あきらめなければF1にも乗れる。だからツール・ド・フランスを目指す…片山右京

モータースポーツ界の頂点となるF1で戦い続けた元レーシングドライバーの片山右京さん(59)が、日本選手による日本チームを結成して、自転車レースの最高峰ツール・ド・フランスで表彰台に立つことを目指している。その原点には「自転車は子供たちが手に入れる最初の冒険道具」という、幼い頃からの熱き思いがある。

国内自転車シリーズ戦のJCLチェアマンを務める片山右京。2月18日には東京・丸の内でナイトレースを開催 ©JCL

日本のどこにでもいる自転車小僧の1人だった

F1のハンドルを握るずっと前から、右京さんは自転車に親しんでいた。乗り始めたのは小学校低学年のころ。風を切って、そのスピードを体感できる。自分の力で知らない町にだって行ける。

「初めて手に入れた冒険道具。ペダルをこぐことに夢中になった。つまり、日本のどこにでもいる自転車小僧の1人だったんです」

冒険道具にはコンペティションとしての、もう一つの表情があることにも気づいた。その頂点がツール・ド・フランスであることも知った。欧州を拠点としてF1の世界で戦っていたのと同時期に、日本人プロとしてこのレースに初出場を果たしたのが今中大介さん。同い年のこの元プロロードレーサーと、その後運命的に出会った。

世界を目指して頑張っていたらF1にも乗ることができたという右京さんが、再び自転車の世界に戻ったのはF1をやめてしばらくしてからだ。

「自転車は自分の中では得意とする領域だと思っていたが、今中さんと出会って、自分の知る自転車の世界がなんて狭い部分だったのかと痛感した」

2008年7月のエタップ・デュ・ツールに出場した片山右京

すぐにトップ選手が使用するロードバイクにのめり込んでいく。やるからにはとことん練習して強くなりたい。ツール・ド・フランス出場は年齢的には無理な話で、その代わりに見つけたのがエタップ・デュ・ツール。ツール・ド・フランスの1区間だけを走る一般参加レースで、毎年1万人が参加するという人気イベントだ。元F1チャンピオンのアラン・プロストも毎年出場し、50代という年齢にも関わらず上位でゴールしているというのも、右京さんのやる気をあおった。

F1では果たせなかった打倒プロストのために、1日200km以上を乗り込んだ。残念ながら大会当日は雨で、プロストは出場を回避したが、右京さんはピレネーの峠を登り、最後の激坂まで先頭集団に食らいついた。最終的にはこの年の日本人最高位となる284位でゴールした。

ツール・ド・フランスへの憧れの念はさらに高まり、いつかは日本選手をこの最高峰の舞台に送り込みたいという目標が明確に現れた。これからは若い選手たちに夢を託す。2012年、国際登録チームとしてTEAM UKYOを結成。

「スポーツに打ち込むからには世界の頂点を目指さなきゃいけない。今中さんもできなかったツール・ド・フランスでの勝利を勝ち取りたい。それと同時に社会の模範になれるような、必要とされる存在になりたい」

自転車のある生活は実に快適で、生きていることを実感できる

スポーツ自転車の持つさまざまな価値を多くの人に知ってもらうことも使命だと考えた。

「チームスポーツとしての社会性を多くの人たちに知ってもらう。自転車が伴った交通事故の多発を憂慮し、交通ルールを守って安全に通行できる社会を形成していきたい」。そんな活動も怠らなかった。

「愛着のある身近な乗り物はひとたび鍛え抜かれた選手たちが乗れば、ハイスピードで疾駆する機材になる。ツール・ド・フランスはまさに文化であり、世界中の人たちに愛される存在。同時に、自転車のある生活は実に快適で、生きていることを実感できる。だから多くの人にスポーツバイクに乗ってもらい、どんなことでもいいからチャレンジしてほしい。楽しくて、どこまでも行ける気がしたあのころの自分と再会できる。そんな夢をかなえる道具となってくれるはずです」

ツール・ド・フランスの表彰台を目指して2023シーズンに始動したJCL TEAM UKYO  ©JCL TEAM UKYO

今季は日本のトップ選手を選抜したJCL TEAM UKYOを新結成。10年前の目標はツール・ド・フランスに出場することだったが、「そこで勝つこと」に上方修正。今もなお、世界の頂点を目指す戦いのまっただ中だ。

2023ツール・ド・フランス出場22チームが確定

2023年7月1日から23日まで行われる第110回ツール・ド・フランスの出場22チームが発表された。UCIワールドツアー18チームには参加義務があり、主催するA.S.O.が第2カテゴリーのUCIプロ4チームを追加した。

2022ツール・ド・フランス第19ステージ ©A.S.O. Pauline Ballet

このうちロット・デスティニー(ベルギー)とトタルエネルジー(フランス)は上位2チームに与えられる出場権で無条件選出。残る2チームは主催者推薦となり、過去4度の総合優勝を誇るクリストファー・フルーム(英国)が所属するイスラエル・プレミアテック(イスラエル)、そしてウノX(ノルウェー)が選ばれた。

2023 UCIワールドツアーチーム
AG2Rシトロエン(フランス)
アルペシン・ドゥクーニンク(ベルギー)
アスタナ・カザクスタン(カザフスタン)
バーレーンビクトリアス(バーレーン)
ボーラ・ハンスグローエ(ドイツ)
コフィディス(フランス)
EFエデュケーション・イージーポスト(米国)
グルパマFDJ(フランス)
イネオスグレナディアーズ(英国)
アンテルマルシェ・サーカス・ワンティ(ベルギー)
ユンボ・ビスマ(オランダ)
モビスター(スペイン)
スーダルクイックステップ(ベルギー)
アルケア・サムシック(フランス)
DSM(オランダ)
ジェイコ・アルウラー(オーストラリア)
トレック・セガフレード(米国)
UAEエミレーツ(UAE)

クリストファー・フルーム ©A.S.O. Charly Lopez

UCIプロチームの上位2チーム
ロット・デスティニー(ベルギー)
トタルエネルジー(フランス)

UCIプロチームの主催者推薦
イスラエル・プレミアテック(イスラエル)
ウノX(ノルウェー)

悪魔おじさんから日本に「メリークリスマス!」

赤い悪魔の衣装でツール・ド・フランスの沿道に出現し、手製のヤリを持って選手たちを応援する通称悪魔おじさん、本名ディーター・ゼンフトさんが、ドイツの自宅から「メリークリスマス!」のメッセージを送ってくれた。

悪魔おじさんから日本に「メリークリスマス!」

悪魔おじさん、いったいナニモノ? 意外と高尚な来日目的とは

2022ツール・ド・フランス第13ステージに悪魔おじさん出現 ©A.S.O. Aurélien Vialatte

ツール・ド・フランスの沿道で悪魔にふんして応援し続ける名物人間、悪魔おじさん。国籍はドイツ人で、毎年趣向を凝らした「変わり種自転車」を作って沿道に持ち込んでくる。その程度の情報は日本でも知られているが、いったいどんなひとなの?

2024年はツール・ド・フランス初のイタリア開幕…ボッテッキア初優勝から100年

2024年に開催される第111回ツール・ド・フランスは、6月29日にイタリアのフィレンツェで開幕する。イタリアをスタートするのは史上初めて。オッタビオ・ボッテッキアがイタリア勢として初優勝した1924年から100年の節目になる。

アルプスのアニェル峠。右がイタリア、左がフランス。2011年第17ステージ

パリ五輪イヤーの2024年はこれまでにない展開に

2024年はパリ五輪がツール・ド・フランス終了のわずか5日後、7月26日に開幕するため、ツール・ド・フランスの最終到着地が史上初めてパリではなく地中海沿岸のニースとなったことは、すでに12月1日に発表されていた。今回はそれに続く最初の3日間の日程が明らかになった。

12月21日にツール・ド・フランスのディレクター、クリスティアン・プリュドムがイタリアのテレビ局RAIの番組に出演して明かした。

2024年のツール・ド・フランス最初の3ステージ

  • 6月29日(土)第1ステージ:フィレンツェ(フロランス) > リミニ 205km
  • 6月30日(日)第2ステージ:チェゼナティコ > ボローニャ(ボローニュ) 200km
  • 7月1日(月)第3ステージ:ピアチェンツァ(プレザンス) > トリノ(テュラン) 225km
    カッコ内はフランスでの地名表記

大会はエミリアロマーニャ州で始まる。フィレンツェからアドリア海沿岸のリミニまでの集団スタートレースが第1ステージとなった。ゴールのリミニは2004年2月15日、滞在型アパートの一室でマルコ・パンターニが命を落とした場所である。翌日はパンターニの生まれ故郷であるチェゼナティコをスタート。ボローニャまでの第2ステージが行われる。第3ステージはピエモンテ州の田舎道を走って、トリノにゴール。

2024ツール・ド・フランス最初の3ステージはイタリアを走る

ツール・ド・フランスが初めてイタリアを訪問したのは第2次世界大戦後の1948年。マルセイユからイタリアのサンレモにゴールするステージが最初だった。これまで23ステージがイタリアを訪問した。最後の訪問は2011年にピネローロを訪れた。

2008ツール・ド・フランスもイタリアを訪問した

少なくとも4カ国訪問。五輪イヤーにふさわしい国際性

初日はどれも標高1000m以下ながら丘陵地が連続し、獲得標高は3700m。ジュリアン・アラフィリップなどのタイプが飛び出してマイヨジョーヌをねらっていけるようなコースだ。第3ステージのトリノはジロ・デ・イタリアで常にスプリンターたちの争いになるゴールだ。

この3日間がイタリアでのステージとなり、今回発表されたのはここまで。第1ステージの終盤でサンマリノ共和国内の峠に登ることから、最終日の第21ステージのスタート地モナコと合わせて少なくとも4カ国で開催される。五輪イヤーにふさわしい国際性をもたせている。

これまでのイタリア勢の総合優勝者は7人

2024ツール・ド・フランスのコースを報じるニュース

2023ツール・ド・フランスの最終ゴールはニース ©Philippe_Viglietti
最終ステージの個人タイムトライアル出発地がモナコになった。12月3日にモナコのアルベール国王が明かした ©Axel Bastello

史上初ニース凱旋の2024ツール・ド・フランス、最終日はモナコ公国出発

2024年に開催される第111回ツール・ド・フランスの最終ステージは、地中海沿岸のモナコ公国をスタートし、フランスのニースにゴールする個人タイムトライアルとなることが明らかになった。

最終ステージの個人タイムトライアル出発地がモナコになった。12月3日にモナコのアルベール2世公が明かした。同国王はハリウッド女優のグレース・ケリー(故人)を母に持つ ©Axel Bastello

一生に一度の機会、リビエラ海岸でのフィナーレ

2024年はツール・ド・フランス史上初めてパリあるいはその近郊に最終ゴールしないという発表が、まずは世界中のファンを驚かせた。その理由はパリ五輪がツール・ド・フランス直後に開催されるからなのだが、地中海沿岸のニースに到着することに続くビッグニュースが、国境超えの最終日タイムトライアルだ。

2023ツール・ド・フランスの最終ゴールはニース ©Philippe_Viglietti

大会最終日、個人タイムトライアルのスタート地点がモナコに設置されたのである。ファンとしては、国境超えのクライマックスバトルとなることが簡単に予感される。モナコは1939年から2009年の間にツール・ド・フランスが6回訪問し、2024年が7回目のホストシティとなる。

2024ツール・ド・フランスはどうして最終日が首都パリではなく、地中海のリビエラ海岸でフィナーレとなったのか。状況を簡単に説明すると、フランスの首都がオリンピックの準備のために最後の仕上げが必要なため、ツール・ド・フランスがシャンゼリゼを譲ったのである。そして歴史上初めてパリから遠く離れた場所を最終到着地とした。

「この一生に一度の機会である」と、ツール・ド・フランス主催者は証言している。

マイヨジョーヌが最終日に変わるかも知れない ©Julien Veran

最終日にフランス人にとっては禁断の個人タイムトライアル

2024年7月21日、モナコとニースの間で開催されるのは個人タイムトライアルだ。最後のタイムトライアルでマイヨジョーヌの所有者が変わる可能性がある。35年前の1989年、シャンゼリゼで開催された個人タイムトライアルで米国のグレッグ・レモンがフランスのローラン・フィニョンを逆転して以来、最終日に個人タイムトライアルは設定されなかった。

ニース凱旋の記者発表会が12月1日に行われ、ニースのクリスティアン・エストロージ市長らが登壇 ©Philippe Viglietti

ツール・ド・フランスが最後にモナコを訪れたのは2009年で、日本の別府史之と新城幸也が出場。初日の個人タイムトライアルはスイスのファビアン・カンチェラーラが優勝したが、第2ステージはモナコからフランスのブリニョールまでのマスドスタートのレースで、新城がいまも日本勢の歴代最高位となる区間5位でゴールした。

2009ツール・ド・フランス第2ステージのスタート地。モナコ在住のF1レーサー佐藤琢磨(中央)が別府(左)と新城を激励しにやってきた

2024ツール・ド・フランスはニースでフィナーレ。パリに最終ゴールしないわけは…

2024年に開催される第111回ツール・ド・フランスが大会史上初めてパリあるいはその近郊に最終ゴールせず、地中海沿岸のニースに到着することが2022年12月1日に発表された。しかも35年ぶりに最終ステージがタイムトライアルとなり、最終日の逆転劇もありうる設定となった。

パリ〜ニース最終日のプロムナード・デザングレ ©A.S.O. Fabien Boukla

ツール・ド・フランスのファイナルデスティネーションは常にパリだった

ツール・ド・フランスのフィナーレといえば首都パリのシャンゼリゼ大通り。ここを完全封鎖してサーキットとする一大スペクタクルなシーンだ。世界で最も美しいと言われるシャンゼリゼにツール・ド・フランスの選手たちが凱旋するようになったのは最近のことで、じつは1975年からだ。

2023ツール・ド・フランスの最終ゴールはニース ©Philippe_Viglietti

1903年の第1回大会はこのイベントに対する評価がまだ得られなかったことがあり、パリには入城できなかった。ポルトと呼ばれる城門の外に位置するビルダブレーにゴールするのが精いっぱいだったようだ。

最終日はニースのプロムナード・デザングレで個人タイムトライアルが行われる ©Atout France/Jean François Tripelon−Jarry

その翌年から1966年まではパリ16区のパルク・デ・プランスに。当初は自転車競技場だった施設だが、現在はサッカープロチームのPSGが拠点とするサッカースタジアムとなっている。そして1967年から1974年までは、ブローニュの森とはパリ中心地をはさんで反対にあるバンセンヌの森にゴールした。

1975年からようやくシャンゼリゼがゴールとなり、2013年の100回記念大会からは、それまでエトワール凱旋門前で折り返していたコースを変更し、凱旋門を大回りするコースに変更された。

2019年には、その年の4月に火災で大きな被害を受けたノートルダム大聖堂があるセーヌ川の中洲、シテ島を走った。パリの象徴であり、火災によって多くの市民が涙を流して悲しんだ大聖堂をツール・ド・フランスが見舞ったのである。

2019年に片側の尖塔が火災で崩壊したパリのノートルダム大聖堂も修復が進んだ

あの因縁の最終日大逆転ドラマから35年ぶりに封印が解かれる

2024年のツール・ド・フランスのコースはまだ発表されていないが、後述する理由で通常よりも1週間早い6月29日に開幕すると想定されている。一方、今回の発表で、最終日は7月21日となることが明らかになり、史上初めてニースにゴールする。最終日前日はニース近郊の山々を走る山岳ステージで、最終日がニースの目抜き通り、パリならシャンゼリゼに相当する「プロムナード・デザングレ」で個人タイムトライアルが行われる。

ニース凱旋の記者発表会が12月1日に行われ、ニースのクリスティアン・エストロージ市長らが登壇 ©Philippe Viglietti

ツール・ド・フランスが個人タイムトライアルを最終日に行うのは1989年以来35年ぶり。フランス革命200周年を祝う大会はまさかの最終日、50秒遅れの総合2位につけていた米国のグレッグ・レモンが当時はトライアスリートしか使用していなかったDHバーを駆使して激走。首位に立っていたフランスのローラン・フィニョンを総合成績で大逆転。史上最僅差となる8秒で総合優勝を遂げた。

その時のフランス人のショックははかり知れず、以来ツール・ド・フランスが最終日に個人タイムトライアルを設定することはなく、パリ・シャンゼリゼは総合優勝者の凱旋パレードという位置づけでフィナーレを迎え続けていた。

2024パリ五輪はほとんどの競技が市内で開催される ©Philippe Millereau / KMSP / DPPI

5日後にパリ五輪が開幕するのがニースになった原因

ツール・ド・フランスは常にパリに凱旋する。110年も続いたこの伝統を2024年に打ち消すのには明確なわけが存在する。ツール・ド・フランスが終了して5日後の7月26日金曜日にパリ五輪が開幕するからである。

パリ五輪開幕のわずか数日前となれば、すでにシャンゼリゼ通りを封鎖する物流上の問題があり、五輪組織委員会から要請によって運営面で条件付けられた。その解決策としてツール・ド・フランス主催者A.S.O.は話題性醸成とともにニース凱旋を英断したのである。

五輪の慣例で自転車男子ロードレースは競技初日の7月27日に開催予定。セーヌ川にかかるエッフェル塔横のエトナ橋が発着となり、シャンゼリゼもコースの一部になる。このあたりの注目度の重複も回避した。

一方のニースの思わく。紺碧に輝くコートダジュールの観光地は2020ツール・ド・フランスの開幕地として世界中にその魅力を発信するはずだった。しかし新型コロナウイルス感染拡大により異例の大会順延・秋開催。そしてスタートやゴールに観客を入れないという感染防止対策を余儀なくされた。今回は再び観光大国フランスの重要なリゾート拠点であることをアピールする狙いがある。

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