第101回ジロ・デ・イタリアまであと101日…各ステージがピンクに染まる

第101回ジロ・デ・イタリアの開幕まであと101日となった3月23日、大会の舞台となる主要都市のシンボルがリーダージャージの「マリアローザ」にちなんでピンク色にライトアップされた。大会は5月4日、イスラエルのエルサレムをスタートする。

エルサレムの橋梁 © RCS Sport

スキーリゾートのプラートネボーソ © RCS Sport

2018ジロ・デ・イタリア日程
5月4日 第1ステージ エルサレム(イスラエル) 9.7km=個人タイムトライアル
5月5日 第2ステージ ハイファ〜テルアビブ(イスラエル) 167km
5月6日 第3ステージ ベエルシェバ〜エイラト(イスラエル) 229km
5月7日 休養日
5月8日 第4ステージ カターニア〜カルタジローネ 191km★
5月9日 第5ステージ アグリジェント〜サンタニンファ 152km★
5月10日 第6ステージ カルタニセッタ〜エトナ 163km★★★
5月11日 第7ステージ ピッツォ〜プライアアマーレ 159km
5月12日 第8ステージ プライアアマーレ〜モンテベルジーネ・ディ・メルコリアーノ 208km★★
5月13日 第9ステージ ペスコサンニタ〜グランサッソディタリア 224km★★
5月14日 休養日
5月15日 第10ステージ ペンネ〜グアルドタディーノ 239km★
5月16日 第11ステージ アッシジ〜オジモ 156km★
5月17日 第12ステージ オジモ〜イモラ 213km★
5月18日 第13ステージ フェッラーラ〜ネルベーザデッラバッタリア 180km★
5月19日 第14ステージ サンビートアルタリアメント〜モンテゾンコラン 181km★★★
5月20日 第15ステージ トルメッツォ〜サッパダ 176km★★
5月21日 休養日
5月22日 第16ステージ トレント〜ロベレート 34.5km=個人タイムトライアル
5月23日 第17ステージ フランチャコルタステージ 155km
5月24日 第18ステージ アッビアーテグラッソ〜プラートネボーソ 196km★★★
5月25日 第19ステージ ベナリアレアレ〜バルドネッキア 181km★★★
5月26日 第20ステージ スーザ〜チェルビニア 214km★★★
5月27日 第21ステージ ローマ 118km
★は難易度 総距離3,546.2km

ロベレートのベル © RCS Sport
カルタニセッタ © RCS Sport
ローマのオベリスク © RCS Sport
フランチャコルタ © RCS Sport

●関連ニュース
NIPPOはジロ・デ・イタリア出場できず…イスラエルチームがサプライズ出場
ジロ・デ・イタリアが4賞ジャージのマドリーナ発表
2018ジロ・デ・イタリアにフルームが参戦表明

カラフルで使いやすいフロアポンプ…クランクブラザーズから

カラフルなカラーラインナップのフロアポンプ「GEMフロアポンプ」が自転車アクセサリー用品メーカーのクランクブラザーズから発売された。足元で操作するハイプレッシャー/ハイボリューム切り替えスイッチと見やすい大型のアナログゲージが特徴。機能は上位機種の「KLICフロアポンプ」と同じで、コストパフォーマンスの高さが特徴。

カラーはグリーン、レッド、ブラック

カラーはグリーン、レッド、ブラック。素材:シリンダー・耐腐食性アルミニウム、フット・スチール。高さ:64cm。最大空気圧:11bar/160psi。スマートヘッド:仏式&米式対応。針型とプラスチックのアダプターをハンドルへスマートに収納。価格は5550円(税別)。

大型で見やすいアナログ・エアゲージ

屋外使用でも安定感抜群のスチール製フット

カワシマサイクルサプライのホームページ

●関連ニュース
クランクブラザーズのキャンディシリーズなど各種ペダルが続々登場

【Column】ボクのツール・ド・フランスはマルセイユから始まった

ボクがツール・ド・フランスを初めて取材したのは29年前、1989年のことだ。大会途中での現地入りで、7月14日に空路でパリに入り、そこから高速鉄道でマルセイユに向かった。シャンゼリゼでは革命200周年の祝賀行事が華々しく催されていて、その喧噪を乗り換えの地下鉄駅で耳にした。

2013ツール・ド・フランス第5ステージ。マルセイユにゴールした新城幸也

かつて当コラムで「ボクのツール・ド・フランスはルーアンから始まった」という原稿を書いたが、ごめんなさい。あれはウソです。いや、実際には「定義」の問題で、フリー記者として全日程を単独で初取材したのが1996年のルーアン。初取材したのは冒頭にも記したが1989年のマルセイユなのである。もうこれ以上ハナシを複雑にしたくないが、ツール・ド・フランスを初めて見たのは、自転車専門誌サイクルスポーツの編集部員に配属されたばかりの1988年だ。

ボクのツール・ド・フランスはルーアンから始まった

マルセイユの観光名所であるビューポール(旧港)

話はツール・ド・フランス初取材となる1989年。ボクはジョナサン・ボイヤーという米国人と日本で偶然知り合うことができた。彼は1981年のツール・ド・フランスに米国選手として初出場した元プロ選手だ。フランスの英雄ベルナール・イノーのルノーチームでアシストをこなしながら見事に完走している。映画スター顔負けの端正なマスクを持ち、四肢は女性のトップモデルのように細くて長かった。彼は自分のカッコよさを十分自覚していて、ツール・ド・フランスのスタート地点にテンガロンハットをかぶって登場し、女の子のハートを釘付けにしたと聞く。聞けば出身地のモンタナ州に「ボイヤーインターナショナルエアポート」を所有している大富豪の御曹司だった。

ボイヤーに出会ったのは北関東にある小さな町の内科医院だった。直前のハワイ・アイアンマンで日本勢初の快挙である9位でフィニッシュした宮塚英也を取材するために、栃木県の某所に足を運んだのだ。ボイヤーはすでに現役を引退していたが、その容姿と数カ国語を操れる能力を生かして、オランダの強豪PDMチームの広報に就任していた。

その地方病院の開業医は、人体から血液を一時的に採り出して冷凍保存し、しかるべきときに体内に戻すという医療行為を研究する先駆者だった。ボクがボイヤーに「ツール・ド・フランスに初めて取材に行くんです」と告げると、「ホテルを取るのは困難だから、オレに任せてくれ」と言って再会を誓ってくれた。

マルセイユの街中でのんびりと過ごす人たち

それから半年後、マルセイユで世界最高峰の自転車レースの現場に到着したボクは、その巨大な一大イベントに完全に舞い上がってしまった。そんなときに関係者らしき人が「PDMの広報がお前を探しているよ」と話しかけてきた。必死になってボイヤーを見つけると、「待ってたぜ」とばかりにガッチリとした握手を交わしてくれた。それからというもの、ボクはチームの空き部屋をあてがわれたり、あるいは彼がゴール地点の町をかけずり回って見つけたホテルにありついた。感謝の言葉を伝えると、映画スターばりのニヒルな表情でウインクして見せた。

2年後、PDMは全選手が集団発熱し、ツール・ド・フランスの途中でチーム全員がリタイアした。血液ドーピングの失敗かとうわさされた。ボイヤーの姿を自転車レースの現場で見ることは二度となかったが、6年ほど前にfacebookで発見したので、友だち申請したら受け入れてくれた。彼の書き込みから判断すると、現在はアフリカの未開発国に拠点を定め、その国の自転車ロードレースの発展のために地道な努力をしているという。

あれ以来、ツール・ド・フランスはすでに30年ほど担当しているが、いまでもマルセイユに到着したときのドキドキ感は忘れられない。2013年は第5ステージでマルセイユにゴールした。その日、2km地点で新城幸也とレザのヨーロッパカー勢、ルツェンコ、シカール、ドヘント、ドラプラスがアタックし、6人の第1集団を形成した。この中で3分42秒遅れの新城が総合成績では最も上位で、10km地点では一気に5分05秒差をつけたことで新城がバーチャルマイヨジョーヌ、つまりこのままの状況でゴールすれば総合1位になる存在となった。

マルセイユにゴールした2013ツール・ド・フランス第5ステージ。新城幸也は積極果敢な逃げに乗り、一時はバーチャルマイヨジョーヌの位置に

フランスの実況中継では「グループアラシロ」と紹介されるようになったが、これは当然だ。新城の存在が最も重要だからだ。一緒に逃げているメンバーは実力者ぞろい。ルツェンコはU23の世界チャンピオン、シカールは2009年にジュニアの世界チャンピオンになっている。一緒にゴールを目指そうという意思も統一され、しかも6人という集団は高速巡航を維持できる絶好の数で、一気にその差を開いていく。16km地点で10分30秒、20km地点で11分30秒、37km地点で12分45秒まで開いた。

しかしその後は追撃集団の先頭でオリカ・グリーンエッジが徐々にペースアップを始め、タイム差は少なくなっていく。残り54kmで先頭集団は2つに分断し、先頭には新城、ルツェンコ、ドヘントが残る。新城のチームメートであるレザは、ちぎれたシカールとドラプラスの背後で体力を回復させた後に、一気にスパートして前の3人に追いつく。

こうして先頭はヨーロッパカーの2人、アスタナのルツェンコ、バカンソレイユのドヘントだけになった。しかし残り40kmになって後続集団が本格的に追撃を開始。新城は220km地点でついに捕まり、結果的に優勝争いは大集団のゴール勝負となった。それでも218kmの間、国際映像に映し出された日本ナショナルチャンピオンジャージーは世界中の注目を浴びた。敢闘賞もならなかったが、見果てぬ夢にさらに一歩近づくような快進撃だった。

新城幸也。2013ツール・ド・フランス

【これまでのColumn】

洋菓子のパリ〜ブレストは自転車の車輪に似ているから命名された


海外ホテルのネット予約で失敗しないためのテクニック


フランスには外国人が免税で新車を購入できるシステムがある


GPSデバイスはあえてセカンドグレードを選んだ、これだけの理由


ボクのツール・ド・フランスはルーアンから始まった


死ぬまでに泊まってみたいホテル…天文台で満天の星空を見る

ホテル予約ならHotels.com

オールブラックス元主将のマコウがラグビーよりツラいレースに参戦

ニュージーランドのラグビー代表チーム「オールブラックス」でキャプテンを務め、ワールドMVPに3度選出されたリッチー・マコウが同国で開催されたアドベンチャーレース「レッドブル・ディアンス」に参加し、14時間35分の6位で完走した。「これまで経験した中で、おそらく最も過酷なもののひとつだった」とマコウ。

オールブラックスの伝説的選手、リッチー・マコウ(左)。Miles Holden/Red Bull Content Pool

2011年と2015年のラグビーワールドカップで強豪オールブラックスのキャプテンを務めたマコウ。ニュージーランドのワカナで行われた2日間のアドベンチャーレースに、この競技のベテラン選手ボブ・マクラクランとペアを組んでスタート。

ニュージーランドのワカナで開催されたレッドブル・デフィアンス。Graeme Murray/Red Bull Content Pool

71kmのMTB、38kmのトレイルラン、40kmのカヤック、60mのアブザイレン(垂直下降)、クレー射撃をこなして6位でゴールした。参加85チーム。

Miles Holden/Red Bull Content Pool

Miles Holden/Red Bull Content Pool

●関連ニュース
レッドブル・クラッシュドアイス…アイスホッケー、ダウンヒルスキー、スノーボードクロスの複合競技