トレックが環境に優しい紙製ショッピングバッグを導入

トレック・ジャパンは環境保全のため、プラスチック製のショッピングバッグの製造を廃止し、新たに紙製ショッピングバッグを導入する。適正管理された森林木材による製品のみに与えられるFSC認証を受けた紙のみを利用。順次、再生紙、環境に優しいインクに切り替える予定。

トレックのカルチャーである、Ride Bikes Have Fun Feel Goodのロゴにこめられたメッセージを多くのユーザーにお届けできることを願っているという。

●トレックのホームページ

ツール・ド・フランス歴代記録集(1903年から2023年まで)

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●個人総合優勝回数
5勝
ジャック・アンクティル(フランス)1957,1961,1962,1963,1964
エディ・メルクス(ベルギー)1969,1970,1971,1972,1974
ベルナール・イノー(フランス)1978,1979,1981,1982,1985
ミゲール・インデュライン(スペイン)1991,1992,1993,1994,1995
4勝
クリストファー・フルーム(英国)2013,2015,2016,2017
3勝
フィリップ・ティス(ベルギー)1913,1914,1920
ルイゾン・ボベ(フランス)1953,1954,1955
グレッグ・レモン(米国)1986,1989,1990

●マイヨジョーヌ着用日数
エディ・メルクス(ベルギー)111*
ベルナール・イノー(フランス)79*
ミゲール・インデュライン(スペイン)60
クリストファー・フルーム(英国)59
ジャック・アンクティル(フランス)52*
*ドゥミタップ(午前と午後にそれぞれ行われる半ステージ)を含む

●ステージ優勝回数
エディ・メルクス(ベルギー)34
マーク・カベンディッシュ(英国)34
ベルナール・イノー(フランス):28
アンドレ・ルデュック(フランス):25

●1大会のステージ優勝回数
シャルル・ペリシエ(フランス、1930)8
エディ・メルクス(ベルギー、1970・1974)8
フレディ・マルテンス(ベルギー、1976)8

●ポディウム(総合1位から3位までの表彰台)
レイモン・プリドール(フランス)8

●参加回数
シルバン・シャバネル(フランス)18
ジョージ・ヒンカピー(米国)17
イェンス・フォイクト(ドイツ)17

●ポイント賞
ペテル・サガン(スロバキア)7

●山岳賞
リシャール・ビランク(フランス)7

●新人賞
タデイ・ポガチャル(スロベニア)4
ヤン・ウルリッヒ(ドイツ)3
アンディ・シュレック(ルクセンブルク)3

●国籍別の総合優勝回数
フランス:36勝
ベルギー:18勝
スペイン:12勝
イタリア:10勝
英国:6勝
ルクセンブルク:5勝
米国:3勝
デンマーク:3勝
オランダ:2勝
スイス:2勝
スロベニア:2勝
ドイツ:1勝
オーストラリア:1勝
コロンビア:1勝
アイルランド:1勝

●優勝者と2位の最小タイム差
8秒:1989年(優勝グレッグ・レモン、2位ローラン・フィニョン)

●優勝者と2位の最大タイム差
2時間49分21秒:1903年(優勝モーリス・ガラン、2位ルシアン・ポチエ)

●最年長優勝
フィルマン・ランボー(ベルギー、1922):36歳

●最年少優勝
アンリ・コルネ(フランス、1904):20歳
第二次世界大戦後の最年少優勝はタデイ・ポガチャル(スロベニア、2020):21歳

●メディア
取材メディア数:500
記者・カメラマン:45カ国・1800人
テレビ放送:190カ国、100系列局、うち生中継60局
総放送時間:7000時間
公式サイト:1700万ユニークユーザー、2億2200万ページビュー
SNS(Facebook・ツイッター・インスタグラム・YouTube):7500万フォロワー
モバイルアプリ230万ダウンロード
映像視聴者7340万人


ツール・ド・フランスの5勝クラブ

ツール・ド・フランス総合優勝の歴代最多記録は5勝。ジャック・アンクティル(フランス)。エディ・メルクス(ベルギー)。ベルナール・イノー(フランス)。そしてミゲール・インデュライン(スペイン)。「クラブサンク」と呼ばれる「5勝クラブ」への会員登録が許されたのは100年以上の歴史の中でこの4人しかいない。もちろんそんなクラブは実在せず、紙面上で担当記者が好んで使う表現。

ジャック・アンクティル

山岳ステージでヒルクライムのスペシャリストと渡り合い、タイムトライアルでライバルをねじ伏せる。勝利の方程式を確立させたのがフランスのジャック・アンクティルだった。タイムトライアルの伝統レース、グランプリ・デ・ナシオンで9連覇するなど、あらゆるタイムトライアルでトップレコードを記録した。アンクティルのツール5勝はまさにタイムトライアルの勝利によるものだった。深いクラウチングスタイル、華麗なペダリング。近代レースの幕開けを率先したレーサーで、史上初の5勝を記録した。変速機にこだわり、フランスメーカーのサンプレックスから晩年はカンパニョーロに乗り換えた。変速メカの重要性がクローズアップし、機材としての進化が推進されたのもアンクティルがいたからである。


エディ・メルクス

2019年、ブリュッセルの表彰式で大観衆に手を振るメルクス ©ASO Olivier CHABE

ベルギーのエディ・メルクスは自転車競技の歴史の中でも伝説的な選手で、20世紀を代表するスポーツ選手として、自転車選手でただ一人選出された。生涯勝利記録は437勝。ジロ・デ・イタリアとツール・ド・フランスの両方で大会最多記録となる5勝をマーク。ツール・ド・フランスでは、1970年と1974年にステージ8勝を挙げている。
その勝ち方は圧倒的だった。ワンデーレースのクラシックもステージレースも根こそぎ勝ちまくり、その戦いぶりから「カンニバル=人食い鬼」とも呼ばれた。ツール・ド・フランスでも総合1位のマイヨジョーヌを着ながら、パリのゴールスプリントを制したこともある。平たんステージで逃げを決め、山岳でも独走する。マイヨジョーヌを着用した日数はなんと96日(午前と午後に開催されたドゥミエタップを考慮せず)。決して破られることのない不滅の記録の持ち主だ
現在は自らの名前を冠したフレーム製作会社を経営し、ロット・ドモチームが使用している。息子のアクセル・メルクスは現役選手として活躍中。


ベルナール・イノー

パリ〜ルーベを走るベルナール・イノー

ツール・ド・フランスで5勝をあげた選手の中でも最も荒々しく、好戦的なレーサーがイノーだ。1954年11月14日生まれ、フランスのブルターニュ出身ジタンチームに所属していた1978年にツール初優勝。以来ツールは通算5勝、ジロ・デ・イタリア3勝、ヴェルタ・エスパーニャ2勝、世界選手権ロード優勝など、あらゆるメジャーレースを総なめにした実力者。
ニックネームは「ブルターニュの穴グマ」。ツールでは、このイノーの1985年優勝を最後に地元フランス勢は総合優勝から遠ざかっている。現役引退後はツール主催者の専門委員に就任。今でもレース会場には欠かせぬ存在となっている。
イノーと言えばジャージの胸元を引き裂いて走るほど荒々しい性格だったが、それと同時に最新鋭機材を次々と導入し、自転車界に革命をもたらせたことでも知られた。1980年代に入ってすぐに、涙滴断面のエアロチューブを駆使し、その後のエアロブームを巻き起こしたのもイノーだった。このフレームに装備されているルックのビンディングペダルだってその代表だ。100年の歴史があったトウクリップをわずか数年で引退に追い込んでしまった功罪の首謀者だ。
絶対的な自負心を発散し、エースとアシストという徒弟制度を確立させたイノー。最後の総合優勝の時、落車で鼻骨骨折するアクシデントもあって、チーム内の若きグレッグ・レモンに優勝を譲られた形で終幕した。そのときに「来年はおまえに譲るから」という話があったはずである。


ミゲール・インデュライン

スペインの無敵艦隊ミゲール・インデュライン

スペインの太陽王と呼ばれたミゲール・インデュラインは、スペイン北部のバスク地方の出身。1984年にイバネストチームの前身である、レイノルズでプロデビュー。先輩格のペドロ・デルガドのアシスト生活が長く、頭角を現したのは20代の最後の方だ。身長188cmと大柄だが、山岳ステージに強く、ヒルクライマーと互角に渡り合い、得意のタイムトライアルで圧勝する。まさにアームストロングと同じ勝ちパターンで勝利を重ねていった。
性格は温厚で、誰からも愛され、頭脳的な走りもできる。アームストロングさえも、「ミゲールのような、あんな偉大な選手になりたい」と言わしめたほどの完全無欠なレーサーだった。ツール・ド・フランスでは鉄壁の走りで5連覇を達成したが、1996年にアルプスで脱落し、デンマークのビャルネ・リースに連覇を阻止された。引退も早く、そのシーズンを最後に現役生活に終止符を打った。

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発熱で自宅隔離も開催日未定の全日本を見すえる…山本元喜

新型コロナウイルス感染拡大でレースシーズン中断が続いているが、KINAN Cycling Teamは選手・スタッフとも日々前向きに、シーズン再開の日を待ちながら過ごしている。そんなチームの様子を届けるため、いま世界的に叫ばれている「Stay Home」をキーワードに選手たちへインタビュー。今回は山本元喜。現在の生活、シーズン再開への思い、そして今後の目標を語った。

©Syunsuke FUKUMITSU

-ご家族も含めて元気に過ごせていますか?
実はちょっと微妙でして、自分が4月10日頃に風邪をひいてしまったのです。その時期にどうしても外出せねばならないこともあったので、「もしかしたら新型コロナウイルスに感染してしまったのか?」と不安がよぎりました。ただ、微熱だけで特に咳が出たりといった症状はなかったので、花粉症も併発してのことだったのかなと思っています。週が変わってからはトレーニングも再開できています。

-現在トレーニングはどのように行っていますか?
今年からコーチについてトレーニングを見てもらっていて、いまも可能なメニューには取り組んでいます。自分のブログでもその週行ったトレーニングメニューを公開しています。以前のように自分でトレーニングメニューを組み立てているやり方だと、この時期はそんなにバイクに乗っていなかったと思うのですが、今年に入ってコーチにしっかり見てもらっているので、レースがない中でもきっちりトレーニングができている感覚はあります。

-あらゆる面で自粛が求められている中、1日をどのように過ごしていますか?
オフシーズンに近い生活でしょうか。基本的に、トレーニングをして、休息をとって、次の日を迎えている…みたいな感じですね。外出ができないので、家にいてインターネットをしたり、何かほかのことをしたりという具合ですね。

-こうして聞く限り、モチベーションはしっかり保てている印象ですが
いや、正直モチベーションは下がっていますよ(笑)。いつもトレーニングは妻と行うので、時間をそろえてスタートして、コーチから与えられているメニューを行って…という感じです。まぁ、モチベーションは上がっていないけど、与えられているメニューはしっかりやる、といった流れです。

-自転車に限らず、日々何か楽しみを見つけていますか?
体調を崩してしまったので、念のため自宅では隔離状態にあります。それもあって1人でいることが多いので、インターネット…最近はYouTubeをよく観ていますね。何を観ているかですか…ゲームの実況とかですね。自転車とはまったく関係のないものしか観ていないです。個人的にもYouTubeをしっかりやってみたいと考えているので、その中で自分がどういった番組を観ていたらおもしろいと感じるのかを確認していて、いまは楽しみ半分、情報収集半分といった感じでやっています。

©Syunsuke FUKUMITSU

-「Stay Home」が叫ばれる中で、何か健康を維持する効果的な方法があれば教えてください
やっぱり運動することですね。外出ができない中なので、自転車であればローラーであったり、最近はe-ライドも広がっているのでトライしてみるとよいかもしれません。あとは、家庭内でできる運動に取り組んでほしいですね。

-食生活で気を付けていることは何かありますか?
普段とそれほど変わらないですね。レースがまだまだ先なので、現時点で食生活をどうこうしても個人的にはあまり変わらないかなという感覚です。オフに近い過ごし方をしているので、自由に好きなものを食べてはいますが、太りすぎないようにだけは注意したいと思っています。

-レースに目を向けて、ニュージーランドとオーストラリアで走ったシーズン序盤戦を振り返って、どんな走りができましたか?
(先々を見越して)レース勘を多少でも持っておくことができるのはアドバンテージかなと。これからもレースがない日々が続くと、実際のオフシーズンより期間が空いてしまうので、その勘がリセットされてしまう懸念はありますが、2月までレースを走れていたことでレース再開へのモチベーションの維持がしやすいかなと思いますね。例えば、昨年11月のツール・ド・おきなわが終わって以降、まったくレースを走っていない…となれば半年以上レースができていない状況に陥っていたことになるので、そう考えると多少でもレースを走れていたという感覚が持てているのは、まだよい方なのかなと感じています。

-UCI通達により7月に入ってからのレースシーズン再開に向けた動きが出てきました。これからはどこを目標に据えて取り組んでいきますか?
全日本選手権は狙いたいと思っているので、開催日が決まったらそこに向けてしっかり照準を合わせていきたいですね。あと、今年は三重県の一員としてかごしま国体(ロードレースは10月11日実施予定)を目指すことにもなっています。現状で確実に目指していくレースとしては、全日本と国体になってくるかなと考えています。

聞き手:KINAN Cycling Teamメディアオフィサー 福光俊介
インタビュー実施日:2020年4月17日

【ツール・ド・フランスリバイバル】2011年、マイヨジョーヌ南半球へ

第98回ツール・ド・フランスはオーストラリアのカデル・エバンス(BMC)が南半球にある国の出身選手として初となる総合優勝を達成した。34歳だった。1分34秒遅れの総合2位はルクセンブルクのアンディ・シュレック(レパード・トレック)。2分30秒遅れの同3位は兄フランクで、兄弟がパリの表彰台に一緒に立つのは史上初。

第4ステージで勝利を確信したコンタドールがガッツポーズするが、写真判定でエバンス(右)が先着していた

エバンスは第4ステージで区間優勝すると、合計6区間ある山岳コースでも有力選手から致命的な遅れを取ることなく、最終日前日の個人タイムトライアルへ。得意とするこの種目で57秒遅れの総合3位から一気に首位に立った。

「自転車をやり始めてからここまで20年間。ツラいことも多かったが、たくさんの苦労が今日の栄冠をもたらしてくれた」とエバンス。

もともとはMTB選手でW杯シリーズ年間王者に2年連続で輝いた実績がある。自国開催のシドニー五輪後、欧州を活動拠点にしてロードレースに本格転向。2009年には世界チャンピオンになったが、アシストを含めた総合力が問われるツール・ド・フランスではチーム力に恵まれず何度も優勝を逃してきた。

開幕地バンデ県に本拠地を置くヨーロッパカーチームは、地元出身選手を多用したフランス純血チームに。新城幸也はそれに押し出される形でメンバー落ちしたが、「ユキヤが選ばれないのは理解できない」という地元ファンの声が聞かれた。

干潮時にしか海面上に姿を現さないパサージュ・デュ・ゴワが開幕日のスタート地となった

ジロ・デ・イタリア制覇のコンタドールが読み違えたこと

この2011年大会の開幕では、スペインのアルベルト・コンタドール(サクソバンク)は3年連続4回目の総合優勝を目指す大本命だった。後日前年の総合優勝が薬物使用によって取り消されるが、コンタドールの実力はだれもが認めていた。ただしコンタドールにとっては、じつのところ番狂わせなツール・ド・フランス出場だった。

コンタドールは5月に開催されたジロ・デ・イタリアで圧勝していた。周囲はマルコ・パンターニ以来となる12年ぶりの二大大会制覇を期待した。しかし開幕地に登場したコンタドールの調整不足は明らかだった。科学的コンディショニングが導入される近年においては、その間隔が1カ月しかない23日間の過酷なレース2つをベストで臨むことは非常に難しいことなのだ。

コンタドール(3人目)は第1ステージの終盤に落車に巻き込まれ、いきなり1分20秒遅れた

コンタドールも当然、世界最高峰の自転車レースであるツール・ド・フランスを最重要視していた。それでもなぜジロ・デ・イタリアに出場したのか。それは前年のツール・ド・フランスで誤差の範囲ほどの微量ながら禁止薬物が検出されたことで、それを理由に主催者からシャットアウトされる可能性があったからだ。

ツール・ド・フランスの欠場を想定してジロ・デ・イタリアに参戦。その大会で地元イタリア勢を寄せ付けることなく圧勝。皮肉なことにその後、ツール・ド・フランスに参加ができることになるのだが、ジロ・デ・イタリアの疲労をコンタドールは取り切れていなかった。案の定、第1ステージの終盤に発生した落車で立ち往生し、初日で1分20秒もロス。失ったこのタイムは終盤になって大きく影響してくる。

絶好のスタートを切ったのはエバンスだ。2007、2008年と僅差で総合2位になっていたが、ここ2年は若手期待のアンディ・シュレックが台頭し、この34歳の選手は優勝候補の大本命とは見なされていなかった。しかし初日に3秒遅れの総合2位につけると、序盤戦にマイヨジョーヌを独占したトール・ヒュースホウトをわずか1秒差で追走。絶好の位置で勝負どころとなる山岳ステージを迎えた。

コンタドールの不調で優勝の最有力となったアンディは、兄のフランクとともに前半戦になりを潜めた。まるで調子が悪いのかとも思えるような、動きの見られない走りだった。それでもライバルとなるコンタドールがタイムを失い、うるさい存在であるアレクサンドル・ビノクロフが落車によってレースを去っていく。

中央山塊の第9ステージでトマ・ボクレールがマイヨジョーヌを獲得しても、シュレック兄弟が山岳ステージで勝負に転じる計画は変わらなかった。

2011ツール・ド・フランスでマーク・カベンディッシュは区間5勝、マイヨベールも獲得した

フランスのボクレールが意地を見せた

ところがここで頑張ったのがボクレールだ。1985年のベルナール・イノー以来、最終的なマイヨジョーヌから遠ざかっているフランス勢にあって、ボクレールは見事なまでの執着心を見せつけた。

「山岳でマイヨジョーヌを手放すことになるよ」とは言い逃れ。あるいはチームメートのプレッシャーを減じるためのハッタリだった。

ピレネーの3日間をボクレールはマイヨジョーヌを守り抜いた。さらにアルプスでも2日間崩れなかった。ファンは「パリまでマイヨジョーヌを守るのでは」という期待もわずかにふくらんだ。しかしそこはボクレール。

最後の山岳となるラルプデュエズ。一発逆転をねらったコンタドールに対して、アンディが反撃を許さずにゴール。さすがにボクレールも脱落して、ようやくここでアンディがマイヨジョーヌを獲得する。

広告キャラバン隊は夜遅くまで騒いでいるが、朝早くから販促物の封入作業も

しかし2011年の大会は、それでドラマがフィナーレを迎えるという筋書きではなかったようだ。

最終日前日の個人タイムトライアルへ。合計6区間ある山岳コースで有力選手から致命的な遅れを取ることがなかったエバンスが、得意とするこの種目で57秒遅れの総合3位から一気に首位に立った。およそ10年間、ツール・ド・フランスでは苦悩の日々を費やしてばかりだったが、まさにマイヨジョーヌへの執着心が爆発した。

2011年の大会はたった1枚しかない黄色いジャージへのこだわりが強かった選手に最終的に落ち着いたという感がしてならない。


ツール・ド・フランスの歴史は講談社現代新書のKindle版にしっかりと書いてあります。

【ツール・ド・フランスリバイバル】
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🇫🇷ツール・ド・フランス2020特集サイト
🇫🇷ツール・ド・フランス公式サイト

イネオスはツール・ド・フランス欠場も…感染リスクと経済的価値観の再考

英国のイネオスを率いるデイブ・ブレイルズフォード監督は、衛生状態が保証されない場合、8月29日から9月20日までの日程で延期開催されるツール・ド・フランスに出場しない可能性があると語った。英国の日刊紙ザ・ガーディアンのインタビューに答えた。

マイヨジョーヌのベルナルをイネオス勢がガードする ©ASO Pauline BALLET

チームのゼネラルマネージャーであるブレイルズフォードは、新型コロナウイルス感染を阻止するあらゆる健康対策が主催者によって提供されなければ、チームはツール・ド・フランスに出場しないとした。

「ツール・ド・フランスに参加することはうれしいが、不参加が望ましいと判断した場合、我々はレースを欠場する権利を行使する」という。新型コロナウイルス流行当初に開催されたパリ〜ニースでは出場を見送っていて、「状況を注意深く監視したい」としている。

「世界は今スポーツを必要とせず、医師や看護師こそが必要。サイクリング不足で死んだ人はいない」

タイムズのインタビューでブレイルズフォード監督は、「このパンデミックは必然的にプロの自転車チームが運営する現在の経済モデルに影響を与え、その考え方を変えなければならない」と説明している。

「プロスポーツが進化したことは幸運だったが、この不確実な時代に謙虚さを持つことは悪いことではない」とブレイルズフォード監督。

「世界は今スポーツを必要としない、それは医師や看護師を必要とします。サイクリング不足で死んだ人はいない」

●ザ・ガーディアンの記事
🇫🇷ツール・ド・フランス2020の特集サイト

アスタナがジロ・デ・イタリアバーチャル第1S優勝…19日はレジェンド参戦

全7ステージで争うジロ・デ・イタリアバーチャルは4月18日、出場選手それぞれの自宅をオンラインで統合して距離32.1kmの第1ステージを行い、アスタナプロチームが優勝した。アスタナのアレクセイ・ルツェンコが個人最速タイムとなる44分41秒を出し、チームメートのダビデ・マルティネッリの記録と合わせて1時間35分04秒でバーチャルフィニッシュ。マリアローザを獲得した。

カザフスタンナショナルジャージを着るアレクセイ・ルツェンコ。イベント協賛メーカーのタックスを使用する

アスタナチームは、エリア・ビビアーニとU23選手のサムエーレ・ゾッカラートで構成されたイタリアナショナルチームに6分46秒差、フレッド・ライトとグレガ・ボーレのバーレーン・マクラーレンに9分40秒差をつけて首位に立った。プロカテゴリーはステージごとに選手が替わるため、個人総合成績ではなくチーム総合成績でマリアローザを争う。

ピンクレースはトレック・セガフレードが首位に

Garminエッジを見ながらダンシングするトレック・セガフレードのリジー・デイニャン

女子のピンクレースでは、1時間01分02秒の最速タイムを出したエリサ・ロンゴボルギーニとリジー・デイニャンのトレック・セガフレードが合計タイム2時間10分04秒でトップに。マリアジュリア・コンファルニエーリのアリアナ・フィダンツァからなるイタリアナショナルチームは4分18秒遅れ、モビスターは11分03秒遅れで3位。

欧州チャンピオンジャージでペダルをこぐエリア・ビビアーニ

イタリア代表として参加した欧州ロードチャンピオンのエリア・ビビアーニは、「このイベントは本当に素晴らしいと思う。苦難の時代にサイクリングというスポーツがイタリア赤十字社のために資金を集めながら、ファンになにかを返す新しい方法を見つけたからだ」と語っている。「アスリートとして私は参加して幸せだ。本当に実際のレースのように感じる上り坂で、正確なシミュレーションでペダルを踏んでいる選手にとっては本当の意味でチャレンジだ。いい経験なのでみんなにオススメしたい」


困難な時代にスポーツは真っ向から勝負を挑む

イタリア自転車競技連盟のレナート・ディロッコ会長は、「サイクリングがますます多くの人々にとってインスピレーションと活力の源になるのを見て大きな満足感を覚えた」と語った。

「私たちが直面しているこの困難な時代に、スポーツは多くの課題に立ち向かい続け、真っ向から勝負を挑んでいる。ジロ・デ・イタリアバーチャルもこの一例だ。ラ・ガゼッタデッロスポルトとRCSスポルトがバーチャルミラノ〜サンレモの成功を収めた後に立ち上がり、サイクリングコミュニティの新たな精神を具現化した。私たちはそれを誇りに思うべきだ」

今回のバーチャルレースにイタリア代表は男子、女子、23歳未満を派遣した。イタリアにとどまらず、世界中で行われているすべてのスポーツの中に存在するコミュニティを示したものだ。

「選手、スタッフ、ファン、私たちは今まで以上に一つのチームだ。チームとして私たちは成功する。ジロ・デ・イタリアが再びイタリア半島を縦横無尽に駆けめぐり、最高のシーンを示す日を楽しみにしている」

トレック・セガフレードのエリサ・ロンゴボルギーニ。スマートトレーナーはチーム契約「サリス」の前ブランド名「サイクルオプス」

バーチャルだけどテイストはコルサローザと同じだ

ジロ・デ・イタリアのマウロ・ベーニ統括ディレクターは「私たちの最愛のレースがイタリアの道路上に戻る日を待っている間、ジロ・デ・イタリアバーチャルが選手とファンの両方にとって魅力的な経験になると思った」とコメントしている。

「異なる特性を持つ選手を満足させるために7つのステージを選択した。このイベントには、トルトレートでの第10ステージのフィニッシュ、ノベコリのアップダウンの多いルート、マドンナ・ディ・カンピリオとラスト30kmで1000m以上の獲得標高となるセストリエーレ、ミラノでの15.7km個人タイムトライアルなど多様な課題がある。コルサローザ(ジロ・デ・イタリアの愛称)の本当のテイストが味わえる」

●Garminバーチャルライドのホームページ

🇮🇹ジロ・デ・イタリアバーチャル / 延期された2020ジロ・デ・イタリア特集サイト