薬物依存更正施設の講師と生徒が作る魂のブランド

DeAnima(デアニマ)は、ジャンニ・ペゴレッティという、少々異色のキャリアを持つ自転車職人によって生み出された、まだ設立5年の若いブランドだ。

“ペゴレッティ”の名に聞き覚えのある諸兄もいるかもしれない。ハンドメイドバイクの世界で屈指のカリスマフレームビルダーとして知られた、あのダリオ・ペゴレッティはジャンニの実兄。かつて、兄ダリオの工房から送り出されたフレームは、マルコ・パンターニ、ミゲール・インデュライン、マリオ・チポッリーニといった名だたるスター選手の成功を支えた。

弟のジャンニが、イタリア国営テレビ放送局RAIのアートディレクターを退職してダリオの工房に参加すると、ペゴレッティはアーティスティックな感性を得て、兄ダリオの存在とともに、ハンドメイドバイシクルの世界でその名を轟かすブランドに成長した。

アーティスティックな感性と職人の技が融合したハンドメイドカーボン

ジャンニ・ペゴレッティ(以下ジャンニ)
「芸術への関心は父の影響なんだ。子供のころから、家の壁は、父が集めた古くさい絵画でいっぱいだったよ。元自転車選手の叔父の影響でダリオが自転車に夢中だったので、私もはじめはよく真似して走りにいった。 でも、ダリオにはかなわないし、自転車はきついスポーツだと知って、それからは家で勉強することにしたよ」

ジャンニ・ペゴレッティ

学生時代は芸術ではなく商学を学んだというジャンニ。15年務めたRAIでの仕事に飽きていた折、ちょうど、独立して工房を立ち上げたばかりの兄ダリオを手伝うことにした。

ジャンニ
「工房は大手メーカーの下請けもやっていたよ。私は経験を積むためにはじめは部分的なTIG溶接もやった。でも、やはりダリオの溶接の腕前にはとてもたどり着けなかった。だから経営面や、デザイン等を担当するようになったんだ」

しかし、後に兄弟はたもとを分かつことになる。筆者にその理由を知る由もないが、以降の二人は絶縁状態であったという。“あった”と書いたのは、彼ら兄弟の今生の別れはすでに永遠のものとなってしまったからである。2018年、フレームビルダーの王様と称えられたダリオ・ペゴレッティは心不全のため、惜しまれつつ他界した。

麻薬におぼれた人々の社会復帰を自転車製造の学びを通じて支える

兄ダリオと決別したジャンニは2005年「サン・パトリニャーノ」という、ヨーロッパ最大の麻薬中毒患者のための更生施設で、社会復帰プログラムの一環として、薬物との関係を完全に断ち切り、社会への復帰を願う若者たちに自転車作りを学ばせる講師の仕事を始めた。

また、この施設は、名はあえて伏せるが、プロツアーのレースに出るような大手メーカー数社のフレームの下請け製造も請け負う、言わばイタリアのハンドメイドバイク製作の重要な拠点だったのだが、ジャンニはその製造部門の責任者も務めていた。

ジャンニ

「サン・パトリニャーノの施設で出会った人々は、誰もが薬物に侵された過ちから更生し、人生を修復する必要があった。ここで、単に自転車フレームを作るだけでなく、彼らが生まれ変わるためのお手伝いをしたんだ。施設での9年間の思い出は一冊の本にまとめられるくらい、私の人生で最も大切なものだ」

そして2015年、サン・パトリニャーノの施設移転と、自転車製造部門の閉鎖が決まったことを機に、ジャンニは自らの工房を立ち上げることを決意する。相棒はサン・パトリニャーノで一番弟子かつ同僚だったアントニオ。実は彼も、薬物依存症で施設にやってきて、ジャンニによる職業訓練を受け、社会復帰した若者の一人だ。

2020年に37歳になるアントニオは、南イタリアのパエストゥムという、人口2万人ほどの町に生まれ育った。子供のころはサッカーや海で泳ぐのが好きで、とても好奇心旺盛な少年だったという。彼がサン・パトリニャーノの更生施設にやってきたのは22歳の時だ。

アントニオ・アッタナシオ(以下アントニオ)
「施設に入ってすぐ、同じ院生の一人の若者アンドレアとペアを組んでの生活が始まりました。僕より施設の古株の彼はどこに行くのにも、まるで監視員のように、うっとおしいくらい、しつこくつきまとってくる。仕事のこと以外にも、部屋の掃除や、食事の準備、皿洗いなど、生活に関わるすべてに口を出し、手ほどきしてくれるが、もちろんこんな二人の共同生活は決して楽しいものじゃなく、言い争いはいつも絶えなかった。でも、彼はそうすることで、私を助けたい、ドラッグに依存しない人との関わり方を、私が学ぶことを望んでいるんだと理解しました」

アントニオ・アッタナシオ

4年間の職能訓練を受け、自身もフレームビルダーとして働くようになったアントニオ。最終的にはジャンニと同じように施設の職員として採用され、製造現場の監督や、カーボンフレーム製作工程の一部の責任者を任され、給料も受け取る身となった。

しかし、ほどなくし、サン・パトリニャーノの閉鎖が決まる。アントニオがこの施設にきて8年目のことだった。

こうして立ち上がったのがDeAnimaの工房だ。

ジャンニがこの新しい挑戦に、施設での職を失って故郷のパエストゥムに帰ることも考えていたアントニオを誘い巻き込んだのは、DeAnimaのブランドと、この工房の未来を見据えてのことでもある。

DeAnimaは立ち上げ当初から、イタリアの自転車作りの伝統的なメソッドを守ることにしている。なぜなら、自転車にまつわるビジネスの変化とともに、イタリアの大手メーカーはマスプロダクションという新たなメソッドを受け入れ、かつてのフレーム製作の魂は失われてしまったと、ジャンニは考えているからだ。

DeAnimaの第1弾はカーボンモデルのUNBLENDED

ジャンニ
「自転車の工房を始めるために、銀行に行き、融資を受ける。それでアジアで生産されたフレームにブランドのステッカーを貼って売れば、ビジネスはよりたやすいが、私たちが目指すのはそこではない。小さなブランドでも、伝統を守りながら、自分たちの望む道を進んで成長していくつもりだ」

またDeAnimaは他の大勢のハンドメイド自転車メーカーと異なり、フレーム作りをスチールではなく、カーボン素材で主にやっている。

ジャンニ
「カーボンではフレームの材料となるチューブをメーカー(コロンブス、デダッチャイなど)から仕入れることなく自分たちで用意する。つまり素材にまで品質管理が及んだ理想のフレーム作りができる」

単に過去の伝統にとらわれるだけでなく、技術の進歩を受け入れ、それを自らの成長につなげようとする。それは、DeAnimaのような少量生産の自転車工房のあるべき姿として、彼が目指しているところだ。また、カーボンフレームと言っても、現在主流のモノコックではなく、それぞれのチューブをつなぎ、接着して作り上げる。 このほうがモノコックよりも手間がかかるが、ユーザーに合わせたサイズのフレーム設計のためには不可欠だ。また、コンフォート性でもモノコックより優位と言える。

材料のチューブは、地元トレント大学のエンジニアの協力を得て設計・製作している。実はジャンニは、自転車の素材としてのアルミの限界を知り、カーボンの可能性にイタリアでいち早く着目した一人であり、この大学との研究はもう何年も前から行っていた。

カーボンシートを貼り合わせてフレームを成形する

東レT800 3kプレーンとユニディレクショナルのプリプレグカーボンを複合的に用いてレイアップ(積層)したものをオートクレーブで加熱成型する。一方、チューブの接着、および成型したフレームの仕上げはバキュームインフージョン(真空引き)で行う。オーブンのような、金のかかる設備投資を必要としないこの脱オートクレープ成型法は、少量生産の工房におけるカーボンフレームの製作を可能にした。実際、最近ではイタリアでも、ハンドメイドのビルダーでジオメトリカスタマイズ可能なカーボンフレームをやるところが増えてきている。

モダンアートにインスパイアされた魅せるペイント

プロトタイプを経て発表した第一弾の カーボンフレーム“UNBLENDED”(アンブレンデッド)の後、矢継ぎ早にニューモデルをリリースし、現在カーボンフレームはロード、グラベルでのべ3種類(UNBLENDED, SOUL、AMG)をラインナップする。

ペイントが美しいグラベルモデルのDeFer Gravel

他にもTIG溶接のスチールモデルを両ジャンルでそれぞれ4種類(DeFer Strada, DeFer Strada disc、DeFer Gravel、O.Q.O.C )ラインナップしている。なかでも一番新しいO.Q.O.Cはスチールながら1350g(未塗装重量)という軽量化を実現するなど、ジャンニが経験豊富なスチールフレームにおいても意欲的な姿勢を表している。

とはいえ、このブランド一番の魅力で、ジャンニの真骨頂といえるのは、やはり彼によるアーティスティックなペイントだろう。もちろん、DeAnimaは工房内に塗装ブースも備えている。

ジャンニ

「モダンアートが大好きなんだ。ジャクソン・ポロックやフランツ・クラインのようなアクション・ペインティング(振りによる抽象絵画)、アルベルト・ブッリ、ジャン・デュビュッフェといったアンフォルメルの抽象画家のお気に入りの作品からペイントデザインのヒントを得ているよ。工房内に塗装ブースがあるから、好きなだけ試し塗りできるし、スペシャルペイントならまかせてくれ。ブランド名のDeAnimaとはスピリット(魂)を意味する。フレームづくりやペイントは自転車というモダンアートの創作のようなものだと思って取り組んでいる」

DeAnimaの魂(アニマ)は二人の自転車職人の心に宿る

ハンドメイドの自転車工房のビジネスが決して楽じゃないことは、この業界に身を置く誰もが首を縦に振り同意するだろう。

DeAnimaにとって、英国在住でマーケティングを手伝ってくれている、ジャンニの20年来の親友と、このブランドをひいきにし、ある程度まとまった数のオーダーをくれるボルツァーノの自転車ショップのオーナー、この二人が、もっぱらの頼みの綱といったところだ。それでも、DeAnimaが2019年に製作し、世に送り出したフレームの数はたった50本。もちろん、この程度の数ではジャンニとアントニオが食べていくには十分じゃない。それでも彼らは、この仕事への不満は少しも抱いていない。

アントニオ
「自転車づくりに取り組むことで、私は薬物依存という自身の問題を克服し、生まれ変わることができたのです。15年前の無知な私には、自転車は単純なものにしか見えませんでしたが、ジャンニや様々な仲間と一緒に過ごした数年の間に、カーボンによる自転車の製作と開発に携わり、共同で論文を制作しました。その「単純なもの」が、材料工学、空気力学、バイオダイナミクス、グラフィックアートなど多岐の分野を包括していることを知りました。

カーボンの巻き付けや、塗装して作るフレームは、1本1本がそれぞれ異なるオリジナル品です。 それらを自らの手で生み出すことができる。この仕事を私はとても愛しています。ジャンニはいつも、私だけでなく人々に差し伸べる手を惜しまなかった。彼はこれからも、私達にとって最大の恩人であり続けるでしょう」

アントニオには10年来付き添う恋人がいる。エレナだ。二人の間に子供はいないが、エレナの前の夫との子と3人で暮らしている。将来のことも考え、そろそろこのトレンティーノの地に家を建てることも最近は話し合っている。かつて、薬物という魔物につけ込まれたアントニオだが、今の彼には、あの頃の弱さはもう見当たらない。

一方ジャンニには、彼が答えに躊躇するだろうことを承知で、死から2年経った今、兄ダリオ・ペゴレッティについて思うことを訊ねてみた。

ジャンニ
「ダリオについて思うことは多すぎて、答えるのは本当に難しい。2年前、兄ダリオという、大きなものが帰らぬ人となり、私の中で失われた。それはとても辛いことだ。ダリオは昔から、自転車に乗っても、溶接をやっても、いつもすごかった。私たちは18歳まで同じ部屋で寝て、兄弟で一緒に育った。なのに、私たちが衝突し、仲たがいしたことでダリオは私だけじゃなく、父や母さえも、家族を捨ててしまったのだ。しかし、彼のおかげで自転車の世界に身を置くことになったことにまったく後悔はしていないし、むしろ、私をこの自転車の世界に導いてくれた兄ダリオには感謝しかない」

2020年に61歳になるジャンニは、サン・パトリニャーノの施設の閉鎖が決まった時、年金生活に入ることもできたが、彼自身がまだそれを望まなかったという。

そして生まれたDeAnimaのブランド。その名が意味するアニマ(魂)とは、きっと、自転車とともに生きてきた二人の職人の心の中に宿る魂のことだろう。

Auguri. Vi aspettiamo in Giapopne!(ご盛栄を、日本でお会いしましょう!)

Text: Atsushi Shizumi(Arteicilo)
●アルテチクロのホームページ

ジャンニ・ペゴレッティとその弟子アントニオ・アッタナシオ、二人がこれからペダルを踏んで進む道は、トレントの山々のはるか向こうまで続いている。

東京サイクルデザイン専門学校が伊ビルダーとオンライン授業

東京サイクルデザイン専門学校は、イタリアのハンドメイド自転車ブランド「DeAnima=デアニマ」のジャンニ・ペゴレッティ氏によるオンラインワークショップを開催する。コロナ禍で海外研修の中止を余儀なくされる同校学生が、自転車作りの本場イタリアの名匠の指導が受けられる貴重な機会。外国人を講師に招いたオンラインによる講座の実施は同校で初めての試み。

ジャンニ・ペゴレッティ

Withコロナの新しい時代、予防の観点から感染リスクの少ない通勤や運動のための自転車利用への関心が非常に高まっている。また、海外に目を向ければ今夏は自転車によるツーリング旅行を目的とし た需要の高まりもみせていて、人との接触をなるべく避ける新しいバカンスのスタイルにおいても、同様に自転車に注目が集まっている。

東京サイクルデザイン専門学校は自転車教育に分野をしぼった日本初の専修学校として2012 年に開校した。世界中から高い評価を受けるハンドメイド自転車「CHERUBIM」のフレームビルダー今野真一氏を筆頭に、一流の講師陣が教鞭をとる。

東京サイクルデザイン専門学校

これからの時代にますます重要な役割を果たす乗り物『自転車』の技術や知識、創造について今まで実践できなかった”新しい学び”の場を提供していく。コロナウイルス感染拡大により今年度の海外研修旅行は中止を余儀なくされ、海外の自転車文化を学べる機会を模索していたところ、日本より自転車の歴史や伝統があるイタリアで自転車職人の育成に長く携わってきたペゴレッティ氏に着目し、同氏によるオンラインワークショップの開催にとなった。

ペゴレッティ氏によるワークショップは10月5日を初回とし、計5回開催の予定。

麻薬中毒患者の更生施設で自転車製作を指導

ジャンニ・ペゴレッティ

自転車職人だった兄ダリオ・ペゴレッティが立ち上げた工房を手伝い始めてキャリアをスタート。ジャンニがもたらしたアーティスティックな感性で「ペゴレッティ」は世界有数のブランドに育ち、兄ダリオは最高峰の自転車フレームビルダーと評された。 兄の工房を離れた後はイタリアにある、ヨーロッパ最大の麻薬中毒患者の更生施設で自転車製作を教授。数多くの自転車職人を育成し、院生の更生と社会復帰の後押しをした。 現在は、施設の生徒であった弟子とともに自身のブランド「DeAnima=デアニマ」を立ち上げ、フレームビ ルダー・ペインターとして活躍している。

東京サイクルデザイン専門学校講師・メインアドバイザーを務める今野真一

アルテチクロがコーディネート

アルテチクロの静観篤代表

イタリア語講師・通訳・通訳案内士としての長年の活動を通じて、日本とイタリアの国や人々に貢献することを信条とする静観篤(しずみあつし)氏がコーディネート。イタリアのハンドメイド自転車「BIXXIS( ビクシズ )」の日本国内輸入元としての取り組みを経て、さまざまな自転車工房やその職人たちを応援するイニシアティブ「Arteciclo(アルテチクロ)」の活動を開始。イタリアのつくり手と日本のユーザーが言葉の壁を越えて絆でつながり、二国の懸け橋となることを目指す。

●アルテチクロのホームページ

ミラノの下町ハンドメイド工房DRALIが日本語SNSを開始

イタリアのハンドメイドバイシクルブランドのCICLI DRALI MILANO(チクリ・ドラーリ・ミラノ)は日本のサイクリストに向けてFacebook、Instagram日本語ページをオープンした。フォロワーに抽選で同ブランドのサイクリングキャップが当たるプレゼントキャンペーンを実施する。

アルマーニ? フィアット? ミラノの下町生まれのハンドメイドブランド

CICLI DRALI(チクリ・ドラーリ)はミラノの下町ナヴィリオ・パヴェーゼの地元っ子の間で親しまれる自転車店をルーツとするブランド。

同店の主人ジュゼッペ・ドラーリは1928年生まれの91歳! 9歳から自転車の仕事をやっているというから、80年以上のキャリアはミラノで、いや恐らくイタリアで最もベテランの自転車職人であり、まさにチクリズモの歴史の生き字引といった存在だ。

DRALIはかつて伝説のロードレーサー、ファウスト・コッピのいるBIANCHIにフレームを供給していたベテラン職人のバイクブランド

自転車乗りに限らず、下町のこの界隈では、誰もがペッピーノ(ジュゼッペの愛称)のことをよく知っている。彼の店には、いつも子供からお年寄りまで多くの人が、特に用事があるわけではないのに足を運んでいる。ようするに、地元の人々に愛されるペッピーノ爺さんと、彼が営む自転車店がDRALIだ。

店は父が1925年に開業し、それを手伝っていたジュゼッペが受けついだ。昔からBIANCHIの販売ディーラーをするかたわら、自転車工房として自らの名を冠したバイクフレームの他、下請けとしてもBIANCHIレース部門レパルトコルセにフレームを供給していた。 つまりあの伝説的な名選手ファウスト・コッピも、ドラーリが手がけた自転車に乗って戦った。

BIANCHIと言えば世界最古の自転車メーカーであり、サイクルロードレースの輝かしい歴史に彩られた、ミラノとイタリアが世界に名を馳せる一大メーカーだから、その一翼を担ったドラーリ父子の誇りもそうとうなものだったに違いない。

修業する愛弟子のアレッサンドロさんに仕事のやり方を見せる

最愛の妻との別れ。そして生まれた小さな奇跡

実はジュゼッペさん、数年前に妻に先立たれている。婚約時代を含めると69年間を共に過ごしてきた最愛の妻マリーザとの悲しい別れから、彼ももう店をたたんで引退することを決めていた。もちろん、DRALIの店の長い歴史が途絶えることを、誰も望みはしなかった。

そんな人々の思いが叶えた、ちょっと素敵な物語がある。

2017年11月の夕べ、ジュゼッペさんの店から数十メートル離れたところで、新しいサイクルショップの開店を祝うレセプションパーティが開かれた。まるでブティックのようなモダンなお店は大勢の人であふれている。パーティは盛大に開かれているようだ。そして、人々の真ん中にいるのはあのジュゼッペさん。

そう、この店が彼の新たな職場なのだ。ミラノの下町のマーゴ(魔術師:イタリアでは優れた自転車職人を称えてこう呼ぶ)の遺産は、いかにして守られることになったのか。

店を閉める考えのジュゼッペさんの話題は、DRALIの30年来の常連客のひとりによって、ある3人の男のもとに届く。彼ら3人が有志として名乗りを揚げ、事業を継続することを決め、ジュゼッペが引退しないように説得する。

そして生まれた新しいブランドCICLI DRALI MILANO(チクリ・ドラーリ・ミラノ)。

このチームのキャプテンはもちろんジュゼッペさんだ。

現在の工房ではCICLI DRALI MILANOの将来を担うであろう、若いアレッサンドロが見習い職人として師匠の手ほどきを受けている。彼はジュゼッペさんの職場から自宅への日々の送り迎えも務めているそうだ。


DRALIにはあのジョルジョ・アルマーニとFIATのDNAも

生まれ変わったDRALIの店はモダンなブティックのようだ

CICLI DRALI MILANOの新たな経営陣の3人についても紹介しておこう。ジュゼッペさんからすれば“息子”というよりももう少しだけ若い世代の彼らは、学生時代から付き合いのある仲間同士で、子供のころから「3人で事業を行う」夢を語っていたそうだ。そして現在、DRALIの他にファッションやデザイン、フード部門でも精力的にビジネスを展開している。

中でもDRALIのマーケティングで中心的役割を担うアンドレア・カメラーナさんは、あのジョルジョ・アルマーニを叔父に持ち、自身もファミリー経営で知られるアルマーニ社で役員を務めている(母がアルマーニの妹でアートディレクターとして知られるロザンナ・アルマーニ)。

おまけにこのアルマーニ家のプリンスは、父方はFIAT社創業者アニエッリの一族だという。また彼は過去に、イタリアの有名人気歌手の結婚相手として紹介され話題になるなど、ちょっとしたセレブとして知られている。

「ジュゼッペ・ドラーリはイタリアの自転車の歴史に、わずかながらでも記録を残した貴重な自転車職人です。80年以上という長いキャリアの中で、ファウスト・コッピのような偉大な選手たちと、そのレースの現場を肌で知っている。DRALIという、ミラノにある自転車の歴史と伝統を守るためにも、このプロジェクトを進めることを望みました」とアンドレアさん(彼も生粋のミラノっ子である)。

「私自身もサイクリストで、アルマーニでマーケティングを担当していた時に同ブランドの自転車を企画したこともあります。日本にはこれまで何度も行っています。また日本のエロイカをDRALIで走りたいですね」

マーケティングを担当するアンドレア・カメラーナさん(左)とジャンルカ・ポッツィGM(右)

ジャンルカ・ポッツィさんはビジネス全般を統括する。言わばチームのゼネラルマネジャーだ。彼も、ヨーロッパのヤマハ発動機や日本郵船でマネージャー職を務めるなど、良好な関係を持つ日本のマーケット参入に好意的だ。

「DRALIのような伝統的な自転車ブランドをリニューアルするにあたり、ジュゼッペが長年作り続けてきた名品クロモリラグドフレームの“POKERISSIMA”(ポーケリッシマ)は同ブランドの歴史を語るシンボルと言えるモデルです。これに合わせて、50-70年代ヴィンテージのアパレルラインナップを用意しました。 ウールジャージはもちろん、シューズ、バッグ、リュック、サドルなど。また、新しいDRALIはその歴史と伝統を失うことなく、現代のテクノロジーとうまく融合させることを目指しています。そのため、カーボンフレーム“DARSENA”(ダルセーナ)や、スチール、アルミ製のグラベルバイクもラインナップし、これらは全て、ユーザー個々のジオメトリに合わせてオーダーメイドで製作しています」

イタリアンブランドらしいお洒落なアパレルアイテムが揃う

もうひとりのロベルト・カッラーラさんは、法人であるCICLI DRALI MILANOの財務面を担当している。

「イタリアは本来、アルティジャーノ(職人)の国ですが、残念ながらその文化は失われつつあります。私たちのCICLI DRALIの取り組みは、イタリアの職人による自転車作りの伝統を守る機会にもつながりますから、そのことにも誇りを持っています」

バイクもアクセサリーも、DRALIの製品は全てメイド・イン・イタリー

DRALIのレース部門、レパルトコルセ

DRALIのレース部門、レパルトコルセ

CICLI DRALI MILANOはレース活動にも積極的だ。かつてBIANCHIのフレーム製作や、メカニックとしても貢献したジュゼッペさんのためにレース部門“レパルトコルセ”を設けた。かつてDRALIの店に通って育った自転車少年たちが、現在このチームの選手として走っている。目下、RED HOOT CRITのようなピストバイク専門のレースを主戦場とし戦っている。

レースイベントへのスポンサーシップなども行っているので、遠くない将来にチームドラーリのメンバーが日本で走る姿をお目にかかれるかもしれない。

かつてのDRALIの店は、ジュゼッペさんが妻マリーザと一緒に、何十年も営んできた。新しい店には、たとえ最愛の妻はもういなくても、笑顔のジュゼッペさんがいる。このお笑顔を彼は、人生において常に絶やすことがなかったという。

「自転車では、レースをあきらめた選手はバックポケットのゼッケンをはずしてリタイアするが、わしはアンドレアやジャンルーカたちに背中を押されて、あともう少しペダルを踏んで前に進むことにしたよ」

訛りの強いミラノ方言で話すジュゼッペの瞳はなおも、自転車への情熱で輝いているようだ。

「でも、わしはエルネスト・コルナゴや、ウーゴ・デローザのような偉大な職人じゃないよ」と、控えめに言うこの男は、たとえ身体が小さくても、イタリアのチクリズムにとってかけがえのない大きな存在だと、彼を知る皆がそう思っているだろう。

ミラノの下町の自転車職人のちょっと素敵な物語がこれからも末永く続きますように。

ジュゼッペさん、いつまでもお元気で。

DRALIを手がけるジュゼッペ・ドラーリさんは御年92歳の自転車職人

ドラーリの日本語SNSをフォローするとキャップが当たる

●Cicli Drali Japanのfacebook
●Cicli Drali JapanのInstagram

いずれかのSNSを6月14日までにフォローした人の中から抽選で5人にCICLI DRALIオリジナルサイクルキャップをプレゼント。当選者には発送先住所などをSNSのメッセージで問い合わせ。

CICLI DRALI MILANOに関する日本からの問い合わせ先
arteciclo(アルテチクロ)
TEL 03(6821)1456
mail  info@arteciclo@org
●アルテチクロのホームページ