ジロ・デ・イタリアバーチャルはアンドローニとモビスター区間1位

ジロ・デ・イタリアバーチャルの第2ステージが4月22日、参加者それぞれの自宅をオンラインで結んで行われ、プロクラスではアンドローニジョカトリ・シデルメクのルーカ・キリコ、マッテオ・スプレアフィコが合計タイムで1位に。2ステージの総合成績ではアスタナチームがマリアローザを守った。

アンドローニジョカトリ・シデルメクのマッテオ・スプレアフィコ

女子のピンクレースでは、モビスターのグロリア・ロドリゲスとカトリーヌ・アーレルドがステージ勝利を決め、総合成績ではトレック・セガフレードが首位を守った。

22日には、イバン・バッソ、ステファノ・ガルゼッリ、アレッサンドロ・バラン、クラウディオ・キャプーチ、アンドレア・タフィ、ステファノ・アロッキオ、アレッサンドロ・ベルトリーニ、そして第1ステージでマリアローザを獲得したマッテオ・モンタグッティらの元プロ選手がレジェンドクラスで参加。8211人のアマチュアサイクリストと一緒にペダルをこいだ。

アンドローニジョカトリのスプレアフィコは58分08秒の最速タイムを記録。僚友キリコとの合計タイムは2時間03分15秒で、2位となったアスタナに3分01秒差をつけた。2位、イタリアナショナルチームが11分53秒遅れで3位になった。

第1ステージで首位に立ったアスタナはオマール・フライレとユーゴ・ウルが参戦。総合成績でアンドローニジョカトリに10分19秒、イタリアナショナルチームに15分38秒の差をつけてマリアローザを守った。

モビスターのグロリア・ロドリゲスはタイムトライアルバイクで参戦

ピンクレースではモビスターのロドリゲスが1時間10分23秒。アーレルドのタイムを合わせて2時間31分56秒でステージ勝利でした。トレック・セガフレードのエリサ・ロンゴボルギーニとルシンダ・ブランドは4分40秒遅れで2位に入った。イタリアナショナルチームには27分49秒差をつけたトレック・セガフレードは、総合成績でモビスターに6分23秒、エレナ・チェッキーニとマルタ・カバッリが起用されたイタリアに27分27秒リードし、首位となった。

Stage 12 – from Wednesday 22 to Friday 24 April CESENATICO > CESENATICO (NOVE COLLI) – (from Linaro to Sogliano al Rubicone, 32.7 km – 980m vertical elevation)

カステリがマリアローザの売り上げに応じて寄付

ジロ・デ・イタリアとこのバーチャルイベントのウエアサプライヤー、カステリはマリアローザなどのジャージを102点インターネット販売し、イタリア赤十字社に750ユーロ(9万円)を寄付した。
●カステリのホームページ

ジロ・デ・イタリアバーチャルの開催日程

●Garminバーチャルライドのホームページ

🇮🇹ジロ・デ・イタリアバーチャル / 延期された2020ジロ・デ・イタリア特集サイト

パオパオジャージはパールイズミ公式オリジナルストアで注文可

パールイズミのオーダーサービス課は、受注生産型「Pearl Izumi公式オリジナルストア」を公開した。同日よりパオパオシリーズの受注を開始した。今後はオリジナルデザインのサイクルウェアなどを展開し、受注生産でお届けする予定。 パールイズミ公式サイトに掲載されている商品の取り扱いはない。

半袖ジャージ、パンツ、ウインドブレーカー、サイクルキャップ、そしてアームカバーやシューズカバーなどのアクセサリー類まで幅広く展開する。

●Pearl Izumi 公式オリジナルストア

外出制限下の自転車職人ティツィアーノ・ズッロが日本にメッセージ

イタリアでは新型コロナウイルス流行拡大が都市封鎖、移動・外出制限がなおも続いているが、ハンドメイドバイシクル工房・自転車職人を応援するartecicloや、ZULLOのビルダーTiziano Zullo(ティツィアーノ・ズッロ)が日本にあてたメッセージを公開した。

ZULLO代表ティツィアーノ・ズッロ氏

ZULLOは1980年代から90年代にかけて、トップカテゴリーを戦うオランダの強豪プロサイクリングチームTVMにバイクを供給していたことで知られ、ティツィアーノ・ズッロ氏はイタリア・ハンドメイドバイシクル界の大御所ビルダーの一人。

オランダのTVMがツール・ド・フランスに使用したブランド

ロード選手でもあった同氏は1973年、21歳でフレーム作りを始める。TVMにバイクを供給していた最盛期の工房は10人の職人と、年間数千台のフレーム生産規模を有し、ヴェローナを代表する自転車メーカーであったが、“手を汚す仕事をする”職人に戻ることを決意。以降、現在までハンドメイドでユーザー一人ひとりの要望に応える小規模な工房として活動している。

ZULLOのバイクで1991ツール・ド・フランスのステージで勝利を挙げるTVMのロブ・ハーメリング

フレームは塗装も工房で自ら行っており、ティツィアーノ・ズッロはペインターとしても卓越した腕前を誇っている。TVMチームのサプライヤー時代から採用している、燃えさかる炎のような “ジャッロ・ラディカ”が代表作のひとつで、その卓越した技巧は見るものを魅了する。これ以外にも、すべてがオリジナルデザインをオーダーできるZULLOのフレームはアーティスティックで美しく、イタリアンハンドメイドらしい魅力にあふれている。

また、自転車好きの間でその名を知られる安田マサテル氏(アトリエ・キノピオ代表)がイタリア時代にこの工房に長年身を置き、帰国後も同ブランドのインポーターとして活動していることから、日本国内でもファンが多い。日本を含むアジアマーケット向けのZULLO製品は現在、安田氏が塗装を担当している。

工房のあるヴェローナの歴史地区。 円形劇場アレーナや、ロミオとジュリエットの舞台となったことで人気の観光地

ZULLOの工房は北イタリアのヴェネト州ヴェローナ県にある。ヴェローナは「ロミオとジュリエット」の物語の舞台として有名な一大観光地だが、工房はヴェローナの歴史的中心部から少し離れ、イタリア最大の美しい湖ラーゴ・ディ・ガルダのほとりカステルヌォーヴォ・デル・ガルダの町にある。ここは、新型コロナウイルス感染流行で最も甚大な被害を受けているベルガモ県との県境にもほど近い。

ズッロ氏は2014年に来日したこともあり、日本のサイクリストとも親交を深め、日本からZULLOの工房を訪問する人も少なくない。新型コロナウイルス禍という大きな荒波の中にある同氏が、日本のサイクリストのためにメッセージを寄せてくれた。

親愛なる日本のサイクリストのみなさんへ

私はティツィアーノ・ズッロ。ロードバイクのフレーム職人を、かれこれ40年やっています。

ガルダ湖に近いカステルヌォーボ・デル・ガルダの町にある私の小さな工房には、毎年、海外、もちろん日本からも多くの人が訪れてくれます。みなさんが知る、この工房でかつて私のよきパートナーだった日本人のマソ(現アトリエ・キノピオ代表安田マサテル氏)と知り合ったのは2004年でした。ある日、彼から電話がかかってきて「近くの駅まで来ているので工房を見学させてほしい」というのです。 

迎えに行くように妻に頼んだら「そんな、会ったこともない人を見つけられるかしら?」と言ってきた。「駅で唯一の日本人を見つけたら、きっとそいつだよ!!」って答えたんだ。それから彼は私のところで修業をはじめ、7年間ともに働きました。主にグラフィックデザインを担当し、世界中のサイクルショーに参加しました。

ズッロ氏に師事する安田マサテル氏。7年間、師匠と二人三脚でZULLOを再び世界で脚光を浴びるブランドとして復活させた

ちなみに「マソ」のあだ名の生みの親は実は私の妻なんだ。工房の物置きで寝泊まりしていた彼に長くて覚えにくい名前はいらないと「マソ」と呼びはじめ、それからはイタリア人みんなが「マソ」と呼ぶようになりました。

マソとの長いコラボはとても意味のあるものだった。日本の文化や伝統も彼を通じて知ることができました。毎年夏には日本人サイクリストがここに遊びにきてくれます。

ZULLOの工房

2014年に私は初めて日本を訪れました。ヴェローナからローマへのフライト、続いてローマから大阪という長旅でしたが、マソの両親にお会いし、京都観光を楽しむことができました。もちろん、長野県上伊那郡のマソと妻の総子さんが暮らす素敵な家(アトリエ・キノピオ)にも行ったよ。東京では観光の他にも、準備してくれたパーティで多くのサイクリストやショップ関係者と親交を深めました。イタリアとはまったく異なる国、日本での滞在を大いに楽しんだことは、私のとてもいい思い出です。

マソコンを前に自宅で仕事をするズッロ氏。イタリアにおける移動・外出規制は5月3日まで続く予定

コロナ禍で材料が滞ってフレームづくりができない

現在、イタリアではロックダウンがまだ続き、外出が制限されています。家から出られるのは商店での生活必需品の買い物か、薬局に行くときに限られます。

私のような小規模事業者の多くは活動していますが、材料や部品の供給が停まっているため、厳しい状況であることにはかわりません。サプライチェーンが影響を受け、みんな生産活動の停止を余儀なくされています。例えば、今朝も、ボトムブラケットをねじ切りして準備したかったのですが、材料がなく、製造元に問い合わせたところ、なんと彼らも在庫を切らしているのです!! 同様にドロップアウト(エンド)も、材料がないため製作できません。

現在オーダーを受けて製作中のフレームのいくつかは、特殊なカラーがリクエストされており、塗料メーカーが休業しているために塗料が手に入らず、ペイントすることができません。白、黒、赤、グレー、ブルーといった定番色ならストックがあるのですが。

飛行機での輸送にも大きな影響が出ています。イタリア発の多くの国行きのフライトがキャンセルされたため、でき上がったフレームの発送もままならない状況です。

今は、妻と庭仕事をしたりして毎日を過ごしていますが、大好きなバイクフレーム作りの仕事に一日も早く復帰したいです。

今のようなイタリアの姿は本当にこれまで経験したことがありません。正直に言って悲しいし、気分が落ち込みます。

自転車職人の仕事が私の情熱です。工房に行き、そこでただ単にものづくりをするだけでなく、新しい素材や、細部へのこだわりなど、なにか新しいことに取り組む。そんな毎日に私は幸せを見い出し、感謝していました。

イタリアから遠く離れた日本は氏にとって全てが新鮮だった

日本の状況はいかがですか? みなさんも5月上旬まで緊急事態宣言下ですが、外出は禁止されていないそうですね。自転車に乗っている日本のサイクリストたちの写真を見ました。とはいえ、世界の経済が危険にさらされた今、日本のみなさんも辛く苦しいトンネルの中にいるのではと想像します。

視点変えて将来を見すえる。そして自然に敬意を

新型コロナウイルスの流行が終息後の社会は大きく変わり、消費にも影響が出て、これまでのようにはものが売れなくなるでしょう。

先日、スウェーデンの顧客が写真を送ってくれました。彼のバイクは私が1985年に作ったものです。彼のように、多くのサイクリストが1980年代のZULLOのバイクを今でも愛用してくれています。

自転車に限らず、靴や衣服などあらゆる製品に言えますが、これから人々は長く愛用できる高品質の製品をより求めるようになるのだろうと考えています。数は少なくても質の高いものを所有する、それが、これからの時代に合った暮らし方でしょう。

お店にあふれるように並んだ商品が、間もないうちにバーゲン価格で売りさばかれ、せっかく買った製品が1カ月後には3割引きで手に入るようなことは、間違っていると私はいつも思っています。

これからは、視点変えて将来を見すえる。そして自然に敬意を払いましょう。

今回、このように日本のみなさんに話しができ、うれしく思っています。

平穏な日々が戻ったら、再び日本を訪れたいと思っています。マソにまた世話になります。今度はゆっくり時間を取って、できれば自転車で日本の美しい自然を満喫したいですね。

いずれイタリア、あるいは日本でまたお会いできることを楽しみにしています。それまで皆さん、どうかお元気で。ティツィアーノ・ズッロ

【ツール・ド・フランスリバイバル】2013年の100回大会でフルーム初優勝

第100回ツール・ド・フランスはスカイのクリストファー・フルーム(英国)の圧勝だった。窮地があったとすればハンガーノックになったラルプデュエズで、そのゴール後に、「好感度を高めるためにわざと?」という質問さえ飛び出るほどで、フルームはキューピーのような屈託のない笑顔で「そんなことはないよ」と返すのだった。

最後の山岳でも上りのスペシャリストを逃がすことなくフルームがマイヨジョーヌを死守

日本でプロ初勝利を挙げたフルームが記念大会を制覇

ホテルでの立ち話やゴール直後のフランス語によるインタビューを聞く限りは好青年だ。そのフランス語はたどたどしくも一生懸命で、「うん、だからそうなんだよね」と司会者も助け船を出したくなる。

ツール・ド・フランスは100回大会で初めてコルシカ島を走った

日本のファンにしてみれば、プロ初勝利は2007年のツアー・オブ・ジャパン伊豆ステージで、親近感もあるだろう。もっと言及するとそのレースでスタート直後に飛び出したのがNIPPOに所属していた新城幸也。フルームは終盤に新城を逆転し、それでも新城は執拗に追撃をかけるがフルームに逃げ切られているのだ。

コルシカ島に日本チャンピオンジャージで姿を現した新城幸也

2012年の最終日前日、ボクはスカイチームと同宿で、エースのブラッドリー・ウィギンスがマイヨジョーヌを確実にした祝宴の席で、フルームとウィギンスの席がずいぶん離れていることを目撃した。最終日の朝には、ボクの部屋の前でカチューシャの監督がフルームを呼び止めるのだが、「ちょっと話があるので部屋に来ないか」という内緒話がつつ抜けだった。

わずか10分でフルームは部屋から出て行ったので、移籍には至らないなと推測できたが、朝食の会場ではボクの立ち話に付き合ってくれ、「来年もスカイでがんばるよ!」とさわやかな口調で話してくれたのだった。

ラルプデュエズのオランダ人コーナー

そういった人当たりのよさを見せながらも、ロードバイクにまたがると別の側面がかいま見られる。2012年は遅れがちなウィギンスを振り返りながら「ついてこられないの?」とばかりの手振り。2013年も下りコーナーで制御不能に陥ったコンタドールに接触しかかって、「無謀なことはするべきじゃない」と内面をチラリと露呈させた。

勝てるところは全部持っていくという強い執念も感じる。ケニアのナイロビで生まれ、南アフリカで育ったという特異な境遇をもつフルームが、どんな考えを秘めてこのスポーツに没頭しているのか。2連覇がかかる2014年の大会とともに興味深いところなのだ。

最終日前日の最後の山岳でキンタナが区間初勝利
最終日の午前中、パリへのフライトでくつろぐフルームとチームメートのリッチー・ポート

日本チャンピオンの新城幸也が再びアタックを敢行

全日本チャンピオンの新城も存在感を示した。日本で国際映像を見ているとたまにしか登場しない歯がゆさもあっただろうが、現地ではマイヨジョーヌなどの実力者に劣らない人気ぶりだった。純白を基調とした日本のチャンピオンジャージは大集団の中でも際立つもので、沿道の地元ファンから「シャンピオンデュジャポン!」「ユキヤ・アラシロ!」と至るところで歓声がわき起こった。

4賞ジャージ。右からポイント賞のペテル・サガン、総合優勝のフルーム、山岳賞のキンタナ(新人賞も受賞)

目の肥えた欧州ファンは、ひいき選手が勝つところを見に来るわけじゃない。その選手のファイトが目の当たりにしたいんだ。ボクがツール・ド・フランス取材を始めた25年前、まずはこう教えられた。その言葉は今も普遍の真理で、新城がこれほどまでの気概をもって走る雄姿をこれまで以上に頼もしく感じた。

目標としていた優勝ができなかったのは、だれよりも自身が一番悔しいはず。落車によって強打した肋骨2本にヒビが入っていても、笑顔でそれを押し隠してスタートしていく。「シャンゼリゼの石畳は肋骨によくない」と思わずもらすのだが、苦悩や努力を決して人には見せないのが新城なのかも。

ツール・ド・フランスの最終日はパリ!

ボクたちは新城が勝つところが見たいんじゃないんだ(見たいけど)…。そのガッツが見たいんだからこの年も大満足だ。

ボクのツール・ド・フランス取材も25年。劇的に変わったのはインターネットの普及による報道の高速化。科学的トレーニングを導入してコンディショニングして乗り込む選手。チームバスに代表される快適なインフラの整備。カーボンコンポジットはあの時代からあったが、スプロケットは7段から11段へ(当時)。おそらくこういった有形なアイテムは飛躍的に進化した。

第5ステージで新城幸也がアタック。一時はバーチャルマイヨジョーヌとなった

変わっていないこともある。沿道で待ち構える観客の笑顔。ラルプデュエズの坂道のキツさ。パリにたどり着くことなくリタイアしていく選手の無念。そして夏のバカンスというワクワク感とともにやってくる一大スペクタクル。

第100回大会とて、あまり肩肘を張ることなく普通にやってしまうのが伝統の重み。きっと100年後も、機材の進化はあれどみんなのワクワク感は変わらないんじゃないかな。

第5ステージでアタックした新城幸也。ゴール後にて

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【ツール・ド・フランスリバイバル】
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シマノは2021年3月創業100周年…記念サイトに毎月コンテンツ

世界有数の自転車パーツメーカー、シマノが2021年3月に創業100周年を迎える。部品製造を手がける町工場が多い大阪府堺市に創業した同社が自転車パーツと釣具製造において革新的な商品を次々と開発。3月にオープンした100周年へ向けたティザーサイトでは、シマノの自転車部品・釣具製品の歴史と技術革新に関するコンテンツを毎月紹介している。

自転車の原型と言われる乗り物が19世紀はじめに誕生してから約200年。シマノはその歴史の半分に当たる月日を自転車部品の製造に費やしてきた。

時代とともに変化する自転車の役割や楽しみ方を使い手とともに切り開いてきた。フィッシングギアの製造にシマノが着手したのは、創業から50年後のことだった。最新のサイト更新では、シマノ初の内装変速機「3スピードハブ」とシマノベイトリールのパイオニア「BMシリーズ(1977年)」の歴史を映像で見ることができる。

●シマノの100周年特設サイト

【ツール・ド・フランスリバイバル】2012年、ウィギンスが英国勢初制覇

2012ツール・ド・フランスはスカイのブラッドリー・ウィギンスが総合優勝し、英国に初めてのマイヨジョーヌをもたらした。2年ぶり3度目の出場を果たした新城幸也は第4ステージで敢闘賞を獲得。3回目の完走を2時間29分13秒遅れの84位という日本人歴代最高位で決めた。

東京中日スポーツの一面に新城幸也の記事が

遅れ気味のウィギンスにいらだちを見せたフルーム

薬物使用によるコンタドールの出場停止、アンディ・シュレックの欠場により、マイヨジョーヌ争いは開幕時点で絞り込まれていた。連覇をねらうオーストラリアのカデル・エバンス、総合力のあるウィギンス、ジロ・デ・イタリアをパスしてこの大会に照準を合わせてきたイタリアのビンチェンツォ・ニーバリだ。

優勝争いが動いたのは本格的な山岳初日となる第7ステージ。この時点で総合2位につけていたウィギンスは、アシスト役のクリストファー・フルームの援護を受けて最後の坂に。しかしライバルであるエバンスとニーバリも離れなかった。ところが献身的なアシストをこなしたフルームがゴール手前300mで抜け出して初優勝。ウィギンスはマイヨジョーヌを獲得するのだが、エバンスとともにそのスパートについていけなかった。

ブラッドリー・ウィギンスが英国勢として初めてマイヨジョーヌを手中にした

ある意味で大会を象徴するようなシーンだった。山岳ではアシスト役のフルームのほうがウィギンスより強かったと言える。フルームは物腰のおだやかな、人のよさそうな普段の性格だが、ロードバイクに乗ると意外と野心的な部分をさらけ出し、その後もウィギンスのアシストをこなしながらも区間勝利へのこだわりをむき出しにした。

マイヨジョーヌ争いはウィギンスが2回のタイムトライアルで圧勝し、エバンスが山岳ステージで陥落。フルームから遅れ気味のウィギンスもニーバリのアタックを封じ込めたかたちで決着を迎える。こうしてウィギンスは第7ステージで手にしたマイヨジョーヌを一度も失うことなく、フルームに手渡すこともなくパリ・シャンゼリゼにゴールした。

連日の果敢な走りで人気者となった新城幸也

第99回大会の話題を2つ挙げるとすれば、英国選手の初制覇と新城の活躍だろう。それは現地プレスセンターや沿道の総意といっても過言ではなく、それだけ英国スカイチームの完勝ぶり、そして新城の連日のアタックは注目された。

プロローグを制したカンチェラーラが大会7日目までマイヨジョーヌを着用した。ウィギンスはずっと7秒差の2位につけていた。優勝争いが動いたのは第7ステージ。最後に激坂が待ち構える本格的な山岳初日だった。

ウィギンスのアシストだったフルームだが、ラプランシュデベルフィーユでツール・ド・フランス初優勝

この日、ウィギンスはアシスト役のフルームの援護を受けて、最後の坂に。ライバルであるエバンスとニーバリも離れない。すでにマイヨジョーヌのカンチェラーラは脱落していて、そのままタイム差なしでゴールすればウィギンスがマイヨジョーヌを獲得する。

フルームがツール・ド・フランスで初めてステージ優勝したのがこの日だった。エバンスとウィギンスはそのスパートについていけず、2秒遅れでゴール。ニーバリは2人からさらに5秒遅れた。

ブラッドリー・ウィギンスは個人タイムトライアルでパワーを見せつけた

「マイヨジョーヌの行方はすでに決しているのだから、そんなに速く走る必要はないんだよ」と、先を急ぐフルームから遅れがちだったことを弁明したウィギンス。

「エースのプレッシャーがないからうまく走れたのだと思う。もっと経験を積んでこのチームで夢をつかみたい」と優等生的なコメントを発するフルーム。両者の心中に秘められた本音を想像するとじつに2012年の大会は興味深い。

ペテル・サガンがツール・ド・フランス初優勝を含む3勝を挙げ、初めてマイヨベールを獲得した
最終日の朝、スカイチームのスタッフがおそろいのTシャツで記念撮影

新城幸也が日本勢として初めて表彰台に登壇

新城の存在感も現地ではウィギンスに負けていなかった。豪州の草分け的元選手、フィル・アンダーソンは「毎日アタックしていた日本選手がいたね。彼は来年期待できるぞ」と語った。フランステレビジョンは「ユキヤ・アラシロは今年、フランス人が一番よく知る日本人になるだろう」とコメントした。

まさに獅子奮迅の大活躍だった。ボクレールのアシスト役として走りながらも第4ステージで敢闘賞。第18ステージでゴール手前までトップ集団で激しく戦った。

3回目の完走を日本人歴代最高位というおまけ付きで決めて、コンコルド広場で日本の取材陣に囲まれて最後のインタビューをしているとき、総監督のジャンルネ・ベルノードーがタイミングを計ってその輪に加わってきた。

第4ステージで新城幸也は敢闘賞を獲得した

「どうだ、見たか。今年の活躍を。来年はうちのチームで初めてツール・ド・フランスで勝つ日本選手になる」

他チームの引き抜きに遭わないように取材陣を意識して語った言葉だ。

英国のベテランカメラマンが「ツール・ド・フランス取材を初めてかれこれ何十年で、ようやく自国選手が総合優勝したのだから感慨深い」とつぶやき、新たな時代の到来を歓迎した。日本自転車界も風が変わろうとしている。日本選手が総合優勝を争うようになるのは果たしていつ?

ヨーロッパカーの新城幸也が2年ぶり3度目の完走を果たした

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