カラフルで使いやすいフロアポンプ…クランクブラザーズから

カラフルなカラーラインナップのフロアポンプ「GEMフロアポンプ」が自転車アクセサリー用品メーカーのクランクブラザーズから発売された。足元で操作するハイプレッシャー/ハイボリューム切り替えスイッチと見やすい大型のアナログゲージが特徴。機能は上位機種の「KLICフロアポンプ」と同じで、コストパフォーマンスの高さが特徴。

カラーはグリーン、レッド、ブラック

カラーはグリーン、レッド、ブラック。素材:シリンダー・耐腐食性アルミニウム、フット・スチール。高さ:64cm。最大空気圧:11bar/160psi。スマートヘッド:仏式&米式対応。針型とプラスチックのアダプターをハンドルへスマートに収納。価格は5550円(税別)。

大型で見やすいアナログ・エアゲージ

屋外使用でも安定感抜群のスチール製フット

カワシマサイクルサプライのホームページ

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【Column】ボクのツール・ド・フランスはマルセイユから始まった

ボクがツール・ド・フランスを初めて取材したのは29年前、1989年のことだ。大会途中での現地入りで、7月14日に空路でパリに入り、そこから高速鉄道でマルセイユに向かった。シャンゼリゼでは革命200周年の祝賀行事が華々しく催されていて、その喧噪を乗り換えの地下鉄駅で耳にした。

2013ツール・ド・フランス第5ステージ。マルセイユにゴールした新城幸也

かつて当コラムで「ボクのツール・ド・フランスはルーアンから始まった」という原稿を書いたが、ごめんなさい。あれはウソです。いや、実際には「定義」の問題で、フリー記者として全日程を単独で初取材したのが1996年のルーアン。初取材したのは冒頭にも記したが1989年のマルセイユなのである。もうこれ以上ハナシを複雑にしたくないが、ツール・ド・フランスを初めて見たのは、自転車専門誌サイクルスポーツの編集部員に配属されたばかりの1988年だ。

ボクのツール・ド・フランスはルーアンから始まった

マルセイユの観光名所であるビューポール(旧港)

話はツール・ド・フランス初取材となる1989年。ボクはジョナサン・ボイヤーという米国人と日本で偶然知り合うことができた。彼は1981年のツール・ド・フランスに米国選手として初出場した元プロ選手だ。フランスの英雄ベルナール・イノーのルノーチームでアシストをこなしながら見事に完走している。映画スター顔負けの端正なマスクを持ち、四肢は女性のトップモデルのように細くて長かった。彼は自分のカッコよさを十分自覚していて、ツール・ド・フランスのスタート地点にテンガロンハットをかぶって登場し、女の子のハートを釘付けにしたと聞く。聞けば出身地のモンタナ州に「ボイヤーインターナショナルエアポート」を所有している大富豪の御曹司だった。

ボイヤーに出会ったのは北関東にある小さな町の内科医院だった。直前のハワイ・アイアンマンで日本勢初の快挙である9位でフィニッシュした宮塚英也を取材するために、栃木県の某所に足を運んだのだ。ボイヤーはすでに現役を引退していたが、その容姿と数カ国語を操れる能力を生かして、オランダの強豪PDMチームの広報に就任していた。

その地方病院の開業医は、人体から血液を一時的に採り出して冷凍保存し、しかるべきときに体内に戻すという医療行為を研究する先駆者だった。ボクがボイヤーに「ツール・ド・フランスに初めて取材に行くんです」と告げると、「ホテルを取るのは困難だから、オレに任せてくれ」と言って再会を誓ってくれた。

マルセイユの街中でのんびりと過ごす人たち

それから半年後、マルセイユで世界最高峰の自転車レースの現場に到着したボクは、その巨大な一大イベントに完全に舞い上がってしまった。そんなときに関係者らしき人が「PDMの広報がお前を探しているよ」と話しかけてきた。必死になってボイヤーを見つけると、「待ってたぜ」とばかりにガッチリとした握手を交わしてくれた。それからというもの、ボクはチームの空き部屋をあてがわれたり、あるいは彼がゴール地点の町をかけずり回って見つけたホテルにありついた。感謝の言葉を伝えると、映画スターばりのニヒルな表情でウインクして見せた。

2年後、PDMは全選手が集団発熱し、ツール・ド・フランスの途中でチーム全員がリタイアした。血液ドーピングの失敗かとうわさされた。ボイヤーの姿を自転車レースの現場で見ることは二度となかったが、6年ほど前にfacebookで発見したので、友だち申請したら受け入れてくれた。彼の書き込みから判断すると、現在はアフリカの未開発国に拠点を定め、その国の自転車ロードレースの発展のために地道な努力をしているという。

あれ以来、ツール・ド・フランスはすでに30年ほど担当しているが、いまでもマルセイユに到着したときのドキドキ感は忘れられない。2013年は第5ステージでマルセイユにゴールした。その日、2km地点で新城幸也とレザのヨーロッパカー勢、ルツェンコ、シカール、ドヘント、ドラプラスがアタックし、6人の第1集団を形成した。この中で3分42秒遅れの新城が総合成績では最も上位で、10km地点では一気に5分05秒差をつけたことで新城がバーチャルマイヨジョーヌ、つまりこのままの状況でゴールすれば総合1位になる存在となった。

マルセイユにゴールした2013ツール・ド・フランス第5ステージ。新城幸也は積極果敢な逃げに乗り、一時はバーチャルマイヨジョーヌの位置に

フランスの実況中継では「グループアラシロ」と紹介されるようになったが、これは当然だ。新城の存在が最も重要だからだ。一緒に逃げているメンバーは実力者ぞろい。ルツェンコはU23の世界チャンピオン、シカールは2009年にジュニアの世界チャンピオンになっている。一緒にゴールを目指そうという意思も統一され、しかも6人という集団は高速巡航を維持できる絶好の数で、一気にその差を開いていく。16km地点で10分30秒、20km地点で11分30秒、37km地点で12分45秒まで開いた。

しかしその後は追撃集団の先頭でオリカ・グリーンエッジが徐々にペースアップを始め、タイム差は少なくなっていく。残り54kmで先頭集団は2つに分断し、先頭には新城、ルツェンコ、ドヘントが残る。新城のチームメートであるレザは、ちぎれたシカールとドラプラスの背後で体力を回復させた後に、一気にスパートして前の3人に追いつく。

こうして先頭はヨーロッパカーの2人、アスタナのルツェンコ、バカンソレイユのドヘントだけになった。しかし残り40kmになって後続集団が本格的に追撃を開始。新城は220km地点でついに捕まり、結果的に優勝争いは大集団のゴール勝負となった。それでも218kmの間、国際映像に映し出された日本ナショナルチャンピオンジャージーは世界中の注目を浴びた。敢闘賞もならなかったが、見果てぬ夢にさらに一歩近づくような快進撃だった。

新城幸也。2013ツール・ド・フランス

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オールブラックス元主将のマコウがラグビーよりツラいレースに参戦

ニュージーランドのラグビー代表チーム「オールブラックス」でキャプテンを務め、ワールドMVPに3度選出されたリッチー・マコウが同国で開催されたアドベンチャーレース「レッドブル・ディアンス」に参加し、14時間35分の6位で完走した。「これまで経験した中で、おそらく最も過酷なもののひとつだった」とマコウ。

オールブラックスの伝説的選手、リッチー・マコウ(左)。Miles Holden/Red Bull Content Pool

2011年と2015年のラグビーワールドカップで強豪オールブラックスのキャプテンを務めたマコウ。ニュージーランドのワカナで行われた2日間のアドベンチャーレースに、この競技のベテラン選手ボブ・マクラクランとペアを組んでスタート。

ニュージーランドのワカナで開催されたレッドブル・デフィアンス。Graeme Murray/Red Bull Content Pool

71kmのMTB、38kmのトレイルラン、40kmのカヤック、60mのアブザイレン(垂直下降)、クレー射撃をこなして6位でゴールした。参加85チーム。

Miles Holden/Red Bull Content Pool

Miles Holden/Red Bull Content Pool

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レッドブル・クラッシュドアイス…アイスホッケー、ダウンヒルスキー、スノーボードクロスの複合競技

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アイスホッケー、ダウンヒルスキー、そしてスノーボードクロスの要素を取り入れた競技「アイスクロス・ダウンヒル」の世界選手権ATSXレッドブル・クラッシュドアイス・ワールドチャンピオンシップ。2018シーズン開幕戦の決勝が1月20日(日本時間21日)に米国のセントポールで行われた。

Joerg Mitter / Red Bull Content Pool

決勝戦では2017年の優勝者である米国のキャメロン・ナーズを含めて上位3名がゴール付近で次々と転倒し、最後尾についていたマルコ・ダルラーゴがその間に3人の間をすり抜け、逆転で優勝を飾った。

Joerg Mitter / Red Bull Content Pool

日本から唯一参戦していた女子アイスホッケー選手の山本純子(北海道)は10位でフィニッシュした。

山本純子 Mihai Stetcu/Red Bull Content Pool

Joerg Mitter / Red Bull Content Pool

NIPPO・ヴィーニファンティーニ、春のメジャー3レースに参戦

イタリアのRCSスポルトが、同社の主催する春のUCIワールドツアーレースへのワイルドカード(主催者招待枠)を発表。プロコンチネンタルチームとして活動するNIPPO・ヴィーニファンティーニ・ヨーロッパオヴィーニは世界の最高カテゴリーとなるUCIワールドツアーへ参戦するためにはワイルドカードを獲得する必要があり、ジロ・デ・イタリアへの出場は叶わなかったが、3月に開催される悪路を走るトスカーナでの「ストラーデ・ビアンケ」、本格的なステージレースである「ティレーノ〜アドリアティコ」、そして伝統ある名門ワンディレース「ミラノ〜サンレモ」への出場権を2017年に引き続いて獲得した。

2017年はティレーノ〜アドリアティコで中根英登が終盤の山岳になってトップ選手のアタックに反応したり、内間康平が世界最長距離である291kmのミラノ〜サンレモを走破するなど日本人選手の活躍も目立った。2018年もそれぞれのレースに日本人選手が出場する予定で、春のビックレースでの活躍に期待がかかる。

現在チームはスペインのカルペで1月27日までの日程でトレーニングキャンプを実施。春の重要なレースに向けて各自コンディションを上げている。チームの初戦は1月31日からのバレンシア一周で、その後ヨーロッパやアジアのレースを転戦していく。

大門宏マネージャーのコメント
今年も春のイタリアでのUCIワールドツアー全戦の招待を得られ、主催者には心から感謝している。今シーズンはワイルドカードの権利を有するプロコンチネンタルチームが一気に27チームに増え、年々ライバルが増えている状況下にも関わらずトップチームとして認知されたことを日本の運営責任者の1人として大変光栄に思う。

ジロ・デ・イタリア(以下ジロ)のワイルドカードに関しては、イタリア側の運営陣、スポンサーは今年も決して楽観視はしていなかった。特にマルコ・カノラにとってはミラノ〜サンレモが大好きなレース。もしジロの招待を得られればミラノ〜サンレモに招待されない可能性があることを懸念していたので、まずは春の目標が定まりとても喜んでいる。

結果的にクネゴファンの期待を裏切ることになってしまったことは残念だが、近年のさまざまな現場の雰囲気から少なくとも“花道を飾るクネゴの引退レース”は主催者にとって選考の基準となり得ないことは重々承知していた。そのあたりの雰囲気はクネゴ自身も察し覚悟していたので、今は気持ちを切り替え、冷静に引退レースを新たに模索している。クネゴ自ら誇りに感じている日本の熱烈なファンには、これまで同様に温かく見守っていただきたいと願っている。

僕自身の印象としてはジロの招待を受けたシーズンは、肝心の日本人の成長課題に落ち着いて取り組む余裕がなく、準備を含めてジロに始まってジロで終わった…という思いが強い。プロコンチネンタル体制4年目を迎えた今でも所属する日本人選手のレベルを考えれば考えるほど、ジロに出る出ないに関わらずワイルドカード発表後の感想を表現するのは難しい。

もちろんスポンサーとして、また深夜にも関わらず観戦いただいているファンのことを考えるとジロ出場のメリットは計り知れず、発言には慎重にならざるを得ないが、特に日本の場合、我々のチームがジロを走ることでメリットがあるのは実際に走る可能性がある日本人所属選手ではなく、メディア側にあるのではないかと思っている。そういう意味では“メディアにとっても残念なシーズンだった”昨年は、シーズンが終わってみれば、チーム、日本人所属選手にとっても収穫の多いシーズンとなった。参加レースの質と数も大幅に増え、エース級のメンバーにへだたることなく所属メンバー全員にとって収穫も多いシーズンとなった。必然的に日本人選手の成長をうながすためのレベルに適合した体制、環境作りにも落ち着いて取り組むことができた。誤解を恐れずに言うならば、もしジロに参加していたら、2017年のカノラの躍進、台頭劇はなかったかもしれない。

NIPPOからの支援を受け、自分自身が運営陣としてヨーロッパのチームに関わってから今シーズンで26年目を迎える。2015年からチームはジロを含めたUCIワールドツアーにも招待されるまでに成長し、ここ数年で三大ツールへの参加の是非を期待されるほどのチームに成長を遂げたことは、10年前は想像すらできなかった。

今後、日本人の成長プロジェクトが実り、たとえアシストでも立派にハイレベルな展開にからむ場面が増えてくれば、自分自身の個人的なジロのワイルドカードへのモチベーションも変わってくるのではないかと思っている。そうなれば、真の意味で日本のメディアからの期待に応えられるだろう。これからも極力、選手の技量と冷静に向き合い、成長するステップを見極めながら、まだ21日間のステージレースへの参加は早過ぎると真剣に考えているイタリア人のコーチやヨーロッパの若手選手とともに日本人選手の強化活動と向き合いたい。

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9000kmを駆け抜けたダカールラリーは四輪部門でプジョーチームが大会3連覇

2018年1月6日にペルーのリマをスタートした第40回ダカールラリーは、途中ボリビアを経由して9000kmを走行。20日にアルゼンチンのコルドバにゴール。プジョーのカルロス・サインツが総合優勝し、プジョーチームとして大会3連覇を飾った。自動車92台、二輪139台、クアッド49台、カミオン44台の324台がスタートし、そのうち185台がゴール。完走率57%の過酷なレースだった。

プジョーのカルロス・サインツが総合優勝 Marcelo Maragni/Red Bull Content Pool

2009年に南米大陸に舞台を移したレースは今回ペルー、ボリビア、アルゼンチンの3カ国を駆けめぐった。クラスは自動車のほか、カミオン(トラック)、モト(二輪)、クワッド(四輪バギー)がある。自動車部門の優勝は55歳になるスペインのサインツで2010年以来2度目の栄冠。
「まぎれもなく最も過酷なダカールラリーだった。アフリカ大陸が舞台だった時を含めてね」とサインツ。

Frederic Le Floc’h / DPPI / Red Bull Content Pool

モト部門はレッドブルKTMチームのマシアス・ウォークナー(31)が優勝。同部門でオーストリア選手が優勝したのは初めて。

モト部門はレッドブルKTMチームのマシアス・ウォークナーが優勝 Flavien Duhamel/Red Bull Content Pool

Marcelo Maragni/Red Bull Content Pool

Flavien Duhamel/Red Bull Content Pool

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