ジロ・デ・イタリア、ツール・ド・フランスとともに三大ステージレース、いわゆるグランツールと呼ばれるブエルタ・ア・エスパーニャ。23日間をかけてスペインをおおまかに一周するこのレースは近年、他の2大会以上に注目を集めている。
ジロ・デ・イタリアとツール・ド・フランスが100年以上の歴史を有するのに対し、ブエルタ・ア・エスパーニャは今から80年ほど前の1935年に始まった。2019年が第74回大会となり、途中10年間は開催されなかった。ジロ・デ・イタリアとツール・ド・フランスは二度の世界大戦による中断時期があることで知られるが、ブエルタ・ア・エスパーニャの場合は世界大戦による中断は2年だけ。スペイン内戦とフランコ独裁政権が起因するという特殊な事情がある。
スペイン内戦は1937年に勃発した。ドイツ軍の援護を受けたフランコ独裁政権がスタートし、大会は中断。1941年にようやく第3回が開催されるが、たった2年で第二次世界大戦となり、再開したのは1945年だった。しかし国際的に孤立して開催できない時期が続く。毎年開催されるようになったのはスペインが国際連合に加盟した1955年からだ。
40年近く続いたフランコ政権時代はブエルタ・ア・エスパーニャが国際的に露出されることはなく、1970年代後半になってようやく国際性を持つようになった。第1回以来4月に開催されてきたが、三大ステージレースとしての位置づけをねらって9月開催にスライドしたのは1995年。以来、ジロやツール前に体力を消耗したくなかった有力選手が参加するようになり、大会規模もグンとジロやツールに近づいた。
大会の特徴はスペイン独特の風景の中を走ることだ。もともとスペインは、夏に自転車で走るのはあまりにも暑すぎることから、ピレネー山脈に近いスペイン北部だけが自転車の盛んな地域だった。ただしナショナルステージレースというものはその国を大まかに一周することが前提なので、南部にも足を運ぶようになる。そのため気温の高いアンダルシア地方など殺伐とした陸地を走ることもあるが、独特の白壁に太陽が照りつける村々を走り抜け、非常に美しいシーンを見せてくれる。
かつてはジロ・デ・イタリアよりも山岳の要素が少ないことからスプリンターが多く参戦し、1988年にはアイルランドのシーン・ケリーが総合優勝したこともあった。しかし近年はスペイン勢が得意とする上りを随所に取り込み、非常に厳しいステージが多くなった。
勝負どころはピレネー山脈だけではない。ビスケー湾岸にはカンタブリカ山脈があり、その一角にあるアストゥリアス地方の過疎地には、地元民の生活路として使われていない信じられないほどの厳しい上りがある。さらに南部のシエラネバダ山系は標高3000mを超える山もある。平たんステージと山岳ステージが交互に折り込まれ、選手としてもタフな精神力が要求される。それだけにファンとしては見応えのあるレースなのだ。
そんなスペインの荒涼たる大地を走っていると、たまに真っ黒な雄牛の板が出現する。オスボルネの雄牛というヤツだ。シェリー酒のメーカーなのだが道路脇の広告看板禁止という法律ができて、ロゴなどを消すために真っ黒に塗られたという。
いずれにしてもイタリアやフランスとは異なる景観が楽しめるブエルタ・ア・エスパーニャ。2019年はリーダージャージが深紅の「マイヨロホ」に代わって10年目の節目。だれが最終日のマドリードで着用するのだろうか?
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