ESSが米国・欧州の医療従事者に1万4000アイウエアを提供

軍隊・警察・消防などの現場で愛用されている米国のアイウエアメーカー、ESSが新型コロナウイルスと立ち向かっている米国・欧州の医療従事者や初動対応者に1万4000セットの保護用アイウエアを提供した。

20年以上にわたり、ESSは戦場の最前線で男性と女性を守ることに専念してきたメーカーだ。現在、地球全体を揺さぶる新型コロナウイルスで前例のない敵に直面している。ESSは緊急の必要性を認識し、医療従事者、初動対応者、米国とヨーロッパでのこの新しい戦いの最前線にいる人々を支援するために、1万4000セットを超える保護眼鏡を寄付した。

「ESSは、生命の保護に貢献しているすべてのヒーローに私たちのサポートを約束します。一緒にこれを倒すことができます!」とコメントしている。

ESSは世界中の軍隊、警察、消防などで愛用されている防護用アイウエアだ

●ESSのホームページ

黒田硫黄原作コミック「茄子」のペペが着るパオパオ発売

国内最大手の自転車ウエアメーカー、パールイズミは、黒田硫黄原作コミック「茄子」の登場人物ペペ ベンネヘリが所属するビールメーカーがスポンサーの自転車チーム「パオパオ」デザインのサイクルウエアを発売。

オーパス長袖ジャージ 1万4500円(税別)

半袖ジャージ、パンツ、ウインドブレーカー、サイクルキャップ、そしてアームカバーやシューズカバーなどのアクセサリー類まで幅広く展開する。

各商品は6月末以降にサイクルショップやスポーツ用品店などで販売を開始し、一部商品はパールイズミの限定オンラインショップで発送する。オンラインショップは4月中旬受注開始予定。

プリントジャージ 1万3000円(税別)
プリントパンツ 1万2000円(税別)
プリントサイクルキャップ 3800円(税別)
ウインドブレーカーベスト 1万2500円(税別)
エアスピード半袖ロードスーツ 3万2000円(税別)
エアロシューズカバー 5300円(税別)
グローブ 5300円(税別)
サコッシュ 3200円(税別)

●パールイズミのホームページ

【ツール・ド・フランスリバイバル】2007年はマイヨジョーヌ解雇! コンタドール初V

2007年の第94回ツール・ド・フランスは米国のディスカバリーチャンネルに所属していたアルベルト・コンタドール(スペイン)が初優勝した。アスタナのアレクサンドル・ビノクロフ(カザフスタン)、ラボバンクのミカエル・ラスムッセン(デンマーク)がレースを去るなかで、スペインの若き闘牛士(マタドール)がファンの心を魅了した。

マイヨジョーヌのラスムッセンをマークするコンタドール。エバンスはキツそうだ
ツール・ド・フランス2007

英国開幕の大会はビノクロフが優勝候補だった

英国ロンドンで開幕したツール・ド・フランスはタイムトライアルの世界チャンピオンであるファビアン・カンチェラーラ(スイス、CSC)がマイヨジョーヌを着用して動き始めた。アルカンシエルのワンピースジャージを身にまとったカンチェラーラは平均時速53.660km という猛スピードでロンドンの市街地を駆け抜けた。2位は13秒遅れでアスタナのアンドレアス・クレーデン(ドイツ)。同チームのエースであるビノクロフも30秒遅れの7位でゴールし、初優勝に向けて絶好のスタートを切った。

一方のラスムッセンは1分16秒遅れの区間166位。この時点ではエースナンバーをつけたメンショフのアシスト役をこなしながら、3年連続となる山岳ジャージに照準を合わせていたはずだった。大会前にチームが表明したこの大会のターゲットは、スプリンターのオスカル・フレイレ(スペイン)えによる複数のステージ優勝、ラスムッセンの山岳賞とトーマス・デッケル(オランダ)の新人賞獲得、そしてデニス・メンショフ(ロシア)が総合成績で上位に食い込むことだった。

ロンドン名物のダブルデッカーもツール・ド・フランスを歓迎

プロローグと第1ステージを英国で走ったツール・ド・フランスは、移動日なしでヨーロッパ大陸へ。第2ステージから6ステージまでは平坦コースでの戦いが続き、プレディクトール・ロットのロビー・マキュウェン(オーストラリア)やクイックステップのトム・ボーネン(ベルギー)らの有力スプリンターが連日のゴールをにぎわせた。ところがここで思わぬアクシデントが発生した。

優勝候補の筆頭だったビノクロフが、第5ステージの終盤で不意の落車で大けがを負ったのである。

平坦ステージの終盤はスプリント勝負に向けて高速化し、落車の危険性がつきまとう。それを回避するためには集団の前方に位置するのが鉄則で、歴代の総合優勝者はつねに序盤戦でも上位でゴールしている。

ツール・ド・フランスの前座として一般サイクリストがロンドンのど真ん中に集合

そしてビノクロフもそういった走りができる総合力を備えていたはずだが、チェーントラブルで思わぬ落車の憂き目にあったのだ。この大会の優勝候補の筆頭は両ヒザを裂傷するという重傷に顔をしかめた。すぐにクレーデンとアンドレイ・カシェチキン(カザフスタン)を除くチームメートが駆け寄り、隊列を組んでメイン集団への復帰を試みた。

ところがこのときメイン集団は、逃げていた先頭グループを吸収するためにハイペースでゴールに突き進んでいた。ビノクロフにとっては運がなかった。アスタナのアシストたちは力尽きて脱落。しかたなくビノクロフが単独で追ったが、高速化した集団には追いつくことはできず、1分20秒のタイムロスを背負う。前日まで50秒遅れの総合12位といい位置につけていたビノクロフだが、この日終わって2分10秒遅れの総合81位に陥落した。

アルプスで抜きん出てきたのは想定外のラスムッセン

そしてツール・ド・フランスは大会8日目、第7ステージにしてアルプスに突入した。例年なら序盤戦にはチームタイムトライアルか長めの個人タイムトライアルが組み込まれるが、2007年は通常のステージレースを続け、早い機会にアルプスを迎えたのだ。

この日はTモバイルのリーナス・ゲルデマン(ドイツ)を含む15人の第1集団が形成され、メイン集団との差を最大8分20秒まで開いた。ラスト14.5km地点を頂点とするコロンビエール峠で単独になったゲルデマンはそのままゴールまでの下りを独走し、初のステージ優勝と同時にマイヨジョーヌと新人賞のマイヨブランを獲得した。

タワーブリッジの途中で選手団が止まり、正式スタートを切った

翌第8ステージは2007年のキーポイントとなった1日だ。ラスムッセンら6人がレース中盤のロズラン峠でアタック。最後から2つ目の山岳、オートビユではラスムッセンら3人に。さらに最後のティーニュの上りでラスムッセンが単独になった。そしてラスムッセンは2位に2分47秒差をつけてステージ優勝。それと同時にマイヨジョーヌと山岳ジャージも獲得した。

後方に取り残された有力選手たちはそれぞれの戦いを展開。ここで脱落したのがなんとビノクロフだった。クレーデンにアシストされたビノクロフは4分29秒も遅れてゴール。明白になったのは総合成績で上位につけるクレーデンがエースではなく、あくまでもビノクロフが絶対的な存在であり続けたことだった。ビノクロフはアルプスの3日目も遅れ、これでだれもが総合優勝から脱落したと感じた。

純白の新人賞ジャージを着て走るコンタドール

第13ステージは、この年初めての長距離タイムトライアルだ。結果的にドーピング違反で失格となるビノクロフが最速タイムを記録するが、ここで浮上したのがエバンスとコンタドール。それとは反対に陥落したのがサウニエルドゥバルのイバン・マヨ(スペイン)、ケスデパーニュのアレハンドロ・バルベルデ(スペイン)、CSCのカルロス・サストレ(スペイン)だ。

2005年のツール・ド・フランスでは最後の個人タイムトライアルで何度も落車して大崩れしたラスムッセンはまずまずの好タイムでゴール。エバンスに1分差に詰め寄られたものの、納得のいく結果を手中にした。この日終わってラスムッセンの強さにだれもががく然としたはずだ。気がついてみれば「チキン」と呼ばれる、細身で長身のスキンヘッドが総合優勝に一番近いところにいたからである。

ツール・ド・フランス2007。ピレネー山脈を上るグルッペット

前代未聞! マイヨジョーヌの出走をチームが阻止

そして勝負はピレネーへと移っていく。1日目の山岳にして首位をねらえる好位置につけていたエバンスが遅れた。ラスムッセンと最後まで渡り合ってゴール勝負を制したコンタドールに対して、エバンスは1分52秒遅れでゴール。疲労したその表情に挽回する気力は感じられなかった。この日終わってラスムッセンと、それを2分23秒差で追うコンタドールの一騎打ちの様相を呈してきた。

ピレネー第2戦は、最後の山岳で4回もアタックしたコンタドールに、ラスムッセンが食らいついた。コンタドールはゴールまでの平坦路でも振り切ろうとパワーを振り絞ったが、この年のラスムッセンは想像以上に強かった。2人は同タイムでゴールした。

そして2人の一騎打ちは休日開けの最後の山岳ステージへ。戦いの舞台はオービスク峠だ。それぞれのアシストに援護された2人が雌雄を決着させようとしていた。満を持してコンタドールがアタック。しかしラスムッセンは離れなかった。最後はライプハイマー、ラスムッセン、コンタドールの戦いとなり、残り1kmでラスムッセンが単独に。区間2勝目のガッツポーズを挙げたときに、コンタドール逆転の夢を描いたスペインファンから落胆の声が上がった。

しかし2007年はその夜に事態が一転した。

コンコルド広場に選手たちがやってきた

ラボバンクがラスムッセンに出場停止処分を科したのだ。処分の理由は規則違反と発表されたが、同選手に薬物違反の疑いがあるためにチームが動いたとしか考えられない。

チーム広報のパトリック・クレルクはこう説明している。

「この日のゴール後のポーでチームはラスムッセンから事情聴取した。ラスムッセンは6月にメキシコにいると報告しておきながら、実際にはイタリアに滞在していた。このウソはチームの規律を破るのもで、ラスムッセンをこの大会から追放することに決定した」

主催者の最高権威であるクリスチャン・プリュドムはこう話す。

「彼はこのレースに参加すべきではなかった。明日の総合成績は実力を反映したものになるだろう。大切なことはツールを愛している人たちに正真正銘のツールを戻してあげることだ」

第17ステージ終了後、マイヨジョーヌはコンタドールの胸に。最終日前日の個人タイムトライアルで、猛追したエバンスをわずか 23秒差で逃げ切ったスペインの山岳スペシャリストは、24歳にしてこの大会を制することになる。史上初の5連覇を達成したスペインのミゲール・インデュラインの後継者と言われる男が、激震に襲われたレースを締めくくってくれた。

マイケル・ボーヘルトも家族と久しぶりの再会

ツール・ド・フランスの歴史は講談社現代新書のKindle版にしっかりと書いてあります。

【ツール・ド・フランスリバイバル】
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【ツール・ド・フランスリバイバル】2006年は終了3日後に覇者失格

新型コロナウイルス感染拡大を防止するために外出制限などで不自由な生活を余儀なくされているサイクリングファンに、過去記事をお送りします。1988年からツール・ド・フランス現地入りしている私ですが、1996年まではサイクルスポーツ編集部員としての派遣。その後独立しましたが、当時はポジフィルム撮影。そして暗黒の7年間となったので、2006年からツール・ド・フランスをリバイバル

ガリビエ峠を上るマイヨジョーヌのランディス
ツール・ド・フランス2006

波乱の2006年。最大の衝撃はパリにゴールしたあとだった

米国のランス・アームストロングが2005年に7連覇(現在は薬物違反で全記録はく奪)を達成して引退。翌2006年は新たな王者を決めるレースとなるはずだったが、最終日のパリでマイヨジョーヌを獲得した米国のフロイド・ランディスが、その3日後に禁止薬物のテストステロンを使用したことでドーピング違反となり、総合優勝をはく奪された。

ランディスはアルプスで行われた3区間の初日、第15ステージで首位に躍り出たが、翌16ステージで10分以上も遅れて首位を陥落した。ところが第17ステージで130kmを独走し、再び首位が狙える位置まで浮上している。その後、得意とする個人タイムトライアルで逆転したランディスは、最終日のシャンゼリゼにマイヨジョーヌを着て凱旋した。

第17ステージの信じがたい逃げを疑問視する他チームの選手や関係者も多かった。そしてその日のゴール後に行われた検査でランディスは陽性となったのだ。開催93回目を数える当時の大会で、総合優勝者が失格なったのは初めてだった。

ランディスは2002年に当時のUSポスタル(のちのディスカバリーチャンネル)に移籍し、それからの3年間はアームストロングのアシスト役をつとめた。アームストロングの7連覇のうち3勝は、ランディスの存在があってのものだった。

ランディスの失格にともなって、57秒遅れの総合2位でゴールしたスペインのオスカル・ペレイロが繰り上がり優勝となる。ペレイロは総合優勝できるようなオールラウンダーではなかったが、誰もがつなぎの区間と思われた第13ステージで5人の逃げを成功させ、後続集団に29分57秒差をつけて一時的に首位に。そのとき稼いだ貯金があって総合2位でパリにゴールしていた。

ただし事実関係の調査や審議などがあり、ペレイロがマイヨジョーヌを手中にするのは大会終了から449日後、2007年10月だった。

この年の存在感と言ったらアレクサンドル・ビノクロフ。ツール・ド・フランス2006

超人的アタックを成功させた第17ステージで薬物使用

ツール・ド・フランスで初の総合優勝を達成したランディスが、禁止薬物のテストステロンを使用していたことが大会終了後に明らかになった。

ランディスが「ポジティブ」となったのは第17ステージ終了後のアンチドーピングコントロール。検査は2つの検体が採取されるが、パリの表彰式から3日後の7月26日に、UCI・国際自転車競技連合が「ツール・ド・フランスの禁止薬物検査で、検体の1つが陽性となった選手がいる」と発表した。

ラルプデュエズで独走勝利したフランク・シュレック

2つ目の検体が陽性にならないと氏名は公表されないが、この第1段階でUCIはルールに則って所属チームと当該国の自転車競技連盟に選手名を通知している。

第1報を知った各メディアは情報収集に追われ、裏付けを取られたものが外電として世界中に流された。翌日には日本の一般紙にも掲載されるほどのショッキングなニュースだった。

ダミアノ・クネゴ。ツール・ド・フランス2006

すぐに「陽性となった選手が出たのは7月20日に行われた第17ステージ」と一部で報じられた。この日のステージ優勝者とマイヨジョーヌ、ランダムに抽出された選手など、その対象はすぐに絞り込まれ、その段階ですでにランディスではないかという憶測が生まれた。誰もが彼の人間業とは思えない逃げを目の当たりにしていたからだ。

翌27日にフォナックチームが、「陽性となった選手はランディスである」と緊急発表した。ランディスはツール・ド・フランス後の顔見世興行レースをキャンセルし、すぐに自らの弁護団を結成。当初は、「長年のハードなトレーニングやいくつかの要因が相乗効果となって体内で生成されたもの」と主張した。

フィリップ・ジルベール。ツール・ド・フランス2006

チームの発表後にUCIは、パット・マクワイド会長の名のもとに「ランディスが陽性反応の当事者である」と認めたが、ランディス側は事態の争点をすり替えるためか、「この段階で名前が公表されたことは明らかなルール違反」として争っていく姿勢だ。

8月5日には2つ目の検体も陽性であることが判明。分析結果により外部から摂取されたことが明らかであることも実証された。フォナックチームは「チームの規律に違反した」として、即日のうちにランディスを解雇した

フィリッポ・ポッツァート。腕には元カノのキアラのタトゥーが

総合優勝者が失格となったのは93回の歴史の中で「当時として」初めて

ランディスはアルプスで行われた3区間のうち、第15ステージで首位に躍り出たが、翌16ステージで10分以上も遅れて首位を陥落した。ところが第17ステージで130kmを独走し、再び首位が狙える位置まで浮上している。その後、得意とする個人タイムトライアルで逆転したランディスは、最終日のシャンゼリゼにマイヨジョーヌを着て凱旋した。

ツール・ド・フランスの総合優勝者に薬物使用の疑いがかけられたことは過去にもある。1988年の優勝者、ペドロ・デルガドも期間中の検体から陽性反応が出たが、禁止薬物にリスト化される寸前のものだったことから失格を免れた。

今回は、第17ステージの信じがたい逃げを疑問視する他チームの選手や関係者も多かった。それだけあからさまな挙動は、ランディス自身が自暴自棄になったのではとさえ考えられた。UCIがランディスを要注意人物としてマークしたのは当然だ。

マイヨジョーヌのランディスがシャンゼリゼにフィニッシュしたのだが…

ツール・ド・フランスの主催者は、「もはやランディスを総合優勝者とは見なしていない」とコメントし、その後の決定をUCIに一任している。とはいえ、この年のツール・ド・フランスは開幕前にジロ・デ・イタリアとツール・ド・スイスの総合優勝者を排除し、両大会の顔に泥を塗っていた。それだけに今回はそのしっぺ返しという感もあったようだ。

ランディスの2つ目の検体が陽性となった後、ペレイロは「チーム全体の努力によって、ツール・ド・フランスの総合優勝に導かれたという気持ちがわいてきた」とだけコメントした。


ツール・ド・フランスの歴史を知りたい人は講談社現代新書からKindle版の電書が出ていますので、お手にとってお確かめください。

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自宅でアイアンマン…ドイツの王者が8時間33分39秒で完走

北京オリンピック金メダリストでアイアンマントライアスロン・ハワイ大会で3度優勝しているヤン・フロデノ(ドイツ)が、スポーツは新型コロナウイルスでも止めることができないことを4月11日に実証した。

スマートトレーナーでZwiftにアクセスし、実際のコースと同じ負荷がかかるペダルを回すヤン・フロデノ

医療関係者の激務に比べたらロックダウンなんて犠牲は小さい

スポーツを通した慈善団体であるローレウスのアンバサダーも務めるフロデノは、外出禁止令が敷かれる制約の中で、スイム・自転車・ランに挑戦した。20万ユーロ(2500万円)以上の寄付金を集め、ローレウス団体と自宅があるスペイン・ヒローナの医療機関に寄付する。

ヒローナのロックダウンで、フロデノはアイアンマンディスタンス「AT HOME」を完走した。記録は8時間33分39秒という驚異的なものだった。

エンドレスプールで3.8kmのスイム

自宅の対流スイミングプールで3.8km、部屋のスマートトレーナーで180kmのサイクリング、そしてトレッドミルで42.2kmのマラソンを走った。

「いつもと違ってとても楽しかった。私たちは4週間近くロックダウンの対象となっていて、これらの規則の遵守を厳しく監視されているけど、いいタイムでゴールできて、困難な状況を打開するための資金を集めることができてとてもうれしい」とフロデノ。

「この状況は本当に悲惨だ。だから私は家でトレーニングをしてきた。しかし、病院の人々が私たちのために何をしているのかを見ると、こんな犠牲は小さいものだと感じた」

アイアンマンを制したキャニオンに乗って180kmを飛ばす

フロデノが参戦を予定していたチャレンジロスはパンデミックのために中止された。

「最初はレースができないなら、家でやるだけだと思っていた。だからまず、家でどうやってレースしようかを考えた。同時に義援金を集めるために広く告知したいと考えていた」

寄付の一部は、ヒローナの若者を支援するプロジェクトを推進するローレウスに提供する。フロデノのスポンサーであるメルセデスベンツはこの慈善団体のグローバルパートナーで、フロデノは長年アンバサダーとして関わっていたという縁があった。

「ローレウスはスポーツの力を利用して若者を支援していて、世界中で約200のプログラムを行っている素晴らしい団体だ。企画の多くは新型コロナウイルスのために停止しなければならなかったか、リモートで行われなければならなくなった。若者にとって状況はもっと深刻になり、二次災害とも言える」

トレッドミルでフルマラソン

残りの寄付はヒローナの地元医療機関に寄付される。「この恐ろしいことに打ち勝つために危険にさらされている医師、看護師、助手を尊敬しています」

世界中のトライアスロンファンが今回の #TriatHome チャレンジのライブストリーミングに同調した。1日じゅうローレウスアカデミーのメンバーとしてテニスのボリス・ベッカー、自転車のファビアン・カンチェラーラ、探検家のマイク・ホーン、自転車トラック競技のクリス・ホイを含むスポーツ界のレジェンドがストリームに参加した。

ヤン・フロデノ

●#TriatHomeチャレンジのホームページ

要点を押さえて適度に自転車を…JCFがすべてのサイクリストにメッセージ

日本の自転車レースを統括する日本自転車競技連盟(JCF)が4月9日、新型コロナウイルス禍によって屋外練習やレース参戦ができないでいるサイクリストに向けてメッセージを発信した。以下はホームページより。

新型コロナウィルス感染症の拡大防止のために非常事態が宣言される事となり、本連盟においても当面の間の主催競技大会を中止することとしております。

また、自転車を愛するみなさまにおかれても学校や会社に出向くことすらままならない状況で、閉塞感を感じている方も多いと推測します。

このような状況において自転車に乗ることは、心身の健康を保つために大変有効な手段であると思います。

本来、自転車は屋外で楽しむもので、このような事態の中で積極的な外出を推奨することはできませんが、適度な運動のために自転車に乗る場合は、以下の点を留意していただきたいと思います。

・身体に不調を感じている方は、自転車に乗ることは控える。

・いわゆる3密(密閉空間・密集場所・密接場所)は避ける。

・自転車の整備や交通安全に気を付け、事故を起こさないようにする。

末筆になりましたが、感染された方々の一刻も早い回復と、この事態が早期に終息することを切にお祈り申し上げます。

●日本自転車競技連盟のホームページ
●新型コロナウイルス関連記事まとめ