出身校の卒業生で組織された所属団体で東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)の沿道応援の任務に就いた。母校・青山学院大の4連覇にその労力は報われて大喜びなのだが、ボランティアながら責任のある活動を終えて、2018年もわずか3日にして燃え尽きた感がある。
幼稚園から大学まで備える青山学院は、すべての卒業生を対象とした青山学院校友会という組織がある。交友間の親睦を深め、母校の発展に寄与することを目的に組織され、35万人の会員数を誇っている。そのなかで東京・大手町から神奈川・箱根芦ノ湖までのコース上となる各支部は、箱根駅伝の応援が重要な活動となる。沿道に応援拠点を設置して、母校の幟旗を配置していく。ボクは湘南支部の幹事としてここ数年は往路3区と復路8区のコースの指定された応援ポイントにおいて拠点責任者を務めている。
母校が33年ぶりに箱根駅伝出場を果たしたのは2009年だ。原晋監督というたぐいまれなる指導者のおかげもあって、以来成績は上り調子。2015年には悲願の初優勝を圧勝で決めた。さらに2016年は1区から一度もトップを譲ることない完全優勝で、2連覇を達成した。ようやく沿道の応援団もなにをすべきがをそれぞれが完ぺきに把握できるようになったが、わずか9年前は浮き足だってなにもできなかった。中央大や早稲田大などのような伝統校に蓄積されているノウハウが全くなかったのだ。
陸上競技部のOBに聞くところによると、青山学院大が箱根駅伝の常連となる以前は実績のある中央大や早稲田大にお願いをして練習会などに加えてもらった時代があったという。陸上競技部としてもそうだが沿道の応援も伝統校を見よう見まねで成長していくしかなかった。ボクの担当拠点となった藤沢の南仲通りはかつてから沿道の土地を所有する明治大OBの強いところであり、新参の青山学院大は幟旗を掲げるところもない。一等地である交差点は明治大のもの。ボクらは100歩下がって交差点から離れたところに陣地を見つけ、卒業生やゆかりのある人を頼って土地所有者の建物や敷地に幟をくくりつけた。
年末になるとこういった所有者にごあいさつしにいくのは大切である。日本中が注目する正月のメジャーイベントであっても「人とのつながり」が大事であることがいやでも分かってきた。それと同時に連続出場を続けることの重要性も肌で感じた。出場が途絶えたら沿道とのつながりがそこで途切れてしまうからだ。さらにいえばシード権の確保も沿道応援の立場からしたら最重要。1年前に参加が確定していれば1年計画で予算を立て、応援計画が立てられるからだ。
全学一体となってサポート役に回ることの重要性を認識し、全力で支援する方針を固める。箱根路の常連となってからは校友会が予算を計上して幟旗と手旗を用意し、各支部の役員をアテンド役として配置した。初優勝の期待がかかる2015年からは現役の学生がOB組織のお手伝いに加わった。1年目は初めての支援だけに両者ともに「なにをしていいのやら」といった感があったが、その反省点をあらい出し、計画を刷り直して2年目には卒業生・現役渾然一体の支援態勢を整備した。学生課も各所に足を運ぶ現役生をリスト化し、大会までに校友会の拠点責任者と連絡を取り合ってそれぞれがなにをすべきかを確認し合った。
沿道の拠点責任者としてはここ4年の激変も肌身で感じている。拠点に用意した300本の幟旗は土地所有者の許可があれば建造物にくくりつけられる。それ以外は国土交通省の管轄であるガードレールや標識には固定できない。沿道の観客に持ってもらう必要があるのだが、優勝を続けていると用意した幟旗はあっという間に売り切れとなる。強いってこと、連勝するってことはこれだけ影響力があるのかとつくづくと感じる。
最高視聴率30%の放送が2日間にわたって報じられ、そのなかでトップを走る青山学院大の名前は数え切れないほど連呼される。その広告効果はボクの知る限りではないが、原監が「上下関係のカラ脱却」など因習をぶち破る方針を掲げ、選手たちが伸び伸びと走って実績を残していく。その成果があって「関東大学ブランド力ランキング」では早慶上智、東大一橋に続く6位に急浮上した。
いやはや。うれしはずかしといった感である。見事な走りを見せた10選手は「フレッシュグリーンの幟旗を見たり、そして途切れることなく声援を送られたことがパワーになった」と口々に語っている。まさに大学・卒業生・学生が一体となって選手やサポート部員を盛り上げるハーモニー大作戦のたまものである、「箱根駅伝ロス」で2018年はもう終わったかのように気が抜けてしまったが、本業に向けてまだまだ頑張らなくちゃと気を引き締める日々である。
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