もう1つのツール・ド・フランス…女子部門の栄枯盛衰

かつてはツール・ド・フランスに女子部門が存在したが、まったく注目されずに廃止されていた。その後、女子選手らの実力が向上し、男子レースとは異なる魅力が再認識されると、2014年からはワンデーレースとして「ラクルスbyル・ツール・ド・フランス」が始まった。今回は「もう1つのツール・ド・フランス」として女子レースを紹介。

©A.S.O. Thomas Maheux
©A.S.O. Thomas Maheux

初めて目撃した女子ツールはほとんど注目されていなかった

ボクがツール・ド・フランスを初取材した1989年まで女子部門が男子集団に先行して走っていた。1984年に始まった「ツール・ド・フランスフェミナン」で、フェミナンはフランス語で女性という意味だ。

男子よりも短い日程、短い距離ながら同じコースを使って3時間ほど前を走る。つまり女子レースのスタートは男子が走るコースの途中からで、ゴールは同じという具合。開催期間は10日ほどで、最終日は男子と同じ日程で、ゴールも同じパリ・シャンゼリゼだった。

しかし開催は5年で終わった。客観的に見てそれも仕方ないと納得した。運営が大変なわりに興行として成り立たなかった。

2020ラクルスはニースで開催された ©A.S.O. Thomas Maheux

「前座」といってもそれなりに審判団などの人材が必要。交通規制も長時間になる。実力差にばらつきがあり、脱落した選手が男子レースの1時間前を走る広告キャラバン隊に追いつかれる。宿泊地が同じなので、収容能力に無理が生じる。観客や取材陣は男子レースだけに興味があるので、女子を応援したり報道する人はあまりいなかった。

廃止後もツール・ド・フランスを主催するASOは女子レースを開催していたが、「ツール・ド・フランス」の名称は使わなかった。その大会も2009年に終了した。

その後、女子の有力選手たちが支援者の署名を集めて女子版を復活させるようにASOに要望書を提出。2014年から、ツール・ド・フランスの特定区間に限定して、ラクルスbyル・ツール・ド・フランスが始まった。複数の日程で開催するステージレースではなく、ワンデーレースだ。2020年の大会は国営宝くじのFDJが冠協賛となり、大会名称は「ラクルスbyル・ツール・ウィズFDJ」に。

世界チャンピオンのファンフレウテンが先頭をハイペースで走る ©A.S.O. Thomas Maheux

女子レーサーの魅力が伝わる注目レースに変ぼう

女子レースはツール・ド・フランス大会初日、開幕地のニースで男子レースに先がけて開催された。トレック・セガフレードのエリザベス・デイニャン(英国)が、2014年と2019年の「ラクルス」で勝っているCCCのマリアンヌ・ボス(オランダ)をゴール勝負で制して優勝した。

レースは最後の峠でボス、現世界チャンピオンのアンヌミエク・ファンフレウテン(オランダ)、デイニャンとそのチームメートであるエリサ・ロンゴボルギーニ(イタリア)ら6選手に絞り込まれた。30人ほどが背後から追走していたので、6選手はゴールまで逃げ切るために協力。ゴールまで追いつかれる可能性がなくなると、2選手を送り込んでいるトレック・セガフレードが断然有利になった。

2020ラクルスでデイニャン(右)がボス(オレンジのジャージー)を制して優勝 ©A.S.O. Alex Broadway

ゴール前に3度アタックしたのがロンゴボルギーニだ。その都度、過去3回も世界チャンピオンになった経験を持つボスが追走して吸収。最後は6人のゴール勝負へ。ここでさらにロンゴボルギーニがスパートし、ボスが追い抜いたが、想定よりも長い距離をスプリントしたことで失速。デイニャンが逆転優勝した。

「優勝できたのは驚き。チームメートがお膳立てをしてくれたので、これはチームの勝利と言える。これまでも一生懸命トレーニングしてきたけど、結果が残せずイライラしたこともあった。ようやく最高の気分が味わえることになった」とデイニャン。

「この大会のいいところは自宅近くのニースで行われたこと。夫と娘に電話をしなくてもすぐに会えるわ」

2020ラクルス優勝のデイニャン ©A.S.O. Alex Broadway

男子用ジャージーしかなかった30年前とは環境も一変。女性らしいボディにマッチした専用設計ウエアも作られ、トップ選手のほとんどはメイクやオシャレもぬかりない。男子とは違う魅力がいっぱいだ。

●ラクルスbyル・ツール・ウィズFDJのホームページ

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