ヒマラヤにある標高6524mの未踏峰プンギに挑む日本山岳会学生部。総隊長・井之上巧磨(青山学院大学体育会山岳部)、登攀隊長・尾高涼哉(東京大学運動会スキー山岳部)、装備全般・中沢将大(立教大学体育会山岳部)、渉外・会計・記録・横道文哉(立教大学体育会山岳部)、会計・芦沢太陽(中央大学山岳部)がいよいよネパールのアンナプルナ山域へ。その足跡を各隊員が克明にレポート。今回は中沢将大がコトからファーストアタックまでの苦闘を綴った。
屈強なロバたちに登山道具から食料までベースキャンプに運んでもらう
コト村からはトレッキングが始まりました。4700m地点のベースキャンプまで、休息日を挟みながら10日間ほどの日数をかけて進みます。初日は標高3600mに位置するメタ村まで行きます。まだモンスーンの季節であるため、道中は他のトレッキング観光客はほとんど見受けられません。
メタ村まで来ると、少しずつ遠くに雪峰が見えてきました。メタ村は丘の上に村を作ったようで、そこで生活する人も見受けられます。
メタ村の次は、チャク村です。標高は富士山頂と同じくらいです。この村には草原が広がっており、たくさんのロバが黙々と草を食べ続けています。実はこのロバたちは、私たちの遠征を支えてくれた重要なポーターさんでもあります。高所でも屈強なため、上りでもグイグイと登り、私たちの登山道具や食料などのほとんどの荷物をベースキャンプまで運んでくれました。
時が流れても変わらぬ生活を送る人や集落に衝撃を受ける
その後、3900mのキャン村、そして最後の村であるプーガオンに向かいました。プーガオンまで来ると茶色く荒涼とした風景が広がります。トレッキング街道の一番奥の村でとても静かですが、そこには驚きの景色が広がっていました。散歩のついでに村を見渡せる場所まで上がった時に見えたものは、丘の下に階段状に並んでいる土壁でできた住居と、住居の前のスペースで農業の仕事をしている20〜30人の人々の姿でした。
ここまで来るのに、車の通っているコト村から歩いて最低3日はかかりますが、そんな僻地で自給的な生活が行われていたのです。私たちがいつも過ごしている世界とは全くもって異なる、過去に始まって変わらなかった時の流れの中で、人々が生活を送っている世界がそこにはありました。
ついにプンギに出会う。双眼鏡を手渡しながら目を凝らして見た
また、仏教の色も濃く感じます。村の近くにある丘の上には、タシ・ラカンという立派な寺院がありました。チベット文字が刻まれた石と、小さな仏塔が多く並んでいて、村の人々の信仰において重要な場所であるように感じました。
タシ・ラカンは丘の上に位置しているため、そこからは多くの山々を望むことができますが、私たちがこれから登る「プンギ」を初めて目にしたのもこの場所でした。遠くにあるプンギを、みんなで一つの双眼鏡で代わる代わりに、目を凝らしながら見たことを覚えています。
9月21日。標高4700mに位置するベースキャンプ(BC)に到着しました。その日の夜ご飯はコックさんがカツを出してくださり、持参したうなぎも一緒に食べました。久しぶりの日本食に感動しました。ベースキャンプに滞在している間、ずっと美味しい食事を作ってくださったコックさんには感謝しかありません。
翌日は、エージェントの方々を含め全員で、和やかな雰囲気の中でプジャ(お祈り)を行ないました。途中から雨が降るとても寒い中、30分ほど登山の安全をお祈りしました。
ペースキャンプを発って標高5000mの場所にキャンプ1を設置
9月24日。この日、初めてベースキャンプより上にキャンプを設置しに行きます。いよいよ登山の始まりです。道はなく、まずは手探りでプンギの方向に向かって石がゴロゴロと転がる谷を歩きます。3時間ほど歩くとテントが張れそうな平地があり、綺麗な水も流れていたため、標高5000mのこの場所にキャンプ1(C1)を設置することにしました。プンギに登るための尾根にはまだ達していませんが、山はすぐ近くに見えました。
降雪でC1から退避、雪が落ち着くまでは雪合戦をして待つしかない
いったんBCに戻り、またC1に上がった翌日の26日。この日は標高5250mまで偵察を行いました。テントに戻ってゆっくりしていると、雪が降り始めました。夜通し雪は降り、朝になっても雪が止まないため、一度BCに戻ります。雪は、翌日まで止まず、50〜60cmほど積もってしまいました。
日が上って気温が上がると、キャンプの周りの斜面では岩と混じる雪崩が各方面で起きています。雪の積もった斜面が落ち着くまでは日数を要するため、次のアタック予定日を後ろにずらし、数日間停滞することにしました。停滞日は、みんなじっとすることもできず、雪合戦で盛り上がりました。
巨岩の崩落、雪に押しつぶされたテント…気分は壊滅的
10月1日。斜面がだいぶ落ち着いてきたため、ファーストアタックに向けてC1に向かいました。途中、左側の斜面から岩が崩れ落ちる音が聞こえたかと目を見上げると、軽自動車大の岩が転げ落ちてきました。咄嗟に走り逃げましたが、落ちてきた場所は100mほど先でした。これまで見たこともない大きさの落石だったため、命の危機を感じました。
さらにこの日は災難が続き、C1に到着すると、張っておいたテントが雪で潰されてポールが折れていました。テントの中にあった、荷物も雪が溶けた水で水没していました。これから山頂に向かっていくというのに、早々に気分はめためたにされました。
落ち込んでいても仕方がありません。持ってきてあった修理道具でテントを直し、翌日に向けて備えました。 翌日は、みんなで意見を出し合いながらルートを探り、C2まで向かいました。尾根にのり、標高5500m地点にテントを張ります。私は朝起きると、高所の影響で頭痛と吐き気があり、偵察をみんなに任せることにしました。
あまり体調はよくならず、翌朝は症状を改善するダイアモックス錠を飲み、C2を出発しました。ルートは岩の稜線を選択しましたが、登りやすくて安全なルートはここではなく、稜線下の斜面をトラバースするルートでした。
懸垂下降でルートに復帰できるポイントまで向かうことにしますが、岩がボロボロですぐ崩れてしまいそうな場所であるため、ロープを繋いで慎重に行きます。落ちることが許されない中、なんとかみな無事に通過でき、懸垂下降でルートに復帰します。怖さもありましたが、ハラハラなクライミングをしている感覚が楽しかった気持ちもありました。
南峰まであと少しのところで想定外のクレバス帯
その先は急な雪面が続いています。みんなで交代交代にラッセルを行いましたが、かなり消耗させられました。雪面を乗り上げ、「さあ、南峰まであと少しのところだ」と思っていましたが、目の前に広がっていたのは予想もしていないクレバス帯でした。
時間もかなり押していたため、そこでキャンプを設置し、クレバスの偵察に向かうことにします。クレバスを通過するにはロープを繋ぎ合い、雪が繋がっている箇所を縫うようにして進みますが、今にも崩れてしまいそうな箇所もあります。恐怖を抑えて慎重にロープを伸ばし、なんとか攻略することができました。
いよいよ登頂に向けてアタック…しかし高度順化がうまくいかなかった
10月5日。山頂に向けてアタックします。この日で仕留める必要がありますが、やはり高所順応がうまくいっておらず、思うように体が動きません。積雪は膝下くらいですが、すぐ息が上がってしまうため、時間がとてもかかります。山頂へとつながる稜線に合流しますが、その先はだんだんと細くイヤらしくなっていきます。ロープの支点を作りながら、一人ずつ慎重に行くことにしました。
ロープが足りなかった…ファーストアタックはここで撤退
2ピッチくらいロープを伸ばすと岩峰に差しかかりました。尾高がトップで行きますが、先に行くには下10mほどのギャップを通過しなくてはいけないようです。通過にはロープを新たに設置する必要がありますが、設置に使えるロープは持っていませんでした。その時点で時間も12時過ぎだったため、ファーストアタックはそこで撤退の判断を下し、ロープなどの必要な装備を持って再度挑戦することにしました。
下山もかなり疲労していたため、BCに戻るまでも大変だったことを覚えています。今までの山の人生の中でも最も辛い数日間でした。(Episode 6に続く)
中沢将大の愛用品
「写ルンです」
軽くて、操作がシンプルなため、過酷な環境でもすぐにシャッターを切れます。今回の遠征では、途中で水没してしまいましたが、帰国後になんとか現像することができました。すぐには写真を確認できないですが、現像して写真を確認する時のワクワク感もたまらないです。
チャレンジを終えて…中沢将大
プンギ遠征を終えた今、新たに課せられた挑戦は、「就活」という大きな山を乗り越えること。どっぷり大学人生を山岳部に捧げてきた今、机と向き合ってじっとしていることが大変ですが、カトマンズで買ってきたお香を焚いて、紅茶を飲めば、なんとか頑張れそうです。恋しくてたまらないネパール。就活が終わり次第、戻りたいと思います。
これまでのバックナンバーは下記PHUNGI 6524特集トップページにもくじがあります。
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