悪天候でコース短縮の第13Sはルビオがピノを制す…ジロ・デ・イタリア

第106回ジロ・デ・イタリアは悪天候によりクロワ・デ・クール峠の山麓からクランモンタナまでの74.6kmにコース短縮されて第13ステージが行われ、モビスターチームのエイネルアウグスト・ルビオ(コロンビア)がグルパマFDJのティボー・ピノ(フランス)を制して初優勝した。

スイス・アルプスを走る第13ステージ ©Fabio Ferrari/LaPresse

首位のゲラント・トーマス(英国、イネオス・グレナディアーズ)はマリアローザを守った。総合優勝争いをする2位プリモシュ・ログリッチ(スロベニア、ユンボ・ヴィスマ)との差は依然として2秒。

マリアローザのトーマスとそれをマークするログリッチ ©Fabio Ferrari/LaPresse

コロナ罹患というむごい仕打ちのあとに待っていたのは大自然の脅威だった…。選手たちは立ちはだかる幾多の困難を乗り越えてゴールとなる首都ローマまで走り続けてなくてはいけないのか? 第106回ジロ・デ・イタリアは悪天候に見舞われた5月19日、クロワ・デ・クール峠の山麓からクラン・モンタナまでの74.6kmにコース短縮された第13ステージが行われた。

ボルゴフランコ・ディヴレアをスタートし、アルプスの国境を越えてスイスまで走る予定だった第13ステージは大会中盤の大きな勝負どころとされていた。ところが大会最高峰の標高2469mに位置するグランド・サン・ベルナルド峠が想定外の大雪と雪崩の危険性があるとして、主催者は5月16日、本来の峠まで登らずにアルプスを貫通するトンネルを通過するルートに変更することを余儀なくされた。

その時点で距離は当初の207kmから199kmになった。グランド・サン・ベルナルド峠がカットされたことで、特別賞が懸けられる大会最高峰のチマコッピは第19ステージのゴール、トレ・チーメ・ディ・ラヴァレドに変更されることになった。

イタリア側の悪天候により距離が短縮された第13ステージ ©Fabio Ferrari/LaPresse

アルプス山脈のグランド・サン・ベルナルド峠は今大会の注目どころだった。スイスとイタリアの国境にあり、日本の地図帳には「大サンベルナール峠」と表記されたりする。近くのフランス・イタリア国境には「小サンベルナール峠」も存在する。英語読みするとセントバーナードで、峠の修道院で飼われていた遭難救助犬があまりにも有名である。

ジロ・デ・イタリアは2019年も第16ステージのコース一部を悪天候予報によって変更している。標高2618mで、大会の最高峰チマコッピに指定されていたガヴィア峠を迂回したのである。

ジロ・デ・イタリアの山岳ステージはツール・ド・フランスのそれとは違う。バカンス時期の7月に開催されるツール・ド・フランスに対して、ジロ・デ・イタリアが行われる5月はまだまだ夏に遠い。天候が崩れれば標高の高いところは雪が降るのは当たり前だ。

1988年に米国選手として初優勝したアンディ・ハンプステンは女性のようにきゃしゃなボディをした伏兵だったが、雪に見舞われたガヴィア峠で逃げて総合1位に躍り出た。1989年に優勝したフランスのローラン・フィニョンは天気予報をみて翌日の難関区間が雪で中止になることを見込んでいて、その前日に勝負を仕掛けてマリアローザを獲得した。翌日は予想通りに荒天で中止になり、ものの見事に総合優勝を決めたのである。

まさにイタリア北部の修羅場。標高2500m超の山岳で繰り広げられる死闘。選手もそうだが、観客もときに命がけだ。主催者によれば、この悪天候にも関わらず、沿道には熱心なファンが陣取っていたという。

第13ステージはトンネル通過のコースに変更されてスタートすることになったが、さらなる猛威が押し寄せる。とりわけイタリア側の悪天候を考慮してコミッセール団が異常気象プロトコルを適用。さらに距離を短縮して選手の要望に応える決定をした。最終的にクロワ・デ・クール峠の麓に全選手が車両で移動してリスタート。ゴールのグラン・モンタナを目指す事態になった。

ピノ、セペダ、ルビオが抜け出した ©Fabio Ferrari/LaPresse

午後2時59分に135選手がル・シャブルという小さな町をスタート。トレック・セガフレードのマッズ・ピーダスン(デンマーク)だけがスタートしなかった。

悪天候による距離短縮で記憶に残るのは1996ツール・ド・フランスだ。フランス領内からアルプス国境を越えてイタリアのセストリエーレに向かうスタージは、降雪により2度もスタートをやり直した。選手たちはその都度チームカーに乗って冠雪した峠を越え、レースは残り40km地点からやり直した。ここで逃げたのがビャルネ・リース(デンマーク)で、最終的にそのステージで稼ぎ出したタイム差で総合優勝している。

しかし今回はマリアローザのゲラント・トーマス(英国、イネオス・グレナディアーズ)とわずか2秒差で追うユンボ・ヴィスマのプリモシュ・ログリッチ(スロベニア)らの総合優勝争いに影響は与えなかった。動いたのは第6ステージまで山岳賞ジャージを着用していたグルパマFDJのティボー・ピノ(フランス)だ。

ピノがアタックするとモビスターチームのエイネルアウグスト・ルビオ(コロンビア)、EFエデュケーション・イージーポストのジェフェルソン・セペダ(エクアドル)が追従。ピノが何度もアタックするが、2人の南米出身ヒルクライマーを突き放せなかった。セペダがピノに食らいつき、ルビオが最後尾で体力を温存した。

ピノらの逃げグループが最初の山岳で先行したとき、トーマスらのイネオス・グレナディアーズ勢は落ち着いていたという。ベン・スウィフトとパヴェル・シヴァコフがペースを握り、逃げグループとの差をキープした。

「いいペースに乗ることができて、楽に走ることができた。ここからアタックするのは容易ではなかったはずだ」とマリアローザのトーマス。

「ログリッチはおそらく私にあと数日間マリアローザを着させておく作戦だと思う。アタックに出るのは来週だと感じた」

最後の上りで残存させたエネルギー勝負になった3選手。冷静だったのはルビオだ。上りだけでなく切れ味の鋭いラストスパートに自信があり、攻撃する適切な瞬間を確認するために最後の1kmのコース状況をチームカーの監督に聞いていたという。

「ピノとセペダは最強のように感じたので、それを上回るために賢く走ることに徹した」というルビオが最後にピノを制して初優勝した。ピノはステージ優勝できなかったが、第6ステージ以来の山岳賞ジャージを獲得した。

ルビオはUAEツアー第3ステージの山岳ジェベルジャイスに続くプロレース2勝目。U23カテゴリーでは2018年と2019年のU23ジロ・デ・イタリアでステージ2勝を挙げている。

ルビオがピノを置き去りにして第13ステージ優勝 ©Marco Alpozzi/LaPresse

今回のレースではチーム内でアシストとして働き、そして逃げを与えられた大事な日となった。「悪天候で大変だったが、続けなければならなかった」というルビオ。

「とりわけピノがとても強いのは知っていた。彼とフィニッシュまで一緒に行き、戦術的にいいプレーをする必要があった」

2017年からイタリアを拠点として走っているルビオはここで多くのことを学んだ。今大会では総合成績の上位を目指していたが、雨のステージで立ち止まらなければならず、大集団から遅れてタイムを失った。だからこの日はステージ優勝を狙った。

「素晴らしい1日だった。ジロ・デ・イタリアでの初勝利。ステージ優勝できるとは思っていなかったので、実感を持つには時間がかかりそうだ。今後数年間で総合優勝争いできる方法を見つけたいと思う」とルビオ。

総合成績ではトーマスが首位を守り、マリアローザを手放さず。これで4日目のリーダージャージ獲得となり、英国勢としてはマーク・カヴェンディッシュに並んで歴代2位タイ。トップはサイモン・イェーツの13日だ。

「ステージは短縮されたが、結局のところ、いいレースだった」と首位を守ったトーマス。「ゴールへの2番目の登りは厳しかった。グランツールには長いステージが多いが、この日は短くて激しいステージになった。最後の上りは向かい風になって、ライバルの攻撃に備えていたが、誰もアタックしなかった。ログリッチはボクがマリアローザを堅持して喜んでいるだろう」(トーマス)

山岳賞を獲得したピノ ©Marco Alpozzi/LaPresse

●4賞ジャージ
マリアローザ(個人総合成績)ゲラント・トーマス(英国、イネオス・グレナディアーズ)
マリアチクラミーノ(ポイント賞)ジョナサン・ミラン(イタリア、バーレーン・ヴィクトリアス)
マリアアッズーラ(山岳賞)ティボー・ピノ(フランス、グルパマFDJ)
□マリアビアンカ(新人賞)ジョアン・アルメイダ(ポルトガル、UAEチームエミレーツ)

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