パリ五輪がまさかのブラックフライデー…公式グッズ最大7割引

2024パリ五輪がオリンピックポスター、スポーツウエア、アクセサリー、コレクターズアイテムなどをブラックフライデーとして最大70%引きで12月2日まで発売する。*「あなたやあなたの大切な人への完璧なギフトです!」と言うものの、売れ残った公式グッズなどが対象。

フランスでは法律で1年に2回、夏と冬にソルド(バーゲンセール)をすることが義務付けられ、ソルドの期間は法律で定められていますが、Black Fridayなどソルド以外の名前を使ってそれ以外の期間で値引きが行なわれることもある。

今回のセールは対象商品に限り、12月2日まで有効なオファー。オファーは他のプロモーション、割引、クーポンと併用できない。

パリ2024は終了したが、新しいオリンピックの章が始まろうとしている。オリンピック冬季大会ミラノ・コルティナ2026が2月6日から22日まで開催される。

●2024パリ五輪セールのホームページ

コーダーブルームのホダカが微小の傷物商品をアウトレットで一掃

シティサイクルからスポーツ自転車まで幅広く手がける日本の自転車メーカー、ホダカが埼玉県越谷市の本社倉庫で直売アウトレットセールを開催。輸送中のキズや店頭展示品、試乗車などで実用上問題はないものの仕様違い品など流通に乗せることが難しいものを特価販売する。

STRAUSS PRO DISC 540mm(フレームのみ)が55%OFFの120,000円(税込)

12月8日(日)が本セール。その日に行けない人に向けて6日(金)に前夜祭セールを実施。シティサイクル約300台、スポーツバイク約100台、子供用自転車約50台と過去最大級のラインナップ。

学生証を見せると自転車が1000円引き

当日会計時にレジで学生証を提示すると、その場で自転車が1,000円OFFに。会場内のすべての自転車が対象。他の割引サービスとの併用は不可。

5万円以上のスポーツサイクル購入で先着10人にヘルメットをプレゼント

5万円以上のスポーツサイクルを購入した先着10人に、7,000円相当のKhodaaBloomオリジナルヘルメットをプレゼント。8日の本セールのみの実施。

アウトレットセール開催概要
l 本セール: 2024年12月8日(日)9時~12時
l 前夜祭セール: 2024年12月6日(金)17時~20時
l 開催場所:埼玉県越谷市流通団地1-1-9 ホダカ株式会社 本社
アクセス:JR武蔵野線南越谷駅、東武スカイツリーライン新越谷駅 徒歩20分
タローズバス 南越谷駅発~流通団地一丁目 下車 約10分

安治川部屋公認の頑丈で安心・快適な高耐荷重設計自転車発売へ

大阪府吹田市に本社を置くダイワサイクルと、相撲の安治川部屋がダイワサイクル史上初の高耐荷重設計自転車「デュラシック100」を開発し、販売を開始した。同部屋に所属する力士による半年間の試乗とアンケート調査を参考にして市販化した。

大相撲・安治川部屋公認のデュラシック100

自転車の「新しいアタリマエ」を経営理念とするダイワサイクルは、これまで自転車の出張修理サービスやプライベート自転車の企画・開発を行ってきた。今回は身体の大きな人の悩みとして、スポークが破損するなど自転車が壊れやすいかったり、特に雨の日に止まりにくくて不安があるとの声があったため、独自開発の耐荷重タフネス技術を採用した「デュラシック100」を発売した。

安治川部屋の現役力士に協力してもらい、半年間の試乗とアンケートを実施。自転車の頑丈さや安全性が満足できるレベルに達したことにより、「デュラシック100」が「安治川部屋公認」自転車としてお墨付きを得たという。

「タイヤも太く、頑丈なフレームを採用しているため、走行時のガタツキなどを感じることもなく安心して乗れた」
「一般の自転車と比較してブレーキの効きがよかった」
「大型のギヤと7段の変速で快適な漕ぎ心地を体感できた」

商品は全国のダイワサイクル、ダイワサイクルスタイル、ダイワサイクルオンラインストアで販売。税込み5万7200円。

【ヒマラヤ未踏峰に挑む連載再開!】Episode 5/苦闘を乗り越えて決行したファーストアタックだったが…

ヒマラヤにある標高6524mの未踏峰プンギに挑む日本山岳会学生部。総隊長・井之上巧磨(青山学院大学体育会山岳部)、登攀隊長・尾高涼哉(東京大学運動会スキー山岳部)、装備全般・中沢将大(立教大学体育会山岳部)、渉外・会計・記録・横道文哉(立教大学体育会山岳部)、会計・芦沢太陽(中央大学山岳部)がいよいよネパールのアンナプルナ山域へ。その足跡を各隊員が克明にレポート。今回は中沢将大がコトからファーストアタックまでの苦闘を綴った。

メタ村まで来ると少しずつ遠くに雪峰が見えてきた

屈強なロバたちに登山道具から食料までベースキャンプに運んでもらう

コト村からはトレッキングが始まりました。4700m地点のベースキャンプまで、休息日を挟みながら10日間ほどの日数をかけて進みます。初日は標高3600mに位置するメタ村まで行きます。まだモンスーンの季節であるため、道中は他のトレッキング観光客はほとんど見受けられません。

メタ村まで来ると、少しずつ遠くに雪峰が見えてきました。メタ村は丘の上に村を作ったようで、そこで生活する人も見受けられます。

メタ村の次は、チャク村です。標高は富士山頂と同じくらいです。この村には草原が広がっており、たくさんのロバが黙々と草を食べ続けています。実はこのロバたちは、私たちの遠征を支えてくれた重要なポーターさんでもあります。高所でも屈強なため、上りでもグイグイと登り、私たちの登山道具や食料などのほとんどの荷物をベースキャンプまで運んでくれました。

チャク村。ロバが黙々と草を食べ続けている

時が流れても変わらぬ生活を送る人や集落に衝撃を受ける

その後、3900mのキャン村、そして最後の村であるプーガオンに向かいました。プーガオンまで来ると茶色く荒涼とした風景が広がります。トレッキング街道の一番奥の村でとても静かですが、そこには驚きの景色が広がっていました。散歩のついでに村を見渡せる場所まで上がった時に見えたものは、丘の下に階段状に並んでいる土壁でできた住居と、住居の前のスペースで農業の仕事をしている20〜30人の人々の姿でした。

ここまで来るのに、車の通っているコト村から歩いて最低3日はかかりますが、そんな僻地で自給的な生活が行われていたのです。私たちがいつも過ごしている世界とは全くもって異なる、過去に始まって変わらなかった時の流れの中で、人々が生活を送っている世界がそこにはありました。

プーガオンまで来ると茶色く荒涼とした風景が広がる

ついにプンギに出会う。双眼鏡を手渡しながら目を凝らして見た

また、仏教の色も濃く感じます。村の近くにある丘の上には、タシ・ラカンという立派な寺院がありました。チベット文字が刻まれた石と、小さな仏塔が多く並んでいて、村の人々の信仰において重要な場所であるように感じました。

タシ・ラカンは丘の上に位置しているため、そこからは多くの山々を望むことができますが、私たちがこれから登る「プンギ」を初めて目にしたのもこの場所でした。遠くにあるプンギを、みんなで一つの双眼鏡で代わる代わりに、目を凝らしながら見たことを覚えています。

仏教の信仰も色濃く感じる

9月21日。標高4700mに位置するベースキャンプ(BC)に到着しました。その日の夜ご飯はコックさんがカツを出してくださり、持参したうなぎも一緒に食べました。久しぶりの日本食に感動しました。ベースキャンプに滞在している間、ずっと美味しい食事を作ってくださったコックさんには感謝しかありません。

ベースキャンプの食事は最高においしい

翌日は、エージェントの方々を含め全員で、和やかな雰囲気の中でプジャ(お祈り)を行ないました。途中から雨が降るとても寒い中、30分ほど登山の安全をお祈りしました。

冷たい雨が途中から降る中でプジャ(お祈り)

ペースキャンプを発って標高5000mの場所にキャンプ1を設置

9月24日。この日、初めてベースキャンプより上にキャンプを設置しに行きます。いよいよ登山の始まりです。道はなく、まずは手探りでプンギの方向に向かって石がゴロゴロと転がる谷を歩きます。3時間ほど歩くとテントが張れそうな平地があり、綺麗な水も流れていたため、標高5000mのこの場所にキャンプ1(C1)を設置することにしました。プンギに登るための尾根にはまだ達していませんが、山はすぐ近くに見えました。

キャンプ1から目指す山がすぐ近くに見えた

降雪でC1から退避、雪が落ち着くまでは雪合戦をして待つしかない

いったんBCに戻り、またC1に上がった翌日の26日。この日は標高5250mまで偵察を行いました。テントに戻ってゆっくりしていると、雪が降り始めました。夜通し雪は降り、朝になっても雪が止まないため、一度BCに戻ります。雪は、翌日まで止まず、50〜60cmほど積もってしまいました。

日が上って気温が上がると、キャンプの周りの斜面では岩と混じる雪崩が各方面で起きています。雪の積もった斜面が落ち着くまでは日数を要するため、次のアタック予定日を後ろにずらし、数日間停滞することにしました。停滞日は、みんなじっとすることもできず、雪合戦で盛り上がりました。

標高5000mにキャンプ1を設置

巨岩の崩落、雪に押しつぶされたテント…気分は壊滅的

10月1日。斜面がだいぶ落ち着いてきたため、ファーストアタックに向けてC1に向かいました。途中、左側の斜面から岩が崩れ落ちる音が聞こえたかと目を見上げると、軽自動車大の岩が転げ落ちてきました。咄嗟に走り逃げましたが、落ちてきた場所は100mほど先でした。これまで見たこともない大きさの落石だったため、命の危機を感じました。

さらにこの日は災難が続き、C1に到着すると、張っておいたテントが雪で潰されてポールが折れていました。テントの中にあった、荷物も雪が溶けた水で水没していました。これから山頂に向かっていくというのに、早々に気分はめためたにされました。

落ち込んでいても仕方がありません。持ってきてあった修理道具でテントを直し、翌日に向けて備えました。 翌日は、みんなで意見を出し合いながらルートを探り、C2まで向かいました。尾根にのり、標高5500m地点にテントを張ります。私は朝起きると、高所の影響で頭痛と吐き気があり、偵察をみんなに任せることにしました。

みんなで意見を出し合いながらルートを探る

あまり体調はよくならず、翌朝は症状を改善するダイアモックス錠を飲み、C2を出発しました。ルートは岩の稜線を選択しましたが、登りやすくて安全なルートはここではなく、稜線下の斜面をトラバースするルートでした。

懸垂下降でルートに復帰できるポイントまで向かうことにしますが、岩がボロボロですぐ崩れてしまいそうな場所であるため、ロープを繋いで慎重に行きます。落ちることが許されない中、なんとかみな無事に通過でき、懸垂下降でルートに復帰します。怖さもありましたが、ハラハラなクライミングをしている感覚が楽しかった気持ちもありました。

怖さもあったが、クライミングをしている感覚が楽しかった

南峰まであと少しのところで想定外のクレバス帯

その先は急な雪面が続いています。みんなで交代交代にラッセルを行いましたが、かなり消耗させられました。雪面を乗り上げ、「さあ、南峰まであと少しのところだ」と思っていましたが、目の前に広がっていたのは予想もしていないクレバス帯でした。

時間もかなり押していたため、そこでキャンプを設置し、クレバスの偵察に向かうことにします。クレバスを通過するにはロープを繋ぎ合い、雪が繋がっている箇所を縫うようにして進みますが、今にも崩れてしまいそうな箇所もあります。恐怖を抑えて慎重にロープを伸ばし、なんとか攻略することができました。

クレバスを通過するときはロープを繋ぎ合い、雪が繋がっている箇所を縫うようにして進む

いよいよ登頂に向けてアタック…しかし高度順化がうまくいかなかった

10月5日。山頂に向けてアタックします。この日で仕留める必要がありますが、やはり高所順応がうまくいっておらず、思うように体が動きません。積雪は膝下くらいですが、すぐ息が上がってしまうため、時間がとてもかかります。山頂へとつながる稜線に合流しますが、その先はだんだんと細くイヤらしくなっていきます。ロープの支点を作りながら、一人ずつ慎重に行くことにしました。

10月5日、山頂に向けてアタック。この日で仕留める必要があったが…

ロープが足りなかった…ファーストアタックはここで撤退

2ピッチくらいロープを伸ばすと岩峰に差しかかりました。尾高がトップで行きますが、先に行くには下10mほどのギャップを通過しなくてはいけないようです。通過にはロープを新たに設置する必要がありますが、設置に使えるロープは持っていませんでした。その時点で時間も12時過ぎだったため、ファーストアタックはそこで撤退の判断を下し、ロープなどの必要な装備を持って再度挑戦することにしました。

下山もかなり疲労していたため、BCに戻るまでも大変だったことを覚えています。今までの山の人生の中でも最も辛い数日間でした。(Episode 6に続く)


中沢将大の愛用品

「写ルンです」

軽くて、操作がシンプルなため、過酷な環境でもすぐにシャッターを切れます。今回の遠征では、途中で水没してしまいましたが、帰国後になんとか現像することができました。すぐには写真を確認できないですが、現像して写真を確認する時のワクワク感もたまらないです。

チャレンジを終えて…中沢将大

プンギ遠征を終えた今、新たに課せられた挑戦は、「就活」という大きな山を乗り越えること。どっぷり大学人生を山岳部に捧げてきた今、机と向き合ってじっとしていることが大変ですが、カトマンズで買ってきたお香を焚いて、紅茶を飲めば、なんとか頑張れそうです。恋しくてたまらないネパール。就活が終わり次第、戻りたいと思います。


これまでのバックナンバーは下記PHUNGI 6524特集トップページにもくじがあります。

2025ツール・ド・フランス開幕地のトップが挙げた大会招致することのメリット

2025ツール・ド・フランスは開幕からの3日間と大会4日目のスタート地をフランス最北部のオー・ド・フランス地域圏に舞台設定した。この地域における自転車文化から自転車を利用した観光事業まで、そして自転車が市民に与える恩恵などをこの地域のトップが語った。

第4ステージのスタート、アミアン ©Hauts-de-France Tourisme-Laurène Philippot
フランソワ・ドゥコステ―ル(オー・ド・フランス地域圏議会 文化・遺産・地域言語および国際関係担当副議長) ©Hikaru Ogawa / Atout France

フランスでは自転車と観光が表裏一体の蜜月

2025年7月5日に開幕する第112回ツール・ド・フランス。第1ステージはリールメトロポールを発着とする185km。7月6日の第2ステージはロワンプランクからブローニュシュルメールまでの212km。7月7日の第3ステージはバランシエンヌからダンケルクまでの178km。そして7月8日の第4ステージでアミアンメトロポールを出発する。ここまでがオー・ド・フランス地域圏だ。

アラス ©Hauts-de-France Tourisme -Anne sophie Flament
シャンティイ ©Hauts-de-France Tourisme-Vincent Colin

オー・ド・フランス(Hauts-de-France)の「オー」はオートクチュール(高級洋服)のオーと同じで、「高い」という意味。高低差でも「高い」ところをさすが、地図上の上、つまり「北」もオーと呼ばれるので、北フランスという意味がある。

ソンム湾 ©Hauts-de-France Tourisme-Stéphane Bouilland

欧州にある4つの首都、フランスのパリ、ベルギーのブリュッセル、オランダのデンハーグ、英国のロンドンをつなぐルートの十字路に位置するリール、大聖堂で有名なアミアンなどの大都市が戦いの舞台となり、多くのレースファンがやってくるのみでなく、それを迎える市民も今から選手たちがやってくるのを楽しみにしているという。

第2ステージのゴール、ブローニュシュルメール ©Hauts-de-France Tourisme-Benoit Bremer
ブラン・ネ岬 ©Hauts-de-France Tourisme – Fabien Coisy

地元の人たちはどんな接し方で自転車を活用し、それをそれぞれの生活に取り入れて快適化しているのだろうか? オー・ド・フランス地域圏のフランソワ・ドゥコステ―ル副議長に話を聞くと、自転車専用レーンの整備、サイクルツーリズムの促進、そして2025年に開催されるツール・ド・フランスへの期待感を3つのワードとして口にした。

第3ステージのスタート、バランシエンヌ ©Hauts-de-France Tourisme – Anne Sophie Flament
第3ステージのゴール、ダンケルク ©Hauts-de-France Tourisme-Frédérik Astier

「フランスの多くの都市で自転車専用レーンが整備されており、これが日常的な移動手段として自転車の利用を促進している。また、ユーロヴェロルートという大規模な自転車ルートを整備し、自転車観光客を受け入れるホテルの認証制度も構築している」

エスタミネ ©Hauts-de-France Tourisme-Anne Sophie Flament

フランスにおける自転車インフラの整備

「フランスの多くの都市では数十年前から自転車専用レーンが整備されている。都市整備の際には必ず自転車レーンが作られ、これにより自転車が快適で日常的な移動手段の一つとなっている。また、安全性を確保するために、自転車レーンは車が走る道路と完全に分離されているのが特徴」

クレールマレ ©Hauts-de-France Tourisme-

サイクルツーリズムの成長

「フランスでは近年サイクルツーリズムの機運がこれまで以上に高まっている。1つの具体策として、ユーロヴェロルートという大規模な自転車ルートが注目されている。このルートは約100kmにおよび、観光客がその途中で町や田舎を見学しながら走ることができる。また、自転車観光客を受け入れるホテルの認証制度があり、自転車の修理や保管ができる設備を提供している」

アラン・ジェスト(アミアン・メトロポール議長) ©Hikaru Ogawa / Atout France
エステル・レオ―(オー・ド・フランス地方観光局 広報・マーケティングディレクター) ©Hikaru Ogawa / Atout France
クリストフ・デュフォセ、シャトー・ド・ボーリュー オーナーシェフ(ミシュラン2つ星、グリーンスター) ©Hikaru Ogawa / Atout France

「ツール・ド・フランスもたまにやってくるけど、このエリアには石畳の道が舞台となる伝統のパリ〜ルーベが毎年開催されている。それはもうフランスの自転車文化の象徴だ。2025年はツール・ド・フランスの開幕地として4つのステージを展開する。自転車専用道の整備環境、バカンスを利用したサイクリング、そしてペダルを漕ぐ頂点に位置するツール・ド・フランスは常にリンクする。市民にさまざまな恩恵をもたらしてくれるのは確かだ」

クレシー・アン・ポンティユーの森 ©Hauts-de-France Tourisme-Stéphane Bouilland
ルーヴル・ランス ©Hauts-de-France Tourisme -Nicolas Bryant
アンリ・マティス美術館 ©Hauts-de-France Tourisme-Xavier Alphand
ノシカ水族館 ©Hauts-de-France Tourisme-Anne Sophie Flament
ルーベのラ・ピシーヌ美術館 ©Hauts-de-France Tourisme – Nicolas Bryant
サン・ヴァレリ・シュル・ソンム ©Hauts-de-France Tourisme – Stéphane Bouilland
トゥケ・パリ・プラージュのビーチ 
エリクールのテリル(ぼた山) ©Hauts-de-France Tourisme-Fabien Coisy
国際フランス語博物館 
リールのグランプラス ©Hauts-de-france Tourisme – Stéphanie Gheeareart

デフリンピック1年前特別イベントを渋谷区役所で12月9日まで開催中

デフリンピック気運醸成の常設展示が渋谷区役所本庁舎で11月16日に始まった。初日に行われた、「デフ卓球体験」では渋谷区役所本庁舎15Fにあるスペース428を会場として、卓球台を設置して、小中学生を対象に、擬似的にきこえにくい環境を作って卓球を体験した。期間は12月9日まで。

デフ卓球体験で耳栓・イヤーマフをして挑戦する平野早矢香さん

ゲストは、デフ卓球メダリスト亀澤理穂、山田瑞恵。そして現在はスポーツキャスターや解説など幅広く活動する平野早矢香さん、2024年夏のパリパラリンピックでの活躍も記憶に新しいパラ卓球 岩渕幸洋。

左から亀澤理穂、山田瑞恵、平野早矢香さん、岩渕幸洋

最初に山田がデフ卓球の特徴や魅力について話した。 デフ卓球のルールは、健聴(きこえる人)の卓球と同じ。しかし、台やラケットにボールが当たる音がきこえず、ボールの軌道を「見て」判断している ので、とても集中力が必要になる。

亀澤理穂、山田瑞恵

平野さん、岩渕が耳栓とイヤーマフを装着して、「デフ卓球体験」を体験した。つけた瞬間に音がきこえにくくなり、いつもと全く違う感覚に戸惑う2人。難なくラリーを続けているように見えたが、「打球音がきこえない分、しっかり狙った場所に入っているのかがすごくわかりにくい」と、通常プレーする時との違いを体感した。

子どもたちもデフ卓球に挑戦。卓球経験のない子どもたちも、選手にラケットの持ち方や打ち方を教わりながら体験。最後には、ボールを的に当てるゲームにもチャレンジ。選手のサポートを受けながら、子どもたちも小さな的にボールを当てようと頑張った。1人がボールを当てるたびに拍手が沸き起こり、会場が盛り上がった。

デフスポーツ競技特集コーナーではメダルなどの展示も

会期中、渋谷区役所本庁舎15Fの会場では、デフリンピックにまつわる常設展示を行っている。デフリンピック100年の歴史を振り返る年表展示や、各競技のデフアスリートのインタビューなど、見応えのある充実の内容。小さな子どもと一緒に、親子でくつろげる芝生の絵本コーナーも用意。子どもから大人まで楽しみながら学べるイベントだ。