ヒマラヤにある標高6524mの未踏峰プンギに挑んだ日本山岳会学生部の井之上巧磨(青山学院大)、尾高涼哉(東京大)、中沢将大(立教大)、横道文哉(立教大)、芦沢太陽(中央大)。前回のファーストアタックはいったん撤退を余儀なくされたが、その時の経験をふまえたルート選択で2度目のサミットプッシュ。2024年10月12日午後12時09分(現地時間)、大学山岳部の門を叩いてから積み重ねてきた努力が実った瞬間が! 芦沢がその詳細をレポート。
BCに戻って再挑戦のために装備を選別する
ファーストアタックを終えて標高4700mのBC(ベースキャンプ)に戻り、3日間のレスト。標高の高い場所では思ったように身体が回復しないと聞くこともあるが、今回の遠征ではみな元気に回復した。慎重な高所順応と現地コックが作ってくれる日本食のおかげだろう。
身体が回復し始めてからはセカンドアタックに向けた準備を開始。といっても、装備の多くはC1(キャンプ1)、C2、HC(ハイキャンプ)にそれぞれデポしていたこともあり、必要になりそうな装備と要らなさそうな装備を各キャンプで回収するためにリストアップするという作業が主だった。全く情報のなかった頂上稜線まで実際に行ってみたことで、ファーストアタック時に比べて装備の選別はより的確にできるようになった。
プンギの頂に向けて再出発。そして目撃した地球温暖化
3日間のレストを終え、再びプンギの頂に向けて歩き始めた。各キャンプに多くの荷物をデポしているためザックは軽く、谷間のガレを軽快に進んでいくと朝のうちにC1(標高5000m)に到着。ここで追加の食料やアイスバイルなどを回収し、もうひとつ上のキャンプであるC2(5500m)へ向けて再び歩みを進める。引き続き谷間を進んでいくと、ゴロゴロとした岩で埋め尽くされた氷河に移り、さらに進んだところで途中の小さなルンゼからプンギ南峰西尾根に乗った。二度目ということもあり順調に進み、昼前にはC2に到着した。
C2に到着してまず思ったことは「雪がない」ということだった。正確には雪がないわけではないが、明らかに融けて少なくなっていた。前回テントを張っていた箇所の雪は融けて岩が露出しており、とてもテントが張れるような状況ではなくなっていた。仕方なく、近くにあった比較的平らな箇所にテントを張ったが、細かい岩が無数に積み重なったような地面であったためにテントのフロアシートを貫通して、持参していたエアマットに穴が開いてしまった。リペアパーツを持っていたために補修することができたが、雪の上にテントを張れていれば必要のなかった手間だと考えると、近年の小雪、融雪の原因である地球温暖化を恨めしく感じた。
BCからC2までは約800mの標高差があるが、ファーストアタックで高所順応が進んでいたため、高山病の症状が出ることはなかった。
ファーストアタックの経験を活かしたルート選択でHCへ
翌日早朝、HC(6200m)へ向けて出発。前回のアタックでは南峰西尾根のリッジを忠実に辿るルートをとったが、そこはもろい岩が積み木のように積み重なった岩稜であった。信頼できる確保支点が取れなかったこともあり、慎重に通過をしているうちにかなりの時間を要してしまった。その反省もあり、今回はリッジの北側をトラバースするルートを選択した。トラバースルートは日の当たらない北側斜面ということもあり、ガレた岩を覆い隠すように積もった雪は融けずに残っていたため、想像していたよりもかなり歩きやすかった。しばらく進むと前回のトレースに合流した。
1回目のアタックでは、標高6000mでの脛から膝ほどのラッセルに苦しめられ、なかなか前進することができなかった。しかし、今回は順応が進んでいたことに加えてトレースがしっかり残っていたため、非常に快調に標高を稼ぐことができた。前回HCとした6200m地点には午前中に到着することができたため、翌日の行動時間に余裕を持たせるために、よりに本峰に近い地点にHCを設営することとした。
クレバスの合間を縫うようにして越え、薄いトレースを辿り、前回の敗退地点のすぐ手前まで来たところでHCを設営した。前回はHCに到着した時点で日没が迫っていたが、今回は想像よりもかなり順調に進むことができ、お天道様はまだまだ高いところにいた。
二度目とはいえ、6200mになるとやはり高山病の兆候が出始めた。それでも一度目の時よりもだいぶ軽いものであり、意識的な呼吸をしているうちに楽になってきた。念のため就寝前にダイアモックス錠(高山病予防薬)を服用した。
出国から38日、ついにサミットプッシュ当日
待ちに待ったサミットプッシュ当日、朝のルーティンとなっている出発準備をいつも通りこなし、日の出と同時にテントを出る。-20度近くまで冷え込む寒気の中でも、目の前に聳えるプンギを眺める5人の心は熱く燃えていた。
前回の敗退地点である露岩まではすぐに着いた。登り返すためにロープを1本FIXしておき、10mほどの懸垂下降をすると前回の最高到達点を越え、再び未踏の地へ足を踏み入れていくこととなる。ここから先は事前準備の段階から最も警戒していた細い雪稜が長く続く核心部だ。
登攀隊長の尾高(東京大学運動会スキー山岳部4年)と総隊長の井之上(青山学院大学体育会山岳部4年)が交互にトップでロープを張りながら、それに続く形で3人が登っていく。ナイフのように両側が切れ落ちたリッジの上を歩き、時にはリッジの西側に身を乗り出してトラバースをしながら登っていくこと数ピッチ、プンギの肩に出た。ここから先に難しそうな箇所は見受けられない。あとは山頂まで氷河が途切れることなく繋がっていることを祈るだけだ。
後続の3人で最後のラッセルをまわしながら、山頂へと一歩一歩進んでいく。山頂を目と鼻の先に捉えた期待感と、いつどこで氷河が途切れるか分からない不安のなか、先頭を行く中沢(立教大学体育会山岳部4年)の一挙手一投足に自然と注目が集まる。山頂直下の雪壁を超え、ついに登頂かと思ったが、さらに奥に少し高い場所があり、向こうが真の山頂のようだ。
気を取り直して登っていくと、真の山頂の手前に小さな窪みが見えた。最初に気づいたときは窪みの底を目視できず、クレバスが横たわっているのではないかという不安が沸き上がった。しかし、その不安は先頭を歩いていた中沢からの『繋がってる!』の一声で喜びに変わった。
そこからは正真正銘最後の一登り、未踏の頂へのビクトリーロードを辿っていく。2024年10月12日午後12時09分(現地時間)、大学山岳部の門を叩いてから積み重ねてきた努力が実った瞬間だった。
登頂の喜びは束の間…意外と油断できない下山
登頂の喜びも束の間、すぐに下山を始めた。山頂はあくまでも通過点のひとつであり、いままで登ってきた道を今度は降りなければならず、細い雪稜をロープで確保しながら下るにはかなりの時間がかかることが明白だったからだ。
ロープで確保しているとはいえ、足を踏み外せば、振り子のように大きく左右に振られながら落ちることになる。落下の衝撃で支点が崩壊する可能性もあり、失敗は許されない。そんななか、懸垂下降とスタカットを交えて下ること数時間、HCにたどり着いたころには日は沈み暗くなっていた。
登頂翌日、プンギ南峰にも寄り道しつつ、HCからBCまで一気に下山した。各キャンプにデポしていた荷物をすべて回収したこともあり、最後のC1-BC間の荷物の重さは30㎏近くだった。
1カ月を過ごしたBCに別れを告げ、下界へ向けてバックキャラバン
安全地帯であるBCへ下山し、我々の荷物を運んでくれるポーターであるロバがコト(2600m)から上がってくるのを待つこと3日間、予定通りに10頭のロバたちがやってきた。彼らは人間の倍以上の重量を運ぶことができ、車の通ることができないコトからプーガオンの物流のすべてを担っているといっても過言ではない。そんなロバたちにテントや登攀具などあらゆるものを背負ってもらい、約1カ月を過ごしたBCに別れを告げてバックキャラバンが始まった。
結論から言うと、バックキャラバンはあっという間だった。行きのキャラバンでは順応をしながらということもありベシサハールからBCまで10日以上かけたが、BCからベシサハールまではたった3日しかかからなかった。
途中ロバたちが草を求めて隣村まで脱走するというハプニングはありつつも、荷物を含めて全員無事に街まで下山。コトについて真っ先に飲んだコーラは忘れられないほどに美味かった。
登頂できたポイントを分析すると重要なのはふたつ
今回、体調や天候などさまざまな要因や運がうまくかみ合って登頂することができた。しかしその中でも特に重要だったと思う要因がふたつある。
一つ目は高所順応の期間を長くとったことである。6000mを超えるような高所登山の経験がない我々にとって、高所順応がうまくいくかどうかが今回の登山のキーポイントになると考えていた。学生ならではの余裕を持った日程を組み、少しずつ標高を上げていったことで致命的な高山病を引き起こさずに済んだのではないだろうか。
二つ目はチームワークの良さである。長期間ともに生活する必要のあるヒマラヤ遠征では、何よりも仲の良さやお互いに対する理解が大切になってくる。そのために我々は昨冬シーズンの多くを山でともに過ごし、実際に登山をする中でチームワークを深めていった。そのおかげか、今回の遠征では一度も喧嘩はなく、チーム全員で山頂に立つことができた。
芦沢太陽の愛用品
アメリカンコーラ(松山製菓)
いわゆる「駄菓子」で、コーラ味の粉末ジュース。味は市販のコーラにはかなわないが、コーラ味のジュースというよりはコーラそのもの。安くて軽くて美味しいので、長期山行には大量に持っていくことが多いです。今回のBCにもたくさん持って行きました。実は粉のまま食べるのも◎。
チャレンジを終えて…芦沢太陽
未踏峰に登ることに憧れを抱いて大学山岳部に入部し、登山を重ねる中でいつしか憧れは現実的な目標に変わり、その目標がかなった今、大変充足感を覚えています。
そして、実際にヒマラヤに足を運んだことで、今まで何気なく登っていた日本の山々の魅力を再認識することができました。早くも12月になり、大学山岳部にとっては冬山シーズンインの季節でもあるので、これからの山岳部活動が楽しみです。
●中央大学山岳部instagram
これまでのバックナンバーは下記PHUNGI 6524特集トップページにもくじがあって確認できます。
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