イネオスのエガン・ベルナル(22)がコロンビア選手として初の総合優勝を達成した。ベルナルは得意とするアルプスの山岳ステージで果敢にアタック。第18ステージで1分30秒遅れの総合2位に浮上すると、翌19ステージにおいて荒天による打ち切りの直前に通過した峠のタイム差で首位に。最後の山岳となった第20ステージでその座を守った。総合2位は前年の覇者でチームメートのゲラント・トーマス(英国)。同チームは5年連続で総合優勝者を輩出した。
コロンビア勢悲願のマイヨジョーヌ ベルナル総合優勝
「ボクは幸せだ。まだなにが起こったのか理解できていない。グランツールに初優勝したということも信じられない」
最終日前日、最後の山岳ステージが終了し、ゴール地点で恒例の優勝者会見が行われた。
コロンビア選手がツール・ド・フランスに初参加したのは1983年。例外的にプロ・アマオープン化され、コロンビアのアマチュア選手らが「カフェドコロンビア」というチームを組んで出場した。高地で生まれ育った選手らは荒削りだったが、上りの強さには目を見張るものがあり、翌年に初のステージ優勝を挙げたルッチョ・エレラは国民的英雄に。コロンビアにロードレース人気が訪れ、レース参入する子どもたちが激増する。
「これはボクの勝利というだけでなく、コロンビアという国家の勝利だと感じている。コロンビア選手はすでにジロ・デ・イタリアとブエルタ・ア・エスパーニャでは勝っているけど、ツール・ド・フランスの総合優勝というタイトルがなかった。それをボクが達成したのだからとても名誉なことだ」
ベルナルの父も自転車のプロを目指していた。
「優勝が確実となったとき、父は泣きそうだった。父はもう話すことができない状態だったが、なんとかボクを祝福してくれた。ボクたち家族にとって、これは夢だった。ボクたちはコロンビアの家でツール・ド・フランスのテレビを見ていて、こんなスゴい領域に到達できないと思った。子供のころに『いつか出場できたら最高にカッコいいぞ』と思ったけど、その目標は遠くにかなたに見えた。でも、いまここにいる。とても感慨深い」
大会は地元フランス勢も決死の戦いを展開。ジュリアン・アラフィリップ(フランス、ドゥークニンク・クイックステップ)は14日間もマイヨジョーヌを着用したが、打ち切りレースとなった第19ステージで首位陥落した。期待が高かったグルパマFDJのティボー・ピノ(フランス)も優勝争いに加わったが、大腿部を痛めて涙を流しながらリタイアした。
●4賞ジャージ
■マイヨジョーヌ(個人総合成績)エガン・ベルナル(イネオス、コロンビア)
■マイヨベール(ポイント賞)ペテル・サガン(スロバキア、ボーラ・ハンスグローエ)
●マイヨブラン・アポワルージュ(山岳賞)ロマン・バルデ(フランス、AG2Rラモンディアル)
□マイヨブラン(新人賞)エガン・ベルナル(イネオス、コロンビア)
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