【ツール・ド・フランス旅日記 episode15】スペイン村にあのイスがない!

オラ! スペインです。今年のツール・ド・フランスは「100%フランス!」が売り文句なのに、どうしてスペインにいるのかというと、ピレネー最深部の湯治場バニェール・ド・リュションの宿が取れなかったからです。まあ、ホテル代も食事もスペインに行けば安くなるので、確信犯でもありますが。

街全体の景観を統一したスペインのスキーリゾート

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ツール・ド・フランスが世界最高峰の自転車レースになった理由

そういったことでスペインのビエラに2連泊。どうしてスペインの人って観光産業従事者でもスペイン語しか話さないんでしょうかね。外国に来たような気分です。ポケトークが重宝します。ホテルのフロント係も翻訳アプリを普通に使うので、スペイン人ってこれまで以上に外国語を学ぼうとしないと確信しています。

2012年のスペイン・ビエラ
2016年のスペイン・ビエラ
2025年、あるはずのイスがない

ビエラに行ってショックなことが! あそこにイスがありません! 2012年に初めて見つけて、4年後に行ったら同じ場所にイスがあったのに。コロナ禍を過ごしていますからね。もしかしたら見逃したので、明日の朝も探しに行ってこようと思います。

かつてブザンソンのホテルにネコがいて、数年後に隣のホテルに泊まったので「いるかな?」とのぞいてみたらそのネコがいました。海外に顔見知りのネコがいるってカッコよくありませんか? でも数年後にブザンソンに行っても姿がなく、さみしい思いもしました。

石造りの家が落ち着いて見える

1903年に始まったツール・ド・フランスが世界最高峰の自転車レースになった決定打は、1910年の第8回大会にピレネーの4つの峠、ペイルスールド、アスパン、オービスク、ツールマレーをコースに加えたことです。その当時、自転車で2000mの峠を走るなんてだれも考えたことがなかったからです。シマノも創業してませんからね。

今回、一番西に位置するオービスク峠は通過しませんが、第14ステージはツールマレー、アスパン、ペイルスールドを越えるコース。そしてポーをスタートしてシュペルバニェールにゴールするのは、1986年にマイヨジョーヌを着るイノーにチームメートのレモンが4分以上の差をつけてステージ優勝したところです。まさにこの日はボクのために用意してくれたんですね。

2012年に宿泊したホテル。よくこんなところにたどり着いたなあ

国境越えのマイカー通勤でホテルに帰ります

昨日はプレスセンターから峠を越えてリュションに出て、もうひとつ国境の峠を越えればホテルでしたが、ボクと対面する下山の車両が大渋滞で、ボクが上るべき車線を10万台くらいのサイクリストが逆走してきて、さすがにここで正面衝突したら話にならないなと、100kmの迂回路で一部高速道路を使ってスペイン入り。これもツール・ド・フランスです。

今日は国境越えのマイカー通勤なのでスペインのホテルに戻るだけ。関係車両はみんな北に向かうのでおそらく渋滞なしです。レストランでスペイン料理ですかね。

バニェール・ド・リュションのプレスセンターはカジノだ

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