全体的に天候が荒れ気味の2014年ツール・ド・フランスは、アクシデントに巻き込まれた選手が相次いでレースを去っていった。同じ条件でありながらも、堅実に走り続けた実力者が栄冠のゴールにたどり着いた。総合優勝のビンチェンツォ・ニーバリ(イタリア、アスタナ)もヨーロッパカーの新城幸也も、まさに地に足をつけた自然体のスタイルだった。
第5ステージの石畳区間でニーバリは早くも勝負に出た
ビンチェンツォ・ニーバリ。全21区間のうちマイヨジョーヌを着用したのはなんと19日だ。勝負どころの山岳では1日だけティンコフ・サクソのアルベルト・コンタドール(スペイン)に3秒負けたが、あとはライバルとのタイム差を広げるばかり。気がつけば前年の覇者クリストファー・フルーム(英国、スカイ)、3度目の優勝をねらったコンタドールらのライバルが不意の落車で大きく傷つき、レースを断念してチームカーに乗り込んでしまった。
地元イタリアのリクイガス・キャノンデールに所属していた2年前、ニーバリはジロ・デ・イタリアをパスしてツール・ド・フランスに乗り込んだ。しかしブラッドリー・ウィギンスとそのアシスト役だったフルームに山岳ステージで封じ込まれた。イタリア自転車界の育成システムに乗り頭角を現したニーバリにとっても、かなわぬ敵が君臨することを初めて知る。
その翌年に心機一転。カザフスタンのアスタナに電撃移籍した。現役選手を引退して同チームの監督に就任することになったアレクサンドル・ヴィノクロフが次期エースとしてニーバリ獲得に動いたのだ。カザフスタン選手だけではツール・ド・フランスに勝てないと考えたからだ。
ニーバリの天性に、怨念も含むヴィノクロフの冷静な判断力が加わって飛躍的にレベルアップを遂げたのは周知の事実だ。2013年にジロ・デ・イタリア総合優勝。そしてこのシーズンは連覇のかかるジロ・デ・イタリアをパスしていよいよツール・ド・フランスに照準を合わせて乗り込んできた。
優勝争いのキーとなったのは「北の地獄」と呼ばれる石畳区間を走った第5ステージだった。石畳はレース後半に設定されていたが、前日に右手首を痛めていたフルームが前半の舗装路で2度も落車。手首を骨折してリタイアした。そして石畳区間に入るとニーバリがアシストとともにアタックし、コンタドールに大差をつけた。結果的にはこれがコンタドールにプレッシャーを与えることになり、第10ステージの右足骨折でコンタドールも消えていった。
結果的に総合2位とは7分以上の大差。これは1987年にヤン・ウルリッヒが初優勝したときのタイム差を超える圧勝だったが、全区間でニーバリにブレーキがなかったこと、そしてアスタナチームの総合力が抜群に高かったことが要因だ。
アスタナはすべてのアタックに対して大逃げを容認することがなく、メイン集団の先頭に立ってコントロールした。山岳の上りでもジロ・デ・イタリア優勝経験のあるスカルポーニらがけん引役を務めた。ニーバリは最後の山岳で温存したパワーを発揮するだけでよかった。ニーバリがアタックしても、総合2位ねらいのティボー・ピノ(エフデジュポワンエフエル)やジャンクリストフ・ペロー(AG2Rラモンディアール)のフランス勢は追走しなかった。
29歳にしてグランツールを全制覇したニーバリ。次なる目標は世界選手権。イタリアチームのエースとして6年ぶりのアルカンシエル獲得に挑むという。
世界最高峰のこのレースを代表する選手になった新城
新城幸也は総合65位で、自身が2012年に記録した84位を上回る日本選手の最上位記録を更新。5度の出場ですべて完走。ジロ・デ・イタリアの2回を加えるとグランツール7回出場で全完走という安定感を見せた。
2014年の新城は安心感があったし、実際に休息日に訪ねてみてもこれまで以上にリラックスしていた。初出場となる2009年は集団スタートの初日に区間5位になったことが結果的に重圧となり、精神的に追い詰められた状態での戦いを余儀なくされた。しかし、出場回数を増すごとに新城自身が「一番楽しみにしているレース」というこの大会でどう走ったらいいのかを知ることになる。
この年は、記録の上では派手な数字はないが、23日間を通して存在感を見せつけた。アルプスやピレネーの山岳ステージで一度もグルッペットでゴールしなかったのは、ツール・ド・フランスの走り方を知り尽くしている証拠だ。
安定感のある走りは視野の広さを提供する。そのステージのどこに知り合いのカメラマンがいたか。日の丸を掲げている人がどこで応援してくれたか。すべてがよく見えている。世界最高峰のレースだからとムキにならず、自然体でなにごともなかったかのようにパリ・シャンゼリゼにゴールする。区間勝利はなかったが、その実力は世界レベルに上り詰めた。
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