ツール・ド・フランスが町の自転車愛を4段階で格付け

ツール・ド・フランスは2021年、全国の市町村がどれだけ自転車フレンドリー度に満ちているかを4段階評価する「Ville à Vélo du Tour de France」という看板を設置する。Ville à Vélo(ビル・ア・ベロ)は英語にするとサイクルシティ。Riding in to the Futureキャンペーンの一環として展開していく。

自転車フレンドリー度を示す最大4つの自転車マークが町の看板の下に設置される

1903年にツール・ド・フランスが創設されてから、少なくとも1回はスタートあるいはゴールを務めたすべての都市に立候補する権利が与えられているという。

フランス自転車ユーザー連盟(FUB)の専門家によって定められた基準に従って、4段階のラベリングが定義されていて、立候補した町が格付けされる。大都市と地方自治体というそれぞれの特性が考慮されるので、小さな町でも高評価を得る可能性があるという。

フランスではすでに花木で美しく装飾された町を評価するビル・ド・フルールという格付け制度があり、フランス政府も後援している。その町に入ったところに表示される町名看板の下に4段階のビル・ド・フルール看板が設置されている。最高ランクは花が4つだ。

今回のツール・ド・フランスの新企画は自転車マークの数によってランキングがわかるようになっている。

フランス政府後援で展開している「花の町」看板

自転車に優しいコミュニティに栄誉ある看板を授与

自転車を毎日の移動手段として愛用している人の割合は、フランスでもここ数年で大幅に増加している。フランスの自治体やコミュニティの多くが電気やガソリンで動く交通手段の代替案として自転車利用促進に注力している背景もある。ツール・ド・フランスはそういったトレンドを見すえ、自転車ロードレースの象徴的イベントとしての役割に加えて、毎日のサイクリング利用の促進に取り組んでいこうというのが今回の看板設置企画の柱だ。

4段階の看板は、その町の境界となる道路脇に設置する町名標識に添付される。小さな黄色い自転車マークによってランキングが分かるという仕組みになるという。格付け基準は、自転車インフラの開発戦略、サイクリングをサポートするための具体的なアクション(学校での学習、意識向上キャンペーン)、地域のサイクルスポーツに関与するクラブやさまざまな団体が提供するサポート態勢などが審議される。

「パリやロンドンなどの大都市と数百人の住民しかいない地方自治体とでは、そのリソースに大きな格差がある。たとえば、自転車道を新設する予算を捻出するのが難しい町も多くある。そういった環境の違いを考慮し、公平に審査するために別基準を設定している」とオペレーションコーディネーターのカリーヌ・ボッツァッキ。

各都市の立候補は2月3日から3月15日まで。3月31日に自転車モビリティの専門家グループによる書類審査、4月14〜15日に審議され、5月3日に発表される予定。

2月14日は最速の山岳スペシャリスト、パンターニの命日

マルコ・パンターニ。1998年にジロ・デ・イタリアツール・ド・フランスを連覇したイタリアの山岳スペシャリスト。愛称は「海賊」。アルプスのラルプデュエズでの最速登坂記録のベスト3を持つ。しかしドーピング騒動に巻き込まれて私生活が崩壊。2004年2月14日に34歳で死去した。

1998ツール・ド・フランスで総合優勝したマルコ・パンターニ

最速の山岳スペシャリストのあまりにも悲しい最期

1970年生まれのイタリア人レーサー。172cm、57kg。現役年度は1992〜2003年。スキャンダラスな1998ツール・ド・フランスを救った、愛されるべきキャラクターあった。

同じ年にジロ・デ・イタリアとツール・ド・フランスの両方を制することを「ダブルツール」と呼ぶ。過去に7人しか達成したことのない自転車競技界の偉業だ。タイムトライアルを得意とするオールラウンダーがその名を連ねるのだが、1998年のマルコ・パンターニのみが山岳スペシャリストだ。

個人タイムトライアルの遅れを山岳で取り戻す。それだけ上りは圧倒的な速さだった。パンターニのダブルツール達成はそれまでの常識を覆すほどの衝撃だった。

とにかく伝説に名を残す希有な選手だった。独特の容貌はいつしかスキンヘッド姿がトレードマークとなった。ニックネームは「イル・ピラータ=海賊」。ドロップバーの一番下を持ってダンシングで上るスタイルは真似できるものではない。

しかもメジャー勝利以外は目もくれなかった。ジロ・デ・イタリアやツール・ド・フランスでも最難関のステージだけをねらい、独走でゴールした。イタリアのファンでなくてもその実力にひかれ、世界中に多くのファンを持つようになった。

パンターニの名前が最初に脚光を浴びたのは1994年だ。その年のジロ・デ・イタリアの山岳ステージで区間2勝し、総合成績でもロシアのエフゲニー・ベルツィンに続く総合2位に入る。その年のツール・ド・フランスにも出場し、いきなり総合3位。それに加えて新人賞を獲得した。

「ツール・ド・フランスで久しぶりに勝てるイタリア選手が出現した」とイタリア中が大騒ぎになったのだ。

翌1995年にツール・ド・フランスでスペインの無敵艦隊ミゲール・インデュラインと渡り合う。ステージ2勝と2年連続の新人賞という成績にイタリアファンは満足していなかったが、それでもその将来性は十分だった。ところがそのシーズンの終わりに開催されたミラノ〜トリノで、コースを逆走してきたクルマに正面衝突して大腿骨を骨折。不世出のヒルクライマーは翌シーズンを棒に振った。

しかし海賊の不屈の魂はなえるものではなかった。1997年のツール・ド・フランスでは、最難関のラルプデュエズで圧勝。さらにステージ1勝を重ねて総合3位に入った。

ツール・ド・フランス最高の舞台といわれるラルプデュエズ。ふもとのブールドワザンからゴールまで距離13.8kmの最速記録は、1997年にマルコ・パンターニが記録した37分35秒。平均時速は22km超。しかもパンターニは、1994年に38分、1995年に38分04秒で駆け上がり、当時は1人でベスト3の記録を持っていた。

ちなみに2004年にはラルプデュエズで史上初の個人タイムトライアルが行われた。このときはブールドワザンの中心地からスタートしたので距離は15.5km。米国ランス・アームストロングが39分41秒でトップタイムを記録しているが、序盤の平坦区間のタイムを差し引いてもパンターニには及ばなかった。*後日アームストロングは薬物違反により記録抹消。

自転車競技史上最強の山岳スペシャリストは1998年にジロ・デ・イタリアとツール・ド・フランスで優勝し、選手生活の絶頂期を迎えた。特にツール・ド・フランスではチームぐるみのドーピングが明らかになったフェスティナ事件が発覚した年で、スター性のあるパンターニの優勝という明るいニュースがなかったら、その後の歴史に暗い影を落とすことになったはずだ。

奈落の底に落ちていく。そして壮絶なる最期を遂げる

しかしその後は不運がつきまとった。1999年のジロ・デ・イタリアで区間4勝と圧勝し、2連覇が目前となった最終日前日に、パンターニは血液検査でヘマトクリット値(血液中の赤血球の濃度)が50%を超えたため、健康上の理由で出場停止処分を受けてしまうのだ。

本人は一貫して否定したが、2001年に薬物使用疑惑で2年間の出場停止を通告された。さらには自動車事故を起こすなど私生活でもトラブル続きで、心療内科にも通った。才能に恵まれたはずのレーサーが活躍の場を失ったことで精神的に打ちのめされたのは明らかだった。

2004年2月15日、イタリアのリミニにある滞在型アパートの一室でパンターニが床に倒れているのを発見された。すでに手遅れだった。司法解剖の結果、前日の14日に死亡したこと、脳と肺に水腫があったことが明らかになり、死因はコカイン摂取過多と報じられた。遺体は故郷チェゼナティコに運ばれ、18日に地元の教会で葬儀が行われた。自転車のみならずサッカーやスキー界の著名選手が集まり、冥福を祈った。

「ボクは完全に孤立している。みんなドーピングに関して疑いのまなざしを向ける」という走り書きも見つかった。アパートではチェックインしてから死亡するまでの5日間、食事以外は部屋に閉じこもりがちで、外部との接触を嫌っていたという。

「彼はスポーツ界や友人から漂流してしまった。みんな彼を助けたかったが、それは拒絶された。彼にどんな葛藤があったのかは想像すらできない」とライバルだったアームストロングもコメントした。

それでもパンターニの人気は現在でも絶大だ。ジロ・デ・イタリアの沿道はもちろん、ツール・ド・フランスでもパンターニの名前が路面にペイントされているのを今でも目撃する。あまりにもドラマチックな走りを見せつけたスーパーヒーローは、あっという間にファンの目の前から消えてなくなった。

●ツール・ド・フランスのホームページ

アデュー、ボワチュールジョーヌ…マヴィックがシマノにエール

2021ツール・ド・フランスから、チームの分け隔てなく公平な立場でメカニックサポートをこなすニュートラルアシスタントが日本のシマノになる。これまでツール・ド・フランスの象徴的な役割を担ってきたフランスのマヴィック社は、さみしさをわずかににじませながらもシマノにエールを送った。

2019パリ〜ツール ©A.S.O. / Bruno BADE

1973年のパリ〜ニースで、自転車の車輪を主に製造していたマヴィック社は初めてその象徴的な黄色いニュートラルアシスタンスカー、ボワチュールジョーヌを走らせた。チームや所属選手の国籍、順位や成績に関係なく、集団を中立的にサポートしていく。その役割は世界中のサイクリングイベントの礎となった。

ツール・ド・フランスの沿道で黄色い車がやってくれば、それはマヴィックだとだれもが分かった。フランス国民のみならず、世界中の自転車ファンから愛され続けてきたボワチュールジョーヌ。2021年からツール・ド・フランスをはじめとするASO主催イベントでは大阪府堺市の自転車パーツメーカー、シマノに変わる。ニュートラルカーは黄色から青色に変わることになる。

ボワチュールジョーヌに同乗取材

ツール・ド・フランスで選手たちの後ろを伴走する車両隊列の中で、一番目立つのが黄色いボワチュールジョーヌだ。これまでも何度かステージのスタートからゴールまで同乗させてもらったことがあるが、直近では2014年の最終日、パリ・シャンゼリゼで乗車する機会を得て、彼らの仕事ぶりをチェックすることができた。

2019フレーシュワロンヌ女子レース ©A.S.O. / Thomas MAHEUX

2020年までのツール・ド・フランスでは、出場22チームは2台のサポートカーが選手団の近い位置で追従することが許されていて、パンクなどの機材故障に対応している。こうしたチーム所属のサポートカーとは別に、黄色いボディのサポートカーを帯同させるのは国際規定で定められている。これがチームの分け隔てなく公平に機材故障に対応するという任務を持ったニュートラルアシスタンスカーだ。

フランスのマヴィック社はシマノのようにあらゆるパーツを開発・販売する規模ではなく、かつては変速機やクランク周辺部など、現在も車輪やアパレルなどに特化して製造する。企業規模としては小さいが、ASOとともに大会を育んできた実績と貢献度は計り知れない。これまでツール・ド・フランスにとってマヴィックは協賛企業ではなく、協力企業という特別の立ち位置でもあった。

フランス語で「黄色いクルマ」という意味の「ボワチュールジョーヌ」はいつの間にか沿道の人気者に。オートバイ型の「モトジョーヌ」もマヴィックが走らせているもので、その役割と人気ぶりは同じだ。

2018ツール・ド・フランスで崖下に転落したフィリップ・ジルベールを救助 ©A.S.O. /Pauline Ballet

ボワチュールジョーヌは運転手のほかに後部座席に敏腕メカニックが乗車し、いつでもトラブルに対応できるように待ち構えている。クルマの屋根には交換用の車輪と自転車がズラリと搭載されているのだが、チームによって使用するパーツメーカーが異なるので、全チームの使用機材の互換性を頭の中にたたき込んで、瞬時に対応できるようにしている。いわばプロ中のプロである。

コンコルド広場に停車したボワチュールジョーヌ

その出番はいつも突然やってくる

彼らの出番はラジオツールと呼ばれる車載無線で指示される。

「ボワチュールジョーヌ、先頭集団で○○チームの選手がパンク!」

指示が入るや、「あのチームの後輪はカンパニョーロの11段変速だ」などと判断し、現場に急行するや適合する車輪を選択して交換する。

車輪の交換はひんぱんにあるが、ボワチュールジョーヌが自転車を交換することはほとんどない。使用するペダルの形状がチームによってバラバラで、これに選手の体格によってフレームサイズの違いが加わるからだ。1秒を惜しんで前を走る集団に追いつきたい選手を前にして、ペダルを交換しているなんてヒマはない。こういった場合はチームカーの到着を待つのがほとんど。

大観衆が沿道を埋め尽くしたシャンゼリゼ通りを先頭で走る

助手席にはステージごとにスポンサーなどのVIPが乗る。世界各国の営業面でのキーパーソンやメディアなどの名前が予約リストに掲載されている。競技のうえでなくてはならない存在なのかもしれないが、同時進行で社交が展開されている。このあたりが伝統に裏打ちされた文化であることがうかがえる。

ニュートラルカーとチームカーの役割

自転車レースでは選手がアタックして先頭集団とメイン集団に分かれた場合、一定のタイム差が開くと審判がサポートカーに無線で先頭集団の後ろに位置するように指示を送る。先頭集団が所属するチームのサポートカーが後ろに着くことを認められるのはタイム差が2〜3分になってから。2分以内は各チームのサポートカーではなくマヴィックのニュートラルアシスタンスカーがつなぎ役として先頭集団の後ろに着く。タイム差が1分を切ると、2つの集団が合流する可能性が高くなったと判断して、すべてのサポートカーが元の位置に戻される。

また選手後方で隊列を組む関係車両の中でも目印となっている。隊列はディレクターカー、医療車に続いて、出場22チームの第1サポートカーが前日の成績順に並び、ボワチュールジョーヌをはさんで第1サポートカーが同様に並ぶ。レース途中はメカトラブルや選手へのボトル渡し、アタックした選手への追従が認められるなどで混とんとした状態となるが、一段落し手元の位置に戻る場合はこのボワチュールジョーヌが目印になるのだ。

ボワチュールジョーヌの助手席より

ボワチュールジョーヌに乗ってシャンゼリゼの特設サーキットを体験した。世界で最も華やかだと言われるこの大通りだが、細身のタイヤをはいたロードバイクで走ることをまず想定していないと思った。鏡面のようなアスファルトではなく、石畳なのだ。しかもエトワール凱旋門に向かってゆるやかに上っている。選手たちはここを時速50kmで突っ走るのだから信じられない。

選手と同じ景色を体感

ゴールはフランス革命で断頭台が置かれたコンコルド広場からシャンゼリゼの直線路に突入する。このときのスピードは時速70kmにもなるはずだが、コーナーがかなりタイトで視覚的に針の穴に突入するような感じだ。最速の走行ラインは1本しかない。それを手に入れるためにアシスト陣を使って高速列車を走らせる。華やかさだけではない、大変なフィナーレだ。

選手たちがゴールしたら、真夏のフランスを駆け抜けた23日間の夏祭りも終わり。黄色うウエアに身を包んだマヴィックのメカニックたちがコンコルド広場の片隅で仕事を終えた充実感に満ちた面持ちでたたずんでいたのが心に残った。

ボワチュールジョーヌのフロントガラス越しに。シャンゼリゼに凱旋した選手のタイミングをはかってフランス空軍が戦隊飛行でフィナーレを演出

最後のコメントは「ボンシャンス、シマノ」

マヴィックが48年にもおよぶツール・ド・フランスでのメカニックサポートを終えた。ASOとの契約は途絶えたものの、スポーツとサービスへの情熱、そして勝利を求めて考えは変わらないという。マヴィックはすべてのサイクリストのためにこれからもこの世界の真ん中で存在していくとコメント。

そして最後に「ボンシャンス=幸運を! シマノ」と結んでいる。

●マヴィックのホームページ

2021ツール・ド・フランス出場チームは1増の23チームに

2021年6月26日から7月18日まで開催される第108回ツール・ド・フランスの出場チームが発表された。ジロ・デ・イタリアとブエルタ・ア・エスパーニャを含むグランツール3大会は、新型コロナウイルスの状況下でチームの出場機会が減少しているることから、国際自転車競技連合が1チーム増の23チーム、出場184選手とした。

2020ツール・ド・フランス第10ステージはフランス西海岸を走った ©A.S.O. Pauline Ballet

ツール・ド・フランス出場チームはUCIワールドツアーチームの19と、前年のプロチームランキング1位が自動的に出場権を得ていたが、今回の規定変更にともない、ワイルドカード(主催者推薦)枠が2チームから3チームに。フランスチームのB&BホテルズKTM、アルケア・サムシック、トタル・ディレクトエネルジーが選出された。

●2021ワールドツアー19チーム
AG2Rシトロエン(フランス)
アスタナ・プレミアテック(カザフスタン)
バーレーンビクトリアス(バーレーン)
ボーラ・ハンスグローエ(ドイツ)
コフィディス(フランス)
ドゥークニンク・クイックステップ(ベルギー)
EFエデュケーションNIPPO(米国)
グリーンエッジ(オーストラリア)
グルパマFDJ(フランス)
イネオス・グレナディアス(英国)
アンテルマルシェ・ワンティ・ゴベールマテリオ(ベルギー)
イスラエルスタートアップネーション(イスラエル)
ユンボ・ビスマ(オランダ)
ロットスーダル(ベルギー)
モビスター(スペイン)
DSM(ドイツ)
ケベカアソス(南アフリカ)
トレック・セガフレード(米国)
UAEエミレーツ(UAE)

●2020プロチームランキング1位
アルペシン・フェニックス(ベルギー)

●ワイルドカード
B&BホテルズKTM(フランス)
アルケア・サムシック(フランス)
トタル・ディレクトエネルジー(フランス)

●ツール・ド・フランスのホームページ
●ツール・ド・フランス特集サイト

シマノがツール・ド・フランスのニュートラルアシスタンスに

2021年3月に創業100周年を迎える大阪府堺市の自転車パーツメーカー、シマノツール・ド・フランスのニュートラルメカニックを担当することになった。これまでフランスのマビック社がこれを務めていたが、2021年からニュートラルカーは黄色から水色に変わる。

シマノはすでにブエルタ・ア・エスパーニャでのニュートラルアシスタンスを務めているが、今回のシマノとASOの合意によりツール・ド・フランスはもとより、パリ〜ルーベ、リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ、フレッシュワロンヌ、パリ〜ツールなどの有名なクラシック、さらには一般参加イベントのエタップ・デュ・ツールなどASOが運営するすべての自転車レースやイベントをシマノがサポートすることになった。    

シマノは1921年、堺の町工場として自転車のギヤ製造を始めた。1970年代から欧州ロードに打って出て、日本人メカニックをロードレースの本場に派遣。カンパニョーロ社などの伝統メーカーに苦戦しながらも、得意とする機能路線で世界最強の自転車メーカーに成長していく。

今回のパートナーシップでシマノは、20年にわたるニュートラルサポート経験とノウハウを活用して、出場選手が使用するパーツブランドに関係なく、ASOが運営するレースのすべての選手を公平にサポートし、バイクのトラブルに対応していく。

シマノの象徴的なイメージカラーは水色(ブルー)で、すべてのASOワールドツアー、コンチネンタル大会、ウィメンズレースでニュートラルサポートカーのボディを飾り、クラッシュやメカニカルトラブルが発生した場合に、選手ができるだけ早くレース復帰できるように支援するのが任務となった。 

●ツール・ド・フランスのホームページ

J SPORTSが2021年もツール・ド・フランスなど放送へ

国内最大4チャンネルのスポーツテレビ局、ジェイ・スポーツがサイクルロードレース2021シーズン海外主要レースの放送ラインアップを発表した。J SPORTSオンデマンドでも配信される。J SPORTSの2021年サイクルロードレース中継初日となる2月2日のサウジツアー 第1ステージはスカパー!で無料放送、J SPORTSオンデマンドでも会員無料配信される。

J SPORTSは新型コロナウイルスの影響により中止が決定したツアーダウンアンダーに代わり、初放送となるサウジツアーから2021シーズンのサイクルロードレース中継を開始する。6月26日に開幕する世界最高峰ロードレースのツール・ド・フランスをはじめ、世界トップレベルのUCIワールドツアーを中心に、2020シーズンよりも多くのレースの中継を予定している。

3月からは栗村修氏、サッシャ氏の“我らファミリー”が登場するサイクルロードレース情報番組「我らワールドのサイクルロードレース観戦塾」やワールドツアーを中心にレースのプレビュー、レビューを行う「月チャリ~#jspocycle NEWS~」も引き続き放送、配信していく。

さらに1月から3月にはレース中継、情報番組に加え、選手やチームについてより深く知ることのできるドキュメンタリー番組4本の放送、配信も予定している。

ドキュメンタリー番組の予定

J SPORTS では1月から3月にかけて4本のドキュメンタリー番組の放送、配信を予定。最初に放送するのはベルギーの英雄、トム・ボーネン氏のファンを追ったドキュメンタリー「”ボク”の大好きなトム・ボーネン」。現役最後のレースとなった2017年のパリ~ルーベに出場するボーネン氏の雄姿を見届けるべく石畳に繰り出す2人のファンに密着する。

続いて2020年に大好評だった「ユンボ・ヴィスマ特集」の続編2本。2019年のツール・ド・フランスで負った怪我を乗り越えて、2020シーズン、常にレースシーンの中心にいたワウト・ファンアールトの復活の軌跡を描いた物語と、ツール・ド・フランスで惜しくもマイヨジョーヌを逃したチームのエース、プリモシュ・ログリッチが異例のシーズンを締めくくるブエルタ・ア・エスパーニャで栄冠を掴むまでのチームの裏側に迫った物語を放送。

3月にはドゥクーニンク・クイックステップに密着したドキュメンタリーも放送、配信予定。レース中継では見られない選手、チーム、そしてサイクルロードレースの魅力に迫った番組が楽しめる。

●J SPORTSの番組詳細サイト

2021シーズンのレース放送予定

2021年1月8日時点で放送が決定している大会のみを掲載。追加・変更は随時J SPORTSサイクルロードレース特集サイトで発表。

●J SPORTSの番組詳細サイト