【ヒマラヤ未踏峰に挑んだ連載最終回】Episode 9/高嶺に眠る夢を追って

「フォーー‼」叫ぶと酸素がなくなり頭が痛い。ただこれが叫ばずにいられるだろうか。

遠征隊5人全員で。プンギ山頂にて

私たちは今、世界で初めてこの山の頂に立ったのだ。生きてることがうれしくて、山頂にこれたことがうれしくて、仲間と一緒なのがうれしくて、4年間の夢が叶ったのがうれしい。

うれしくてうれしくてしょうがない。誰に、なにに感謝していいのか分からないが、とにかく高揚感や多幸感、幸福感がひしひしと体中にわき上がり、どうしていいかも分からずまた叫んだ。すると周りの仲間も応えるように叫ぶ。ああ山を始めてよかった。今までの辛いこと。この遠征もそうだが、4年間。未踏峰のために捧げ、努力してきた辛いことや苦しいことが昇華され、今この時のためにあれはあったのだ。私のやってきたこと、歩んできた道は間違いじゃなかったと心の底から思った。 『遠征日記10月12日より』

プンギに向けた稜線

現代に未だ人類が足を踏み入れてない場所があるなんて!

ナマステ! みなさんこんにちは。プンギ未踏峰遠征隊 隊長の井之上巧磨です。4月に入りいかがお過ごしでしょうか? 思えばちょうど4年前のこの時期、私は体育会山岳部に入部しました。青山学院大に入学し、大学時代これだけは真面目にやったと言えるなにかがほしかった私は、体育会の部活を探していました。そこでたまたま目に留まったのが、幸か不幸か山岳部という変な部活です。

新歓で「登山は大学生からでも世界を目指せる」と言われ、「未到峰」という言葉もその時知りました。発展した現代に未だ人類が足を踏み入れてない場所があることに驚き、幼少期よりたいていのものが調べれば答えを得られ、情報とともに生きてきた私は、心の底からその未知に浪漫を感じました。そして未踏峰に懸ける大学生活がスタートするのでした。

遠征連載最終回の今回は、私がプンギ遠征およびこの4年間で学んだことを書こうと思います。もしかしたら他の記事に比べると刺激に劣るかもしれませんが、最後まで読んでいただければ幸いです!

HCから見たプンギ

隊員同士で話したのは「評価を求めた登山じゃない」ということ

私が今回学んだことは「物事の価値を決めるのは自分だ」ということです。

今回、山や仲間、運にも恵まれ世界初登頂に成功し、ご縁もあってさまざまなメディアより取材をしていただきました。そこで必ず問われる質問の一つが「今回の登山にはどういった価値があるのか?」というものです。この質問をされた時、大体は「複数大学で構成された学生のみの隊が、情報のない山に行き初登頂したことです」と回答しましたが、本当の私の意見は違います。

あれはネパールのポカラに滞在していた際、報道ステーションに生中継で出演する機会をいただいた時でした。

アタックより緊張したんじゃないかと思うような中継を終え、達成感を得た私たちは全員で夜の街へビールを飲みに繰り出しました。SNSを見るとそれなりに世間にも評価されており、もともと大学山岳部の認知向上を目的の一つにしていたこともあって、しばらく沸き立ちました。しかしその後みんなで話したのは「本当に大切なのは他者からの評価ではない」ということです。

私はこの4年間まさに青春を山に賭けてきました。勉強もそこそこに、常に山のことを考えて生活し、しまいには休学までして大学生活も5年目に突入です。そして、心から信頼できる仲間と遠征に行き、ヒマラヤを舞台に自分たちの持てる力を全てだし、全身全霊で強大な自然と闘いました。結果として世界初登頂に成功し、それに一定の評価も得られました。ではこれが全く逆の結果だったらどうでしょうか?

遠征に行ったけど登頂することができなかったら? 登頂したけど誰にも評価をしてもらえなかったら?

日本山岳会の晩餐会で登壇

私が過ごした4年間。遠征に行った2カ月間は無意味で無価値なものなのでしょうか? 私は全くそうは思いません。ヒマラヤの未踏峰を目指し、部活の仲間と血と汗を流した日々も、遠征隊で過ごしたネパールでの時間も、私には代えがたい価値あるものであり、たとえ世界中の人がそれを否定しようと、その価値が揺らぐことはありません。それは未到峰に懸け努力してきた時間に自信があり、たとえ失敗したとしても、これ以上ない仲間と自分のできる最大限の事を行えたという自負があるからだと思います。

今回の登山の価値。それはこの4年間を全力で生き、自分自身でこれは価値のある時間だったと結論づけられたことにあるように思います。

稜線上を登る

「この時のために生きてきたんだ」と思える瞬間がある

登山をしているとなぜ山に登るのかとよく聞かれます。正直私にも分かりません。登山は内容の9割が辛い競技で、この4年間もたくさんの辛いことがありました。山で心身ともに追い込まれることはもちろんですが、クリスマスや成人式、周りの人が楽しそうに生活するなか、好きとは言え雪山に行き、さまざまな恐怖を感じながら雪と氷にまみれ苦しんでいると、私は大学生にもなってなにをやっているのだろう?とどこか虚しさを感じることもありました。

でも、9割辛い登山ですが、ほんの1割。時々「ああこの瞬間のために俺は山をやってきたんだ。この時のために生きてきたんだ」、そう心から思えるような喜びと幸せを感じることがありました。それが9割の辛さや苦しみをひっくり返し、また私を山に向かわせるのです。

プンギサウス山頂

今回の遠征もそうだったと思います。宇宙を感じるような青黒い空と、見渡す限りどこまでも続く白銀の峰々。空の底と山が溶け合うあの場所で、私は仲間と人生最大の喜びと生の実感を得ることができました。残酷なまでに冷たく無機質で、それでいて極めて美しい自然ですが、それは決して死の世界ではありません。私たちはその過程での苦しみ故に、生きていることを強烈に実感でき、そうした痛みを進んで引き受け、苦しみを乗り越えることで、生きることの喜びと充実を感じられるのだと思います。

そして、その喜びは登頂の瞬間を最大として少しずつ風化し、残念なことに刻一刻とそのディティールを失っています。どんなに写真や動画を撮ろうと、日記を書こうと、あの時、あの瞬間の感情を保存することはできないようです。その記憶の儚(はかな)さゆえに、現在の時間というのはこの上なく価値あるものであり、過去にすがるのではなく、『今』という時を全力で生き、喜びを更新しなくてはならないのだと思います。

今回の登攀ルート

一つの夢と登山が終わりを迎え、さらなる高嶺に

高校時代、柔道部の師範に言われました。

「人生は困難の連続。それを乗り越えチャンスに変える。そしてモノにする。それは大変なことだけど、それが生きるということです」

今なら師範の言っていたことが分かる気がします。全力で生きること。己を超える難題に挑戦すること。それらはとても辛く苦しみを伴うけれど、通して考えればすごく楽しいものだと知れたことが、この4年間で得た教訓です。

中沢が「写るんです」で撮った写真

こうして一つの夢と登山が終わりを迎えました。しかし心配には及びません。いつだって、登山の終わりは次の山への始まりです! この秋また海外に行く計画を立てています。また来週のGWからは新人合宿が始まり、次の世代が山の門を叩きます。

山岳部は今日もどこかの山を登っている。高嶺に眠る夢を追って。

今まで読んで下さりありがとうございました😭

遠征を応援し、支えてくれた全ての人に感謝申し上げます🙇🙇🙇

また、末筆ではありますが、連載の担当編集をして下さった山口さんにこの場を借りてお礼申し上げます。遠征に行く前から、大学山岳部認知向上の目的に共感してくださり、出国や帰国の際は羽田や成田までざわざわ来て下さいました。貴重な機会をいただくとともに、さまざまなサポートをしていただいたことに深く御礼申し上げます。ありがとうございました。

日本山岳会プンギ遠征隊
登攀隊長 東京大学運動会スキー山岳部・尾高涼哉
隊員 立教大学体育会山岳部・中沢将大
隊員 立教大学体育会山岳部・横道文哉
隊員 中央大学体育会山岳部・芦沢太陽
総隊長 青山学院大学体育会山岳部・井之上巧磨

井之上巧磨の愛用品

携帯がいらない!?

これといった愛用品はないのですが、携帯電話がいらないことに気がつきました。BCまでの道中にロバ使いに携帯を盗まれ、同じく壊した中沢将大とデジタルデトックス生活をしていました。携帯がないと困りそうなものですが、実際にはたとえ異国のネパールでも、どうとでもなります。道に迷えば人に聞けばいいし、今その場にいない人と話す必要なんてないのです! 携帯がないゆえに暇を持てあまし、なんの気なしに上がった安宿の屋上で見たカトマンズに沈む夕日は、生涯忘れないほど美しかったです。とは言いつつも、帰国してすぐ携帯を買い、たまにSNSで時間を浪費してしまうのが、Z世代の端くれである私の悲しい性です(笑)…


ヒマラヤ未踏峰に挑む特集サイト(Contents一覧)

中沢将大、横道文哉、井之上巧磨、尾高涼哉、芦沢太陽。羽田空港にて

【ヒマラヤ未踏峰に挑む】Episode 8/過酷なフィールドで全幅の信頼をおいた登山ギア

ヒマラヤにある標高6524mの未踏峰プンギに2024年10月12日午後12時09分、日本山岳会学生部の5人全員、井之上巧磨(青山学院大)、尾高涼哉(東京大)、中沢将大(立教大)、横道文哉(立教大)、芦沢太陽(中央大)が初登頂した。国内トレーニング時からさまざまなギアを使いこなして厳選し、本番となるヒマラヤに持ち込んだテント、ザック、ハーネス、食品類を尾高が紹介。

4人用テントだが工夫すれば5人でも使用できる

ヒマラヤでも有効だが、日本の山でも使いやすいものばかり

こんにちは! 前回投稿から大分時間が空きました、ヒマラヤ遠征隊の尾高です。私たちは、昨秋のヒマラヤ遠征にあたり、ありがたいことにたくさんの企業に支援いただきました。今回の連載ではセレクトしたギア、食品類を紹介していきます。日本の山でも使いやすいものもありますので、ぜひご興味があれば使ってみてくださいね!

finetrack社のカミナドーム4

カミナドーム4(finetrack社)のテント

今回の遠征ではメインのテントとしてfinetrack社製のカミナドーム4を使用しました。国内での、普段の山行でも非常によく使うテントです。僕らは4人用のものを工夫して5人で使用していました。

カミナドームシリーズはなんと言っても、軽量さと耐久性の両方を非常に高い次元で両立しており、軽量化が至上命題であると同時に、激しい気象条件にさらされる可能性のあるヒマラヤ遠征にまさしくピッタリのテントでした!

私はこのテントで合計50泊程度はしていますが、国内の登山で使うテントを考えた際にも、夏冬ともにベストなテントの一つだと思います。

軽量であると同時に、厳しい気象条件ともなるヒマラヤ遠征にピッタリのテント

ワーソッグ30L(Blue iceケンコー社)のアタックザック

冬山登山で30L程度のザックに求めるすべての機能を必要十分に備えていながら、シンプルで使いやすく、非常に軽量であり、理想的なアタックザックです。

付属バンジーコードでアイゼンを外付けし、サイドにはマットなども

加えて、高い拡張性もこのザックの優れているポイントです。僕らは軽量化のため、サイドベルトやウエストハーネスを取り外して使用していました。一方で、付属のバンジーコードを使用すればアイゼンを外付けすることも可能であったり、形状がシンプルゆえにマットなどを外付けすることも容易です。

この高い拡張性と癖のない形状のおかげで、30Lという限られた容量ながら、アタック用の3日分の食料、テント、シュラフ、マット類、ジェットボイル、登攀具を十分に持ち運ぶことが可能で、工夫次第では泊まりの冬山でもこのザックのみでも十分であると感じました。

Blue ice ケンコー社のワーソッグ30Lアタックザック

私のイチオシポイントとしては、ポケットの位置があります。

このザックは雨蓋がなく、ポケットはザック本体に付いているのですが、ポケットの配置が絶妙で、他の同様なザックと比較しても、物を取り出しやすく、また、ポケットのみがふくらんでやや飛び出すといったことがあまりない点が個人的に非常に気に入ってます。

国内でもクライミング、冬山はもちろんのこと、夏山登山や低山ハイキングなどあらゆる山に関係するアクティビティで使用できると思います。デザインも非常にシンプルでカッコよくてオススメのザックです!

シンプルで使いやすく、非常に軽量な理想的アタックザック
カトマンズのタメル地区でも愛用

コーカスプロ(Blue iceケンコー社)のハーネス

このハーネスの最大の特徴はとにかく軽量な点です。ハーネス単体では履いているのを忘れてしまうほどです。

また、設計も優れていて、足上げなどにも全くストレスがかかることはないので、軽量さも相まって、冬山での行動中ずっと着けていても一切ストレスがありません。

また登攀中の快適もさることながら、軽量なアルパインハーネスで犠牲になりがちな体重をかけた際の快適性(ハーネスの紐が腿に食い込んで痛いなど)に関しても想像以上に優れており、懸垂下降も快適にこなせました。

また、アイゼンを履いた状態からも履きやすく、背中側のバックルを外せるため、用を足す際にもハーネスを脱ぐ必要がないのも魅力ですね!

国内で使うシチュエーションはある程度限られる道具ではありますが、冬山で軽量化をしたい際などには強力な武器になると思います!

アルファ米(尾西食品)

尾西食品のアルファ米も国内でずっと食べ続けた馴染みのアイテムです。

アルファ米というのは、普通の米を炊き上げた後に乾燥させてアルファ化した米のことで、お湯を注ぐだけですぐできるのが最大の魅力です。

尾西食品のアルファ米

非常に軽量かつ、温かくて馴染みのあるお米を食べられるというのは、長期間慣れない環境に滞在する海外遠征では特にありがたい点でした。

アタック中のメインの食事として朝夜食べていました。

尾西食品のアルファ米は、五目や赤飯などさまざまな味があり、飽きずに食べ続けられるのが特徴です。みなさんもぜひ、山登りに取り入れてみてはいかがでしょうか?

以上、今回の遠征で使用したギア類のレポートでした! 興味のあるものがあったら、ぜひ使ってみてくださいね。今回紹介したギア類は、どれも過酷なアウトドアフィールドにおいても全幅の信頼をおけると思います。

チャレンジを終えて…尾高涼哉

ネパールでの遠征を振り返った際に、最も印象的なのは、アタック翌日のBCで迎える朝日でしょうか。現在という時間は、過去と未来に区切られてしか存在し得ません。つまり、僕らのあのアタックというのは、まさしくこうして日が昇ることによって完結するのではないでしょうか。

こんなことを、紅茶を飲みながらぼんやりと思っていたのがやけに印象深く思い出に残っています。

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HCから見上げたプンギ山頂

【ヒマラヤ未踏峰に挑む】Episode 7/ネパール山岳ビジネスの現状と未踏峰遠征で実際にかかった費用

ヒマラヤにある標高6524mの未踏峰プンギに2024年10月12日午後12時09分、日本山岳会学生部の5人全員、井之上巧磨(青山学院大)、尾高涼哉(東京大)、中沢将大(立教大)、横道文哉(立教大)、芦沢太陽(中央大)が初登頂した。ヒマラヤ未踏峰にたどり着くにはいくらかかったのか? ネパール山岳ビジネスの現状と合わせて、横道が報告。

自分たちで切り拓く道。標識もFIXも支点もない雪稜。プンギにて

商業登山ならしたくない…自分らの手で道を切り拓いて登りたい

遠征帰還後にたびたび聞かれることの中で、費用の話がある。私もこの遠征に行くにあたって、両親から「金持ちの道楽」とも言われたりしたものだが、実際にそのように思っている人は少なくないと思う。

たとえば最高峰のエベレストは契約するエージェントやパッケージにもよるが、総費用でだいたい1000万円かかるとも言われており、私も幼い頃に「高いお金を払ってまでも、自分の命を危険に晒すようなことをなぜするのか」と疑問に思うことはあった。今回ヒマラヤ山脈の未踏峰に挑んだ訳であったが、やはりこの話を聞いて「エベレストに登るんだ」という人は非常に多く、「ヒマラヤ山脈≒エベレスト」ではないことを説明することが多かった。

エベレストなどの8000m峰は商業登山がほとんどであることが現状である。商業登山の定義はさまざまではあるが、その名前の通りビジネス化された登山のあり方であり、豪華なガイド登山をイメージすると分かりやすいだろう。テントの設置や食事、FIXロープの設置など全てガイドがやってくれるのである。

確かに登山者本人には山頂まで行く最低限の体力と気概が必要ではあるが、技術面では登攀行為で必要となるような高度な技術を擁していなくても行けるのがポイントである。一昨年お世話になったガイドの方からは「君たちはなにもしなくても、歩けさえすれば※アマダブラムにでも僕が連れていけば登れるよ」とも言われたりするところから、商業登山は私たちがこの間、自分らの手で道を切り拓きながら未踏峰に登る行為と全く異なる種類の登山であると思った。

※アマダブラムは、ネパール東部ヒマラヤ山脈に位置する標高6812mの美しい山で、その特徴的な形状から「ヒマラヤの宝石」と称され、登山家に人気の高い峰です。

ヒマラヤ遠征がネパールに多くの雇用機会を生み出す

ネパールでは主にこのような商業登山を中心にビジネスは回っており、理屈としてはガイド料を筆頭に入山料や小屋泊代、荷物持ちのポーター代など1回の山行にたくさんの雇用機会を生んでいる。アジア最貧国とも呼ばれるネパールは主な産業がなく、国民の半数が海外に出稼ぎに行く中、観光業が国内での大きな利益を生んでいることは明白である。

今回私たちはベースキャンプまで山小屋(通称ロッジ)を経由して行った。4700mのベースキャンプまではガイドの方と進み、その先は自分たちだけで進んだのがいわゆる、先ほど言及した商業登山と大きく異なるところだろう。今回の場合はベースキャンプにガイドとコック、そしてポーターの計3名が駐在しており、一番近い村までプンギから10kmほどあることを考えると、とてもありがたい限りであった。

今回の遠征での予期せぬ出費

我々の今回の隊での予算の誤算として大きかったのが2つ、関税と食費であった。

今回の遠征において装備が非常に重かったことから、事前にネパールに国際郵便で送ることとした。しかし、不幸なことに後日18万円の関税を取られることとなってしまった。その理由としては内容物記載事項において不要なトラブルに巻き込まれまいと正直に新品価格での価値を内容物として30万円ほど記載したからではないかと推測できた。旅の始まりでの18万円の出費は隊の財布に堪えるものがあった。

タメル地区でキャッシングに挑む。ATMによって手数料が違うため、手当たり次第に挑む

外貨への両替も昨今の円安の煽りを受け、手数料を入れると、100ネパールルピーを手に入れるのに125円かかるというような状況。クレジットカードのキャッシングも両替屋とも変わらない手数料での両替だったため、常に為替相場を見ながら円の価値が上がるのをひたすらメンバー全員が祈っていた。結局遠征が終わり、カトマンズに戻ってくる頃には円安は悪化しており、みな頭を抱えて残りの2週間を過ごした。

当たり前であるが、キャラバンが進み、山々の奥に行くほど物価は上がり、OBOGから聞いた数十年前の相場とは大きくかけ離れていた。想定外の出費から、途中からは自分でお湯を沸かし始めるなど、泊めてくれる彼らからしたらとても非経済的な行為をしていたと思う。

ロッジでのダルバート。ロッジごとに味付けが異なる

ネパールの定番料理のダルバート一食の価格が1000ルピー(1200円)と想像の2倍の値段で、1日3食ダルバートだったメンバーも1日1ダルバートにせざるをえない状況にもなった。一方、宿泊費は想定通りで一泊ツインルームで1200ルピーなど非常にリーズナブルであった。聞く話によると、エベレスト街道など外国人登山客の多い山域は値段がより高く設定されているらしく、注意が必要だ。

一方、昨年訪れたロールワリン渓谷は比較的アプローチがしやすいところから物資が多く流入し、物価が比較的安かったのではないかと考えた。山域ごとに価格設定は大きく異なるところから予算にはある程度の幅を持たせるのがいいだろう。

結局いくらかかったか

当初の予算としては、全体で約575万円。1人あたり約115万円であった。寄付金は各大学のOBOG、日本山岳会の会員方、そして日本山岳会海外登山奨励金を含むと340万円近く集まり、1人あたりの負担額はだいたい50万円、プラス新調した個人装備となった。

実際にかかった支出は約590万円で、15万円ほどの超過であり、関税がその大半を占めた。航空券が安く買えたところや、アルファー米など尾西食品から食料の協賛のおかげで少しは相殺することができて、物価の高騰や円安の影響を受けながらも全体で15万円の超過ですんだのは幸運であった。

私は現在、遠征のために新しく購入したダブルブーツの分割払いの返済に追われており、帰国早々アルバイト尽くしの生活を送っている。年末にはその支払いが全部済むので、来年には撮影した映像の整理に入りたいと考えている。

横道文哉の愛用品

Kindle Paperwhite 

1カ月以上電波の繋がらない山行での順応日はとても退屈です。完全防水で重さも200g程度、本や漫画がギガ数にもよるが数千冊保存できる点から、おすすめです。かさばる漫画もこれで何百冊もどこにでも持っていけます。

チャレンジを終えて…横道文哉

この1年半プンギ遠征と就職の2つを大きな目標に日々努力していたところ、両方とも幸運にも成し遂げてしまったため、燃え尽き症候群のような日々を送っています。春から社会人になる身として、山と仕事の両立を目指して、山だけでなく、人生そのものを自分の納得できるものにしたいと思います。目指せチベットの未踏峰。


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ヒマラヤ未踏峰に初登頂した学生プンギ遠征隊が帰国

日本山岳会学生部プンギ遠征隊が2024年11月1日、成田国際空港に到着した。ヒマラヤにある標高6524mの未踏峰「プンギ」を目指し、9月5日に羽田国際空港を出発。10月12日に登頂した。メンバーは、総隊長・井之上巧磨(青山学院大学体育会山岳部)、登攀隊長・尾高涼哉(東京大学運動会スキー山岳部)、装備全般・中沢将大(立教大学体育会山岳部)、渉外・会計・記録・横道文哉(立教大学体育会山岳部)、会計・芦沢太陽(中央大学山岳部)の5人。

成田空港に到着した芦沢太陽、井之上巧磨、横道文哉、中沢将大。取材記者の到着遅れで尾高涼哉はすでに帰路に

アタックの日に見た朝焼けが怖くてきれいだった…横道文哉

「6200mに設営したハイキャンプ(最終キャンプ地点)からいよいよ頂上にアタックする日の朝。そこで見た景色がとても印象に残っています。ヒマラヤ山脈がきれいに遠くまで見えて、朝焼けで少しオレンジがかっていてこの世の景色じゃないみたいで美しかった。ハイキャンプを出発してアタックしたのは2回ですが、登頂を断念して引き返した1回目のほうが強く印象に残っています。とても怖くてきれいな景色でした」

成功の秘訣は間違いなくチームワーク…芦沢太陽

「登頂へのプロセスも困難の連続でしたが、長距離の車移動がネパールでは一番しんどかったです。舗装路じゃないところが多かったので、ガタンガタンと大きく揺れ続けて、吐き気と戦いながら移動しなければいけなかったのがしんどかったです。成功の秘訣は間違いなくチームワークのよさです」

初登頂から戻った夜、ライターの火が灯ったことに感激…中沢将大

「ライターがつかなかったことが一番の思い出です。アタックして登頂を果たし、ハイキャンプに戻った日の夜でした。ライターの火がなかなかつかず、やっと火がついたときは感激しました。日本に無事に帰ってきたことよりもうれしかったです。今はもうすでにネパールが恋しくて」

後輩たちにどんなことをしたのかをしっかりと伝えたい…井之上巧磨

「ネパールの未踏峰遠征において自分自身がいい経験を積めた。自己研鑽ももちろんなんですが、これから大学山岳部に入部してくる後輩たちに、どういうふうに遠征をやったのかを伝えていくのがこれからの任務なのかなと思います。

帰国した現在は次のチャレンジをまだ見据えられていません。ネパールのヒマラヤもよかったんだけど、逆に日本の雪山のよさを再認識することができました。日本の山岳も悪くないなと思うので、国内でまたトレーニングを積んで、そして海外に行きたくなったら真剣に考えてみます」