【ツール・ド・フランス現場雑感】かれこれ30年目。選手とともにパリのゴールを目指す

兄弟対決は弟アダムが兄サイモンを制し、総合成績で首位に

第110回ツール・ド・フランスは大会初日の7月1日、スペインのビルバオを発着とする距離182kmの第1ステージが行われ、UAEエミレーツのアダム・イェーツ(英国)が初優勝。2020年の4日間に続いて首位に立ち、マイヨジョーヌを獲得した。

アダム・イェーツがマイヨジョーヌを獲得 ©A.S.O. Pauline Ballet

この日は残り7.5kmから双子のイェーツ兄弟が抜け出し、ジェイコ・アルウラーの兄サイモンを弟アダムが制した。アダムは2016年新人王。サイモンは2019年のツール・ド・フランスで区間2勝している。

2023ツール・ド・フランス第1ステージ ©A.S.O. Charly Lopez

このまま行っていいか、無線で確認して兄と走った

「エースのポガチャルを牽引する動きをしていたら兄と2人になってしまった」というアダム。兄弟はチームが異なるが仲がよく、アダムは無線で監督に2人でゴールを目指していいのかを確認。双子の一騎打ちを制した。

「ボクはあくまでもポガチャルのアシスト。これからも仕事をこなすよ」とアダム。

バスクの旗が打ち振られる ©A.S.O. Pauline Ballet

●4賞ジャージ
マイヨジョーヌ(個人総合成績)アダム・イェーツ(英国、UAEエミレーツ)
マイヨベール(ポイント賞)アダム・イェーツ(英国、UAEエミレーツ)
マイヨブラン・アポワルージュ(山岳賞)ニールソン・ポーレス(米国、EFエデュケーション・イージーポスト)
□マイヨブラン(新人賞)タデイ・ポガチャル(スロベニア、UAEエミレーツ)

アダム・イェーツが区間3位のポガチャルと抱き合う ©A.S.O. Pauline Ballet

iPhoneのシャッター音が欧州対応となり、いつものように自動で消える

ツール・ド・フランスの全日程を単独で回ったのは1997年が最初。コロナ禍で現地入りを断念した2020年と2021年を除いて、現場取材はそれ以前10年間の自転車雑誌時代を含め30回以上になります。

車両ステッカーはブルー・ピンクで、広告キャラバン隊を1日に1回限定で追い抜いていいという権利がある

若いころはどんな挑戦が待っているんだろうとワクワク感しかありませんでしたが、いまはどんなアクシデントに遭遇するのかと心配しかありません。2023年は大移動がないので関係者としては難しくないルートだというのに。

とりあえずストレスをお金で回避すべく、往路のアムステルダム行きは追加料金8万円でビジネスクラスに昇格。フライトの30時間前から席に空きがあれば、わずかなプラス料金で快適な座席に移ることができるんです。

出発30時間前にアップグレードできたビジネスクラス

今回はアムステルダムを経由して、その日のうちにフランスのボルドーへ。外国人特権でフランス車を免税で購入できるシステムの陸送受け取り場所がボルドーくらいしかないからです。

トランジットのアムステルダムのハイネケン330ml缶が1000円することをチラ見しました。物価高騰と円安のダブルパンチは目をつむるしかありません。不注意でホテルをダブルブックするとかミスで無駄金を払うなどのことがなければ、必要な出費はもう仕方ないと考えるようにしています。ビールが必要な出費なのかはわかりませんが…。

あ、iPhoneのシャッター音が欧州対応となり、いつものように自動で消えました。

アムステルダムからフランス入りする飛行機が遅れて、ボルドー空港に到着したのは日本時間としてはすでに日にちが変わっていました。しかしこれは想定できたので、出国ロビーから歩いて行けて、24時間フロント対応のホテルに現地時間で午前1時着。

渡欧初日はベッドに横になれる瞬間がたまらないですが、今回は180度フルフラットのビジネスクラスで来てしまったので、それほどの感激がなく、バタンキューとはいかず。そして3時間ほど深く眠ると、さすがに日本時間としてはお昼となってしまったので寝ていられず午前5時から朝ごはん。大きな空港の近くのホテルは早朝に旅立つ人も多いですからね。

今回の取材の相棒はシトロエンC3エアクロス。実に操作性がよく時速130kmでも不安なく運転できる

そしてボルドーから自分名義の新車、シトロエンC3エアクロスを受け取って、陸路スペインへ。高速道路は全エリアで無料Wifiが利用できます。そして大会公式オランジーナで水分補給。フリースを着込まないと寒いです。

日本を離れた翌日には、ようやくツール・ド・フランスの現地入り。まずは米国の女性カメラマン、ベスに10年ぶりに遭遇。そして「あらー、髪の毛が随分グレーになったわね」との言葉をもらい、久しぶりとなる関係者にもごあいさつ。

この日から2日間はビルバオから20kmほど離れたムンギアという町の宿を確保していました。宿泊予約サイトのホテルドットコムから「この夜は祭りがあって騒音で眠れないから、キャンセルをおすすめします」というメールが来ていたのは知っていましたが、他ホテルを探すのも面倒なので読み飛ばしたままでした。

まだ日が暮れていないのにホテル前は大騒ぎだ

で、ホテルを訪ねるとスペイン語しか話せない主人と翻訳ソフトでのやり取りとなりました。

「眠れないからと、予約サイトに頼んでメッセージを英語で送ったのに」
「ボクの部屋はないの?」
「あるけど…、とにかく朝7時まで眠れないと思う」
「大丈夫。窓を占めるから」

と、なんとかキーをもらいました。この町に到着したのは午後5時前後ですが、すでに始まった祭りは凄まじいことに。男たちがホテル1階のバーで楽器とともに合唱し、隣の広場に集まった若い女性たちが音楽に合わせて深夜から合唱する。

ホテルの部屋から見た深夜3時の喧騒。普段は公共駐車場だがこの日は会場となった

それが朝7時まで続くんです。どんな体力をしているんでしょう。喧騒は壁や床を突き抜けて耳まで届く。バスク人の合唱をなめてはいけないと後悔するばかりでした。

ホテル近くに駐車場がないので、地面に水たまりのある未舗装地にクルマを停めておいたら、見事に泥だらけ。新車なのにカンベンしてください。そしてステッカーを盗まれたので、ゴールのペルマナンスに行ってもらわないと。こういのは経験値でカバーでき、あまり動揺しません。無駄に歳は取っていないですからね。

新車なのにカンベンしてください

いやはやの初日。無事にパリまでたどり着けるのでしょうか?

第2ステージにすすむ

🇫🇷ツール・ド・フランス2023特集サイト

料理の五輪で唯一の、最年少25歳でフランスチームを率いた女性シェフ

世界最高峰の料理コンクール「ボキューズ・ドール」(Bocuse d’Or)でフランスチームを率いたナイス・ピロレ(Naïs Pirollet)が来日。これからの料理界を牽引するシェフとして、いま最も注目される存在だ。

フランスチームのキャプテンを任されたナイス・ピロレシェフ

「ボキューズ・ドール国際料理コンクール」は世界で一番長く三ツ星に輝き続け、現代フランス料理の生みの親でもあるポール・ボキューズ氏の呼びかけに世界各国で活躍する多くのシェフが賛同し、1987年に創設された。「料理のオリンピック」とも言われる大会は、24カ国の代表シェフが出場し、2年に一度フランスで開催される。

リヨンのSIRHA(シラ国際外食産業見本市)の開催中に同会場で行われ、2023年は1月23日に開催された。その結果は強豪国デンマークが金賞を受賞。前大会の優勝国フランスは5位だったが、参加24カ国の中、唯一の女性キャプテンで、かつ最年少となる25歳のピロレに注目が集まった。

25歳のナイス・ピロレ ©ヴァレ・ド・ラ・ガストロノミー

フランスが優勝した2021年、ピロレはダビ・ティソ(Davy Tissot)キャプテンが率いるチームの一員として参加している。ティソとともにレシピの研究開発を担当した。

ナイス・ピロレが作るピスタチオ入りソーセージ、赤ワインソース。リヨンとブルゴーニュの特色を合わせた一品 ©ヴァレ・ド・ラ・ガストロノミー
多様なフランスワインは楽しみしかない ©ヴァレ・ド・ラ・ガストロノミー

「ユニークでやりがいのある経験は、自分自身の冒険に乗り出したいと思わせるものでした」と回想する。

シェフの中の最年少シェフ、しかも史上初の女性キャプテン

ピロレは2021年11月にランスで開催されたボキューズ・ドールフランス予選で、300点差をつけて優勝。この結果、2022年3月にブダペストで開催されるボキューズドールヨーロッパ大会にフランス代表として出場する資格が得られ、チームは2023年1月22日と23日にリヨンで開催される決勝への切符を獲得した。

食の都リヨンにはおいしいものがいっぱいある ©ヴァレ・ド・ラ・ガストロノミー

ボキューズ・ドール決勝戦のステージテーマは、アンコウのほか、野菜の付け合わせ2品と、この地域の象徴的なマメ科植物とムール貝をベースにした付け合わせ1品を別々に調理すること。結果は5位だったが、ピロレの将来性は脚光を浴びた。

世界で最も星を獲得した女性シェフ、アンヌソフィー・ピックの料理哲学を体験 ©ヴァレ・ド・ラ・ガストロノミー

フランスのブリアンソン出身。ピロレは2017年にポール・ボキューズ研究所で料理芸術部を卒業した後、パリでミシュランの星を獲得したシェフ、デビッド・トゥタンのもとで副料理長としてキャリアをスタートさせた。2020年の初めに、アンスティチュ・ポール・ボキューズのミシュラン1つ星研修レストランであるセゾンのチームに加わる。

ルレ・ベルナール・ロワゾ― ©ヴァレ・ド・ラ・ガストロノミー

セゾンは、チームに学生が所属するフランスで唯一のミシュランの星を獲得したレストラン。その後、フランスのボキューズ・ドールチームに加わり、世界選考会でティソキャプテンに同行。フランスに金賞をもたらせた立役者となった。 24歳で学校を首席卒業したピロレは、料理コンクール史上初のフランス代表女性キャプテンに。料理の世界における女性の才能の評価と職業の変革に向けた重要な一歩となった。現在、国際調理芸術管理学士号を取得する学生の50%が女性だ。

ワインテイスティングトラック ©ヴァレ・ド・ラ・ガストロノミー

大野均がフランス観光親善大使に…W杯フランス大会を盛り上げる

元ラグビー日本代表の大野均氏が2023年度フランス観光親善大使に就任した。2023年はラグビーのワールドカップがフランスで開催されるが、その事前プロモーションとして大野氏が起用され、日本戦の会場となる開催地を精力的に回っていた。

大野均さん

フランス観光親善大使のタイトルは2000年、フランス観光開発機構の前身であるフランス政府観光局が創設し、フランスに縁のある著名人の個人的な視点からフランスの魅力を発信してもらうことを目的にこれまで46人が任命されている。

フランスは2023年にラグビーワールドカップ、2024年にオリンピック・パラリンピック競技大会と二つの国際スポーツイベントの開催を控えることから、スポーツを観光プロモーションの主テーマに据え、スポーツ関連の著名人を観光親善大使として任命することを決定した。

大野均さんとフィリップ・セトン駐日フランス大使

任命されたのは元ラグビー日本代表で、現在は東芝ブレイブルーパス東京のアンバサダーを務める大野氏。大野氏は三度のワールドカップ出場と、国際試合98回の出場記録から、選手時代に遠征や合宿でルアーブル、ボルドー、リヨン、トゥールーズなどフランス各地に滞在した経験を持つ。

また2022年には、フランス観光開発機構が実施したラグビーワールドカップ2023年大会の開催地域への視察旅行(トゥールーズを含むオクシタニー地方、ニースを含むプロバンス・アルプ・コートダジュール地方、ナント)に参加し、さまざまなメディアを通じて滞在地の魅力を発信した。

フレデリック・マゼンク在日フランス観光開発機構代表、大野均さん、フィリップ・セトン駐日フランス大使

ワールドカップイヤーとなる2023年、フランス観光開発機構は大野氏を「2023年度フランス観光親善大使」に任命し、観光立国フランスの広報活動へさらなる協力を依頼した。


2023年5月31日にフランス大使館で行われた任命式では、フィリップ・セトン駐日フランス大使、カロリーヌ・ルブシェ フランス観光開発機構総裁が署名する任命状が、セトン大使より大野氏へ手渡されました。

アイアンマン世界選手権の男子がハワイではなくニース開催へ

米国のハワイ島カイルアコナ周辺でスイム・自転車・ランの3競技を連続でこなす鉄人レースとして始まったアイアンマンは、シリーズ最高峰のワールドチャンピオンシップレースをフランスのニースで男子、ハワイで女子を開催することを発表した。

ニースのプロムナード・デザングレ ©Atout France/Jean François Tripelon−Jarry

アイアンマンがついに発祥のハワイからフランスに飛び出した

アイアンマンはスイム3.8km、自転車180.2km、ラン42.2kmを連続して行う競技。世界の各地でシリーズ戦が行われ、その大会で出場権利を得た選手らが発祥地ハワイに集結してワールドチャンピオンシップを行うことが定着した。

2022年は初めて男女別に独自の開催日が設定され、ハワイ島で行われた。そして2023年は男子が9月10日にフランスのニースで、女子が10月14日にハワイでと別日程・別会場で開催される。2024年は男女の開催地が逆になり、このローテーションは2026年まで継続する。

2024ツール・ド・フランスは最終日がパリではなくニースにゴールする ©A.S.O. Fabien Boukla

ニースはコート・ダジュールと呼ばれる地中海沿岸の観光都市で、1982年に初めてトライアスロン大会を開催し、欧州での同スポーツのイニシアチブを取ってきた。

2024ツール・ド・フランスはニースでフィナーレ。パリに最終ゴールしないわけは…

2024年に開催される第111回ツール・ド・フランスが大会史上初めてパリあるいはその近郊に最終ゴールせず、地中海沿岸のニースに到着することが2022年12月1日に発表された。しかも35年ぶりに最終ステージがタイムトライアルとなり、最終日の逆転劇もありうる設定となった。

パリ〜ニース最終日のプロムナード・デザングレ ©A.S.O. Fabien Boukla

ツール・ド・フランスのファイナルデスティネーションは常にパリだった

ツール・ド・フランスのフィナーレといえば首都パリのシャンゼリゼ大通り。ここを完全封鎖してサーキットとする一大スペクタクルなシーンだ。世界で最も美しいと言われるシャンゼリゼにツール・ド・フランスの選手たちが凱旋するようになったのは最近のことで、じつは1975年からだ。

2023ツール・ド・フランスの最終ゴールはニース ©Philippe_Viglietti

1903年の第1回大会はこのイベントに対する評価がまだ得られなかったことがあり、パリには入城できなかった。ポルトと呼ばれる城門の外に位置するビルダブレーにゴールするのが精いっぱいだったようだ。

最終日はニースのプロムナード・デザングレで個人タイムトライアルが行われる ©Atout France/Jean François Tripelon−Jarry

その翌年から1966年まではパリ16区のパルク・デ・プランスに。当初は自転車競技場だった施設だが、現在はサッカープロチームのPSGが拠点とするサッカースタジアムとなっている。そして1967年から1974年までは、ブローニュの森とはパリ中心地をはさんで反対にあるバンセンヌの森にゴールした。

1975年からようやくシャンゼリゼがゴールとなり、2013年の100回記念大会からは、それまでエトワール凱旋門前で折り返していたコースを変更し、凱旋門を大回りするコースに変更された。

2019年には、その年の4月に火災で大きな被害を受けたノートルダム大聖堂があるセーヌ川の中洲、シテ島を走った。パリの象徴であり、火災によって多くの市民が涙を流して悲しんだ大聖堂をツール・ド・フランスが見舞ったのである。

2019年に片側の尖塔が火災で崩壊したパリのノートルダム大聖堂も修復が進んだ

あの因縁の最終日大逆転ドラマから35年ぶりに封印が解かれる

2024年のツール・ド・フランスのコースはまだ発表されていないが、後述する理由で通常よりも1週間早い6月29日に開幕すると想定されている。一方、今回の発表で、最終日は7月21日となることが明らかになり、史上初めてニースにゴールする。最終日前日はニース近郊の山々を走る山岳ステージで、最終日がニースの目抜き通り、パリならシャンゼリゼに相当する「プロムナード・デザングレ」で個人タイムトライアルが行われる。

ニース凱旋の記者発表会が12月1日に行われ、ニースのクリスティアン・エストロージ市長らが登壇 ©Philippe Viglietti

ツール・ド・フランスが個人タイムトライアルを最終日に行うのは1989年以来35年ぶり。フランス革命200周年を祝う大会はまさかの最終日、50秒遅れの総合2位につけていた米国のグレッグ・レモンが当時はトライアスリートしか使用していなかったDHバーを駆使して激走。首位に立っていたフランスのローラン・フィニョンを総合成績で大逆転。史上最僅差となる8秒で総合優勝を遂げた。

その時のフランス人のショックははかり知れず、以来ツール・ド・フランスが最終日に個人タイムトライアルを設定することはなく、パリ・シャンゼリゼは総合優勝者の凱旋パレードという位置づけでフィナーレを迎え続けていた。

2024パリ五輪はほとんどの競技が市内で開催される ©Philippe Millereau / KMSP / DPPI

5日後にパリ五輪が開幕するのがニースになった原因

ツール・ド・フランスは常にパリに凱旋する。110年も続いたこの伝統を2024年に打ち消すのには明確なわけが存在する。ツール・ド・フランスが終了して5日後の7月26日金曜日にパリ五輪が開幕するからである。

パリ五輪開幕のわずか数日前となれば、すでにシャンゼリゼ通りを封鎖する物流上の問題があり、五輪組織委員会から要請によって運営面で条件付けられた。その解決策としてツール・ド・フランス主催者A.S.O.は話題性醸成とともにニース凱旋を英断したのである。

五輪の慣例で自転車男子ロードレースは競技初日の7月27日に開催予定。セーヌ川にかかるエッフェル塔横のエトナ橋が発着となり、シャンゼリゼもコースの一部になる。このあたりの注目度の重複も回避した。

一方のニースの思わく。紺碧に輝くコートダジュールの観光地は2020ツール・ド・フランスの開幕地として世界中にその魅力を発信するはずだった。しかし新型コロナウイルス感染拡大により異例の大会順延・秋開催。そしてスタートやゴールに観客を入れないという感染防止対策を余儀なくされた。今回は再び観光大国フランスの重要なリゾート拠点であることをアピールする狙いがある。

●ツール・ド・フランスの詳細ページ

ポーリーヌ・フェランプレボがMTB世界選手権で二冠獲得

フランスのポーリーヌ・フェランプレボがUCI MTB世界選手権のダブルタイトルを獲得した。フランスのレジェで8月26日に行われたクロスカントリー・ショートトラック(XCC)と同28日のクロスカントリー・オリンピック(XCO)を制した。

クロスカントリー・オリンピック(XCO)の世界チャンピオンとなり、アルカンシエルを着用したフェランプレボ ©Bartek Wolinski / Red Bull Content Pool

UCI MTB世界選手権でXCCとXCOのダブルタイトル獲得は史上初

XCOは2015、2019、2020年に続く4勝目、XCCは初タイトル。また同選手は2014年に世界選手権ロード、2015年に世界選手権シクロクロスでも優勝。さらに同選手は世界選手権だけでも、ミックスリレーで2014、2015、2016年、MTBマラソンで2019年に世界タイトルを獲得している。

フェランプレボはまず8月26日のクロスカントリー・ショートトラックで優勝した ©Bartek Wolinski / Red Bull Content Pool

30歳となったフェランプレボが円熟の時を迎えた。ショートトラックで圧勝して初タイトルを獲得したフェランプレボは、2日後のXCOレースに自信に満ちあふれた姿で登場。新たな歴史を作り、これまで以上の栄冠を集めて今回の世界選手権を完遂しようと試みた。

フェランプレボは完璧なスタートを切り、最初の上りですでにリードを奪った。1周目の終わりまでに後続との差を20秒以上に伸ばした。

クロスカントリー・ショートトラックを走るフェランプレボ ©Bartek Wolinski / Red Bull Content Pool

同じフランス選手のロアナ・ルコントは独走を始めたフェランプレボを追いかけたが、すぐにスイスのジョランダ・ネフや米国のエース、ヘイリー・バッテンとともにトップ3を争う戦いに巻き込まれた。

3選手はプッシュを続けたが、輝かしいキャリアで4度目のエリートXCO世界選手権で優勝したフェランプレボに近づくことができなかった。

ネフは最終ラップで懸命にプッシュして2位を確保し、バッテンはルコントを抜いて3位の位置を獲得した。

8月28日のXCOで独走するフェランプレボ ©Bartek Wolinski / Red Bull Content Pool

上り坂で速く走るためにリヤサスなしのMTBで賭けに出た

「超ハードなレースだった。ハードテイルバイクでスタートするという選択をしたのは、上り坂で速く走れると分かっていたから。少しリスクが高かったけど、最初から全力を出して2位以下に差をつけにいった。勝ったことは夢のよう。今夜は大きなパーティーになると思う」

クロスカントリー・オリンピック(XCO)でフェランプレボが独走勝利 ©Bartek Wolinski / Red Bull Content Pool
2019年8月のワールドカップスイス大会XCOで優勝したフェランプレボ ©Bartek Wolinski / Red Bull Content Pool