【ヒマラヤ未踏峰に挑む】Episode 7/ネパール山岳ビジネスの現状と未踏峰遠征で実際にかかった費用

ヒマラヤにある標高6524mの未踏峰プンギに2024年10月12日午後12時09分、日本山岳会学生部の5人全員、井之上巧磨(青山学院大)、尾高涼哉(東京大)、中沢将大(立教大)、横道文哉(立教大)、芦沢太陽(中央大)が初登頂した。ヒマラヤ未踏峰にたどり着くにはいくらかかったのか? ネパール山岳ビジネスの現状と合わせて、横道が報告。

自分たちで切り拓く道。標識もFIXも支点もない雪稜。プンギにて

商業登山ならしたくない…自分らの手で道を切り拓いて登りたい

遠征帰還後にたびたび聞かれることの中で、費用の話がある。私もこの遠征に行くにあたって、両親から「金持ちの道楽」とも言われたりしたものだが、実際にそのように思っている人は少なくないと思う。

たとえば最高峰のエベレストは契約するエージェントやパッケージにもよるが、総費用でだいたい1000万円かかるとも言われており、私も幼い頃に「高いお金を払ってまでも、自分の命を危険に晒すようなことをなぜするのか」と疑問に思うことはあった。今回ヒマラヤ山脈の未踏峰に挑んだ訳であったが、やはりこの話を聞いて「エベレストに登るんだ」という人は非常に多く、「ヒマラヤ山脈≒エベレスト」ではないことを説明することが多かった。

エベレストなどの8000m峰は商業登山がほとんどであることが現状である。商業登山の定義はさまざまではあるが、その名前の通りビジネス化された登山のあり方であり、豪華なガイド登山をイメージすると分かりやすいだろう。テントの設置や食事、FIXロープの設置など全てガイドがやってくれるのである。

確かに登山者本人には山頂まで行く最低限の体力と気概が必要ではあるが、技術面では登攀行為で必要となるような高度な技術を擁していなくても行けるのがポイントである。一昨年お世話になったガイドの方からは「君たちはなにもしなくても、歩けさえすれば※アマダブラムにでも僕が連れていけば登れるよ」とも言われたりするところから、商業登山は私たちがこの間、自分らの手で道を切り拓きながら未踏峰に登る行為と全く異なる種類の登山であると思った。

※アマダブラムは、ネパール東部ヒマラヤ山脈に位置する標高6812mの美しい山で、その特徴的な形状から「ヒマラヤの宝石」と称され、登山家に人気の高い峰です。

ヒマラヤ遠征がネパールに多くの雇用機会を生み出す

ネパールでは主にこのような商業登山を中心にビジネスは回っており、理屈としてはガイド料を筆頭に入山料や小屋泊代、荷物持ちのポーター代など1回の山行にたくさんの雇用機会を生んでいる。アジア最貧国とも呼ばれるネパールは主な産業がなく、国民の半数が海外に出稼ぎに行く中、観光業が国内での大きな利益を生んでいることは明白である。

今回私たちはベースキャンプまで山小屋(通称ロッジ)を経由して行った。4700mのベースキャンプまではガイドの方と進み、その先は自分たちだけで進んだのがいわゆる、先ほど言及した商業登山と大きく異なるところだろう。今回の場合はベースキャンプにガイドとコック、そしてポーターの計3名が駐在しており、一番近い村までプンギから10kmほどあることを考えると、とてもありがたい限りであった。

今回の遠征での予期せぬ出費

我々の今回の隊での予算の誤算として大きかったのが2つ、関税と食費であった。

今回の遠征において装備が非常に重かったことから、事前にネパールに国際郵便で送ることとした。しかし、不幸なことに後日18万円の関税を取られることとなってしまった。その理由としては内容物記載事項において不要なトラブルに巻き込まれまいと正直に新品価格での価値を内容物として30万円ほど記載したからではないかと推測できた。旅の始まりでの18万円の出費は隊の財布に堪えるものがあった。

タメル地区でキャッシングに挑む。ATMによって手数料が違うため、手当たり次第に挑む

外貨への両替も昨今の円安の煽りを受け、手数料を入れると、100ネパールルピーを手に入れるのに125円かかるというような状況。クレジットカードのキャッシングも両替屋とも変わらない手数料での両替だったため、常に為替相場を見ながら円の価値が上がるのをひたすらメンバー全員が祈っていた。結局遠征が終わり、カトマンズに戻ってくる頃には円安は悪化しており、みな頭を抱えて残りの2週間を過ごした。

当たり前であるが、キャラバンが進み、山々の奥に行くほど物価は上がり、OBOGから聞いた数十年前の相場とは大きくかけ離れていた。想定外の出費から、途中からは自分でお湯を沸かし始めるなど、泊めてくれる彼らからしたらとても非経済的な行為をしていたと思う。

ロッジでのダルバート。ロッジごとに味付けが異なる

ネパールの定番料理のダルバート一食の価格が1000ルピー(1200円)と想像の2倍の値段で、1日3食ダルバートだったメンバーも1日1ダルバートにせざるをえない状況にもなった。一方、宿泊費は想定通りで一泊ツインルームで1200ルピーなど非常にリーズナブルであった。聞く話によると、エベレスト街道など外国人登山客の多い山域は値段がより高く設定されているらしく、注意が必要だ。

一方、昨年訪れたロールワリン渓谷は比較的アプローチがしやすいところから物資が多く流入し、物価が比較的安かったのではないかと考えた。山域ごとに価格設定は大きく異なるところから予算にはある程度の幅を持たせるのがいいだろう。

結局いくらかかったか

当初の予算としては、全体で約575万円。1人あたり約115万円であった。寄付金は各大学のOBOG、日本山岳会の会員方、そして日本山岳会海外登山奨励金を含むと340万円近く集まり、1人あたりの負担額はだいたい50万円、プラス新調した個人装備となった。

実際にかかった支出は約590万円で、15万円ほどの超過であり、関税がその大半を占めた。航空券が安く買えたところや、アルファー米など尾西食品から食料の協賛のおかげで少しは相殺することができて、物価の高騰や円安の影響を受けながらも全体で15万円の超過ですんだのは幸運であった。

私は現在、遠征のために新しく購入したダブルブーツの分割払いの返済に追われており、帰国早々アルバイト尽くしの生活を送っている。年末にはその支払いが全部済むので、来年には撮影した映像の整理に入りたいと考えている。

横道文哉の愛用品

Kindle Paperwhite 

1カ月以上電波の繋がらない山行での順応日はとても退屈です。完全防水で重さも200g程度、本や漫画がギガ数にもよるが数千冊保存できる点から、おすすめです。かさばる漫画もこれで何百冊もどこにでも持っていけます。

チャレンジを終えて…横道文哉

この1年半プンギ遠征と就職の2つを大きな目標に日々努力していたところ、両方とも幸運にも成し遂げてしまったため、燃え尽き症候群のような日々を送っています。春から社会人になる身として、山と仕事の両立を目指して、山だけでなく、人生そのものを自分の納得できるものにしたいと思います。目指せチベットの未踏峰。


これまでのバックナンバーは下記PHUNGI 6524特集トップページにもくじがあって確認できます。

ヒマラヤ未踏峰に初登頂した学生プンギ遠征隊が帰国

日本山岳会学生部プンギ遠征隊が2024年11月1日、成田国際空港に到着した。ヒマラヤにある標高6524mの未踏峰「プンギ」を目指し、9月5日に羽田国際空港を出発。10月12日に登頂した。メンバーは、総隊長・井之上巧磨(青山学院大学体育会山岳部)、登攀隊長・尾高涼哉(東京大学運動会スキー山岳部)、装備全般・中沢将大(立教大学体育会山岳部)、渉外・会計・記録・横道文哉(立教大学体育会山岳部)、会計・芦沢太陽(中央大学山岳部)の5人。

成田空港に到着した芦沢太陽、井之上巧磨、横道文哉、中沢将大。取材記者の到着遅れで尾高涼哉はすでに帰路に

アタックの日に見た朝焼けが怖くてきれいだった…横道文哉

「6200mに設営したハイキャンプ(最終キャンプ地点)からいよいよ頂上にアタックする日の朝。そこで見た景色がとても印象に残っています。ヒマラヤ山脈がきれいに遠くまで見えて、朝焼けで少しオレンジがかっていてこの世の景色じゃないみたいで美しかった。ハイキャンプを出発してアタックしたのは2回ですが、登頂を断念して引き返した1回目のほうが強く印象に残っています。とても怖くてきれいな景色でした」

成功の秘訣は間違いなくチームワーク…芦沢太陽

「登頂へのプロセスも困難の連続でしたが、長距離の車移動がネパールでは一番しんどかったです。舗装路じゃないところが多かったので、ガタンガタンと大きく揺れ続けて、吐き気と戦いながら移動しなければいけなかったのがしんどかったです。成功の秘訣は間違いなくチームワークのよさです」

初登頂から戻った夜、ライターの火が灯ったことに感激…中沢将大

「ライターがつかなかったことが一番の思い出です。アタックして登頂を果たし、ハイキャンプに戻った日の夜でした。ライターの火がなかなかつかず、やっと火がついたときは感激しました。日本に無事に帰ってきたことよりもうれしかったです。今はもうすでにネパールが恋しくて」

後輩たちにどんなことをしたのかをしっかりと伝えたい…井之上巧磨

「ネパールの未踏峰遠征において自分自身がいい経験を積めた。自己研鑽ももちろんなんですが、これから大学山岳部に入部してくる後輩たちに、どういうふうに遠征をやったのかを伝えていくのがこれからの任務なのかなと思います。

帰国した現在は次のチャレンジをまだ見据えられていません。ネパールのヒマラヤもよかったんだけど、逆に日本の雪山のよさを再認識することができました。日本の山岳も悪くないなと思うので、国内でまたトレーニングを積んで、そして海外に行きたくなったら真剣に考えてみます」