世界遺産モンサンミッシェルで開幕した第103回ツール・ド・フランスは、英国のクリストファー・フルーム(スカイ)が2年連続3度目の優勝を果たした。2年ぶり6度目の参戦を果たした新城幸也(ランプレ・メリダ)は悲願の区間勝利こそつかめなかったが、第6ステージで敢闘賞を獲得した。2012年の第4ステージに続いて2度目の受賞。
初日に区間勝利とボーナスタイム10秒を獲得して首位に立ったディメンションデータのマーク・カベンディッシュ(英国)は、翌日の第2ステージ終盤の上り坂で脱落。このゴールまでの上り坂で少人数の力勝負となり、ティンコフのぺテル・サガン(スロバキア)がわずかに先着。3年ぶり5回目の区間勝利を果たした。
総合成績では前日までの成績で6秒遅れの総合3位につけていたサガンが首位に立ち、マイヨジョーヌを獲得した。同選手はポイント賞争いでも1位になり、5年連続の同賞獲得にも手応えをつかんだ。
第5ステージは中央フランスに舞台を移し、BMCのグレッグ・バンアーベルマート(ベルギー)が終盤に独走して優勝。前日までの総合成績で18秒遅れの20位につけていた同選手が、2位以下に2分以上の大差をつけたことで一気に首位に立った。
この日は起伏の激しい中央山塊に突入したことで有力チームの走りが本格化。首位のマイヨジョーヌを着るサガンは長い上りを得意としていないため、23分45秒遅れの区間110位でゴール。総合1位から76位に陥落した。
そして戦いは第8ステージで前半の勝負どころ、ピレネーへ
ピレネーの本格的山岳ステージでティンコフのラファウ・マイカ(ポーランド)ら3人の伏兵が逃げを打った。3選手とも区間勝利の実績があり、総合成績の逆転をねらった走りというよりはこの日の勝利を目指したものだ。さらにこの3選手の中からマイカが抜け出すのだが、後続集団は総合成績で大きく遅れているマイカを無理には追わなかった。とりわけフルームを擁するスカイチームは翌日も重要な山岳区間が控えていることからアシスト陣の消耗を考え、ある程度は逃げを容認する方針をとった。
マイカが先行した意図は自らの区間勝利とともにチームエースであるアルベルト・コンタドール(スペイン)を後続集団内で体力温存させるためだからだ。マイカはゴールまで残り2つの峠を残して吸収され、区間勝利はならなかったが、この日から本格化した山岳賞のトップに立った。
有力選手の戦いは最後の山岳でも膠着状態だった。ところが残り15.5km地点の峠の頂上を通過するとフルームが一気に加速して高速ダウンヒルを開始。これにはライバルも意表を突かれ、一気に差が開いてしまう。調子が上がらないコンタドールが脱落し、ゴールまでに大差をつけられる。母国スペインでの区間を目前にして総合優勝争いからの脱落である。
「下りでアタックすることはまったく計画にはなかった」
フルームは下り坂でその差を広げてゴールまで逃げ切った。フルームの区間勝利は2015年の第10ステージ以来で、大会通算6勝目。
「上りで何回かアタックしたが、他の選手が着いてきた。だったら下りで突き放してやろうと考えた。ちょっと体力を使ってしまい、翌日の過酷なレースが気になるが、ステージ勝利は気分がいいし、貴重なタイムをかせぐことができた」
総合優勝を争うモビスターのナイロ・キンタナ(コロンビア)とアスタナのファビオ・アルー(イタリア)らは13秒遅れ。フルームは区間1位のボーナスタイム10秒も獲得していて、総合成績で一気に首位に立った。前日までの首位バンアーベルマートは山岳を得意としていないため、25分54秒遅れで、その座を手放した。
しかしキンタナとアルーはわずか23秒差でフルームを追う位置にいる。フルームとしては上りでこの2選手の走りを警戒しているだけに、この日の下りを使った奇襲作戦に出たとも考えられる。マイヨジョーヌをめぐる戦いは始まったばかりだ。
アルプスの個人タイムトライアルで突き放す
第18ステージは距離17kmの個人タイムトライアルが行われ、総合成績で首位のフルームが30分43秒のトップタイムで優勝。ピレネー山脈で行われた第8ステージに続く今大会2勝目で、大会通算7勝目。個人タイムトライアルで勝ったのは2013年以来2度目。総合成績では2位バウケ・モレマ(オランダ、トレック・セガフレード)との差を2分27秒から3分52秒に広げた。
距離は短いものの上り坂を駆け上がる個人タイムトライアル。チームメートに助けてもらうことができない種目なので、個人の実力差が量られる。そんな重要なステージでフルームが1位になり、だれが一番強いのかがはっきりとした。2年連続3度目の総合優勝に大きく前進したのである。
フルームはスタートしてしばらくは慎重に走った。すでに総合2位以下とのタイム差は十分にあり、落車や観客との接触のみを注意して走ればよかった。しかし中間地点で暫定トップだったトム・デュムランのタイムに並ぶと後半は余裕ができて全力で走った。
「すべてのトラブルを回避するような走りをしたかった。午前中にコースをチェックしたときはいつも使っているロードバイクで走ろうと考えた。でもチームスタッフはタイムトライアルバイクを使うことをすすめてくれた。軽量なので上りでもロスはないという理由だったが、その選択が今日の結果につながったね」とフルーム。
第20ステージは最後の山岳区間だった。雨中戦となりアクシデントも想定されたが、強力なアシスト陣に援護されたフルームはライバルの反撃をまったく許すことなくゴールした。
最後の山岳ステージの最後の1kmまで慎重に走った
フルームが4人のチームメートとともにモルジンヌのフィニッシュラインを通過したとき、全身はずぶ濡れだったがようやく安堵の笑顔を浮かべた。2位に4分以上の大差をつけながら最後まで油断せず、ゴールまでの下り坂も細心の注意を払って走った。ずっと後ろを走っていたライバルたちが最後はスパートして追い抜いていったが、そんな数秒のタイムロスはもうどうでもよかった。
「この24時間、ボクはとてもナーバスになってしまった。そんなときにチームメートが声をかけてくれたり、レースで力を貸してくれた。マイヨジョーヌを守れたのはそのおかげだ。圧勝のように見えるけれど、ボクはギリギリの状態だった」
この大会のフルームの勝因は、上り坂に強いライバル選手にそこで勝負をさせなかったことだ。ピレネー山脈の第8ステージでフルームはまさかの下り坂で単独アタック。僅差ながらライバルに差をつけてここで総合1位に立った。そのあとも平たん区間で積極的に動いて毎日のようにわずかなタイム差を稼いでいく。2つの個人タイムトライアルを巧みに使い、十分なタイム差を稼ぎ出すと、圧倒的なチーム力で最後のアルプスをしのぎ、逃げ切った。
この日は前日の落車で体中が痛かったという。脚の疲労も感じていたが、この日は幸いなことに脚力が回復した。しかし冷たい雨にたたられて、苦い経験がよみがえったという。2年前、雨の第5ステージで二度にわたって落車し、手首を骨折して連覇を断たれたことである。
「危険を回避するために常に先頭にいた。最後の1kmになってようやく栄冠をつかめたという感慨と、これまでのさまざまな記憶がよみがえってきた。いまはマイヨジョーヌとともに生きている幸せを感じている」
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