグビー高にあるプレート。サッカーをしていたウィリアム・エリス少年が試合中にいきなりボールを持って駆けだしたのがラグビーの起源だ

ところがラグビーはどうだ。近年は日本の高校生ラガーでも身体を大きくするために五合メシをかっ込み、見事なまでにガッチリとした体格を誇っている。ジャージにしても体にフィットする化学素材となり、スポンサーロゴをちりばめる。かつてラグビーはアマチュアスポーツの象徴であったはずなのに。とどめを刺すようにラグビーが紳士のスポーツたる名残でもあったエリもなくなった。

今から30年前、三流のラグビー選手だったボクは欧州を1カ月半旅をしたことがあって、英国に渡ったときは当然のようにあのラグビー高校を訪ねてみた。フットボールの試合中にエリス少年がいきなりボールを手に持って走ったというエピソードからラグビーが誕生したという伝説の舞台でもある。

このラグビー高の正門前に、ギルバートというラグビーボール作りの老舗がある。当時はもちろん4枚の革を手縫いして作っていて、ラグビー部の1年生はツバをペッとはいてボール磨きをしていた。MATCHというモデル名のボールが五カ国対抗でも使われていて、それはもう憧れの楕円球でもあった。そんなギルバート社には重厚な木目調の応接室があって、壁には往年の各国ジャージが額装で飾られていた。地元イングランドはもちろん、ウェールズ、スコットランド、アイルランド、フランス。そしてその横に桜のジャージがあった。

ラグビー高校の正門前にあるギルバート社

これは1973年に日本が初めて英国遠征したときのものだという。当時はウェールズとのテストマッチで14対62と大敗するなどまったく歯が立たなかった日本だが、試合とは違うところで関係者から高く評価された。それはスタジアムの清掃人のとある証言だった。日本チームが使用したロッカールームを清掃人が訪れてみると、前日までの部屋よりもきれいになっていたという。

もちろんこれは単に部屋を整理整頓した日本チームが評価されたわけではない。その遠征中に見せた真摯な姿勢。ラグビー発祥の、いや多くのスポーツ発祥の英国に遠征するに際しての日本代表団のふるまいを総括して評価されたことなのだ。テストマッチでは完敗だった。しかしラグビーを愛する男として素晴らしかった。だからギルバートが桜のジャージをもらって、額に入れて大切に飾ったという歴史があるのである

マッチはかつてのテストマッチで使用されたギルバートの革製ボール
ギルバート店内に飾られた各国ジャージ。中央は代表選手に贈られるキャップ
強豪国に交じってサクラのジャージがディスプレーされていた!

こんなノスタルジックな昔話はどうでもいいが、英国発祥のこのスポーツの世界一を決める大会がこの日本で開催される。サクラのジャージの快進撃も応援したいが、出場国それぞれのアイデンティティみなぎるファイトをぜひ目撃してほしい。

ロンドン郊外にあるトゥイッケナム競技場
トゥイッケナム競技場でギルバートの革製ボールを持つ男のコ