辻仁成が2021年のフランス観光親善大使に就任

フランス在住の作家・ミュージシャンの辻仁成が2021年度フランス観光親善大使に任命された。フランス国家唯一の観光推進機関であるフランス観光開発機構(アトゥー・フランス、本部パリ)が2021年5月28日に任命した。

任命状を手にする辻仁成 ©Kô ODA

フランス観光親善大使のタイトルは2000年、フランス観光開発機構の前身であるフランス政府観光局が創設し、フランスに縁のある著名人の個人的な視点からフランスの魅力を発信してもらうことを目的にこれまで45人を任命している。

新しく就任される観光親善大使には、駐日フランス大使、フランス観光開発機構総裁の署名入りの任命状が渡される。2021年はフィリップ・セトン駐日フランス大使、フランス観光開発機構カロリーヌ・ルブシェ総裁による任命状が、機構パリ本部でカロリーヌ・ルブシェから手渡された。

任命状を手渡すカロリーヌ・ルブシェフランス観光開発機構総裁(左)、辻仁成 ©Kô ODA 

パリから常にポジティブな言葉を発信

辻は2000年度初頭よりパリ在住。ブログやSNS、自身が立ち上げたウェブマガジン Design Stories を通じ、フランスでの日常生活のほか、コロナ禍にある世界やフランス情勢についても、未来を見すえポジティブな視点から精力的に発信を続けている。その高い発信力を評価し、フランス観光開発機構は2021年度フランス観光親善大使の任を辻に依頼することを決定した。

任期中の活動
任期の間、辻はフランス観光開発機構やその協力先の各地方観光局と連携し、フランス各地の見どころについて発信していく。発信の場は主にウェブマガジンDesign Storiesで、フランス観光開発機構の公式サイト France.fr 内に設けるフランス観光親善大使特設サイトと連携。

セーヌ川クルーズライブ中の就任報告
就任から2日後となる5月30日、辻はセーヌ河のクルーズ船からオンラインコンサートを配信するという初の試みに挑戦。演奏の合間にフランス観光親善大使への就任を報告し、エッフェル塔やオルセー美術館などパリの名所をガイドするなど、就任後初の自身のイベントを観光プロモーションにつなげ、観光親善大使としての存在感を十二分に発揮した。

就任の抱負を語る辻仁成 ©Kô ODA

辻仁成のコメント

大変光栄なことにフランスの親善大使に任命されました。
パリに暮らし始めて20年が経ち、僕の息子もここで生まれ、来年は大学生になろうとしています。フランスに育ててもらったというのもあり、なにかフランスに恩返しができたらと思っていました。最近パリと田舎を行き来する中で今まで知らなかったフランスのよさに気づき、それを日本の人に伝えたいと思っていた矢先の親善大使のお話でしたので、これはちょうどいい僕の仕事だと使命感に燃え、オファーを請けさせていただきました。日本の皆さんにフランスの素晴らしさ、この国が持っている文化と教養、そして心のやさしさをすべて僕なりに解釈してお伝えできればと思っています。

カロリーヌ・ルブシェ(フランス観光開発機構 総裁)コメント
フランス観光親善大使の任命状を辻様にお渡しできて非常に光栄です。彼は才能豊かで、その感性をフランスの国民と分かち合い、とくに日本とフランスを結ぶ分野である文化、歴史、食、フランス流の暮らしを敏感に感じ、日本の皆様に伝えておられます。このような方に親善大使をお願いできるのは大変嬉しく光栄なことで、我々にとり大きなチャンスであります。氏を通して日本の皆様がフランスの文化、歴史、史跡、食を知り、この国やその多様な風土と人への理解が深まること、氏の著作や取材によりフランスについて良き反響が起こることを願ってやみません。

任命状 ©Kô ODA

辻 仁成(つじ・ひとなり)
作家1989年『ピアニシモ』で第13回すばる文学賞を受賞。97年『海峡の光』で第116回芥川賞、99年『白仏』の仏語版「Le Bouddha blanc」でフランスの代表的な文学賞であるフェミナ賞の外国小説賞を日本人として唯一受賞。映画監督として、1999年、第三回ドーヴィル・アジア映画祭コンペティション部門で監督作品「ほとけ」が最優秀イマージュ賞受賞。同作品でベルリン映画祭。監督作品「千年旅人」でベネチア映画祭、監督作品「アカシア」で東京国際映画祭にノミネート。ミュージシャンとしては80年代にECHOESを結成、作詞作曲した「ZOO」がミリオンセラーに。さまざまな分野で活動を続ける。現在は拠点をフランスに置き、日仏を行き来しながら創作に取り組んいる。帝京大学・冲永総合研究所特任教授。Webマガジン「Design Stories」、 デザイン&アートの新世代賞を主宰。
●WebマガジンDesignStories

観光親善大使の就任を祝って乾杯する辻仁成(右) ©Kô ODA

●歴代のフランス観光親善大使・フランス広報大使
2017年:くまモン(熊本県キャラクター)、リカちゃん(着せ替え人形)
2016年:中村江里子(アナウンサー)、新城幸也(自転車選手)
2015年:大地真央(女優)、森田恭通(デザイナー)
2014年:高見沢俊彦(ミュージシャン)、池田理代子(劇画家)
2013年:川島なお美(女優)、鎧塚俊彦(パティシエ)
2012年:竹中直人(俳優)、蜷川実花(写真家)
2011年:寺島しのぶ(女優)、平野啓一郎(作家)
2010年:小山薫堂(放送作家)、諏訪敦彦(映画監督)、知花くらら(モデル)
2009年:市川團十郎・海老蔵(歌舞伎俳優)、夏木マリ(ディレクター)
2008年:滝川クリステル(キャスター)、假屋崎省吾(華道家)
2007年:城之内ミサ(音楽家)、佐藤陽一(ソムリエ)、櫻井寛(フォトジャーナリスト)
2006年:黒柳徹子(女優)
2005年:石坂浩二(俳優)
2004年:柴俊夫(俳優)、真野響子(女優)
2003年:貴乃花光司(元横綱)、野際陽子(女優)
2002年:阿川佐和子(エッセイスト)、檀ふみ(女優)、吉田兄弟(津軽三味線奏者)
2001年:東儀秀樹(雅楽師)、林真理子(作家)、藤野真紀子(料理研究家)
2000年:石川次郎(編集者)、市川染五郎(歌舞伎俳優)、岸惠子(女優)、高田万由子(女優)、藤本ひとみ(作家)、細川護煕(元首相)、山本容子(版画)

●フランス観光親善大使特設サイト

フランス入国にわずかな明かり…連載コロナ禍のフランスへ

新型コロナウイルス感染拡大に歯止めがかからない状況で、果たして2021ツール・ド・フランス取材に行けるのか? その道すじはかなり厳しい。2020年は現地取材を見送り、23年間続けてきた全日程取材がストップした。果たしてフランスに行けるのか。(第1回/2021年3月24日)

日本からの入国は特例としてOKになった

フランスは感染第二波が一向に収まらず、そのままの流れで変異株による第三波に移行。パリを含むイルドフランスなど16県ではみたびのロックダウンに追い込まれた。3月20日午前0時から最低4週間の外出制限が施行されている。生活必需品(本・音楽含む)を除くすべての店舗・施設は閉鎖されている。

その一方でわずかな明かりも差してきた。フランス政府は3月12日、感染状況が落ち着いているオーストラリア、韓国、イスラエル、日本、ニュージーランド、英国、シンガポールを到着地または出発地とする移動には、やむを得ない理由を証明する必要をなくした。皮肉なもので、フランス国内で英国型変異株の広がりが極めて広範囲におよぶ現状であり、比較的安定している国からの入国を拒否する理由がないからだ。

日本は外務省が海外安全情報でフランスをレベル3に指定し、渡航中止勧告を施行している。ただし法的な強制力をもって渡航を禁止するものではない。だから、「それにもかかわらず行く」という人の意志は曲げられない。結論として、日本からフランスには渡れるのである。

ただし、新型コロナウイルス感染拡大の防止のために、いくつものハードルをクリアしていく必要がある。

出発前72時間以内に実施したPCR検査の陰性証明書の提示は当然のことながら必要。しかも日本では容易に受けられる「唾液によるPCR検査」は正規のものと認定されず、フランスの空港に到着したあとに再度「鼻咽頭によるPCR検査」を受けなければならない。

また旅行前14日間に陽性者と接触した覚えがないことを証明するとともに、フランス入国後7日間の自主隔離を行うこと、この7日間の隔離期間終了後に2回目のPCR検査を受けることを誓約する宣誓書も日本の空港で搭乗する時に提示しなければならないという。

鼻咽頭によるPCR検査での陰性証明書などをフランス入国時に提示して入国できたら、フランス当局が決めたリストに掲載されたホテルで7日間の自主隔離を行わなければならない。その自主隔離を終えて、改めて2回目のPCR検査が実施され、陰性となればフランス国内を移動できるようになる。

フランス入国後は接触確認アプリ「TousAntiCovid」(フランス語)をダウンロードし、感染予防措置と対人距離確保措置を厳守し、マスクを着用、発症または感染の場合は慎重かつ責任ある行動をとる必要があるという。【継続調査中】

3月24日現在、フランスは依然として感染高止まりの状況が続く

7日間の隔離にかかるホテル滞在費用は自己負担

ちなみに日本に帰国した際は、さらに長い14日間の自主隔離が求められる。感染拡大が収まらないフランスからの帰国者は、まず政府指定のホテルでの7日間の隔離を余儀なくされるのだが、この費用はフランスと違って日本政府が負担してくれる。隔離期間を終えたら、14日からその期間を差し引いた日数を自宅などで過ごすことが求められる。

といっても取材記者の場合は、パソコンと通信環境があれば日常業務が行えるので、日本に帰ってくることさえできればこっちのものだ。

さて話をもとに戻して、フランスに到着して7日間の隔離にかかるホテル代金など。フランス当局が決定したホテルリストをチェックしてみた。パリのシャルルドゴールに5つ、パリのオルリーが4、それ以外にミュルーズ、リヨン、マルセイユ、モンペリエ、ニース、トゥールーズのホテルが掲載されている。日本からの国際線はパリのシャルルドゴール空港に到着するので、5つのホテルから選択する必要があるようだ。

ツール・ド・フランスへの道のりはまだまだ遠い ©ASO Pauline BALLET

気になる料金はヒルトン・ロワシーポールが1泊3食付きで145ユーロ。これ以外に1人につき1泊2.88ユーロの滞在税が追加される。さらにメルキュール、マリオットなどの高級ホテルがあり、庶民派ホテルのカンパニールが最安値となる。シングルの素泊まりで49ユーロ、朝食7.9ユーロ、夕食は3品目と飲み物1杯つきで25ユーロと細かい料金表も掲載されている。ちなみにロワシーポールの夕食にはソフトドリンクがつくらしい。

ただし7日間の拘留期間、ではなく自主隔離期間は精神的なストレスを感じずに過ごしたい。カンパニールの質素な部屋で7日間の滞在に耐える精神力はない。カンパニールはどれも同じ作りのホテルで、広いガラス窓の外が屋外通路となり、他の宿泊客や従業員がひっきりなしに通過する。

一方のヒルトンはホテルガイドを見る限り、プールなどの施設があって快適に過ごせそうだ。ただし自主隔離者がどこまで立ち入りを許されるのか? このあたりを問い合わせてみたい。

🇫🇷ツール・ド・フランス2021特集サイト
●フランス政府のコロナ関連ホームページ

ラグビーW杯で日本戦2試合をホストするトゥールーズが歓喜

ラグビーワールドカップは前回の日本大会に続き、2023年にフランスで開催される。試合会場がある10都市のひとつ、トゥールーズがグループリーグで日本戦2試合をホストすることになり、盛り上がっている。

2019年6月15日、フランス国内1部リーグTop14の決勝戦でスタッド・トゥールーザンがASMクレルモンフェランを破り、トゥールーズのキャピトル広場で地元クラブの優勝を喜ぶ人々 © Carbonnel François -Région Occitanie

トゥールーズを域内に持つオクシタニー地方はフランスの中でもラグビー熱が盛んなところ。2023大会でも大会の鍵を握る地として5つの試合が行われ、うち2つが日本が参戦する試合となった。2023年9月10日、28日にスタジアム・ド・トゥールーズで行われる。

2019年9月東京、ラグビーワールドカップ日本大会のフランス対アルゼンチン戦でオク シタニー地方の旗を掲げて応援する地方ミッション © Datiche Nicolas Région Occitanie

オクシタニー議長が日本ラグビーを全面プッシュ

複数の訪日経験があるオクシタニー地域圏のキャロル・デルガ議長は、日本チーム2試合の会場がトゥールーズに決まったとの報に接し、次のコメントを発表した。

「ラグビーの地オクシタニーが2023年ラグビーワールドカップの中で日本チームの試合会場となることに、栄誉と誇りを感じています。この出来事はオクシタニーの友人である日本のみなさまに、美しきわが地方を知ってもらう最高に素晴らしい機会となり、日本とオクシタニーの絆をさらに固くすることでしょう。私はこの絆が観光、経済、教育、研究のみならずスポーツの分野でも深めることを願ってきました」

さらに次のように続けている。
「直近の2019年9月の訪日の際、オクシタニー地域圏は東京で2023年ワールドカップ組織委員会との間で覚書を交わし、ワールドカップという世界規模のイベントへ積極的に関与する意思を示し、また、大会期間中に日本チームの試合会場となることへの意欲を示しました」

キャロル・デルガ オクシタニー地域圏議長 ©Grollier-Philippe-Région Occitanie

オクシタニー地方はラグビーが一番人気

19世紀後半にフランスにやってきたラグビーは、それ以降オクシタニーで重要な地位を築いてきた。ラグビーが持つスポーツや敬意、陽気に楽しむという価値はオクシタニーの文化として育まれてきたのだ。地域内に約400のクラブと8万人の登録選手がいるオクシタニーはフランス屈指の「ラグビー地方」と言える。

オクシタニーでラグビーはスポーツ以上の価値を持ち、まさにひとつの文化を形成している。この土地ではどこであっても楕円球のリズムを感じながら、チームの意義、自己の限界を超える意義、団結し、ともに朗らかに生き、楽しく過ごす意義を表現する文化がある。フランス語で「トワジエム・ミッタン」、第三ハーフと呼ばれるものがあるように、試合後にオクシタニーのホスピタリティと友愛の精神をもって仲間と集いながら、とくに土地のワインや南フランスの料理、それもグランシェフが作る料理を楽しむ機会がある。

オクシタニーでは誰もが楕円球への情熱を表現している。ラグビーはこの土地の住民の日常生活の中にあり、小さな村の試合であろうと国際試合であろうと、あらゆる試合結果を他人と楽しく共有する習慣がある。

オクシタニーはまた、国際的な観光地、たとえばカルカッソンヌ、ポンデュガール、サンシルラポピー、アルビ、ルルド、ピレネー山地などで有名な土地だ。トゥールーズ、モンペリエ、ペルピニャン、ニームなど活気あふれる都市があり、トゥールーズ・ロートレックや、ピエール・スーラージュらオクシタニー出身のアーティストに捧げられた美術館も有名。

オクシタニー地域圏スポーツ担当副議長のカメル・シブリは次のコメントを発している。
「このラグビーワールドカップは、日本の方々にスポーツに情熱を燃やす地方オクシタニーを知ってもらえる機会。住民の温かな心遣いをぜひ感じてほしい」

カメル・シブリ オクシタニー地域圏副議長(スポーツ担当) © Antoine Darnaud Région Occitanie

同副議長はツイッター上でも、トゥールーズのエルネストワロン・スタジアムで収録した日本向けメッセージ動画を発信している。
「オクシタニー地域圏はキャロル・デルガ議長とともに、次回ラグビーワールドカップでスタジアム・ド・トゥールーズが日本チーム2戦の会場となり、みなさまをお迎えできることを心からうれしく思っています」

●フランス観光開発機構のホームページ

シマノが欧州レースでニュートラルアシスタンスを開始

2021年3月、創業100周年を迎えた世界屈指の自転車部品メーカー、シマノがグランツールと呼ばれる三大ステージレースで技術サポートを担うことになった。ツール・ド・フランスでは地元メーカーが常にその業務をこなしてきたが、ついに日本企業がこれに変わった。欧州自転車界の景色が一変するほどの衝撃的ニュースだが、シマノに与えられたその任務とは?

2021パリ〜ニースのニュートラルアシスタンスはシマノ ©A.S.O. Fabien Boukla

ツール・ド・フランスの景色が変わるほどの衝撃ニュース

シマノに与えられた任務はニュートラルアシスタンスサービスと呼ばれるもの。チームの分け隔てなく公平に機材故障に対処する車両を走らせる。ツール・ド・フランスではこれまでフランスのマヴィック社がこれを務めていた。車両は黄色で、フランス語でそれを意味する「ボワチュールジョーヌ」と呼ばれて親しまれてきた。その黄色が今季からシマノの企業色である青色に変わるのだ。

ジロ・デ・イタリアが3月5日にシマノとのコラボを発表 ©LaPresse

1973年のパリ〜ニースでマヴィックは初めて黄色いニュートラルアシスタンスカーを走らせた。すぐにその存在は知れ渡り、沿道にいるファンは黄色い車を見ればマビックだとだれもが分かった。選手たちの後ろを伴走する車両隊列の中で、一番目立つのがボワチュールジョーヌだった。

マヴィック社はシマノのようにあらゆる自転車部品を開発・販売する規模ではなく、かつては変速機やクランク周辺部など、現在も車輪やアパレルなどに特化して製造する。企業規模としては小さいが、主催者とともに大会を育んできた実績と貢献度は計り知れない。ツール・ド・フランスにとってマヴィックは協賛企業ではなく、協力企業という特別の立ち位置でもあった。

旧車、旧ロゴのマヴィックカーのミニチュア

ニュートラルアシスタンスサービスに従事するスタッフの出番はラジオツールと呼ばれる車載無線で指示されて始まる。

「ボワチュールジョーヌ、先頭集団で○○チームの選手がパンク!」

指示が入るや、「あのチームの後輪はカンパニョーロの11段変速だ」などと判断し、現場に急行するや適合する車輪を選択して交換する。

ジロ・デ・イタリアやストラーデビアンケのニュートラルアシスタンスもシマノ ©LaPresse

ボワチュールジョーヌの屋根の上には交換用の自転車本体も積載されているが、車輪の交換はひんぱんにあるものの、ボワチュールジョーヌが自転車を交換することはほとんどない。使用するペダルの形状がチームによってバラバラで、これに選手の体格によってフレームサイズの違いが加わるからだ。1秒を惜しんで前を走る集団に追いつきたい選手を前にして、ペダルを交換しているヒマはない。こういった場合はチームカーの到着を待つのがほとんど。

助手席にはステージごとにスポンサーなどのVIPが乗る。世界各国の得意先やメディアなどの名前が予約リストに掲載されている。競技のうえでなくてはならない存在なのかもしれないが、同時進行で社交が展開されている。このあたりに、自転車レースは伝統に裏打ちされた文化であることがうかがえる。

1990年代にようやく欧州市場でその存在が認められた後発メーカーのシマノは、いきなり世界最高峰のツール・ド・フランスでマビックを追い落とそうとはしなかった。まずは国際統括団体のUCI(国際自転車競技連合)が主催する世界選手権でニュートラルアシスタンスを始めた。

ブエルタ・ア・エスパーニャでシマノは大会協賛も ©PHOTOGOMEZSPORT2020

レースの勝敗に影響を与えかねないほどの高性能な機材を次々と開発していくシマノにとっては、競技規則を定めるUCIと蜜月関係を築きたいという戦略もあった。次に三大大会のジロ・デ・イタリア、さらにブエルタ・ア・エスパーニャでサポート業務を受注した。そして100周年の2021年、いよいよツール・ド・フランスへ。出場選手の過半数がシマノ部品を使うのだから、それは自然の成り行きだった。

ジロ・デ・イタリアとツール・ド・フランスの姉妹レースもすべてシマノが業務を担う。3月7日、ツール・ド・フランス傘下のパリ〜ニースが開幕し、青色のニュートラルアシスタンスカーが初めてフランスを走った。

●シマノ100周年の特設サイト

ツール・ド・フランスが町の自転車愛を4段階で格付け

ツール・ド・フランスは2021年、全国の市町村がどれだけ自転車フレンドリー度に満ちているかを4段階評価する「Ville à Vélo du Tour de France」という看板を設置する。Ville à Vélo(ビル・ア・ベロ)は英語にするとサイクルシティ。Riding in to the Futureキャンペーンの一環として展開していく。

自転車フレンドリー度を示す最大4つの自転車マークが町の看板の下に設置される

1903年にツール・ド・フランスが創設されてから、少なくとも1回はスタートあるいはゴールを務めたすべての都市に立候補する権利が与えられているという。

フランス自転車ユーザー連盟(FUB)の専門家によって定められた基準に従って、4段階のラベリングが定義されていて、立候補した町が格付けされる。大都市と地方自治体というそれぞれの特性が考慮されるので、小さな町でも高評価を得る可能性があるという。

フランスではすでに花木で美しく装飾された町を評価するビル・ド・フルールという格付け制度があり、フランス政府も後援している。その町に入ったところに表示される町名看板の下に4段階のビル・ド・フルール看板が設置されている。最高ランクは花が4つだ。

今回のツール・ド・フランスの新企画は自転車マークの数によってランキングがわかるようになっている。

フランス政府後援で展開している「花の町」看板

自転車に優しいコミュニティに栄誉ある看板を授与

自転車を毎日の移動手段として愛用している人の割合は、フランスでもここ数年で大幅に増加している。フランスの自治体やコミュニティの多くが電気やガソリンで動く交通手段の代替案として自転車利用促進に注力している背景もある。ツール・ド・フランスはそういったトレンドを見すえ、自転車ロードレースの象徴的イベントとしての役割に加えて、毎日のサイクリング利用の促進に取り組んでいこうというのが今回の看板設置企画の柱だ。

4段階の看板は、その町の境界となる道路脇に設置する町名標識に添付される。小さな黄色い自転車マークによってランキングが分かるという仕組みになるという。格付け基準は、自転車インフラの開発戦略、サイクリングをサポートするための具体的なアクション(学校での学習、意識向上キャンペーン)、地域のサイクルスポーツに関与するクラブやさまざまな団体が提供するサポート態勢などが審議される。

「パリやロンドンなどの大都市と数百人の住民しかいない地方自治体とでは、そのリソースに大きな格差がある。たとえば、自転車道を新設する予算を捻出するのが難しい町も多くある。そういった環境の違いを考慮し、公平に審査するために別基準を設定している」とオペレーションコーディネーターのカリーヌ・ボッツァッキ。

各都市の立候補は2月3日から3月15日まで。3月31日に自転車モビリティの専門家グループによる書類審査、4月14〜15日に審議され、5月3日に発表される予定。

アデュー、ボワチュールジョーヌ…マヴィックがシマノにエール

2021ツール・ド・フランスから、チームの分け隔てなく公平な立場でメカニックサポートをこなすニュートラルアシスタントが日本のシマノになる。これまでツール・ド・フランスの象徴的な役割を担ってきたフランスのマヴィック社は、さみしさをわずかににじませながらもシマノにエールを送った。

2019パリ〜ツール ©A.S.O. / Bruno BADE

1973年のパリ〜ニースで、自転車の車輪を主に製造していたマヴィック社は初めてその象徴的な黄色いニュートラルアシスタンスカー、ボワチュールジョーヌを走らせた。チームや所属選手の国籍、順位や成績に関係なく、集団を中立的にサポートしていく。その役割は世界中のサイクリングイベントの礎となった。

ツール・ド・フランスの沿道で黄色い車がやってくれば、それはマヴィックだとだれもが分かった。フランス国民のみならず、世界中の自転車ファンから愛され続けてきたボワチュールジョーヌ。2021年からツール・ド・フランスをはじめとするASO主催イベントでは大阪府堺市の自転車パーツメーカー、シマノに変わる。ニュートラルカーは黄色から青色に変わることになる。

ボワチュールジョーヌに同乗取材

ツール・ド・フランスで選手たちの後ろを伴走する車両隊列の中で、一番目立つのが黄色いボワチュールジョーヌだ。これまでも何度かステージのスタートからゴールまで同乗させてもらったことがあるが、直近では2014年の最終日、パリ・シャンゼリゼで乗車する機会を得て、彼らの仕事ぶりをチェックすることができた。

2019フレーシュワロンヌ女子レース ©A.S.O. / Thomas MAHEUX

2020年までのツール・ド・フランスでは、出場22チームは2台のサポートカーが選手団の近い位置で追従することが許されていて、パンクなどの機材故障に対応している。こうしたチーム所属のサポートカーとは別に、黄色いボディのサポートカーを帯同させるのは国際規定で定められている。これがチームの分け隔てなく公平に機材故障に対応するという任務を持ったニュートラルアシスタンスカーだ。

フランスのマヴィック社はシマノのようにあらゆるパーツを開発・販売する規模ではなく、かつては変速機やクランク周辺部など、現在も車輪やアパレルなどに特化して製造する。企業規模としては小さいが、ASOとともに大会を育んできた実績と貢献度は計り知れない。これまでツール・ド・フランスにとってマヴィックは協賛企業ではなく、協力企業という特別の立ち位置でもあった。

フランス語で「黄色いクルマ」という意味の「ボワチュールジョーヌ」はいつの間にか沿道の人気者に。オートバイ型の「モトジョーヌ」もマヴィックが走らせているもので、その役割と人気ぶりは同じだ。

2018ツール・ド・フランスで崖下に転落したフィリップ・ジルベールを救助 ©A.S.O. /Pauline Ballet

ボワチュールジョーヌは運転手のほかに後部座席に敏腕メカニックが乗車し、いつでもトラブルに対応できるように待ち構えている。クルマの屋根には交換用の車輪と自転車がズラリと搭載されているのだが、チームによって使用するパーツメーカーが異なるので、全チームの使用機材の互換性を頭の中にたたき込んで、瞬時に対応できるようにしている。いわばプロ中のプロである。

コンコルド広場に停車したボワチュールジョーヌ

その出番はいつも突然やってくる

彼らの出番はラジオツールと呼ばれる車載無線で指示される。

「ボワチュールジョーヌ、先頭集団で○○チームの選手がパンク!」

指示が入るや、「あのチームの後輪はカンパニョーロの11段変速だ」などと判断し、現場に急行するや適合する車輪を選択して交換する。

車輪の交換はひんぱんにあるが、ボワチュールジョーヌが自転車を交換することはほとんどない。使用するペダルの形状がチームによってバラバラで、これに選手の体格によってフレームサイズの違いが加わるからだ。1秒を惜しんで前を走る集団に追いつきたい選手を前にして、ペダルを交換しているなんてヒマはない。こういった場合はチームカーの到着を待つのがほとんど。

大観衆が沿道を埋め尽くしたシャンゼリゼ通りを先頭で走る

助手席にはステージごとにスポンサーなどのVIPが乗る。世界各国の営業面でのキーパーソンやメディアなどの名前が予約リストに掲載されている。競技のうえでなくてはならない存在なのかもしれないが、同時進行で社交が展開されている。このあたりが伝統に裏打ちされた文化であることがうかがえる。

ニュートラルカーとチームカーの役割

自転車レースでは選手がアタックして先頭集団とメイン集団に分かれた場合、一定のタイム差が開くと審判がサポートカーに無線で先頭集団の後ろに位置するように指示を送る。先頭集団が所属するチームのサポートカーが後ろに着くことを認められるのはタイム差が2〜3分になってから。2分以内は各チームのサポートカーではなくマヴィックのニュートラルアシスタンスカーがつなぎ役として先頭集団の後ろに着く。タイム差が1分を切ると、2つの集団が合流する可能性が高くなったと判断して、すべてのサポートカーが元の位置に戻される。

また選手後方で隊列を組む関係車両の中でも目印となっている。隊列はディレクターカー、医療車に続いて、出場22チームの第1サポートカーが前日の成績順に並び、ボワチュールジョーヌをはさんで第1サポートカーが同様に並ぶ。レース途中はメカトラブルや選手へのボトル渡し、アタックした選手への追従が認められるなどで混とんとした状態となるが、一段落し手元の位置に戻る場合はこのボワチュールジョーヌが目印になるのだ。

ボワチュールジョーヌの助手席より

ボワチュールジョーヌに乗ってシャンゼリゼの特設サーキットを体験した。世界で最も華やかだと言われるこの大通りだが、細身のタイヤをはいたロードバイクで走ることをまず想定していないと思った。鏡面のようなアスファルトではなく、石畳なのだ。しかもエトワール凱旋門に向かってゆるやかに上っている。選手たちはここを時速50kmで突っ走るのだから信じられない。

選手と同じ景色を体感

ゴールはフランス革命で断頭台が置かれたコンコルド広場からシャンゼリゼの直線路に突入する。このときのスピードは時速70kmにもなるはずだが、コーナーがかなりタイトで視覚的に針の穴に突入するような感じだ。最速の走行ラインは1本しかない。それを手に入れるためにアシスト陣を使って高速列車を走らせる。華やかさだけではない、大変なフィナーレだ。

選手たちがゴールしたら、真夏のフランスを駆け抜けた23日間の夏祭りも終わり。黄色うウエアに身を包んだマヴィックのメカニックたちがコンコルド広場の片隅で仕事を終えた充実感に満ちた面持ちでたたずんでいたのが心に残った。

ボワチュールジョーヌのフロントガラス越しに。シャンゼリゼに凱旋した選手のタイミングをはかってフランス空軍が戦隊飛行でフィナーレを演出

最後のコメントは「ボンシャンス、シマノ」

マヴィックが48年にもおよぶツール・ド・フランスでのメカニックサポートを終えた。ASOとの契約は途絶えたものの、スポーツとサービスへの情熱、そして勝利を求めて考えは変わらないという。マヴィックはすべてのサイクリストのためにこれからもこの世界の真ん中で存在していくとコメント。

そして最後に「ボンシャンス=幸運を! シマノ」と結んでいる。

●マヴィックのホームページ