2024年に開催される第111回ツール・ド・フランスが大会史上初めてパリあるいはその近郊に最終ゴールせず、地中海沿岸のニースに到着することが2022年12月1日に発表された。しかも35年ぶりに最終ステージがタイムトライアルとなり、最終日の逆転劇もありうる設定となった。
ツール・ド・フランスのファイナルデスティネーションは常にパリだった
ツール・ド・フランスのフィナーレといえば首都パリのシャンゼリゼ大通り。ここを完全封鎖してサーキットとする一大スペクタクルなシーンだ。世界で最も美しいと言われるシャンゼリゼにツール・ド・フランスの選手たちが凱旋するようになったのは最近のことで、じつは1975年からだ。
1903年の第1回大会はこのイベントに対する評価がまだ得られなかったことがあり、パリには入城できなかった。ポルトと呼ばれる城門の外に位置するビルダブレーにゴールするのが精いっぱいだったようだ。
その翌年から1966年まではパリ16区のパルク・デ・プランスに。当初は自転車競技場だった施設だが、現在はサッカープロチームのPSGが拠点とするサッカースタジアムとなっている。そして1967年から1974年までは、ブローニュの森とはパリ中心地をはさんで反対にあるバンセンヌの森にゴールした。
1975年からようやくシャンゼリゼがゴールとなり、2013年の100回記念大会からは、それまでエトワール凱旋門前で折り返していたコースを変更し、凱旋門を大回りするコースに変更された。
2019年には、その年の4月に火災で大きな被害を受けたノートルダム大聖堂があるセーヌ川の中洲、シテ島を走った。パリの象徴であり、火災によって多くの市民が涙を流して悲しんだ大聖堂をツール・ド・フランスが見舞ったのである。
あの因縁の最終日大逆転ドラマから35年ぶりに封印が解かれる
2024年のツール・ド・フランスのコースはまだ発表されていないが、後述する理由で通常よりも1週間早い6月29日に開幕すると想定されている。一方、今回の発表で、最終日は7月21日となることが明らかになり、史上初めてニースにゴールする。最終日前日はニース近郊の山々を走る山岳ステージで、最終日がニースの目抜き通り、パリならシャンゼリゼに相当する「プロムナード・デザングレ」で個人タイムトライアルが行われる。
ツール・ド・フランスが個人タイムトライアルを最終日に行うのは1989年以来35年ぶり。フランス革命200周年を祝う大会はまさかの最終日、50秒遅れの総合2位につけていた米国のグレッグ・レモンが当時はトライアスリートしか使用していなかったDHバーを駆使して激走。首位に立っていたフランスのローラン・フィニョンを総合成績で大逆転。史上最僅差となる8秒で総合優勝を遂げた。
その時のフランス人のショックははかり知れず、以来ツール・ド・フランスが最終日に個人タイムトライアルを設定することはなく、パリ・シャンゼリゼは総合優勝者の凱旋パレードという位置づけでフィナーレを迎え続けていた。
5日後にパリ五輪が開幕するのがニースになった原因
ツール・ド・フランスは常にパリに凱旋する。110年も続いたこの伝統を2024年に打ち消すのには明確なわけが存在する。ツール・ド・フランスが終了して5日後の7月26日金曜日にパリ五輪が開幕するからである。
パリ五輪開幕のわずか数日前となれば、すでにシャンゼリゼ通りを封鎖する物流上の問題があり、五輪組織委員会から要請によって運営面で条件付けられた。その解決策としてツール・ド・フランス主催者A.S.O.は話題性醸成とともにニース凱旋を英断したのである。
五輪の慣例で自転車男子ロードレースは競技初日の7月27日に開催予定。セーヌ川にかかるエッフェル塔横のエトナ橋が発着となり、シャンゼリゼもコースの一部になる。このあたりの注目度の重複も回避した。
一方のニースの思わく。紺碧に輝くコートダジュールの観光地は2020ツール・ド・フランスの開幕地として世界中にその魅力を発信するはずだった。しかし新型コロナウイルス感染拡大により異例の大会順延・秋開催。そしてスタートやゴールに観客を入れないという感染防止対策を余儀なくされた。今回は再び観光大国フランスの重要なリゾート拠点であることをアピールする狙いがある。
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