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🇫🇷Tour de France 2019

第17ステージはローマ時代の水道橋、ポンデュガールをスタートする ©Aurélio Rodriguez

全国オススメのサイクリングコース

●しまなみ海道 ●大弛峠 ●伊豆大島 ●2020東京五輪ロード ●上野村 ●霞ヶ浦
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グランツール特集が2019バージョンになりました!
🇮🇹Giro d’Italia
🇫🇷Tour de France
🇪🇸Vuelta a Espana


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🇫🇷Le Tour

【ツール・ド・フランス物語】
ピレネー山麓の鍛冶屋で生まれた伝説

期日区間ステージ地図と高低表
7月6日(土)第1ステージBruxelles > Brussel記者日記関連物語
7月7日(日)第2ステージBruxelles Palais Royal > Brussel Atomium記者日記関連物語
7月8日(月)第3ステージBinche > Épernay記者日記関連物語
7月9日(火)第4ステージReims > Nancy記者日記関連物語
7月10日(水)第5ステージSaint-Dié-des-Vosges > Colmar記者日記関連物語
7月11日(木)第6ステージMulhouse > La Planche des Belles Filles記者日記関連物語
7月12日(金)第7ステージBelfort > Chalon-sur-Saône記者日記関連物語
7月13日(土)第8ステージMâcon > Saint-Étienne記者日記関連物語
7月14日(日)第9ステージSaint-Étienne > Brioude記者日記関連物語
7月15日(月)第10ステージSaint-Flour > Albi記者日記関連物語
7月16日(火)記者日記関連物語
7月17日(水)第11ステージAlbi > Toulouse記者日記関連物語
7月18日(木)第12ステージToulouse > Bagnères-de-Bigorre記者日記関連物語
7月19日(金)第13ステージPau > Pau記者日記関連物語
7月20日(土)第14ステージTarbes > Tourmalet記者日記関連物語
7月21日(日)第15ステージLimoux > Foix記者日記関連物語
7月22日(月)記者日記関連物語
7月23日(火)第16ステージNîmes > Nîmes記者日記関連物語
7月24日(水)第17ステージPont du Gard > Gap記者日記関連物語
7月25日(木)第18ステージEmbrun > Valloire記者日記関連物語
7月26日(金)第19ステージSaint-Jean-de-Maurienne > Tignes記者日記関連物語
7月27日(土)第20ステージAlbertville > Val Thorens記者日記関連物語
7月28日(日)第21ステージRambouillet > Paris Champs-Élysées記者日記関連物語

🇫🇷ツール・ド・フランス関連ニュース一覧

⚫2019ツール・ド・フランスのコース詳細

2018 Tour de France特集サイト

ツール・ド・フランスの全日程を現地で観戦するといくらかかる?

23日間で開催されるツール・ド・フランスを個人的に追いかけたら、いったいいくらかかるのか? よく質問されるのでこれまでの経験をもとに試算してみよう。ホテルのグレードや諸条件によって費用は大きく変わるが、今回は少なくとも安全性とある程度の快適さが担保されるレベルのエコノミーな旅を想定した。

ツール・ド・フランスにツールマレー峠ははずせない © ASO

主な費用は航空券代金、現地の移動手段、宿泊、食事、情報入手やSNSなどで現地報告するための通信費。対ユーロの為替相場は日本人にとってかなり割高感があるが、1ユーロ=135円と想定した。

まずは日本とフランスの往復航空券。悲しいことにツール・ド・フランスが開幕する7月上旬は繁忙期のため航空券代金は高め。燃油サーチャージと空港使用税を含めてエコノミーで18万円近くする。2019年に観戦するなら開幕地はベルギーのブリュッセルとなるので、オランダのアムステルダムかパリに飛んでさらにワンフライト。

最も重要な問題が、現地ではどう移動するか? ツール・ド・フランスはクルマ社会で主な観戦ポイントにアクセスするにはレンタカーがないと難しい。ただしクルマがあったところで、コースに合流する道路はかなり手前から交通規制されるので、徒歩でコースまでたどり着く必要がある。

迂回路がほとんどないアルプスやピレネーの山岳ステージでは、前日あるいは2日ほど前から峠に向かうルートが封鎖されるので、駐車した場所からコースまで数kmを歩くか、封鎖される前に峠に上っておくかという選択を迫られる。ヨーロッパカーなどのレンタカー会社でコンパクトクラスを全日程で借りて15万円。ガソリン8万円、高速道路使用料2万円。

外国人の免税で購入したルノー。帰国時に売却し、その差額はレンタカーと同じくらい

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けさのゆでたまごは我ながら完ぺき。2泊目なのでゆでたまごマシンの性能が把握できている

クルマではなくて鉄道を利用して追いかけることも可能だが、駅からコースに歩いていけるとは限らない。スタートはその町の中心街に設定されることが多いが、ゴールは広大な敷地を備えた郊外の見本市会場や複合スポーツ施設の周辺に設定される。フランス国内の鉄道を使うときは、1カ月の有効期間内に3〜9日がフレキシブルに使えるフランスレイルパスがオトク。料金は9日間使用のもので1等6万円ほど。

宿泊ホテルは大手のネット予約サイトで結構ピンポイントで取れる時代になった。ツール・ド・フランスはアコーやルーブルといったホテルグループを利用することが多いので、選手と同宿できる可能性もある。アコーならノボテル、メルキュール、イビス、F1といったホテルブランド、ルーブルならキリヤード、カンパニールやプルミエクラスだ。部屋代は1万円ほどで、2人で泊まれば折半できる。

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アペリティフでトラピストビール、ハウスワインをメインと一緒に楽しむつもりで、デザートもついて、お会計は30ユーロ

これらのホテルはたいてい駐車場を備えた郊外型なのでクルマがないと利用しにくい。鉄道利用者なら駅近くの個人経営ホテルが便利で、ツール・ド・フランスがやって来る日でも飛び込みで泊まれることもあるので意外と穴場だ。

総額を大きく左右するのが食事。ホテルで朝食を取れば1000円。スタンドカフェでサンドイッチのランチをすれば1500円。庶民的な食堂でムニュと呼ばれる定食でイッパイやれば5000円。ツール・ド・フランスがゴールする町は観光客が殺到するので、大忙しのレストランは「ツール・ド・フランスムニュ」という定食しか出さないところもあるが、経験上これが全然おいしくない。

マクドナルドはフランスで頼もしい味方。タッチパネルで日本語が選べて、カードを差し込んでお会計をしているうちに注文したものができあがっています。結局フランス語で番号をコールされるんですが、なんとかなりますよね。99番なら4かける20たす10たす9です

スーパーで買い出しをすれば出費を抑えられるが、長丁場なので栄養バランスが崩れて体調不良になったりすると思わぬ出費も。スマホでSNSに現地報告をするのは楽しいが、海外パケット通信料は相当高いので、現地の無料Wi-Fi接続などを賢く利用したい。

で、結局いくらかかるかというと単身旅行で100万円。2人だとレンタカーやホテルの部屋代が半額になるので70万円ほど。いずれにしてもいまからお金を貯めないと。

現地観戦してみようという人のために、2018ツール・ド・フランス取材時の観戦ノウハウを紹介した「記者日記」を🇫🇷2018ツール・ド・フランス特集ページに掲載しているのでぜひご覧ください。

🇫🇷ツール・ド・フランスを旅するテクを教えます…取材者日記スタート

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ボクのツール・ド・フランスはマルセイユから始まった

ボクがツール・ド・フランスを初めて取材したのは29年前、1989年のことだ。大会途中での現地入りで、7月14日に空路でパリに入り、そこから高速鉄道でマルセイユに向かった。シャンゼリゼでは革命200周年の祝賀行事が華々しく催されていて、その喧噪を乗り換えの地下鉄駅で耳にした。

2013ツール・ド・フランス第5ステージ。マルセイユにゴールした新城幸也

かつて当コラムで「ボクのツール・ド・フランスはルーアンから始まった」という原稿を書いたが、ごめんなさい。あれはウソです。いや、実際には「定義」の問題で、フリー記者として全日程を単独で初取材したのが1996年のルーアン。初取材したのは冒頭にも記したが1989年のマルセイユなのである。もうこれ以上ハナシを複雑にしたくないが、ツール・ド・フランスを初めて見たのは、自転車専門誌サイクルスポーツの編集部員に配属されたばかりの1988年だ。

ボクのツール・ド・フランスはルーアンから始まった

マルセイユの観光名所であるビューポール(旧港)

話はツール・ド・フランス初取材となる1989年。ボクはジョナサン・ボイヤーという米国人と日本で偶然知り合うことができた。彼は1981年のツール・ド・フランスに米国選手として初出場した元プロ選手だ。フランスの英雄ベルナール・イノーのルノーチームでアシストをこなしながら見事に完走している。映画スター顔負けの端正なマスクを持ち、四肢は女性のトップモデルのように細くて長かった。彼は自分のカッコよさを十分自覚していて、ツール・ド・フランスのスタート地点にテンガロンハットをかぶって登場し、女の子のハートを釘付けにしたと聞く。聞けば出身地のモンタナ州に「ボイヤーインターナショナルエアポート」を所有している大富豪の御曹司だった。

ボイヤーに出会ったのは北関東にある小さな町の内科医院だった。直前のハワイ・アイアンマンで日本勢初の快挙である9位でフィニッシュした宮塚英也を取材するために、栃木県の某所に足を運んだのだ。ボイヤーはすでに現役を引退していたが、その容姿と数カ国語を操れる能力を生かして、オランダの強豪PDMチームの広報に就任していた。

その地方病院の開業医は、人体から血液を一時的に採り出して冷凍保存し、しかるべきときに体内に戻すという医療行為を研究する先駆者だった。ボクがボイヤーに「ツール・ド・フランスに初めて取材に行くんです」と告げると、「ホテルを取るのは困難だから、オレに任せてくれ」と言って再会を誓ってくれた。

マルセイユの街中でのんびりと過ごす人たち

それから半年後、マルセイユで世界最高峰の自転車レースの現場に到着したボクは、その巨大な一大イベントに完全に舞い上がってしまった。そんなときに関係者らしき人が「PDMの広報がお前を探しているよ」と話しかけてきた。必死になってボイヤーを見つけると、「待ってたぜ」とばかりにガッチリとした握手を交わしてくれた。それからというもの、ボクはチームの空き部屋をあてがわれたり、あるいは彼がゴール地点の町をかけずり回って見つけたホテルにありついた。感謝の言葉を伝えると、映画スターばりのニヒルな表情でウインクして見せた。

2年後、PDMは全選手が集団発熱し、ツール・ド・フランスの途中でチーム全員がリタイアした。血液ドーピングの失敗かとうわさされた。ボイヤーの姿を自転車レースの現場で見ることは二度となかったが、6年ほど前にfacebookで発見したので、友だち申請したら受け入れてくれた。彼の書き込みから判断すると、現在はアフリカの未開発国に拠点を定め、その国の自転車ロードレースの発展のために地道な努力をしているという。

あれ以来、ツール・ド・フランスはすでに30年ほど担当しているが、いまでもマルセイユに到着したときのドキドキ感は忘れられない。2013年は第5ステージでマルセイユにゴールした。その日、2km地点で新城幸也とレザのヨーロッパカー勢、ルツェンコ、シカール、ドヘント、ドラプラスがアタックし、6人の第1集団を形成した。この中で3分42秒遅れの新城が総合成績では最も上位で、10km地点では一気に5分05秒差をつけたことで新城がバーチャルマイヨジョーヌ、つまりこのままの状況でゴールすれば総合1位になる存在となった。

マルセイユにゴールした2013ツール・ド・フランス第5ステージ。新城幸也は積極果敢な逃げに乗り、一時はバーチャルマイヨジョーヌの位置に

フランスの実況中継では「グループアラシロ」と紹介されるようになったが、これは当然だ。新城の存在が最も重要だからだ。一緒に逃げているメンバーは実力者ぞろい。ルツェンコはU23の世界チャンピオン、シカールは2009年にジュニアの世界チャンピオンになっている。一緒にゴールを目指そうという意思も統一され、しかも6人という集団は高速巡航を維持できる絶好の数で、一気にその差を開いていく。16km地点で10分30秒、20km地点で11分30秒、37km地点で12分45秒まで開いた。

しかしその後は追撃集団の先頭でオリカ・グリーンエッジが徐々にペースアップを始め、タイム差は少なくなっていく。残り54kmで先頭集団は2つに分断し、先頭には新城、ルツェンコ、ドヘントが残る。新城のチームメートであるレザは、ちぎれたシカールとドラプラスの背後で体力を回復させた後に、一気にスパートして前の3人に追いつく。

こうして先頭はヨーロッパカーの2人、アスタナのルツェンコ、バカンソレイユのドヘントだけになった。しかし残り40kmになって後続集団が本格的に追撃を開始。新城は220km地点でついに捕まり、結果的に優勝争いは大集団のゴール勝負となった。それでも218kmの間、国際映像に映し出された日本ナショナルチャンピオンジャージーは世界中の注目を浴びた。敢闘賞もならなかったが、見果てぬ夢にさらに一歩近づくような快進撃だった。

新城幸也。2013ツール・ド・フランス

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