羽生結弦と人生の意味。記録破りのアイスショー…AIPSがワールドニュース掲載

国際スポーツプレス協会(AIPS)のウエブサイトが、12月7日にさいたまスーパーアリーナで開催されたプロスケーター羽生結弦さんのアイスショーの意義を伝える記事を掲載した。執筆はイタリアの日刊紙『コリエレ・デラ・セラ』文化部のコスタンツァ・リッツァカーサドルソーニャ。

国際スポーツプレス協会は、過去100年間で最も偉大な男性アスリート10人の1人(6位)に羽生さんを選出している。

ミラノ、2024年12月20日 – フィギュアスケートの枠を超え、スケート、映画、ストーリーテリング(語り伝え)、解説、音楽、ダンスなどを融合させた日本発の新しい芸術。12月7日(30歳の誕生日)に東京都心北部のさいたまスーパーアリーナで初開催された2度目のツアー「羽生結弦 ICE STORY 3rd – Echoes of Life」では、羽生結弦のフィギュアスケートに対するビジョンが明確に示されています。(記事冒頭を抜粋)

●Yuzuru Hanyu and the meaning of life. A record-breaking ice show

【ヒマラヤ未踏峰に挑む】Episode 7/ネパール山岳ビジネスの現状と未踏峰遠征で実際にかかった費用

ヒマラヤにある標高6524mの未踏峰プンギに2024年10月12日午後12時09分、日本山岳会学生部の5人全員、井之上巧磨(青山学院大)、尾高涼哉(東京大)、中沢将大(立教大)、横道文哉(立教大)、芦沢太陽(中央大)が初登頂した。ヒマラヤ未踏峰にたどり着くにはいくらかかったのか? ネパール山岳ビジネスの現状と合わせて、横道が報告。

自分たちで切り拓く道。標識もFIXも支点もない雪稜。プンギにて

商業登山ならしたくない…自分らの手で道を切り拓いて登りたい

遠征帰還後にたびたび聞かれることの中で、費用の話がある。私もこの遠征に行くにあたって、両親から「金持ちの道楽」とも言われたりしたものだが、実際にそのように思っている人は少なくないと思う。

たとえば最高峰のエベレストは契約するエージェントやパッケージにもよるが、総費用でだいたい1000万円かかるとも言われており、私も幼い頃に「高いお金を払ってまでも、自分の命を危険に晒すようなことをなぜするのか」と疑問に思うことはあった。今回ヒマラヤ山脈の未踏峰に挑んだ訳であったが、やはりこの話を聞いて「エベレストに登るんだ」という人は非常に多く、「ヒマラヤ山脈≒エベレスト」ではないことを説明することが多かった。

エベレストなどの8000m峰は商業登山がほとんどであることが現状である。商業登山の定義はさまざまではあるが、その名前の通りビジネス化された登山のあり方であり、豪華なガイド登山をイメージすると分かりやすいだろう。テントの設置や食事、FIXロープの設置など全てガイドがやってくれるのである。

確かに登山者本人には山頂まで行く最低限の体力と気概が必要ではあるが、技術面では登攀行為で必要となるような高度な技術を擁していなくても行けるのがポイントである。一昨年お世話になったガイドの方からは「君たちはなにもしなくても、歩けさえすれば※アマダブラムにでも僕が連れていけば登れるよ」とも言われたりするところから、商業登山は私たちがこの間、自分らの手で道を切り拓きながら未踏峰に登る行為と全く異なる種類の登山であると思った。

※アマダブラムは、ネパール東部ヒマラヤ山脈に位置する標高6812mの美しい山で、その特徴的な形状から「ヒマラヤの宝石」と称され、登山家に人気の高い峰です。

ヒマラヤ遠征がネパールに多くの雇用機会を生み出す

ネパールでは主にこのような商業登山を中心にビジネスは回っており、理屈としてはガイド料を筆頭に入山料や小屋泊代、荷物持ちのポーター代など1回の山行にたくさんの雇用機会を生んでいる。アジア最貧国とも呼ばれるネパールは主な産業がなく、国民の半数が海外に出稼ぎに行く中、観光業が国内での大きな利益を生んでいることは明白である。

今回私たちはベースキャンプまで山小屋(通称ロッジ)を経由して行った。4700mのベースキャンプまではガイドの方と進み、その先は自分たちだけで進んだのがいわゆる、先ほど言及した商業登山と大きく異なるところだろう。今回の場合はベースキャンプにガイドとコック、そしてポーターの計3名が駐在しており、一番近い村までプンギから10kmほどあることを考えると、とてもありがたい限りであった。

今回の遠征での予期せぬ出費

我々の今回の隊での予算の誤算として大きかったのが2つ、関税と食費であった。

今回の遠征において装備が非常に重かったことから、事前にネパールに国際郵便で送ることとした。しかし、不幸なことに後日18万円の関税を取られることとなってしまった。その理由としては内容物記載事項において不要なトラブルに巻き込まれまいと正直に新品価格での価値を内容物として30万円ほど記載したからではないかと推測できた。旅の始まりでの18万円の出費は隊の財布に堪えるものがあった。

タメル地区でキャッシングに挑む。ATMによって手数料が違うため、手当たり次第に挑む

外貨への両替も昨今の円安の煽りを受け、手数料を入れると、100ネパールルピーを手に入れるのに125円かかるというような状況。クレジットカードのキャッシングも両替屋とも変わらない手数料での両替だったため、常に為替相場を見ながら円の価値が上がるのをひたすらメンバー全員が祈っていた。結局遠征が終わり、カトマンズに戻ってくる頃には円安は悪化しており、みな頭を抱えて残りの2週間を過ごした。

当たり前であるが、キャラバンが進み、山々の奥に行くほど物価は上がり、OBOGから聞いた数十年前の相場とは大きくかけ離れていた。想定外の出費から、途中からは自分でお湯を沸かし始めるなど、泊めてくれる彼らからしたらとても非経済的な行為をしていたと思う。

ロッジでのダルバート。ロッジごとに味付けが異なる

ネパールの定番料理のダルバート一食の価格が1000ルピー(1200円)と想像の2倍の値段で、1日3食ダルバートだったメンバーも1日1ダルバートにせざるをえない状況にもなった。一方、宿泊費は想定通りで一泊ツインルームで1200ルピーなど非常にリーズナブルであった。聞く話によると、エベレスト街道など外国人登山客の多い山域は値段がより高く設定されているらしく、注意が必要だ。

一方、昨年訪れたロールワリン渓谷は比較的アプローチがしやすいところから物資が多く流入し、物価が比較的安かったのではないかと考えた。山域ごとに価格設定は大きく異なるところから予算にはある程度の幅を持たせるのがいいだろう。

結局いくらかかったか

当初の予算としては、全体で約575万円。1人あたり約115万円であった。寄付金は各大学のOBOG、日本山岳会の会員方、そして日本山岳会海外登山奨励金を含むと340万円近く集まり、1人あたりの負担額はだいたい50万円、プラス新調した個人装備となった。

実際にかかった支出は約590万円で、15万円ほどの超過であり、関税がその大半を占めた。航空券が安く買えたところや、アルファー米など尾西食品から食料の協賛のおかげで少しは相殺することができて、物価の高騰や円安の影響を受けながらも全体で15万円の超過ですんだのは幸運であった。

私は現在、遠征のために新しく購入したダブルブーツの分割払いの返済に追われており、帰国早々アルバイト尽くしの生活を送っている。年末にはその支払いが全部済むので、来年には撮影した映像の整理に入りたいと考えている。

横道文哉の愛用品

Kindle Paperwhite 

1カ月以上電波の繋がらない山行での順応日はとても退屈です。完全防水で重さも200g程度、本や漫画がギガ数にもよるが数千冊保存できる点から、おすすめです。かさばる漫画もこれで何百冊もどこにでも持っていけます。

チャレンジを終えて…横道文哉

この1年半プンギ遠征と就職の2つを大きな目標に日々努力していたところ、両方とも幸運にも成し遂げてしまったため、燃え尽き症候群のような日々を送っています。春から社会人になる身として、山と仕事の両立を目指して、山だけでなく、人生そのものを自分の納得できるものにしたいと思います。目指せチベットの未踏峰。


これまでのバックナンバーは下記PHUNGI 6524特集トップページにもくじがあって確認できます。

スポーツ界のアカデミー賞で大谷翔平の初受賞なるか?

スポーツ界のアカデミー賞と呼ばれるローレウス・ワールド・スポーツ・アワードの2025年候補選手ノミネート投票が始まり、主催者が2024年に大活躍した注目選手としてプロ野球メジャーリーグ、ロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平をピックアップした。

男子テニスのノバク・ジョコビッチ(左)とサッカースペイン代表のアイタナ・ボンマティが2024ローレウス最優秀選手賞

毎年開催されるローレウス・ワールドスポーツアワードはスポーツの偉大な功績から、ピッチ外での感動的な取り組みまで、スポーツ至高性を称えるもの。男女別の最優秀選手部門を筆頭に、最優秀チーム、最優秀成長選手、最優秀復活選手、最優秀障害者選手部、最優秀アクションスポーツ選手の部門がある。

選出の仕組み…記者投票で候補リスト→スポーツ界のレジェンドが選考

最優秀選手の対象はあらゆるスポーツ界で2024年に活躍した選手。まず100カ国以上・1000人を超えるスポーツジャーナリストが投票を行い、優れたスポーツの業績を達成した最終候補者リストを作成する。

12月9日から投票が行われ、指名されたジャーナリストが各部門の1位から6位までをネット投票する。上位の選手ほど配点が高い。あらかじめローレウス側でピックアップした選手もあるが、リストになくても「選手名・国籍・競技」を入力すれば有効。2025年はこのピックアップリストに最優秀男子選手部門に大谷、最優秀アクションスポーツ選手部門に堀米雄斗が挙げられた。堀米は2022年に続くピックアップ。

テニスの大坂なおみが2021年に最優秀選手賞を受賞

2021年は大坂なおみが日本人初となるローレウス年間最優秀女子選手賞を受賞している。大谷は2022年に今回と同様にジャーナリスト投票の際のピックアップ選手となっていたが、最終候補の6選手には入れなかった。

F1のマックス フェルスタッペン(オランダ)、 柔道のテディ・リネル(フランス)、自転車ロードのタデイ・ポガチャル(スロベニア)らがライバルとなる。

羽生結弦の並外れた人生とキャリアをイタリア紙が独占インタビュー

イタリアの大手日刊紙『コリエレ・デラ・セラ』がプロスケーターの羽生結弦さんのキャリアと人間性を独占インタビューする形式で報じた。執筆は同紙文化部のコスタンツァ・リッツァカーサドルソーニャ。

羽生結弦の魅力を語ったイタリア紙の特集を紹介したAIPSページ。平昌2018冬季五輪で金メダルを獲得した時の画像をピックアップ。撮影はハリー・ハウ/ゲッティイメージズ

国際スポーツプレス協会(AIPS)のウエブサイトがこの記事をピックアップ。同協会は、過去100年間で最も偉大な男性アスリート10人の1人(6位)に羽生さんを選出している。

ミラノ、2024年12月6日。私が初めて羽生結弦のスケートに惚れ込んだのは、フランスのニースで開催された2012年世界選手権のときだった。彼は17歳で、バズ・ラーマン監督の『ロミオ+ジュリエット』に合わせて滑っていた。彼の輝きと決意を私は覚えている。彼は音楽と、自分が演じているキャラクターと完全に一体化しており、ある時点で滑ってすぐに立ち上がった。それは振り付けの一部のようだった。誰もが狂喜し、彼を応援した。解説者が述べたように、彼はまさにロミオだった。(記事冒頭を抜粋)

●The extraordinary life and career of Yuzuru Hanyū, as seen by Italy’s Corriere della Sera

2025世界陸上東京の年末年始特別販売・一般販売スケジュール決定

2025年9月13日から21日まで東京・国立競技場で開催される東京2025世界陸上競技選手権大会の観戦チケットは、年末年始特別販売を2024年12月25日から2025年1月7日まで実施すると発表された。

先行販売で売り切れの席種についても在庫を追加する。先行販売ではすでに20万枚を販売し、チケットの売れ行きは好調。駅伝が盛り上がる年末年始に合わせて、チケット争奪戦となる一般販売を前に、チケットを購入できるチャンスだという。

また、一般販売を2025年1月31日18時(日本時間)より世界中のすべての人に向けて開始。一般販売の詳細については、2025年1月中旬の発表を予定。

●販売詳細はチケットぴあサイト・TBS チケットサイトで
チケットぴあサイト
TBS チケットサイト

【ヒマラヤ未踏峰に挑む】Episode 6/人類初登頂…しかし油断ならない下山路

ヒマラヤにある標高6524mの未踏峰プンギに挑んだ日本山岳会学生部の井之上巧磨(青山学院大)、尾高涼哉(東京大)、中沢将大(立教大)、横道文哉(立教大)、芦沢太陽(中央大)。前回のファーストアタックはいったん撤退を余儀なくされたが、その時の経験をふまえたルート選択で2度目のサミットプッシュ。2024年10月12日午後12時09分(現地時間)、大学山岳部の門を叩いてから積み重ねてきた努力が実った瞬間が! 芦沢がその詳細をレポート。

最後の雪壁を登る中沢

BCに戻って再挑戦のために装備を選別する

ファーストアタックを終えて標高4700mのBC(ベースキャンプ)に戻り、3日間のレスト。標高の高い場所では思ったように身体が回復しないと聞くこともあるが、今回の遠征ではみな元気に回復した。慎重な高所順応と現地コックが作ってくれる日本食のおかげだろう。

身体が回復し始めてからはセカンドアタックに向けた準備を開始。といっても、装備の多くはC1(キャンプ1)、C2、HC(ハイキャンプ)にそれぞれデポしていたこともあり、必要になりそうな装備と要らなさそうな装備を各キャンプで回収するためにリストアップするという作業が主だった。全く情報のなかった頂上稜線まで実際に行ってみたことで、ファーストアタック時に比べて装備の選別はより的確にできるようになった。

アタック装備をまとめたザック(ファーストアタック時)

プンギの頂に向けて再出発。そして目撃した地球温暖化

3日間のレストを終え、再びプンギの頂に向けて歩き始めた。各キャンプに多くの荷物をデポしているためザックは軽く、谷間のガレを軽快に進んでいくと朝のうちにC1(標高5000m)に到着。ここで追加の食料やアイスバイルなどを回収し、もうひとつ上のキャンプであるC2(5500m)へ向けて再び歩みを進める。引き続き谷間を進んでいくと、ゴロゴロとした岩で埋め尽くされた氷河に移り、さらに進んだところで途中の小さなルンゼからプンギ南峰西尾根に乗った。二度目ということもあり順調に進み、昼前にはC2に到着した。

C2に到着してまず思ったことは「雪がない」ということだった。正確には雪がないわけではないが、明らかに融けて少なくなっていた。前回テントを張っていた箇所の雪は融けて岩が露出しており、とてもテントが張れるような状況ではなくなっていた。仕方なく、近くにあった比較的平らな箇所にテントを張ったが、細かい岩が無数に積み重なったような地面であったためにテントのフロアシートを貫通して、持参していたエアマットに穴が開いてしまった。リペアパーツを持っていたために補修することができたが、雪の上にテントを張れていれば必要のなかった手間だと考えると、近年の小雪、融雪の原因である地球温暖化を恨めしく感じた。

融雪の進んだC2付近

BCからC2までは約800mの標高差があるが、ファーストアタックで高所順応が進んでいたため、高山病の症状が出ることはなかった。

ファーストアタックの経験を活かしたルート選択でHCへ

翌日早朝、HC(6200m)へ向けて出発。前回のアタックでは南峰西尾根のリッジを忠実に辿るルートをとったが、そこはもろい岩が積み木のように積み重なった岩稜であった。信頼できる確保支点が取れなかったこともあり、慎重に通過をしているうちにかなりの時間を要してしまった。その反省もあり、今回はリッジの北側をトラバースするルートを選択した。トラバースルートは日の当たらない北側斜面ということもあり、ガレた岩を覆い隠すように積もった雪は融けずに残っていたため、想像していたよりもかなり歩きやすかった。しばらく進むと前回のトレースに合流した。

もろい岩が積み重なった南峰西尾根

1回目のアタックでは、標高6000mでの脛から膝ほどのラッセルに苦しめられ、なかなか前進することができなかった。しかし、今回は順応が進んでいたことに加えてトレースがしっかり残っていたため、非常に快調に標高を稼ぐことができた。前回HCとした6200m地点には午前中に到着することができたため、翌日の行動時間に余裕を持たせるために、よりに本峰に近い地点にHCを設営することとした。

クレバスの合間を縫うようにして越え、薄いトレースを辿り、前回の敗退地点のすぐ手前まで来たところでHCを設営した。前回はHCに到着した時点で日没が迫っていたが、今回は想像よりもかなり順調に進むことができ、お天道様はまだまだ高いところにいた。

HCから見上げたプンギ山頂

二度目とはいえ、6200mになるとやはり高山病の兆候が出始めた。それでも一度目の時よりもだいぶ軽いものであり、意識的な呼吸をしているうちに楽になってきた。念のため就寝前にダイアモックス錠(高山病予防薬)を服用した。

出国から38日、ついにサミットプッシュ当日

待ちに待ったサミットプッシュ当日、朝のルーティンとなっている出発準備をいつも通りこなし、日の出と同時にテントを出る。-20度近くまで冷え込む寒気の中でも、目の前に聳えるプンギを眺める5人の心は熱く燃えていた。

前回の敗退地点である露岩まではすぐに着いた。登り返すためにロープを1本FIXしておき、10mほどの懸垂下降をすると前回の最高到達点を越え、再び未踏の地へ足を踏み入れていくこととなる。ここから先は事前準備の段階から最も警戒していた細い雪稜が長く続く核心部だ。

細い雪稜が長く続く

登攀隊長の尾高(東京大学運動会スキー山岳部4年)と総隊長の井之上(青山学院大学体育会山岳部4年)が交互にトップでロープを張りながら、それに続く形で3人が登っていく。ナイフのように両側が切れ落ちたリッジの上を歩き、時にはリッジの西側に身を乗り出してトラバースをしながら登っていくこと数ピッチ、プンギの肩に出た。ここから先に難しそうな箇所は見受けられない。あとは山頂まで氷河が途切れることなく繋がっていることを祈るだけだ。

後続の3人で最後のラッセルをまわしながら、山頂へと一歩一歩進んでいく。山頂を目と鼻の先に捉えた期待感と、いつどこで氷河が途切れるか分からない不安のなか、先頭を行く中沢(立教大学体育会山岳部4年)の一挙手一投足に自然と注目が集まる。山頂直下の雪壁を超え、ついに登頂かと思ったが、さらに奥に少し高い場所があり、向こうが真の山頂のようだ。

気を取り直して登っていくと、真の山頂の手前に小さな窪みが見えた。最初に気づいたときは窪みの底を目視できず、クレバスが横たわっているのではないかという不安が沸き上がった。しかし、その不安は先頭を歩いていた中沢からの『繋がってる!』の一声で喜びに変わった。

そこからは正真正銘最後の一登り、未踏の頂へのビクトリーロードを辿っていく。2024年10月12日午後12時09分(現地時間)、大学山岳部の門を叩いてから積み重ねてきた努力が実った瞬間だった。

登頂の喜びは束の間…意外と油断できない下山

登頂の喜びも束の間、すぐに下山を始めた。山頂はあくまでも通過点のひとつであり、いままで登ってきた道を今度は降りなければならず、細い雪稜をロープで確保しながら下るにはかなりの時間がかかることが明白だったからだ。

ロープで確保しているとはいえ、足を踏み外せば、振り子のように大きく左右に振られながら落ちることになる。落下の衝撃で支点が崩壊する可能性もあり、失敗は許されない。そんななか、懸垂下降とスタカットを交えて下ること数時間、HCにたどり着いたころには日は沈み暗くなっていた。

HCからの夕暮れ

登頂翌日、プンギ南峰にも寄り道しつつ、HCからBCまで一気に下山した。各キャンプにデポしていた荷物をすべて回収したこともあり、最後のC1-BC間の荷物の重さは30㎏近くだった。

C1-BCでの荷下ろし

1カ月を過ごしたBCに別れを告げ、下界へ向けてバックキャラバン

安全地帯であるBCへ下山し、我々の荷物を運んでくれるポーターであるロバがコト(2600m)から上がってくるのを待つこと3日間、予定通りに10頭のロバたちがやってきた。彼らは人間の倍以上の重量を運ぶことができ、車の通ることができないコトからプーガオンの物流のすべてを担っているといっても過言ではない。そんなロバたちにテントや登攀具などあらゆるものを背負ってもらい、約1カ月を過ごしたBCに別れを告げてバックキャラバンが始まった。

プーガオンから隣村のキャンへ向けて歩いていく

結論から言うと、バックキャラバンはあっという間だった。行きのキャラバンでは順応をしながらということもありベシサハールからBCまで10日以上かけたが、BCからベシサハールまではたった3日しかかからなかった。

途中ロバたちが草を求めて隣村まで脱走するというハプニングはありつつも、荷物を含めて全員無事に街まで下山。コトについて真っ先に飲んだコーラは忘れられないほどに美味かった。

登頂できたポイントを分析すると重要なのはふたつ

今回、体調や天候などさまざまな要因や運がうまくかみ合って登頂することができた。しかしその中でも特に重要だったと思う要因がふたつある。

一つ目は高所順応の期間を長くとったことである。6000mを超えるような高所登山の経験がない我々にとって、高所順応がうまくいくかどうかが今回の登山のキーポイントになると考えていた。学生ならではの余裕を持った日程を組み、少しずつ標高を上げていったことで致命的な高山病を引き起こさずに済んだのではないだろうか。

二つ目はチームワークの良さである。長期間ともに生活する必要のあるヒマラヤ遠征では、何よりも仲の良さやお互いに対する理解が大切になってくる。そのために我々は昨冬シーズンの多くを山でともに過ごし、実際に登山をする中でチームワークを深めていった。そのおかげか、今回の遠征では一度も喧嘩はなく、チーム全員で山頂に立つことができた。

芦沢太陽の愛用品

高所順応のために登った富士山山頂での芦沢太陽

アメリカンコーラ(松山製菓)

いわゆる「駄菓子」で、コーラ味の粉末ジュース。味は市販のコーラにはかなわないが、コーラ味のジュースというよりはコーラそのもの。安くて軽くて美味しいので、長期山行には大量に持っていくことが多いです。今回のBCにもたくさん持って行きました。実は粉のまま食べるのも◎。

チャレンジを終えて…芦沢太陽

未踏峰に登ることに憧れを抱いて大学山岳部に入部し、登山を重ねる中でいつしか憧れは現実的な目標に変わり、その目標がかなった今、大変充足感を覚えています。

そして、実際にヒマラヤに足を運んだことで、今まで何気なく登っていた日本の山々の魅力を再認識することができました。早くも12月になり、大学山岳部にとっては冬山シーズンインの季節でもあるので、これからの山岳部活動が楽しみです。

●中央大学山岳部instagram


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