ツール・ド・フランスがパリ・シャンゼリゼと決別…今後の最終地はいずこ

2026年7月4日から26日まで開催される第113回ツール・ド・フランスのコースが10月23日、日本時間の夕方に発表される。すでに開幕地はスペインのバルセロナであることが発表され、2025年の大会期間中には主催者A.S.O.のクリスティアン・プリュドムが、最終ゴールをパリとしない構想があることを明らかにしている。50年間にわたってフィナーレの舞台であったシャンゼリゼ大通りと決別するのにはわけがあり、そしてその裏には大会主催者の思惑が垣間見られる。(最新情報をふまえ10月21日に一部修正しました)

シャンゼリゼに選手たちが到着した瞬間を見計らってフランス空軍が凱旋門からコンコルドにかけて飛行 © ASO

シャンゼリゼ離脱の伏線は2024年にあった

2025年の最終日、ツール・ド・フランスはパリのモンマルトルの丘をコースに加えた史上初めての花の都山岳サーキットレースを行い、大迫力のステージ優勝争いが演じられた。フランスではこの最終ステージだけで870万人がテレビ視聴したというが、過去20年で最高記録だった。最後のモンマルトルの丘で仕掛けたワウト・ファンアールトがマイヨジョーヌを着るタデイ・ポガチャルを振り切って、シャンゼリゼのフィニッシュ地点まで独走した。

しかしこれがうわさによれば、シャンゼリゼ最後を締めくくる打ち上が花火だったという見方もこの時点ではあった。その伏線は2024年にあった。

2024年の第111回 ツール・ド・フランスは史上初めて、最終到着地がパリではなくなった。地中海沿岸のニースに終着するのだが、その理由は5日後に開幕するパリ五輪だった。すでにパリのコンコルド広場は新種目ブレイキンやBMXの会場が設置され、ツール・ド・フランスがいつものようにそこを走る余地はなくなっていた。五輪にパリを譲渡して、ニース凱旋を英断するのもツール・ド・フランスは話題性醸成の施策と考えたのである。

ニース近郊はスキー場もあるくらいの山岳だ ©A.S.O. Charly Lopez

それは大成功だった。多くの観光客が最後の3日間にかけてニースとその近郊を訪問し、宿はのきなみ満室状態。経済波及効果は計り知れなかった。ツール・ド・フランスを主催するA.S.O.も新たな資金の獲得手段として、毎年の開幕地と同様に立候補する都市を募って最終ゴールとするプロモーションを考えついた。推測の域だが、そうではないかと思う。

2026ツール・ド・フランス開幕地となるバルセロナではモンジュイックの丘などの観光地を通過する ©A.S.O.

シャンゼリゼにゴールするのは1975年から

ツール・ド・フランスのフィナーレといえば首都パリのシャンゼリゼ大通りだった。ここを完全封鎖してサーキットとする一大スペクタクルなシーンだ。世界で最も美しいと言われるシャンゼリゼにツール・ド・フランスの選手たちが凱旋するようになったのは最近のことで、じつは1975年からだ。

2025ツール・ド・フランス第21ステージ ©A.S.O.

1903年の第1回大会はこのイベントに対する評価がまだ得られなかったことがあり、パリには入城できなかった。ポルトと呼ばれる城門の外に位置するビルダブレにゴールするのが精いっぱいだったようだ。

その翌年から1966年まではパリ16区のパルク・デ・プランスに。当初は自転車競技場だった施設だが、現在はサッカープロチームのPSGが拠点とするサッカースタジアムとなっている。そして1967年から1974年までは、ブローニュの森とはパリ中心地をはさんで反対にあるバンセンヌの森にゴールした。

ツール・ド・フランス100回記念大会がシャンゼリゼにがい旋。2013年第21ステージ

1975年からようやくシャンゼリゼがゴールとなり、2013年の100回記念大会からは、それまでエトワール凱旋門前で折り返していたコースを変更し、凱旋門を大回りするコースに変更された。

2019年には、その年の4月に火災で大きな被害を受けたノートルダム大聖堂があるセーヌ川の中洲、シテ島を走った。パリの象徴であり、火災によって多くの市民が涙を流して悲しんだ大聖堂をツール・ド・フランスが見舞ったのである。

シャンゼリゼにゴールできない主な理由は

2024年にはパリ五輪が開催され、都市のインフラや警備体制が大規模な国際イベント対応に集中。ツール・ド・フランスは初めてパリにゴールしなかった。2025年はシャンゼリゼ50周年として特別な演出を施した。しかしそれはいっぱいいっぱいの現状で、首都で自転車レースを開催することは年々状況が許さなくなっている。

シャンゼリゼ通りはクルマと自転車のレーンが半々になるように整備される計画だという

観光客が押し寄せる夏休みの都市の中心部で大規模なスポーツイベントを同時期に行うことが難しくなっているという。パリ市内では近年、交通インフラや都市景観の改善のための工事が継続的に実施されている。特にシャンゼリゼ大通りでは歩行者空間と自転車レーンの拡大や緑化プロジェクトが進んでいて、レース開催に必要なスペースや安全確保が困難となっている。フランスの有力紙によればシャンゼリゼの大改装プロジェクトは5年を要するという。

ツール・ド・フランス運営側は、レースの魅力を高めるために新しい最終到着地の可能性を探ることになった。パリ以外の都市や象徴的な場所でのフィナーレは、地域活性化やレースの新たな歴史を刻むための取り組みでもあった。2026年以降の変更は、伝統からの一時的な脱却であり、新しい形でのツール・ド・フランスの魅力を発信する機会とも言える。2026コース発表の直前になって2026年は従来通りのシャンゼリゼにゴールすると報じられるようになったが、今後の都市状況や国際イベントの予定次第で、将来的には未知数だ…。

2025ツール・ド・フランス開幕地はフランス北部のリールメトロポール。都市名の後にメトロポールと付くときは日本の政令指定都市と考えればほぼ適当 ©A.S.O.

大阪万博の時点で候補地リールに可能性を聞く

2027年以降はフランス国内に最終ゴールが設定される可能性が残っていて、リールやリヨンなどの大都市が候補として挙げられている。またスロベニア出身のポガチャルが2026年で大会最多の5勝に並ぶようなことがあれば、スロベニアにゴールするという大英断も現実味を帯びてくる。

リールのグラン・プラス(ジェネラル・ド・ゴール広場)に並ぶ建築 ©Benjamin Teissedre

それってツール・ド・フランスなの?と筆者としては否定的ではあるが、2025ツール・ド・フランスの開幕3日半をホストしたオー・ド・フランス地域圏のグザヴィエ・ベルトラン議長に、「開幕地ってどれほどの効果があるのか」と「将来的に最終ゴールに立候補するのか」を大阪万博のフランスパビリオンで聞いた。

Q:2025年7月はオー・ド・フランスが開幕からの3日と半日にわたってホストしたのですが、開幕地になるというのは大会途中の訪問都市と違ってどのような効果が得られたのですか?

「開幕地を担当してこの地域にはとてもインパクトがあった。自転車レースは最も人気のあるスポーツで、この地域の人のお祭り好きもあるので、ライフスタイルとしてスポーツがやってくることを楽しむ。グランデパールを誘致できたというのは素晴らしい。多くのホテルが世界中からやってきた観光客を受け入れた。経済的な効果は最大だった」

シャンティイ城と夕日 © Vincent Colin

Q:開幕とは反対の最終ゴールのことなんですが、シャンゼリゼが改修工事に入ることもあり2026年のツール・ド・フランスはパリにゴールしないと主催者がすでに発表しています。2026年以降は最終日のゴールは自治体の立候補になるのではとか想定されるのですが、オー・ド・フランスがゴールとなる可能性はあるでしょうか?

「最終ゴールがパリでなくなるというのは初めて聞いたが、オー・ド・フランスはこれまでグランデパールを務めたことが何回かあった。自転車レースが盛んなベルギーも近い。パリ〜ルーベもある。とても興味のある案件だと感じている」

シャンティイ城、春の航空写真 © J.Houyvet
アミアン大聖堂、正面壁 ©Benoît Guilleux

いずれにしても10月23日、2026ツール・ド・フランスのコースがどうなるか、どこにゴールするのかに注目。

東京五輪金、ツール・ド・フランスポイント賞のミランがさいたまに

東京五輪トラック種目の金メダリスト、2025ツール・ド・フランスで区間2勝とポイント賞を獲得したリドル・トレックのジョナタン・ミラン(イタリア)が2025年11月9日にさいたま新都心駅周辺で開催されるツール・ド・フランスさいたまクリテリウムに初出場する。

ミランが2025ツール・ド・フランス第17ステージ優勝 ©A.S.O.

ミランはツール・ド・フランス2025で区間2勝したことに加え、ポイント賞である緑色のリーダージャージ、マイヨヴェールを初めて獲得した。ツール・ド・フランスと並んで世界三大ステージレースの一つと言われるジロ・デ・イタリアでも2023年、2024年にポイント賞を2年連続獲得している。

ポイント賞のミラン。2025ツール・ド・フランス第21ステージ ©A.S.O.

トラック競技では、東京五輪でチームパシュート金メダル、パリ五輪でも同種目で銅メダルを獲得した。2024年のトラック世界選手権では個人パシュートで金メダルを獲得し、世界記録を樹立した。若手選手でありながら、ロードとトラックの両競技で輝かしい戦績を残す注目のスプリンターが、さいたまクリテリウムに初出場する。

ミランがポイント賞を獲得 ©A.S.O.

その他の出場選手は、決定次第発表されるという。

ミランがティレーノ~アドリアティコ第7ステージ優勝 ©LaPresse

●ツール・ド・フランスさいたまのホームページ

フェランプレヴォがツール・ド・フランスファムで初出場・初制覇

フランスのポーリーヌ・フェランプレヴォ(ヴィスマ・リースアバイク)が2025年7月26日から8月3日まで行なわれたツール・ド・フランスファムで総合優勝した。最終日の第9ステージでも優勝し、その実力を見せつけた。

ツール・ド・フランスファム最終ステージ、マイヨジョーヌを着用したフェランプレヴォが制し、総合優勝を決めた © A.S.O./ Pauline Ballet

アルプスのマドレーヌ峠で主導権を握った翌日、マイヨジョーヌを着たフェランプレヴォはデミ・フォレリング(2位)とカタジナ・ニエウィアドマ(3位)を抑えて初のツール・ド・フランスファム優勝を果たした。

ツール・ド・フランスファム第9ステージ © A.S.O.

シャンパーニュ出身のフェランプレヴォは、この最終ステージでも優勝を果たしたため、ゴールラインで両手を2倍に上げることができた。レースは終盤に6人に絞り込まれた集団の中で、フェランプレヴォはフィニッシュまであと6.7kmの地点でアタック。2度目のステージ優勝を果たし、最終的にもマイヨジョーヌを手にした。

マイヨジョーヌのポーリーヌ・フェランプレヴォ © A.S.O.

後継者を祝福するためにシャテルを訪れたジャンニー・ロンゴ(1987年、1988年、1989年)に続き、女子ツール・ド・フランスを制した2人目のフランス人女性となった。

ツール・ド・フランスファム第9ステージはスイスアルプスでの戦い © A.S.O.
ツール・ド・フランスファム第9ステージで優勝を争う第1集団にフェランプレヴォ(先頭から2人目)も加わった © A.S.O.
ツール・ド・フランスファム第9ステージ © A.S.O.
アンナ・ファンデルブレッヘンが第9ステージで意地を見せて敢闘賞 © A.S.O.

●総合成績
1位 ポーリーヌ・フェランプレヴォ(フランス、ヴィスマ・リースアバイク)29時間54分24秒
2位 デミ・フォレリング(オランダ、FDJ・スエズ)3分42秒遅れ
3位 カタジナ・ニエウィアドマ(ポーランド、キャニオン・スラム)4分09秒遅れ

●4賞ジャージ
マイヨジョーヌ(個人総合成績)ポーリーヌ・フェランプレヴォ(フランス、ヴィスマ・リースアバイク)
マイヨベール(ポイント賞)ロレーナ・ウィーベス(オランダ、チームSDワークス・プロタイム)
マイヨブラン・アポワルージュ(山岳賞)エリーズ・シャベイ(スイス、FDJ・スエズ)
□マイヨブラン(新人賞)ニンケ・フィンケ(オランダ、チーム ピクニック・ポストNL)

ツール・ド・フランスファムの4賞。左から山岳賞のエリーズ・シャベイ、総合優勝のフェランプレヴォ、新人賞のニンケ・フィンケ、ポイント賞のロレーナ・ウィーベス © A.S.O.

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フランスのアイドル、フェランプレヴォが独走勝利で総合1位に

第4回ツール・ド・フランスファムの最難関ステージ、シャンベリー〜マドレーヌ峠間の111.9kmで第8ステージが8月2日に行われ、チーム ヴィスマ・リースアバイクのポーリーヌ・フェランプレヴォ(フランス)が優勝。総合成績でも初めて首位に立った。大会は3日までで総合優勝に王手をかけた。

フェランポレヴォがマイヨジョーヌを獲得 ©A.S.O.

ジャニー・ロンゴ以来となる史上2人目のマイヨジョーヌ

フェランプレヴォは女子レースのツール・ド・フランスファムで個人総合1位のマイヨジョーヌを着用した初のフランス選手になった。同大会の前身である1980年代のツール・ド・フランスフェミニンを含め、1989年7月23日にジャニー・ロンゴが最後に優勝して以来、36年と10日ぶりのマイヨジョーヌ着用となる。ロンゴはマイヨジョーヌ着用日数(36日)の記録保持者であり、マイヨジョーヌを着用した唯一のフランス選手だった。

フランスのアイコン的存在フェランポレヴォがアタック ©A.S.O.

五輪マウンテンバイクの金メダリストであるフェランプレヴォ、誰にも止められない勢いで恐ろしい最後の登り (18.6 km、8.1%) を駆け上がり、自身初のツール・ド・フランス優勝を果たし、レース終にマイヨジョーヌを身につけた。

ロード界でも元世界チャンピオン、シクロクロスやマウンテンバイクでも何度も世界を制してきた逸材は2025年にロード選手としてカムバックした。33歳のこのフランス選手は、頂上まであと12kmの地点でサラ・ジガンテ(AGインシュランス・スーダル)の鋭いアタックに追従し、3 km地点でこのオーストラリア選手を引き離した。

マイヨジョーヌや山岳ジャージを持つ選手がフェランポレヴォを追う ©A.S.O.

その後、レース途中でバーチャルマイヨジョーヌだったエビータ・ムジックを含む先行選手集団の最後の生き残りを捉え、残り5kmでニアム・フィッシャーブラックを置き去りにした。ジガンテは1分45秒差で2位となり、総合順位でフェランプレヴォに2分37秒差となる2位になった。2023年の覇者デミ・フォレリングは総合成績で3分18秒遅れ、2024年のカシア・ニエヴィアドマは3分40秒遅れ。フィニッシュ前日の時点で3分以上遅れている。

フェランポレヴォがアルプスで逃げた ©A.S.O.

フランスのアイコン的存在だがツール・ド・フランスは初出場

わずか数カ月前にレースに復帰したばかりのフェランプレヴォだが、総合優勝に向けて大きな一歩を踏み出した。最終日のスイス・シャテルでマイヨジョーヌを守れば、1989年のロンゴ以来となるフランス人優勝者となる。

フェランポレヴォが独走優勝して総合でもトップに ©A.S.O.

ポーリーヌ・フェランプレボがMTB世界選手権で二冠獲得

クロスカントリーオリンピック(XCO)の世界チャンピオンとなり、アルカンシエルを着用したフェランプレボ ©Bartek Wolinski / Red Bull Content Pool

2025ツール・ド・フランスは記録づくめ! モンヴァントゥーの視聴率は65%

2025年7月5日から27日までフランスを一周するコースで開催された第112回ツール・ド・フランスが高いテレビ視聴率で盛り上がりを見せたと、主催するA.S.O.が8月1日に発表した。

モンヴァントゥーは最後のこのコーナーがきつい ©A.S.O.

欧州のテレビ視聴者
約1億5000万人

2025ツール・ド・フランス第13ステージ ©A.S.O.

●生放送のテレビ視聴時間
7億時間超

2025ツール・ド・フランス第11ステージ ©A.S.O.

●フランスでのテレビ放送
フランス・テレビジョンがスタートからゴールまで全ステージをフルカバー
放送時間は100時間超

ベン・ヒーリーが2025ツール・ド・フランス第10ステージでマイヨジョーヌ ©A.S.O.

平均視聴率42.6%(2024年から7ポイント増)
15〜34歳の視聴者・視聴率39.8%(2024年から7.6ポイント増)

2025ツール・ド・フランス第21ステージはモンマルトルを3回上るコースになった ©A.S.O.
アレンスマンのこのシーンがインスタで3600万ビュー
TIKTOCでこのシーンが3300万ビュー
シャンプッサンの落車シーンがfacebookで1730万ビュー
3賞ジャージのタッチがXで520万インプレッション

【ツール・ド・フランス旅日記 episode23】シャンゼリゼでセ・フィニ!

パリのエッフェル塔を見た人は多いはずですが、フランス一周の果でエッフェル塔を見たことことがある人はそれほどいないと思います。「180人の選手たちが何週間も山岳地帯を走り、そして最後に突如として世界有数の大都市の街路に出るんだから、それってスゴくない?」とマイヨジョーヌも証言しています。

コントルド広場からエトワール凱旋門を望む

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ムーランルージュのダンサーがフレンチカンカンで選手たちを応援

パリ・シャンゼリゼのフィナーレにふさわしい最終バトル

フランスを5000kmかけて一周して、なにごともなくパリに着いたときのうれしさ。町が近づくとついついエッフェル塔を探してしまい、それを見つけると感慨が込み上げてきます。ボクは泣きませんけどね。

モンマルトルの上り。2025ツール・ド・フランス第21ステージ ©A.S.O.

ツール・ド・フランスの最終到着地ってやっぱりパリで、そして舞台はシャンゼリゼでなくてはいけません。2024年は五輪開催のため史上初めてパリではなくニースにゴールしましたが、それはツール・ド・フランスにふさわしくなく、ボクのキャリアをその年に最後にしたいとは思いませんでした。

パリまであと200km。この日も10kmの朝ランをして出会ったひまわり畑
最終日前日の朝は、日本ではありえないアンテラスでのごはん。空気が乾いていて最高に気持ちいい

選手がパリに凱旋したときに込み上げてくる思いを共有するために全日程の取材にこだわり続けました。もしかしたらパリ・シャンゼリゼのフィナーレはモンマルトルの丘を上るこの50周年記念サーキットが花道になり、新たな時代が幕を開けるような気がします。

そして自分自身としては…。34歳のときに「62歳で続けているかな」とかまったくイメージしたこともありません。無事に怪我なく、体調を1日たりとも壊すことなく、紙面に穴を開けることなく27回目のフランス一周の旅が終わりました。

コンコルド広場のオベリスク。1989年の初取材のときから常にフィナーレの象徴だった

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