2024年はツール・ド・フランス初のイタリア開幕…ボッテッキア初優勝から100年

2024年に開催される第111回ツール・ド・フランスは、6月29日にイタリアのフィレンツェで開幕する。イタリアをスタートするのは史上初めて。オッタビオ・ボッテッキアがイタリア勢として初優勝した1924年から100年の節目になる。

アルプスのアニェル峠。右がイタリア、左がフランス。2011年第17ステージ

パリ五輪イヤーの2024年はこれまでにない展開に

2024年はパリ五輪がツール・ド・フランス終了のわずか5日後、7月26日に開幕するため、ツール・ド・フランスの最終到着地が史上初めてパリではなく地中海沿岸のニースとなったことは、すでに12月1日に発表されていた。今回はそれに続く最初の3日間の日程が明らかになった。

12月21日にツール・ド・フランスのディレクター、クリスティアン・プリュドムがイタリアのテレビ局RAIの番組に出演して明かした。

2024年のツール・ド・フランス最初の3ステージ

  • 6月29日(土)第1ステージ:フィレンツェ(フロランス) > リミニ 205km
  • 6月30日(日)第2ステージ:チェゼナティコ > ボローニャ(ボローニュ) 200km
  • 7月1日(月)第3ステージ:ピアチェンツァ(プレザンス) > トリノ(テュラン) 225km
    カッコ内はフランスでの地名表記

大会はエミリアロマーニャ州で始まる。フィレンツェからアドリア海沿岸のリミニまでの集団スタートレースが第1ステージとなった。ゴールのリミニは2004年2月15日、滞在型アパートの一室でマルコ・パンターニが命を落とした場所である。翌日はパンターニの生まれ故郷であるチェゼナティコをスタート。ボローニャまでの第2ステージが行われる。第3ステージはピエモンテ州の田舎道を走って、トリノにゴール。

2024ツール・ド・フランス最初の3ステージはイタリアを走る

ツール・ド・フランスが初めてイタリアを訪問したのは第2次世界大戦後の1948年。マルセイユからイタリアのサンレモにゴールするステージが最初だった。これまで23ステージがイタリアを訪問した。最後の訪問は2011年にピネローロを訪れた。

2008ツール・ド・フランスもイタリアを訪問した

少なくとも4カ国訪問。五輪イヤーにふさわしい国際性

初日はどれも標高1000m以下ながら丘陵地が連続し、獲得標高は3700m。ジュリアン・アラフィリップなどのタイプが飛び出してマイヨジョーヌをねらっていけるようなコースだ。第3ステージのトリノはジロ・デ・イタリアで常にスプリンターたちの争いになるゴールだ。

この3日間がイタリアでのステージとなり、今回発表されたのはここまで。第1ステージの終盤でサンマリノ共和国内の峠に登ることから、最終日の第21ステージのスタート地モナコと合わせて少なくとも4カ国で開催される。五輪イヤーにふさわしい国際性をもたせている。

これまでのイタリア勢の総合優勝者は7人

2024ツール・ド・フランスのコースを報じるニュース

2023ツール・ド・フランスの最終ゴールはニース ©Philippe_Viglietti
最終ステージの個人タイムトライアル出発地がモナコになった。12月3日にモナコのアルベール国王が明かした ©Axel Bastello

史上初ニース凱旋の2024ツール・ド・フランス、最終日はモナコ公国出発

2024年に開催される第111回ツール・ド・フランスの最終ステージは、地中海沿岸のモナコ公国をスタートし、フランスのニースにゴールする個人タイムトライアルとなることが明らかになった。

最終ステージの個人タイムトライアル出発地がモナコになった。12月3日にモナコのアルベール2世公が明かした。同国王はハリウッド女優のグレース・ケリー(故人)を母に持つ ©Axel Bastello

一生に一度の機会、リビエラ海岸でのフィナーレ

2024年はツール・ド・フランス史上初めてパリあるいはその近郊に最終ゴールしないという発表が、まずは世界中のファンを驚かせた。その理由はパリ五輪がツール・ド・フランス直後に開催されるからなのだが、地中海沿岸のニースに到着することに続くビッグニュースが、国境超えの最終日タイムトライアルだ。

2023ツール・ド・フランスの最終ゴールはニース ©Philippe_Viglietti

大会最終日、個人タイムトライアルのスタート地点がモナコに設置されたのである。ファンとしては、国境超えのクライマックスバトルとなることが簡単に予感される。モナコは1939年から2009年の間にツール・ド・フランスが6回訪問し、2024年が7回目のホストシティとなる。

2024ツール・ド・フランスはどうして最終日が首都パリではなく、地中海のリビエラ海岸でフィナーレとなったのか。状況を簡単に説明すると、フランスの首都がオリンピックの準備のために最後の仕上げが必要なため、ツール・ド・フランスがシャンゼリゼを譲ったのである。そして歴史上初めてパリから遠く離れた場所を最終到着地とした。

「この一生に一度の機会である」と、ツール・ド・フランス主催者は証言している。

マイヨジョーヌが最終日に変わるかも知れない ©Julien Veran

最終日にフランス人にとっては禁断の個人タイムトライアル

2024年7月21日、モナコとニースの間で開催されるのは個人タイムトライアルだ。最後のタイムトライアルでマイヨジョーヌの所有者が変わる可能性がある。35年前の1989年、シャンゼリゼで開催された個人タイムトライアルで米国のグレッグ・レモンがフランスのローラン・フィニョンを逆転して以来、最終日に個人タイムトライアルは設定されなかった。

ニース凱旋の記者発表会が12月1日に行われ、ニースのクリスティアン・エストロージ市長らが登壇 ©Philippe Viglietti

ツール・ド・フランスが最後にモナコを訪れたのは2009年で、日本の別府史之と新城幸也が出場。初日の個人タイムトライアルはスイスのファビアン・カンチェラーラが優勝したが、第2ステージはモナコからフランスのブリニョールまでのマスドスタートのレースで、新城がいまも日本勢の歴代最高位となる区間5位でゴールした。

2009ツール・ド・フランス第2ステージのスタート地。モナコ在住のF1レーサー佐藤琢磨(中央)が別府(左)と新城を激励しにやってきた

2024ツール・ド・フランスはニースでフィナーレ。パリに最終ゴールしないわけは…

2024年に開催される第111回ツール・ド・フランスが大会史上初めてパリあるいはその近郊に最終ゴールせず、地中海沿岸のニースに到着することが2022年12月1日に発表された。しかも35年ぶりに最終ステージがタイムトライアルとなり、最終日の逆転劇もありうる設定となった。

パリ〜ニース最終日のプロムナード・デザングレ ©A.S.O. Fabien Boukla

ツール・ド・フランスのファイナルデスティネーションは常にパリだった

ツール・ド・フランスのフィナーレといえば首都パリのシャンゼリゼ大通り。ここを完全封鎖してサーキットとする一大スペクタクルなシーンだ。世界で最も美しいと言われるシャンゼリゼにツール・ド・フランスの選手たちが凱旋するようになったのは最近のことで、じつは1975年からだ。

2023ツール・ド・フランスの最終ゴールはニース ©Philippe_Viglietti

1903年の第1回大会はこのイベントに対する評価がまだ得られなかったことがあり、パリには入城できなかった。ポルトと呼ばれる城門の外に位置するビルダブレーにゴールするのが精いっぱいだったようだ。

最終日はニースのプロムナード・デザングレで個人タイムトライアルが行われる ©Atout France/Jean François Tripelon−Jarry

その翌年から1966年まではパリ16区のパルク・デ・プランスに。当初は自転車競技場だった施設だが、現在はサッカープロチームのPSGが拠点とするサッカースタジアムとなっている。そして1967年から1974年までは、ブローニュの森とはパリ中心地をはさんで反対にあるバンセンヌの森にゴールした。

1975年からようやくシャンゼリゼがゴールとなり、2013年の100回記念大会からは、それまでエトワール凱旋門前で折り返していたコースを変更し、凱旋門を大回りするコースに変更された。

2019年には、その年の4月に火災で大きな被害を受けたノートルダム大聖堂があるセーヌ川の中洲、シテ島を走った。パリの象徴であり、火災によって多くの市民が涙を流して悲しんだ大聖堂をツール・ド・フランスが見舞ったのである。

2019年に片側の尖塔が火災で崩壊したパリのノートルダム大聖堂も修復が進んだ

あの因縁の最終日大逆転ドラマから35年ぶりに封印が解かれる

2024年のツール・ド・フランスのコースはまだ発表されていないが、後述する理由で通常よりも1週間早い6月29日に開幕すると想定されている。一方、今回の発表で、最終日は7月21日となることが明らかになり、史上初めてニースにゴールする。最終日前日はニース近郊の山々を走る山岳ステージで、最終日がニースの目抜き通り、パリならシャンゼリゼに相当する「プロムナード・デザングレ」で個人タイムトライアルが行われる。

ニース凱旋の記者発表会が12月1日に行われ、ニースのクリスティアン・エストロージ市長らが登壇 ©Philippe Viglietti

ツール・ド・フランスが個人タイムトライアルを最終日に行うのは1989年以来35年ぶり。フランス革命200周年を祝う大会はまさかの最終日、50秒遅れの総合2位につけていた米国のグレッグ・レモンが当時はトライアスリートしか使用していなかったDHバーを駆使して激走。首位に立っていたフランスのローラン・フィニョンを総合成績で大逆転。史上最僅差となる8秒で総合優勝を遂げた。

その時のフランス人のショックははかり知れず、以来ツール・ド・フランスが最終日に個人タイムトライアルを設定することはなく、パリ・シャンゼリゼは総合優勝者の凱旋パレードという位置づけでフィナーレを迎え続けていた。

2024パリ五輪はほとんどの競技が市内で開催される ©Philippe Millereau / KMSP / DPPI

5日後にパリ五輪が開幕するのがニースになった原因

ツール・ド・フランスは常にパリに凱旋する。110年も続いたこの伝統を2024年に打ち消すのには明確なわけが存在する。ツール・ド・フランスが終了して5日後の7月26日金曜日にパリ五輪が開幕するからである。

パリ五輪開幕のわずか数日前となれば、すでにシャンゼリゼ通りを封鎖する物流上の問題があり、五輪組織委員会から要請によって運営面で条件付けられた。その解決策としてツール・ド・フランス主催者A.S.O.は話題性醸成とともにニース凱旋を英断したのである。

五輪の慣例で自転車男子ロードレースは競技初日の7月27日に開催予定。セーヌ川にかかるエッフェル塔横のエトナ橋が発着となり、シャンゼリゼもコースの一部になる。このあたりの注目度の重複も回避した。

一方のニースの思わく。紺碧に輝くコートダジュールの観光地は2020ツール・ド・フランスの開幕地として世界中にその魅力を発信するはずだった。しかし新型コロナウイルス感染拡大により異例の大会順延・秋開催。そしてスタートやゴールに観客を入れないという感染防止対策を余儀なくされた。今回は再び観光大国フランスの重要なリゾート拠点であることをアピールする狙いがある。

●ツール・ド・フランスの詳細ページ

フルームチャンネルでツール・ド・フランスさいたま来日レポート

ツール・ド・フランスで4度の総合優勝を誇るクリストファー・フルーム(英国)がツール・ド・フランスさいたまクリテリウム参戦のために来日した日々を、自身のYouTubeチェンネルで報告した。

親友ゲラント・トーマスと歌舞伎町に繰り出す

フルームとイスラエル・プレミアテックのチームメートは11月上旬、ツール・ド・フランスさいたまのために日本に旅行。レースの前後には2022年の総合優勝者ヨナス・ビンゲゴー、ビンチェンツォ・ニバリ、アレハンドロ・バルベルデと一緒にテレビ番組のゲームに出演した。

フルームがバッティングセンターに誘ったのは野球センスがまったくないゲラント・トーマスだった
お気に入りのお菓子は「きのこの山」
ツール・ド・フランス総合優勝者同士の日本場所対決
レース後はチームメートらと東京都内で2022シーズンの打ち上げ

レース後は、かつてのチームメート、ゲラント・トーマスを誘ってバッティングセンターでバッターやピッチャーとして対決。さらに東京の夜の魅力を体験するためにおいしいラーメンを探しに出かける。

●The Tour de France Returns To Japan

YouTubeのフルームチャンネルで積極配信する

ツール・ド・フランスさいたま優勝のフィリプセンが将来を語った

ツール・ド・フランスさいたまクリテリウムが11月6日、さいたま新都心駅周辺で開催され、7月のツール・ド・フランスで最終日のパリ・シャンゼリゼを含むステージ2勝を挙げたベルギーのスプリンター、ヤスパー・フィリプセン(アルペシン・ドゥクーニンク)が初優勝した。大会は3年ぶりの開催となり、日本の熱心なファンが沿道を埋め尽くした。

マイヨジョーヌを着るビンゲゴーがアタックするとフィリプセンとトーマスが追従。3人の闘いとなった ©Yuzuru SUNADA

若手スプリンターのフィリプセンがオールラウンダーを制して優勝

世界最高峰の自転車レース、ツール・ド・フランスで活躍した52選手が距離59.5kmのサーキットレースに挑んだ。最後はトップスターばかり3選手によるスプリント勝負になった。2022年のツール・ド・フランス総合優勝者ヨナス・ビンゲゴー(ユンボ・ビスマ)、2018総合優勝のゲラント・トーマス(イネオス・グレナディアーズ)、そしてフィリプセンだった。

「シャンゼリゼとは異なるコースだったけど、スプリントには自信があるのでそれを生かすことができてよかった」と他の2選手を制したフィリプセン。

2022ツール・ド・フランスさいたまは快晴に恵まれてスタート ©Yuzuru SUNADA

レースは終盤に2013ツール・ド・フランス総合優勝のビンチェンツォ・ニバリ(アスタナカザクスタン)、元世界チャンピオンのアレハンドロ・バルベルデ(モビスター)がアタック。今シーズンを最後に引退する2選手は沿道のファンから大声援を受けながら激走。残り7kmで後続集団に追いつかれると、さり気なく握手をかわしてお互いの健闘をたたえた。

フィリプセンは今回のレースで、ツール・ド・フランス最多のステージ通算34勝を挙げているマーク・カベンディッシュ(クイックステップ・アルファビニル)と、前大会となる2019年のさいたま優勝者新城幸也(バーレーン・ビクトリアス)の3人でクリテリウムレジェンズという特別編成チームの一員としてとして参加した。

新城は「チームの結束力を高めるためにみんなで日本観光した」という。フィリプセンは初来日だったが交通系アプリのPASMOを駆使し、中野ブロードウェイや渋谷のスクランブル交差点を訪ね、寿司屋の大トロに舌鼓をうった。

フィリプセンがトーマスを制して初優勝した ©Yuzuru SUNADA

「日本は親切な人が多く、とても楽しかった。さまざまなことがベルギーとは異なって興味深かった。お互いをリスペクトする気持ちがある日本人のメンタリティはいいなと思った。国籍を変えたいくらいだよ」

今回の来日は区間2勝のいわばごほうびだ。
「世界のトップクラスに位置するクールな選手たちと戦うことができて貴重な経験ができた。いいシーズンだったと思うけど、ボクはもっと成長していきたい。最終的なゴールはツール・ド・フランスで勝つこと」とフィリプセンは記者会見で語った。

3年ぶり8回目となった大会には、待ちに待った自転車ロードレース好きが続々と集まった。併催イベントのフェスティバルやフランスの食文化が楽しめるグルメ会場では行列ができるほどの盛況ぶり。沿道も大勢のファンで埋まった。

マーク・カベンディッシュ(英国、クイックステップ・アルファビニル)も童心に ©Yuzuru SUNADA

ビンゲゴーがツール・ド・フランス連覇への意気込みを語る

ツール・ド・フランス総合優勝のビンゲゴーは王者の称号である黄色いリーダージャージ、マイヨジョーヌを着用して参戦した。

日本の食を体験するアレハンドロ・バルベルデ、ビンチェンツォ・ニバリ、大会アンバサダーのマルセル・キッテル ©Yuzuru SUNADA

「フィリプセンには10回勝負をして10回負けてしまう」とゴール後に語ったが、アルプスやピレネーを越える23日間のレースではビンゲゴーに分がある。2023年のツール・ド・フランスのコースも発表され、「いろいろな要素が盛りだくさんにあり、上りの厳しさも今年以上だ。いい準備をして来年7月に臨みたい」とはやくも連覇に意気込む。

●ツール・ド・フランスさいたまのホームページ

フィリプセンがシャンゼリゼに続いて優勝…ツール・ド・フランスさいたま

ツール・ド・フランスさいたまクリテリウムが11月6日、さいたま新都心駅周辺で開催され、7月のツール・ド・フランスで最終日のパリ・シャンゼリゼを含むステージ2勝を挙げたベルギーのスプリンター、ヤスパー・フィリプセン(アルペシン・ドゥクーニンク)が初優勝した。

2022ツール・ド・フランスさいたまは快晴に恵まれてスタート ©Yuzuru SUNADA
フィリプセンがトーマスを制して初優勝した ©Yuzuru SUNADA
マイヨジョーヌを着るビンゲゴーがアタックするとフィリプセンとトーマスが追従。3人の闘いとなった ©Yuzuru SUNADA
日本の食を体験するアレハンドロ・バルベルデ、ビンチェンツォ・ニバリ、大会アンバサダーのマルセル・キッテル ©Yuzuru SUNADA
マーク・カベンディッシュ(英国、クイックステップ・アルファビニル)も童心に ©Yuzuru SUNADA

●ツール・ド・フランスさいたまのホームページ