新城幸也がツール・ド・台湾で総合優勝…2秒差で逃げ切る

新城幸也が3月11日から5日間の日程で開催されていたツール・ド・台湾で総合優勝した。新城がステージレースで総合優勝したのは、2012年にフランスのリモージュ近郊で開催されたツール・デュ・リムザン以来6年ぶり。プロチームの所属はバーレーン・メリダだが、今回は日本ナショナルチームのエースとして参戦。第1ステージで区間優勝した岡本隼(愛三レーシング)、小野寺玲、鈴木龍、雨澤毅明(以上宇都宮ブリッツェン)、佐野淳哉(マトリックス・パワータグ)とともに戦った。

ツール・ド・台湾で総合成績のリーダージャージを獲得した新城幸也

新城は第3ステージで先頭集団に加わり、この日終わって2秒遅れの総合2位に浮上。第4ステージで区間3位になった新城がボーナスタイム4秒を獲得して、2位に2秒差をつけての首位に。ベテランの佐野は体調不良により第3ステージでリタイアしてしまったが、最終日の第5ステージも若手のアシストで新城の総合トップを守り抜いた。

「経験のある新城と若手メンバーによるベストなチームワークで成功を収めることにより、ナショナルチームの意義と活動する価値を大きく高めた。2018年世界選手権ロード男子エリートの3人枠獲得のためにも非常に意味のある結果」と浅田顕監督。

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別府史之がアジア選手権ロードで2位…新城幸也5位、畑中勇介16位、小野寺玲26位

ミャンマー・ネピドーで開催されている第38回アジア自転車競技選手権、第25回アジア・ジュニア自転車競技選手権はロード競技の最終日となる2月12日、男子エリート(176km)が行われ、UAEのミルザアルハマディがゴール勝負で別府史之(トレック・セガフレード)を制して優勝。3位はイランのメヒディ・ソフラビ。

アジア選手権エリート男子ロード。ゴール勝負で別府史之が2着 ©Kenji NAKAMURA/JCF

アジア選手権エリート男子ロードはスタート ©Kenji NAKAMURA/JCF

新城幸也(バーレーン・メリダ)は5位、畑中勇介(チーム右京)は16位、小野寺玲(宇都宮ブリッツェン)は26位。

アジア選手権エリート男子ロードの日本代表。左から別府史之、新城幸也、小野寺玲、畑中勇介 ©Kenji NAKAMURA/JCF
アジア選手権エリート男子ロードの小野寺玲 ©Kenji NAKAMURA/JCF
アジア選手権エリート男子ロードを走る別府史之 ©Kenji NAKAMURA/JCF
アジア選手権エリート男子ロードの畑中勇介(手前)と別府史之 ©Kenji NAKAMURA/JCF
アジア選手権エリート男子ロードの別府史之 ©Kenji NAKAMURA/JCF
アジア選手権エリート男子ロード ©Kenji NAKAMURA/JCF
アジア選手権エリート男子ロードの新城幸也 ©Kenji NAKAMURA/JCF
アジア選手権エリート男子ロードの新城幸也 ©Kenji NAKAMURA/JCF
アジア選手権エリート男子ロードの小野寺玲 ©Kenji NAKAMURA/JCF
アジア選手権エリート男子ロードの畑中勇介 ©Kenji NAKAMURA/JCF
アジア選手権エリート男子ロードの別府史之(中央手前)。その向こうに新城幸也 ©Kenji NAKAMURA/JCF
アジア選手権エリート男子ロードで2位になった別府史之(左) ©Kenji NAKAMURA/JCF

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【Column】ボクのツール・ド・フランスはマルセイユから始まった

ボクがツール・ド・フランスを初めて取材したのは29年前、1989年のことだ。大会途中での現地入りで、7月14日に空路でパリに入り、そこから高速鉄道でマルセイユに向かった。シャンゼリゼでは革命200周年の祝賀行事が華々しく催されていて、その喧噪を乗り換えの地下鉄駅で耳にした。

2013ツール・ド・フランス第5ステージ。マルセイユにゴールした新城幸也

かつて当コラムで「ボクのツール・ド・フランスはルーアンから始まった」という原稿を書いたが、ごめんなさい。あれはウソです。いや、実際には「定義」の問題で、フリー記者として全日程を単独で初取材したのが1996年のルーアン。初取材したのは冒頭にも記したが1989年のマルセイユなのである。もうこれ以上ハナシを複雑にしたくないが、ツール・ド・フランスを初めて見たのは、自転車専門誌サイクルスポーツの編集部員に配属されたばかりの1988年だ。

ボクのツール・ド・フランスはルーアンから始まった

マルセイユの観光名所であるビューポール(旧港)

話はツール・ド・フランス初取材となる1989年。ボクはジョナサン・ボイヤーという米国人と日本で偶然知り合うことができた。彼は1981年のツール・ド・フランスに米国選手として初出場した元プロ選手だ。フランスの英雄ベルナール・イノーのルノーチームでアシストをこなしながら見事に完走している。映画スター顔負けの端正なマスクを持ち、四肢は女性のトップモデルのように細くて長かった。彼は自分のカッコよさを十分自覚していて、ツール・ド・フランスのスタート地点にテンガロンハットをかぶって登場し、女の子のハートを釘付けにしたと聞く。聞けば出身地のモンタナ州に「ボイヤーインターナショナルエアポート」を所有している大富豪の御曹司だった。

ボイヤーに出会ったのは北関東にある小さな町の内科医院だった。直前のハワイ・アイアンマンで日本勢初の快挙である9位でフィニッシュした宮塚英也を取材するために、栃木県の某所に足を運んだのだ。ボイヤーはすでに現役を引退していたが、その容姿と数カ国語を操れる能力を生かして、オランダの強豪PDMチームの広報に就任していた。

その地方病院の開業医は、人体から血液を一時的に採り出して冷凍保存し、しかるべきときに体内に戻すという医療行為を研究する先駆者だった。ボクがボイヤーに「ツール・ド・フランスに初めて取材に行くんです」と告げると、「ホテルを取るのは困難だから、オレに任せてくれ」と言って再会を誓ってくれた。

マルセイユの街中でのんびりと過ごす人たち

それから半年後、マルセイユで世界最高峰の自転車レースの現場に到着したボクは、その巨大な一大イベントに完全に舞い上がってしまった。そんなときに関係者らしき人が「PDMの広報がお前を探しているよ」と話しかけてきた。必死になってボイヤーを見つけると、「待ってたぜ」とばかりにガッチリとした握手を交わしてくれた。それからというもの、ボクはチームの空き部屋をあてがわれたり、あるいは彼がゴール地点の町をかけずり回って見つけたホテルにありついた。感謝の言葉を伝えると、映画スターばりのニヒルな表情でウインクして見せた。

2年後、PDMは全選手が集団発熱し、ツール・ド・フランスの途中でチーム全員がリタイアした。血液ドーピングの失敗かとうわさされた。ボイヤーの姿を自転車レースの現場で見ることは二度となかったが、6年ほど前にfacebookで発見したので、友だち申請したら受け入れてくれた。彼の書き込みから判断すると、現在はアフリカの未開発国に拠点を定め、その国の自転車ロードレースの発展のために地道な努力をしているという。

あれ以来、ツール・ド・フランスはすでに30年ほど担当しているが、いまでもマルセイユに到着したときのドキドキ感は忘れられない。2013年は第5ステージでマルセイユにゴールした。その日、2km地点で新城幸也とレザのヨーロッパカー勢、ルツェンコ、シカール、ドヘント、ドラプラスがアタックし、6人の第1集団を形成した。この中で3分42秒遅れの新城が総合成績では最も上位で、10km地点では一気に5分05秒差をつけたことで新城がバーチャルマイヨジョーヌ、つまりこのままの状況でゴールすれば総合1位になる存在となった。

マルセイユにゴールした2013ツール・ド・フランス第5ステージ。新城幸也は積極果敢な逃げに乗り、一時はバーチャルマイヨジョーヌの位置に

フランスの実況中継では「グループアラシロ」と紹介されるようになったが、これは当然だ。新城の存在が最も重要だからだ。一緒に逃げているメンバーは実力者ぞろい。ルツェンコはU23の世界チャンピオン、シカールは2009年にジュニアの世界チャンピオンになっている。一緒にゴールを目指そうという意思も統一され、しかも6人という集団は高速巡航を維持できる絶好の数で、一気にその差を開いていく。16km地点で10分30秒、20km地点で11分30秒、37km地点で12分45秒まで開いた。

しかしその後は追撃集団の先頭でオリカ・グリーンエッジが徐々にペースアップを始め、タイム差は少なくなっていく。残り54kmで先頭集団は2つに分断し、先頭には新城、ルツェンコ、ドヘントが残る。新城のチームメートであるレザは、ちぎれたシカールとドラプラスの背後で体力を回復させた後に、一気にスパートして前の3人に追いつく。

こうして先頭はヨーロッパカーの2人、アスタナのルツェンコ、バカンソレイユのドヘントだけになった。しかし残り40kmになって後続集団が本格的に追撃を開始。新城は220km地点でついに捕まり、結果的に優勝争いは大集団のゴール勝負となった。それでも218kmの間、国際映像に映し出された日本ナショナルチャンピオンジャージーは世界中の注目を浴びた。敢闘賞もならなかったが、見果てぬ夢にさらに一歩近づくような快進撃だった。

新城幸也。2013ツール・ド・フランス

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