ミラノの下町ハンドメイド工房DRALIが日本語SNSを開始

イタリアのハンドメイドバイシクルブランドのCICLI DRALI MILANO(チクリ・ドラーリ・ミラノ)は日本のサイクリストに向けてFacebook、Instagram日本語ページをオープンした。フォロワーに抽選で同ブランドのサイクリングキャップが当たるプレゼントキャンペーンを実施する。

アルマーニ? フィアット? ミラノの下町生まれのハンドメイドブランド

CICLI DRALI(チクリ・ドラーリ)はミラノの下町ナヴィリオ・パヴェーゼの地元っ子の間で親しまれる自転車店をルーツとするブランド。

同店の主人ジュゼッペ・ドラーリは1928年生まれの91歳! 9歳から自転車の仕事をやっているというから、80年以上のキャリアはミラノで、いや恐らくイタリアで最もベテランの自転車職人であり、まさにチクリズモの歴史の生き字引といった存在だ。

DRALIはかつて伝説のロードレーサー、ファウスト・コッピのいるBIANCHIにフレームを供給していたベテラン職人のバイクブランド

自転車乗りに限らず、下町のこの界隈では、誰もがペッピーノ(ジュゼッペの愛称)のことをよく知っている。彼の店には、いつも子供からお年寄りまで多くの人が、特に用事があるわけではないのに足を運んでいる。ようするに、地元の人々に愛されるペッピーノ爺さんと、彼が営む自転車店がDRALIだ。

店は父が1925年に開業し、それを手伝っていたジュゼッペが受けついだ。昔からBIANCHIの販売ディーラーをするかたわら、自転車工房として自らの名を冠したバイクフレームの他、下請けとしてもBIANCHIレース部門レパルトコルセにフレームを供給していた。 つまりあの伝説的な名選手ファウスト・コッピも、ドラーリが手がけた自転車に乗って戦った。

BIANCHIと言えば世界最古の自転車メーカーであり、サイクルロードレースの輝かしい歴史に彩られた、ミラノとイタリアが世界に名を馳せる一大メーカーだから、その一翼を担ったドラーリ父子の誇りもそうとうなものだったに違いない。

修業する愛弟子のアレッサンドロさんに仕事のやり方を見せる

最愛の妻との別れ。そして生まれた小さな奇跡

実はジュゼッペさん、数年前に妻に先立たれている。婚約時代を含めると69年間を共に過ごしてきた最愛の妻マリーザとの悲しい別れから、彼ももう店をたたんで引退することを決めていた。もちろん、DRALIの店の長い歴史が途絶えることを、誰も望みはしなかった。

そんな人々の思いが叶えた、ちょっと素敵な物語がある。

2017年11月の夕べ、ジュゼッペさんの店から数十メートル離れたところで、新しいサイクルショップの開店を祝うレセプションパーティが開かれた。まるでブティックのようなモダンなお店は大勢の人であふれている。パーティは盛大に開かれているようだ。そして、人々の真ん中にいるのはあのジュゼッペさん。

そう、この店が彼の新たな職場なのだ。ミラノの下町のマーゴ(魔術師:イタリアでは優れた自転車職人を称えてこう呼ぶ)の遺産は、いかにして守られることになったのか。

店を閉める考えのジュゼッペさんの話題は、DRALIの30年来の常連客のひとりによって、ある3人の男のもとに届く。彼ら3人が有志として名乗りを揚げ、事業を継続することを決め、ジュゼッペが引退しないように説得する。

そして生まれた新しいブランドCICLI DRALI MILANO(チクリ・ドラーリ・ミラノ)。

このチームのキャプテンはもちろんジュゼッペさんだ。

現在の工房ではCICLI DRALI MILANOの将来を担うであろう、若いアレッサンドロが見習い職人として師匠の手ほどきを受けている。彼はジュゼッペさんの職場から自宅への日々の送り迎えも務めているそうだ。


DRALIにはあのジョルジョ・アルマーニとFIATのDNAも

生まれ変わったDRALIの店はモダンなブティックのようだ

CICLI DRALI MILANOの新たな経営陣の3人についても紹介しておこう。ジュゼッペさんからすれば“息子”というよりももう少しだけ若い世代の彼らは、学生時代から付き合いのある仲間同士で、子供のころから「3人で事業を行う」夢を語っていたそうだ。そして現在、DRALIの他にファッションやデザイン、フード部門でも精力的にビジネスを展開している。

中でもDRALIのマーケティングで中心的役割を担うアンドレア・カメラーナさんは、あのジョルジョ・アルマーニを叔父に持ち、自身もファミリー経営で知られるアルマーニ社で役員を務めている(母がアルマーニの妹でアートディレクターとして知られるロザンナ・アルマーニ)。

おまけにこのアルマーニ家のプリンスは、父方はFIAT社創業者アニエッリの一族だという。また彼は過去に、イタリアの有名人気歌手の結婚相手として紹介され話題になるなど、ちょっとしたセレブとして知られている。

「ジュゼッペ・ドラーリはイタリアの自転車の歴史に、わずかながらでも記録を残した貴重な自転車職人です。80年以上という長いキャリアの中で、ファウスト・コッピのような偉大な選手たちと、そのレースの現場を肌で知っている。DRALIという、ミラノにある自転車の歴史と伝統を守るためにも、このプロジェクトを進めることを望みました」とアンドレアさん(彼も生粋のミラノっ子である)。

「私自身もサイクリストで、アルマーニでマーケティングを担当していた時に同ブランドの自転車を企画したこともあります。日本にはこれまで何度も行っています。また日本のエロイカをDRALIで走りたいですね」

マーケティングを担当するアンドレア・カメラーナさん(左)とジャンルカ・ポッツィGM(右)

ジャンルカ・ポッツィさんはビジネス全般を統括する。言わばチームのゼネラルマネジャーだ。彼も、ヨーロッパのヤマハ発動機や日本郵船でマネージャー職を務めるなど、良好な関係を持つ日本のマーケット参入に好意的だ。

「DRALIのような伝統的な自転車ブランドをリニューアルするにあたり、ジュゼッペが長年作り続けてきた名品クロモリラグドフレームの“POKERISSIMA”(ポーケリッシマ)は同ブランドの歴史を語るシンボルと言えるモデルです。これに合わせて、50-70年代ヴィンテージのアパレルラインナップを用意しました。 ウールジャージはもちろん、シューズ、バッグ、リュック、サドルなど。また、新しいDRALIはその歴史と伝統を失うことなく、現代のテクノロジーとうまく融合させることを目指しています。そのため、カーボンフレーム“DARSENA”(ダルセーナ)や、スチール、アルミ製のグラベルバイクもラインナップし、これらは全て、ユーザー個々のジオメトリに合わせてオーダーメイドで製作しています」

イタリアンブランドらしいお洒落なアパレルアイテムが揃う

もうひとりのロベルト・カッラーラさんは、法人であるCICLI DRALI MILANOの財務面を担当している。

「イタリアは本来、アルティジャーノ(職人)の国ですが、残念ながらその文化は失われつつあります。私たちのCICLI DRALIの取り組みは、イタリアの職人による自転車作りの伝統を守る機会にもつながりますから、そのことにも誇りを持っています」

バイクもアクセサリーも、DRALIの製品は全てメイド・イン・イタリー

DRALIのレース部門、レパルトコルセ

DRALIのレース部門、レパルトコルセ

CICLI DRALI MILANOはレース活動にも積極的だ。かつてBIANCHIのフレーム製作や、メカニックとしても貢献したジュゼッペさんのためにレース部門“レパルトコルセ”を設けた。かつてDRALIの店に通って育った自転車少年たちが、現在このチームの選手として走っている。目下、RED HOOT CRITのようなピストバイク専門のレースを主戦場とし戦っている。

レースイベントへのスポンサーシップなども行っているので、遠くない将来にチームドラーリのメンバーが日本で走る姿をお目にかかれるかもしれない。

かつてのDRALIの店は、ジュゼッペさんが妻マリーザと一緒に、何十年も営んできた。新しい店には、たとえ最愛の妻はもういなくても、笑顔のジュゼッペさんがいる。このお笑顔を彼は、人生において常に絶やすことがなかったという。

「自転車では、レースをあきらめた選手はバックポケットのゼッケンをはずしてリタイアするが、わしはアンドレアやジャンルーカたちに背中を押されて、あともう少しペダルを踏んで前に進むことにしたよ」

訛りの強いミラノ方言で話すジュゼッペの瞳はなおも、自転車への情熱で輝いているようだ。

「でも、わしはエルネスト・コルナゴや、ウーゴ・デローザのような偉大な職人じゃないよ」と、控えめに言うこの男は、たとえ身体が小さくても、イタリアのチクリズムにとってかけがえのない大きな存在だと、彼を知る皆がそう思っているだろう。

ミラノの下町の自転車職人のちょっと素敵な物語がこれからも末永く続きますように。

ジュゼッペさん、いつまでもお元気で。

DRALIを手がけるジュゼッペ・ドラーリさんは御年92歳の自転車職人

ドラーリの日本語SNSをフォローするとキャップが当たる

●Cicli Drali Japanのfacebook
●Cicli Drali JapanのInstagram

いずれかのSNSを6月14日までにフォローした人の中から抽選で5人にCICLI DRALIオリジナルサイクルキャップをプレゼント。当選者には発送先住所などをSNSのメッセージで問い合わせ。

CICLI DRALI MILANOに関する日本からの問い合わせ先
arteciclo(アルテチクロ)
TEL 03(6821)1456
mail  info@arteciclo@org
●アルテチクロのホームページ

外出制限下の自転車職人ティツィアーノ・ズッロが日本にメッセージ

イタリアでは新型コロナウイルス流行拡大が都市封鎖、移動・外出制限がなおも続いているが、ハンドメイドバイシクル工房・自転車職人を応援するartecicloや、ZULLOのビルダーTiziano Zullo(ティツィアーノ・ズッロ)が日本にあてたメッセージを公開した。

ZULLO代表ティツィアーノ・ズッロ氏

ZULLOは1980年代から90年代にかけて、トップカテゴリーを戦うオランダの強豪プロサイクリングチームTVMにバイクを供給していたことで知られ、ティツィアーノ・ズッロ氏はイタリア・ハンドメイドバイシクル界の大御所ビルダーの一人。

オランダのTVMがツール・ド・フランスに使用したブランド

ロード選手でもあった同氏は1973年、21歳でフレーム作りを始める。TVMにバイクを供給していた最盛期の工房は10人の職人と、年間数千台のフレーム生産規模を有し、ヴェローナを代表する自転車メーカーであったが、“手を汚す仕事をする”職人に戻ることを決意。以降、現在までハンドメイドでユーザー一人ひとりの要望に応える小規模な工房として活動している。

ZULLOのバイクで1991ツール・ド・フランスのステージで勝利を挙げるTVMのロブ・ハーメリング

フレームは塗装も工房で自ら行っており、ティツィアーノ・ズッロはペインターとしても卓越した腕前を誇っている。TVMチームのサプライヤー時代から採用している、燃えさかる炎のような “ジャッロ・ラディカ”が代表作のひとつで、その卓越した技巧は見るものを魅了する。これ以外にも、すべてがオリジナルデザインをオーダーできるZULLOのフレームはアーティスティックで美しく、イタリアンハンドメイドらしい魅力にあふれている。

また、自転車好きの間でその名を知られる安田マサテル氏(アトリエ・キノピオ代表)がイタリア時代にこの工房に長年身を置き、帰国後も同ブランドのインポーターとして活動していることから、日本国内でもファンが多い。日本を含むアジアマーケット向けのZULLO製品は現在、安田氏が塗装を担当している。

工房のあるヴェローナの歴史地区。 円形劇場アレーナや、ロミオとジュリエットの舞台となったことで人気の観光地

ZULLOの工房は北イタリアのヴェネト州ヴェローナ県にある。ヴェローナは「ロミオとジュリエット」の物語の舞台として有名な一大観光地だが、工房はヴェローナの歴史的中心部から少し離れ、イタリア最大の美しい湖ラーゴ・ディ・ガルダのほとりカステルヌォーヴォ・デル・ガルダの町にある。ここは、新型コロナウイルス感染流行で最も甚大な被害を受けているベルガモ県との県境にもほど近い。

ズッロ氏は2014年に来日したこともあり、日本のサイクリストとも親交を深め、日本からZULLOの工房を訪問する人も少なくない。新型コロナウイルス禍という大きな荒波の中にある同氏が、日本のサイクリストのためにメッセージを寄せてくれた。

親愛なる日本のサイクリストのみなさんへ

私はティツィアーノ・ズッロ。ロードバイクのフレーム職人を、かれこれ40年やっています。

ガルダ湖に近いカステルヌォーボ・デル・ガルダの町にある私の小さな工房には、毎年、海外、もちろん日本からも多くの人が訪れてくれます。みなさんが知る、この工房でかつて私のよきパートナーだった日本人のマソ(現アトリエ・キノピオ代表安田マサテル氏)と知り合ったのは2004年でした。ある日、彼から電話がかかってきて「近くの駅まで来ているので工房を見学させてほしい」というのです。 

迎えに行くように妻に頼んだら「そんな、会ったこともない人を見つけられるかしら?」と言ってきた。「駅で唯一の日本人を見つけたら、きっとそいつだよ!!」って答えたんだ。それから彼は私のところで修業をはじめ、7年間ともに働きました。主にグラフィックデザインを担当し、世界中のサイクルショーに参加しました。

ズッロ氏に師事する安田マサテル氏。7年間、師匠と二人三脚でZULLOを再び世界で脚光を浴びるブランドとして復活させた

ちなみに「マソ」のあだ名の生みの親は実は私の妻なんだ。工房の物置きで寝泊まりしていた彼に長くて覚えにくい名前はいらないと「マソ」と呼びはじめ、それからはイタリア人みんなが「マソ」と呼ぶようになりました。

マソとの長いコラボはとても意味のあるものだった。日本の文化や伝統も彼を通じて知ることができました。毎年夏には日本人サイクリストがここに遊びにきてくれます。

ZULLOの工房

2014年に私は初めて日本を訪れました。ヴェローナからローマへのフライト、続いてローマから大阪という長旅でしたが、マソの両親にお会いし、京都観光を楽しむことができました。もちろん、長野県上伊那郡のマソと妻の総子さんが暮らす素敵な家(アトリエ・キノピオ)にも行ったよ。東京では観光の他にも、準備してくれたパーティで多くのサイクリストやショップ関係者と親交を深めました。イタリアとはまったく異なる国、日本での滞在を大いに楽しんだことは、私のとてもいい思い出です。

マソコンを前に自宅で仕事をするズッロ氏。イタリアにおける移動・外出規制は5月3日まで続く予定

コロナ禍で材料が滞ってフレームづくりができない

現在、イタリアではロックダウンがまだ続き、外出が制限されています。家から出られるのは商店での生活必需品の買い物か、薬局に行くときに限られます。

私のような小規模事業者の多くは活動していますが、材料や部品の供給が停まっているため、厳しい状況であることにはかわりません。サプライチェーンが影響を受け、みんな生産活動の停止を余儀なくされています。例えば、今朝も、ボトムブラケットをねじ切りして準備したかったのですが、材料がなく、製造元に問い合わせたところ、なんと彼らも在庫を切らしているのです!! 同様にドロップアウト(エンド)も、材料がないため製作できません。

現在オーダーを受けて製作中のフレームのいくつかは、特殊なカラーがリクエストされており、塗料メーカーが休業しているために塗料が手に入らず、ペイントすることができません。白、黒、赤、グレー、ブルーといった定番色ならストックがあるのですが。

飛行機での輸送にも大きな影響が出ています。イタリア発の多くの国行きのフライトがキャンセルされたため、でき上がったフレームの発送もままならない状況です。

今は、妻と庭仕事をしたりして毎日を過ごしていますが、大好きなバイクフレーム作りの仕事に一日も早く復帰したいです。

今のようなイタリアの姿は本当にこれまで経験したことがありません。正直に言って悲しいし、気分が落ち込みます。

自転車職人の仕事が私の情熱です。工房に行き、そこでただ単にものづくりをするだけでなく、新しい素材や、細部へのこだわりなど、なにか新しいことに取り組む。そんな毎日に私は幸せを見い出し、感謝していました。

イタリアから遠く離れた日本は氏にとって全てが新鮮だった

日本の状況はいかがですか? みなさんも5月上旬まで緊急事態宣言下ですが、外出は禁止されていないそうですね。自転車に乗っている日本のサイクリストたちの写真を見ました。とはいえ、世界の経済が危険にさらされた今、日本のみなさんも辛く苦しいトンネルの中にいるのではと想像します。

視点変えて将来を見すえる。そして自然に敬意を

新型コロナウイルスの流行が終息後の社会は大きく変わり、消費にも影響が出て、これまでのようにはものが売れなくなるでしょう。

先日、スウェーデンの顧客が写真を送ってくれました。彼のバイクは私が1985年に作ったものです。彼のように、多くのサイクリストが1980年代のZULLOのバイクを今でも愛用してくれています。

自転車に限らず、靴や衣服などあらゆる製品に言えますが、これから人々は長く愛用できる高品質の製品をより求めるようになるのだろうと考えています。数は少なくても質の高いものを所有する、それが、これからの時代に合った暮らし方でしょう。

お店にあふれるように並んだ商品が、間もないうちにバーゲン価格で売りさばかれ、せっかく買った製品が1カ月後には3割引きで手に入るようなことは、間違っていると私はいつも思っています。

これからは、視点変えて将来を見すえる。そして自然に敬意を払いましょう。

今回、このように日本のみなさんに話しができ、うれしく思っています。

平穏な日々が戻ったら、再び日本を訪れたいと思っています。マソにまた世話になります。今度はゆっくり時間を取って、できれば自転車で日本の美しい自然を満喫したいですね。

いずれイタリア、あるいは日本でまたお会いできることを楽しみにしています。それまで皆さん、どうかお元気で。ティツィアーノ・ズッロ

憧れの客船クルーズ…ゴージャスでリッチな船旅は意外と安価

イタリアの客船クルーズ会社、コスタクルーズは、2019年4月29日(月)にコスタベネチアの日本初入港を記念して、初入港セレモニーCOSTA VENEZIA MAIDEN CALLを実施した。コスタベネチアは総トン数13万5500トン、全長323m、客室数2116室、最大乗客定員5260人。東京港に入港した客船として過去最大級となる巨大クルーズ船となった。

イタリアから53日かけて処女航海を行い、東京にやって来たコスタベネチア

コスタベネチアは、2019年3月にイタリアにて建造されたコスタクルーズ最大のクルーズ船で、2019年3月8日(金)にイタリアのトリエステを出港したのち、“マルコ・ポーロの足跡”をイメージした東回りのクルーズを53日間かけ、4月29日に東京の大井ふ頭に入港した。

イタリアが楽しめるコスタベネチア

3フロア吹き抜けのラウンジ。朝7時から深夜まで飲むことだってできる
テアトルではベネチアのダンサーが華やかなショーを演じてくれる

イタリアのトリエステを出発して日本へ向かう航路は、13世紀に中央アジアや中国を旅し「東方見聞録」を口述したベニスの商人マルコ・ポーロの旅をイメージした53日間だった。アドリア海のドブロブニクやバーリ、エーゲ海の島々など地中海を進み、スエズ運河の通航、ヨルダンやオマーン、ドバイやアブダビなど中東の景色、そしてインド、スリランカ、マレーシア、シンガポール、そしてタイ、ベトナムなど東南アジア各地を通った。香港、台湾を経て東京へ到着した。

コスタクルーズ社として初めてアジア市場向けに建造された「コスタベネチア」では、船内のデザインテーマを“ベネチア”とし、イタリアの豊かな食、アート、音楽、エンターテインメントなどを通して、五感でベネチアの雰囲気を感じられるようになっている。

複数のプールやサンデッキがある

「アジア市場向けに特別に設計された船舶であるコスタベネチアは、コスタクルーズだけでなくイタリアの造船会社であるフィンカンティエリ、そしてアジアのクルーズ業界全体にとって新たな章の幕開けを告げるもの」と、コスタグループ・アジアのマリオ・ザネッティ社長。
「コンセプトから引き渡しまで、コスタベネチアはそのすべてがアジアのお客さまを念頭に計画された。お客さまのニーズによりよい形で応えるためにコスタベネチアはコスタクルーズの特徴である本場イタリアの体験を引き続きご提供していきたい」

ちなみにコスタベネチア乗船のお値段は

フロアは16階まであるが、13階が欠番なので15階建てということになる

最長53日間の旅程は3つのセクションに分けることも可能だった。イタリア~東京の52泊53日のプランだけでなく、ドバイ~東京の33泊34日、シンガポール~東京の16泊17日のプランの3つから選択できた。すでに航海は終了しているが参考までに、52泊53日のプランは75万3800円~278万5800円、33泊34日プランでは53万3800円~182万4800円、16泊17日プランでは25万6800円~88万2800円。

料金の安いほうは内側クラシックと呼ばれる窓のないキャビンを2人で使用したときの1人料金。船内のさまざまなアクティビティを楽しんで、キャビンには寝るために戻るという人にはリーズナブル。船窓から大海原をながめたいという人にはわずかに高い料金の窓付きキャビンがいい。最も高いのはスイートだ。チケットはBEST1クルーズ、クラブツーリズム、Cruise Planet、JTB、JTB旅物語各社で申し込めるものだった。

全長323.6m、全幅37.2m。高さは80.45mあってレインボーブリッジをくぐれないので大井ふ頭に着岸した

旅程が長いだけにかなり貯金しないと支払いきれない額にはなるが、最安値のキャビンで1日単価は1万4000円ほど。朝・昼・晩の食事は「インクルード」で、込みの金額設定だ。メインダイニングから和洋中華などの専門店もあり、メニュー表で「有料」という表示がなければチケット代金に含まれる。アルコール類は原則的に有料となるが、ドリンクパッケージも設定されることがあるので、賢い価格設定を探してみるのも楽しい。

東京港始まって以来の大型船舶なので、普段は荷下ろしに使用する大井ふ頭の施設が入国ゲートとなった
キャビン数は2116室、最大乗客定員は5260人

29日午前8時に東京に到着したコスタベネチア。それまでの乗船客を降ろすと、「台湾・鹿児島クルーズ7泊8日」の乗船者を迎え、18時には出港していった。10連休の期間ともあってクルーズは完売だった。

コスタベネチアとは

随所に居心地がよさそうなソファが置かれている

コスタベネチアは総トン数13万5500トン、客室数2116室、最大乗客定員5260人の大型客船。船内はベニスの街をイメージしたデザインとなり、乗客は食べ物、アート、音楽、エンターテインメントなど五感でベニスの街を旅する気分が楽しめる。ベニスの有名な祭り「ベニスのカーニバル」も船上に再現、乗客も参加できる。

東京湾がエーゲ海のように感じる!
すべての店舗は免税なので、出港して30分経過するとオープンするようだ
三度の食事はクルーズ代金に含まれるが、いくつかある特別のレストランやオーダーは別料金
カジノもある。写真は VIPルーム

■コスタクルーズとは
コスタクルーズはおよそ70年の歴史を誇り、アジアへ最も早く参入したクルーズ会社の一つで、イタリア船籍15隻の客船が、世界中の300におよぶ寄港地に就航している。陽気なおもてなしや多彩な美食、「海の上のイタリア」を体現する楽しいイタリアンスタイルの船旅をお届けしている。

メインのレストラン。中央に置かれるゴンドラは本場ベネチアから持ってきたものだ
海に面してテラスがあるスタンダードなツインキャビン
とても落ち着いたキャビン

●コスタクルーズ ジャパン公式Home Page

コスタベネチアの日本初寄港を祝して国土交通省や東京都港湾局、駐日イタリア大使らが乾杯

マルコ・ファヴァロさんが自転車と自動車が共存できる道路づくりをトーク

2018第4回自転車活用研究会の公開セミナーとして、イタリアのマルコ・ファヴァロさんが「日本の道路が本当に狭いのか〜イタリアの道路づくりを見ながら、自転車と自動車の共存を考える」と題したトークセミナーを開催。2018年8月29日(水)にライフクリエーションスペースOVE南青山で行われ、残席は少ないが一般参加できる。

マルコ・ファヴァロさん

「日本の道路は交通量が多く、狭い。ドライバーも安全距離を保たず自転車の前に割り込む。日本人はマナーがいいと聞きますが、ドライバーは逆? このような声をヴィンテージサイクリングイベント、エロイカ・ジャパンに参加するために、来日する多くのサイクリストから耳にします。私もそう思います」とファヴァロさん。

大都会の道路だけでなく、郊外に延びてゆく国道級の道路も幅が狭く、自動車はすれすれの距離で通り去っていく。
「イタリアと日本は似ているところが多いが、なぜ日本のほうが狭く感じるのでしょう。両国は敗戦から立ち上がり、驚くべき高度成長を遂げ、クルマを中心に国づくりが行われました。しかし、1980年代に入るとイタリアが経済の一つの柱である自動車産業に背を向けるように、街づくりをはじめ、道路づくりの方針の大転換を行い、自転車・自動車の分離、安全を考慮した道路づくりが始まりました」

最新のデータを見ながら、イタリアが進めようとしている自動車と自転車の共存を考える。

■講師:マルコ・ファヴァロ(Marco Favaro)さん
49歳、イタリア生まれ。東京都在住のスポーツジャーナリスト、テレビ解説。名古屋大学教育学部卒。イタリア外務省のサポートのもと、イタリア語やイタリア文化を世界に普及するダンテ・アリギエーリ協会東京支部や一国際自転車交流協会の理事を務め、サイクルウエアブランド「カペルミュール」のモデルや欧州プロチームの通訳も行う。日本国内でサイクリングイベントを企画

日本の道路が本当に狭いのか〜イタリアの道路づくりを見ながら、自転車と自動車の共存を考える
■2018年8月29日(水)18:30ー20:30
■ライフクリエーションスペースOVE南青山/東京都港区南青山3-4-8 KDXレジデンス南青山1F。地下鉄「外苑前」駅1a出口から、青山通りを渋谷方面へ。南青山三丁目交差点を左折し、直進。最初の信号のある交差点を右へ(角のSKI SHOP JIROが目印)。坂の途中、青山迎賓館の向かい。約600m・徒歩約8分
■自転車活用研究会会員500円(非会員1000円)
閉会後の懇親会:参加費1000円
参加申し込みは自転車活用研究会

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ツール・ド・フランストークショーが8月31日に南青山「OVE」で開催へ

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新刊「俺たちはみんな神さまだった」…野蛮で非人道的な冒険だった大戦後2度目のツール・ド・フランス

書籍「俺たちはみんな神さまだった」が12月8日、翻訳物の自転車書籍を取り扱う未知谷(みちたに)から出版された。ベンヨ・マソ著、安家達也翻訳。2500円(税別)。

第二次世界大戦後2度目、1948年のツール・ド・フランスが舞台。レース形態は現在のツール・ド・フランスとほぼ同じものに定着していたが、当時はより野蛮で非人道的な冒険だった。この年のジーノ・バルタリ(イタリア)の完璧な総合優勝は敗戦国の政治的混乱まで鎮めた。

じつに人間臭く自由奔放なフランス一周、しかも大きな社会的影響力を持った旅。この特別なレースを、1ステージごと分析するドキュメンタリー。

著者のベンヨ・マソは1944年オランダ生まれ。専門は社会学。11世紀から13世紀の中世ヨーロッパの宮廷文化研究で博士号取得。自転車競技にも強い関心を持ち、本書は「自転車ファンのマソと社会学者のマソの合作」と高く評価され、自転車競技の古典的書物と見なされている。

訳者の安家達也(あんけたつや)は1956年東京生まれ。中央大非常勤講師。専攻はドイツ文学。著書に『ツール100話』、『ツール伝説の峠』、『ジロ・ディ・イタリア 峠と歴史』、訳書に『ロード競技トレーニング』、『トレーニング日誌』(いずれも未知谷)がある。

◆◆俺たちはみんな神さまだった / ベンヨ・マソ/著 安家達也/訳 / 未知谷

価格:2,700円
(2017/12/15 23:20時点)
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イタリアの自転車工房が良質のエクストラバージンオイル生産…料理用です

イタリアのトスカーナ州にあるハンドメイド自転車工房、トッマジーニ社。所有するオリーブ畑から今シーズンもエクストラバージンオイルが作られ、日本に入荷された。青い実だけを厳選して絞ったこだわりのオリーブオイルで、内容量500ml、3500円(税別)。

トスカーナ州のグロセットの街に自転車工房を持つトッマジーニは、マスプロメーカーとは一線を画し、ハンドメイドでこだわりの自転車を作り続けている。その独特なラグのデザインとこのエリアをモチーフとしたようなデザインが世界中から愛されている。多くのイタリア自転車メーカーは、有名になると台湾や中国での生産にシフトするが、この工房はそれをせず、地元のオリーブ畑に収益を還元してきた。

トスカーナと言えば、工業地帯というよりはアグリツーリズモやスローフードに代表される一次産業を主体とした典型的なイタリアのローカルエリア。丘陵地帯にはブドウ畑に限らず、良質なオリーブ畑が広がっている。

トッマジーニは丘陵地帯に点在する良質なオリーブ畑を所有し、その中には、何百年という古木もあると聞く。こだわりの製法で絞られたこのエクストラバージンオリーブオイルは、濃い緑とトスカーナのローカルエリアを彷彿させるフレッシュな香り、そして少し刺激的な後味が和の食材とも相性がとてもいいのが特徴だ。

◆問い合わせ先&輸入販売元
株式会社ACTIONSPORTS
http://www.actionsports.co.jp