DeAnima(デアニマ)は、ジャンニ・ペゴレッティという、少々異色のキャリアを持つ自転車職人によって生み出された、まだ設立5年の若いブランドだ。
“ペゴレッティ”の名に聞き覚えのある諸兄もいるかもしれない。ハンドメイドバイクの世界で屈指のカリスマフレームビルダーとして知られた、あのダリオ・ペゴレッティはジャンニの実兄。かつて、兄ダリオの工房から送り出されたフレームは、マルコ・パンターニ、ミゲール・インデュライン、マリオ・チポッリーニといった名だたるスター選手の成功を支えた。
弟のジャンニが、イタリア国営テレビ放送局RAIのアートディレクターを退職してダリオの工房に参加すると、ペゴレッティはアーティスティックな感性を得て、兄ダリオの存在とともに、ハンドメイドバイシクルの世界でその名を轟かすブランドに成長した。
アーティスティックな感性と職人の技が融合したハンドメイドカーボン
ジャンニ・ペゴレッティ(以下ジャンニ)
「芸術への関心は父の影響なんだ。子供のころから、家の壁は、父が集めた古くさい絵画でいっぱいだったよ。元自転車選手の叔父の影響でダリオが自転車に夢中だったので、私もはじめはよく真似して走りにいった。 でも、ダリオにはかなわないし、自転車はきついスポーツだと知って、それからは家で勉強することにしたよ」
学生時代は芸術ではなく商学を学んだというジャンニ。15年務めたRAIでの仕事に飽きていた折、ちょうど、独立して工房を立ち上げたばかりの兄ダリオを手伝うことにした。
ジャンニ
「工房は大手メーカーの下請けもやっていたよ。私は経験を積むためにはじめは部分的なTIG溶接もやった。でも、やはりダリオの溶接の腕前にはとてもたどり着けなかった。だから経営面や、デザイン等を担当するようになったんだ」
しかし、後に兄弟はたもとを分かつことになる。筆者にその理由を知る由もないが、以降の二人は絶縁状態であったという。“あった”と書いたのは、彼ら兄弟の今生の別れはすでに永遠のものとなってしまったからである。2018年、フレームビルダーの王様と称えられたダリオ・ペゴレッティは心不全のため、惜しまれつつ他界した。
麻薬におぼれた人々の社会復帰を自転車製造の学びを通じて支える
兄ダリオと決別したジャンニは2005年「サン・パトリニャーノ」という、ヨーロッパ最大の麻薬中毒患者のための更生施設で、社会復帰プログラムの一環として、薬物との関係を完全に断ち切り、社会への復帰を願う若者たちに自転車作りを学ばせる講師の仕事を始めた。
また、この施設は、名はあえて伏せるが、プロツアーのレースに出るような大手メーカー数社のフレームの下請け製造も請け負う、言わばイタリアのハンドメイドバイク製作の重要な拠点だったのだが、ジャンニはその製造部門の責任者も務めていた。
ジャンニ
「サン・パトリニャーノの施設で出会った人々は、誰もが薬物に侵された過ちから更生し、人生を修復する必要があった。ここで、単に自転車フレームを作るだけでなく、彼らが生まれ変わるためのお手伝いをしたんだ。施設での9年間の思い出は一冊の本にまとめられるくらい、私の人生で最も大切なものだ」
そして2015年、サン・パトリニャーノの施設移転と、自転車製造部門の閉鎖が決まったことを機に、ジャンニは自らの工房を立ち上げることを決意する。相棒はサン・パトリニャーノで一番弟子かつ同僚だったアントニオ。実は彼も、薬物依存症で施設にやってきて、ジャンニによる職業訓練を受け、社会復帰した若者の一人だ。
2020年に37歳になるアントニオは、南イタリアのパエストゥムという、人口2万人ほどの町に生まれ育った。子供のころはサッカーや海で泳ぐのが好きで、とても好奇心旺盛な少年だったという。彼がサン・パトリニャーノの更生施設にやってきたのは22歳の時だ。
アントニオ・アッタナシオ(以下アントニオ)
「施設に入ってすぐ、同じ院生の一人の若者アンドレアとペアを組んでの生活が始まりました。僕より施設の古株の彼はどこに行くのにも、まるで監視員のように、うっとおしいくらい、しつこくつきまとってくる。仕事のこと以外にも、部屋の掃除や、食事の準備、皿洗いなど、生活に関わるすべてに口を出し、手ほどきしてくれるが、もちろんこんな二人の共同生活は決して楽しいものじゃなく、言い争いはいつも絶えなかった。でも、彼はそうすることで、私を助けたい、ドラッグに依存しない人との関わり方を、私が学ぶことを望んでいるんだと理解しました」
4年間の職能訓練を受け、自身もフレームビルダーとして働くようになったアントニオ。最終的にはジャンニと同じように施設の職員として採用され、製造現場の監督や、カーボンフレーム製作工程の一部の責任者を任され、給料も受け取る身となった。
しかし、ほどなくし、サン・パトリニャーノの閉鎖が決まる。アントニオがこの施設にきて8年目のことだった。
こうして立ち上がったのがDeAnimaの工房だ。
ジャンニがこの新しい挑戦に、施設での職を失って故郷のパエストゥムに帰ることも考えていたアントニオを誘い巻き込んだのは、DeAnimaのブランドと、この工房の未来を見据えてのことでもある。
DeAnimaは立ち上げ当初から、イタリアの自転車作りの伝統的なメソッドを守ることにしている。なぜなら、自転車にまつわるビジネスの変化とともに、イタリアの大手メーカーはマスプロダクションという新たなメソッドを受け入れ、かつてのフレーム製作の魂は失われてしまったと、ジャンニは考えているからだ。
ジャンニ
「自転車の工房を始めるために、銀行に行き、融資を受ける。それでアジアで生産されたフレームにブランドのステッカーを貼って売れば、ビジネスはよりたやすいが、私たちが目指すのはそこではない。小さなブランドでも、伝統を守りながら、自分たちの望む道を進んで成長していくつもりだ」
またDeAnimaは他の大勢のハンドメイド自転車メーカーと異なり、フレーム作りをスチールではなく、カーボン素材で主にやっている。
ジャンニ
「カーボンではフレームの材料となるチューブをメーカー(コロンブス、デダッチャイなど)から仕入れることなく自分たちで用意する。つまり素材にまで品質管理が及んだ理想のフレーム作りができる」
単に過去の伝統にとらわれるだけでなく、技術の進歩を受け入れ、それを自らの成長につなげようとする。それは、DeAnimaのような少量生産の自転車工房のあるべき姿として、彼が目指しているところだ。また、カーボンフレームと言っても、現在主流のモノコックではなく、それぞれのチューブをつなぎ、接着して作り上げる。 このほうがモノコックよりも手間がかかるが、ユーザーに合わせたサイズのフレーム設計のためには不可欠だ。また、コンフォート性でもモノコックより優位と言える。
材料のチューブは、地元トレント大学のエンジニアの協力を得て設計・製作している。実はジャンニは、自転車の素材としてのアルミの限界を知り、カーボンの可能性にイタリアでいち早く着目した一人であり、この大学との研究はもう何年も前から行っていた。
東レT800 3kプレーンとユニディレクショナルのプリプレグカーボンを複合的に用いてレイアップ(積層)したものをオートクレーブで加熱成型する。一方、チューブの接着、および成型したフレームの仕上げはバキュームインフージョン(真空引き)で行う。オーブンのような、金のかかる設備投資を必要としないこの脱オートクレープ成型法は、少量生産の工房におけるカーボンフレームの製作を可能にした。実際、最近ではイタリアでも、ハンドメイドのビルダーでジオメトリカスタマイズ可能なカーボンフレームをやるところが増えてきている。
モダンアートにインスパイアされた魅せるペイント
プロトタイプを経て発表した第一弾の カーボンフレーム“UNBLENDED”(アンブレンデッド)の後、矢継ぎ早にニューモデルをリリースし、現在カーボンフレームはロード、グラベルでのべ3種類(UNBLENDED, SOUL、AMG)をラインナップする。
他にもTIG溶接のスチールモデルを両ジャンルでそれぞれ4種類(DeFer Strada, DeFer Strada disc、DeFer Gravel、O.Q.O.C )ラインナップしている。なかでも一番新しいO.Q.O.Cはスチールながら1350g(未塗装重量)という軽量化を実現するなど、ジャンニが経験豊富なスチールフレームにおいても意欲的な姿勢を表している。
とはいえ、このブランド一番の魅力で、ジャンニの真骨頂といえるのは、やはり彼によるアーティスティックなペイントだろう。もちろん、DeAnimaは工房内に塗装ブースも備えている。
ジャンニ
「モダンアートが大好きなんだ。ジャクソン・ポロックやフランツ・クラインのようなアクション・ペインティング(振りによる抽象絵画)、アルベルト・ブッリ、ジャン・デュビュッフェといったアンフォルメルの抽象画家のお気に入りの作品からペイントデザインのヒントを得ているよ。工房内に塗装ブースがあるから、好きなだけ試し塗りできるし、スペシャルペイントならまかせてくれ。ブランド名のDeAnimaとはスピリット(魂)を意味する。フレームづくりやペイントは自転車というモダンアートの創作のようなものだと思って取り組んでいる」
DeAnimaの魂(アニマ)は二人の自転車職人の心に宿る
ハンドメイドの自転車工房のビジネスが決して楽じゃないことは、この業界に身を置く誰もが首を縦に振り同意するだろう。
DeAnimaにとって、英国在住でマーケティングを手伝ってくれている、ジャンニの20年来の親友と、このブランドをひいきにし、ある程度まとまった数のオーダーをくれるボルツァーノの自転車ショップのオーナー、この二人が、もっぱらの頼みの綱といったところだ。それでも、DeAnimaが2019年に製作し、世に送り出したフレームの数はたった50本。もちろん、この程度の数ではジャンニとアントニオが食べていくには十分じゃない。それでも彼らは、この仕事への不満は少しも抱いていない。
アントニオ
「自転車づくりに取り組むことで、私は薬物依存という自身の問題を克服し、生まれ変わることができたのです。15年前の無知な私には、自転車は単純なものにしか見えませんでしたが、ジャンニや様々な仲間と一緒に過ごした数年の間に、カーボンによる自転車の製作と開発に携わり、共同で論文を制作しました。その「単純なもの」が、材料工学、空気力学、バイオダイナミクス、グラフィックアートなど多岐の分野を包括していることを知りました。
カーボンの巻き付けや、塗装して作るフレームは、1本1本がそれぞれ異なるオリジナル品です。 それらを自らの手で生み出すことができる。この仕事を私はとても愛しています。ジャンニはいつも、私だけでなく人々に差し伸べる手を惜しまなかった。彼はこれからも、私達にとって最大の恩人であり続けるでしょう」
アントニオには10年来付き添う恋人がいる。エレナだ。二人の間に子供はいないが、エレナの前の夫との子と3人で暮らしている。将来のことも考え、そろそろこのトレンティーノの地に家を建てることも最近は話し合っている。かつて、薬物という魔物につけ込まれたアントニオだが、今の彼には、あの頃の弱さはもう見当たらない。
一方ジャンニには、彼が答えに躊躇するだろうことを承知で、死から2年経った今、兄ダリオ・ペゴレッティについて思うことを訊ねてみた。
ジャンニ
「ダリオについて思うことは多すぎて、答えるのは本当に難しい。2年前、兄ダリオという、大きなものが帰らぬ人となり、私の中で失われた。それはとても辛いことだ。ダリオは昔から、自転車に乗っても、溶接をやっても、いつもすごかった。私たちは18歳まで同じ部屋で寝て、兄弟で一緒に育った。なのに、私たちが衝突し、仲たがいしたことでダリオは私だけじゃなく、父や母さえも、家族を捨ててしまったのだ。しかし、彼のおかげで自転車の世界に身を置くことになったことにまったく後悔はしていないし、むしろ、私をこの自転車の世界に導いてくれた兄ダリオには感謝しかない」
2020年に61歳になるジャンニは、サン・パトリニャーノの施設の閉鎖が決まった時、年金生活に入ることもできたが、彼自身がまだそれを望まなかったという。
そして生まれたDeAnimaのブランド。その名が意味するアニマ(魂)とは、きっと、自転車とともに生きてきた二人の職人の心の中に宿る魂のことだろう。
Auguri. Vi aspettiamo in Giapopne!(ご盛栄を、日本でお会いしましょう!)
Text: Atsushi Shizumi(Arteicilo)
●アルテチクロのホームページ
ジャンニ・ペゴレッティとその弟子アントニオ・アッタナシオ、二人がこれからペダルを踏んで進む道は、トレントの山々のはるか向こうまで続いている。