イタリア語で春という意味の「プリマベーラ」と呼ばれている伝統大会、第114回ミラノ〜サンレモが3月18日に開催され、アルペシン・ドゥクーニンクのマチュー・ファンデルプール(28)=オランダ=が初優勝した。62年前に祖父のレイモン・プリドール(フランス)が勝利した時と同じような独走シーンだった。
最長距離となる300kmは国際ルールの規定を超える
イタリア北部の大都市ミラノから地中海岸のサンレモを目指すレース。距離294kmは国際規定の上限を超えるが、伝統大会として特別に容認されている。しかもミラノのスタート後に非競技区間があって、これを加えると選手は300km超を走る。現在行われている国際大会としてはもちろん最長距離だ。
ミラノを出発したレースは中盤までロンバルディア平原を南下した。144km地点でトルキーノ峠を越え、地中海のリビエラ海岸に突入。この日は東からの風が選手にとってはフォローウインドとなり、メイン集団を加速させた。スタート直後から逃げていた選手を265km地点で吸収して、レースは終盤で振り出しに戻った。
勝負は残り5.5km地点を頂上とするポッジオ・ディ・サンレモに持ち込まれた。UAEエミレーツのタデイ・ポガチャル(スロベニア)がこの上り坂でアタック。これにファンデルプール、ユンボ・ビスマのワウト・ファンアールト(ベルギー)、イネオスグレナディアーズのフィリッポ・ガンナ(イタリア)が反応。4人の先頭集団が形成された。
ファンデルプールが勝負に出たのは頂上手前だ。ここでわずかに2番手以降と差が開いた。危険に満ちた下り坂をクリアすればゴールまでは平坦路だ。
最後の丘で2番手以降にわずかな差をつけたファンデルプール
「下り坂であえてリスクを冒さなかった。もしクラッシュしていたら自分を許すことはできなかったけど、仮に捕まってもゴールスプリントで勝てる」と冷静さを失わなかったファンデルプール。ゴールとなるサンレモのローマ大通りで独走状態に。「特別なレースでの特別な勝利だ」と最後は両手を挙げた。それはまさに祖父のウイニングポーズとそっくりだった。
1週間前に行われた7日間のステージレース、ティレーノ〜アドリアティコでは活躍を期待されながら、いいところがなかった。
「ティレーノ〜アドリアティコで隠れていたわけではなく、ベストな体調ではなかった。そのレース後にチーム全員と素晴らしいトレーニングの週を過ごしたし、彼らは僕のためにミラノ〜サンレモでいい仕事をしてくれた。チームとして今回の勝利を祝いたい」
1961年大会で独走優勝した祖父プリドール。1962年から1976年まで14回ツール・ド・フランスに出場して、総合2位3回、3位5回。ポディウムと呼ばれるパリでの表彰台に8回上っているが、総合優勝できなかっただけでなく首位のマイヨジョーヌを獲得したこともない。
祖父プリドールと同じ勝利に「優勝を誇りに思う」
ツール・ド・フランス最多の5勝を挙げたジャック・アンクティル(フランス)と時代を同じくしてしまったという不運があり、同選手が引退すると同じく最多勝を挙げる怪物エディ・メルクス(ベルギー)が立ちはだかった。新聞では「万年2位」と書かれたが、フランスでは一番人気があった。
そんな祖父が幼児期からレース会場に連れてきたのがファンデルプール。2021ツール・ド・フランスでは6日間にわたってマイヨジョーヌを着用し、そしてこの日プリマベーラを制して肩を並べた。
「勝つのは最も難しいレース。祖父の優勝から62年経った今、ここで優勝したことを誇りに思う」
コメントを投稿するにはログインしてください。