フランスのトップ選手がロードトレーニングする意外な手段

フランスでは新型コロナウイルス感染拡大を抑えるために厳しい外出禁止令が敷かれ、すべての自転車選手が屋外でのトレーニングを禁止されているが、MTBとエクステラの世界チャンピオンであるクリストフ・ベタールは合法的な方法で現在もロードトレーニングしている。

薬局から託された薬を配達するクリストフ・ベタール(左) ©Pharmacie des Vosges / Facebook

フランス在住のスポーツ選手は現在、極めて困難な状況に置かれている。他国の大半と同様だが、体調を維持するために自宅でフィットネスやストレッチ、筋トレを行うしかない。多くの選手がウエブでこれまでに蓄積してきたコンディショニングのノウハウを共有し、閉じ込められた一般愛好家へのアドバイスをしている。新型コロナウイルスとの戦いを一丸となって勝ち取ろうという意思の表れだ。

フランス北東部のボージュを拠点とするベタールは独自のやり方で新型コロナウイルスに立ち向かっている。MTBではアマチュアカテゴリーで世界チャンピオンに。MTBを使ったトライアスロン競技のエクステラでも2015年に世界を制した。ロード選手としてもフランスの海外県マルチニックでナショナル選手権のタイムトライアルチャンピオンという肩書きもある。

ベタールは合法的に、援助を求めている人のためにロードトレーニングを続けている。山間部の自宅で孤立している住民に、薬局から依頼された薬と命をつなぐための食糧を背負って自転車で無料配達しているのである。起伏がちなボージュの山道を走るベタールの活動は口コミとSNSですぐに広まった。

自宅から出られない住民の需要を満たすために、マウンテンバイカーのグループ全体がベタールに加わった。

「私たちは運動能力があり、健康であり、困っている人々を助けたいと思っている」とベタール。孤立した人々を助けることに加えて、ベタールと彼のチームは住民の健康状態を医療関係に連絡するという重要な任務もこなしている。

●AIPSのニュースページ

ESSが米国・欧州の医療従事者に1万4000アイウエアを提供

軍隊・警察・消防などの現場で愛用されている米国のアイウエアメーカー、ESSが新型コロナウイルスと立ち向かっている米国・欧州の医療従事者や初動対応者に1万4000セットの保護用アイウエアを提供した。

20年以上にわたり、ESSは戦場の最前線で男性と女性を守ることに専念してきたメーカーだ。現在、地球全体を揺さぶる新型コロナウイルスで前例のない敵に直面している。ESSは緊急の必要性を認識し、医療従事者、初動対応者、米国とヨーロッパでのこの新しい戦いの最前線にいる人々を支援するために、1万4000セットを超える保護眼鏡を寄付した。

「ESSは、生命の保護に貢献しているすべてのヒーローに私たちのサポートを約束します。一緒にこれを倒すことができます!」とコメントしている。

ESSは世界中の軍隊、警察、消防などで愛用されている防護用アイウエアだ

●ESSのホームページ

黒田硫黄原作コミック「茄子」のペペが着るパオパオ発売

国内最大手の自転車ウエアメーカー、パールイズミは、黒田硫黄原作コミック「茄子」の登場人物ペペ ベンネヘリが所属するビールメーカーがスポンサーの自転車チーム「パオパオ」デザインのサイクルウエアを発売。

オーパス長袖ジャージ 1万4500円(税別)

半袖ジャージ、パンツ、ウインドブレーカー、サイクルキャップ、そしてアームカバーやシューズカバーなどのアクセサリー類まで幅広く展開する。

各商品は6月末以降にサイクルショップやスポーツ用品店などで販売を開始し、一部商品はパールイズミの限定オンラインショップで発送する。オンラインショップは4月中旬受注開始予定。

プリントジャージ 1万3000円(税別)
プリントパンツ 1万2000円(税別)
プリントサイクルキャップ 3800円(税別)
ウインドブレーカーベスト 1万2500円(税別)
エアスピード半袖ロードスーツ 3万2000円(税別)
エアロシューズカバー 5300円(税別)
グローブ 5300円(税別)
サコッシュ 3200円(税別)

●パールイズミのホームページ

【ツール・ド・フランスリバイバル】2007年はマイヨジョーヌ解雇! コンタドール初V

2007年の第94回ツール・ド・フランスは米国のディスカバリーチャンネルに所属していたアルベルト・コンタドール(スペイン)が初優勝した。アスタナのアレクサンドル・ビノクロフ(カザフスタン)、ラボバンクのミカエル・ラスムッセン(デンマーク)がレースを去るなかで、スペインの若き闘牛士(マタドール)がファンの心を魅了した。

マイヨジョーヌのラスムッセンをマークするコンタドール。エバンスはキツそうだ
ツール・ド・フランス2007

英国開幕の大会はビノクロフが優勝候補だった

英国ロンドンで開幕したツール・ド・フランスはタイムトライアルの世界チャンピオンであるファビアン・カンチェラーラ(スイス、CSC)がマイヨジョーヌを着用して動き始めた。アルカンシエルのワンピースジャージを身にまとったカンチェラーラは平均時速53.660km という猛スピードでロンドンの市街地を駆け抜けた。2位は13秒遅れでアスタナのアンドレアス・クレーデン(ドイツ)。同チームのエースであるビノクロフも30秒遅れの7位でゴールし、初優勝に向けて絶好のスタートを切った。

一方のラスムッセンは1分16秒遅れの区間166位。この時点ではエースナンバーをつけたメンショフのアシスト役をこなしながら、3年連続となる山岳ジャージに照準を合わせていたはずだった。大会前にチームが表明したこの大会のターゲットは、スプリンターのオスカル・フレイレ(スペイン)えによる複数のステージ優勝、ラスムッセンの山岳賞とトーマス・デッケル(オランダ)の新人賞獲得、そしてデニス・メンショフ(ロシア)が総合成績で上位に食い込むことだった。

ロンドン名物のダブルデッカーもツール・ド・フランスを歓迎

プロローグと第1ステージを英国で走ったツール・ド・フランスは、移動日なしでヨーロッパ大陸へ。第2ステージから6ステージまでは平坦コースでの戦いが続き、プレディクトール・ロットのロビー・マキュウェン(オーストラリア)やクイックステップのトム・ボーネン(ベルギー)らの有力スプリンターが連日のゴールをにぎわせた。ところがここで思わぬアクシデントが発生した。

優勝候補の筆頭だったビノクロフが、第5ステージの終盤で不意の落車で大けがを負ったのである。

平坦ステージの終盤はスプリント勝負に向けて高速化し、落車の危険性がつきまとう。それを回避するためには集団の前方に位置するのが鉄則で、歴代の総合優勝者はつねに序盤戦でも上位でゴールしている。

ツール・ド・フランスの前座として一般サイクリストがロンドンのど真ん中に集合

そしてビノクロフもそういった走りができる総合力を備えていたはずだが、チェーントラブルで思わぬ落車の憂き目にあったのだ。この大会の優勝候補の筆頭は両ヒザを裂傷するという重傷に顔をしかめた。すぐにクレーデンとアンドレイ・カシェチキン(カザフスタン)を除くチームメートが駆け寄り、隊列を組んでメイン集団への復帰を試みた。

ところがこのときメイン集団は、逃げていた先頭グループを吸収するためにハイペースでゴールに突き進んでいた。ビノクロフにとっては運がなかった。アスタナのアシストたちは力尽きて脱落。しかたなくビノクロフが単独で追ったが、高速化した集団には追いつくことはできず、1分20秒のタイムロスを背負う。前日まで50秒遅れの総合12位といい位置につけていたビノクロフだが、この日終わって2分10秒遅れの総合81位に陥落した。

アルプスで抜きん出てきたのは想定外のラスムッセン

そしてツール・ド・フランスは大会8日目、第7ステージにしてアルプスに突入した。例年なら序盤戦にはチームタイムトライアルか長めの個人タイムトライアルが組み込まれるが、2007年は通常のステージレースを続け、早い機会にアルプスを迎えたのだ。

この日はTモバイルのリーナス・ゲルデマン(ドイツ)を含む15人の第1集団が形成され、メイン集団との差を最大8分20秒まで開いた。ラスト14.5km地点を頂点とするコロンビエール峠で単独になったゲルデマンはそのままゴールまでの下りを独走し、初のステージ優勝と同時にマイヨジョーヌと新人賞のマイヨブランを獲得した。

タワーブリッジの途中で選手団が止まり、正式スタートを切った

翌第8ステージは2007年のキーポイントとなった1日だ。ラスムッセンら6人がレース中盤のロズラン峠でアタック。最後から2つ目の山岳、オートビユではラスムッセンら3人に。さらに最後のティーニュの上りでラスムッセンが単独になった。そしてラスムッセンは2位に2分47秒差をつけてステージ優勝。それと同時にマイヨジョーヌと山岳ジャージも獲得した。

後方に取り残された有力選手たちはそれぞれの戦いを展開。ここで脱落したのがなんとビノクロフだった。クレーデンにアシストされたビノクロフは4分29秒も遅れてゴール。明白になったのは総合成績で上位につけるクレーデンがエースではなく、あくまでもビノクロフが絶対的な存在であり続けたことだった。ビノクロフはアルプスの3日目も遅れ、これでだれもが総合優勝から脱落したと感じた。

純白の新人賞ジャージを着て走るコンタドール

第13ステージは、この年初めての長距離タイムトライアルだ。結果的にドーピング違反で失格となるビノクロフが最速タイムを記録するが、ここで浮上したのがエバンスとコンタドール。それとは反対に陥落したのがサウニエルドゥバルのイバン・マヨ(スペイン)、ケスデパーニュのアレハンドロ・バルベルデ(スペイン)、CSCのカルロス・サストレ(スペイン)だ。

2005年のツール・ド・フランスでは最後の個人タイムトライアルで何度も落車して大崩れしたラスムッセンはまずまずの好タイムでゴール。エバンスに1分差に詰め寄られたものの、納得のいく結果を手中にした。この日終わってラスムッセンの強さにだれもががく然としたはずだ。気がついてみれば「チキン」と呼ばれる、細身で長身のスキンヘッドが総合優勝に一番近いところにいたからである。

ツール・ド・フランス2007。ピレネー山脈を上るグルッペット

前代未聞! マイヨジョーヌの出走をチームが阻止

そして勝負はピレネーへと移っていく。1日目の山岳にして首位をねらえる好位置につけていたエバンスが遅れた。ラスムッセンと最後まで渡り合ってゴール勝負を制したコンタドールに対して、エバンスは1分52秒遅れでゴール。疲労したその表情に挽回する気力は感じられなかった。この日終わってラスムッセンと、それを2分23秒差で追うコンタドールの一騎打ちの様相を呈してきた。

ピレネー第2戦は、最後の山岳で4回もアタックしたコンタドールに、ラスムッセンが食らいついた。コンタドールはゴールまでの平坦路でも振り切ろうとパワーを振り絞ったが、この年のラスムッセンは想像以上に強かった。2人は同タイムでゴールした。

そして2人の一騎打ちは休日開けの最後の山岳ステージへ。戦いの舞台はオービスク峠だ。それぞれのアシストに援護された2人が雌雄を決着させようとしていた。満を持してコンタドールがアタック。しかしラスムッセンは離れなかった。最後はライプハイマー、ラスムッセン、コンタドールの戦いとなり、残り1kmでラスムッセンが単独に。区間2勝目のガッツポーズを挙げたときに、コンタドール逆転の夢を描いたスペインファンから落胆の声が上がった。

しかし2007年はその夜に事態が一転した。

コンコルド広場に選手たちがやってきた

ラボバンクがラスムッセンに出場停止処分を科したのだ。処分の理由は規則違反と発表されたが、同選手に薬物違反の疑いがあるためにチームが動いたとしか考えられない。

チーム広報のパトリック・クレルクはこう説明している。

「この日のゴール後のポーでチームはラスムッセンから事情聴取した。ラスムッセンは6月にメキシコにいると報告しておきながら、実際にはイタリアに滞在していた。このウソはチームの規律を破るのもで、ラスムッセンをこの大会から追放することに決定した」

主催者の最高権威であるクリスチャン・プリュドムはこう話す。

「彼はこのレースに参加すべきではなかった。明日の総合成績は実力を反映したものになるだろう。大切なことはツールを愛している人たちに正真正銘のツールを戻してあげることだ」

第17ステージ終了後、マイヨジョーヌはコンタドールの胸に。最終日前日の個人タイムトライアルで、猛追したエバンスをわずか 23秒差で逃げ切ったスペインの山岳スペシャリストは、24歳にしてこの大会を制することになる。史上初の5連覇を達成したスペインのミゲール・インデュラインの後継者と言われる男が、激震に襲われたレースを締めくくってくれた。

マイケル・ボーヘルトも家族と久しぶりの再会

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【ツール・ド・フランスリバイバル】
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