フランスのジュリアン・アラフィリップが世界チャンピオンに

フランスのジュリアン・アラフィリップが9月27日にイタリアのイモラで開催された世界選手権エリート男子ロードで、残り10kmから独走して初の世界チャンピオンになった。2位は24秒遅れの4人の争いを制したベルギーのワウト・ファンアールト、3位はスイスのマルク・ヒルシ。

最終周回でアタックしたアラフィリップ ©Luca Bettini/BettiniPhoto©2020

フランス勢の世界選手権優勝は1997年のローラン・ブロシャール以来となる23年ぶり8人目。

●フランス勢の世界チャンピオン
1936 アントナン・マーニュ
1954 ルイゾン・ボベ
1959 アンドレ・ダリガード
1962 ジャン・スタブリンスキ
1980 ベルナール・イノー
1994 リュック・ルブラン
1997 ローラン・ブロシャール

エリート男子ロードは距離258.2kmで争われた ©Dario Belingheri/BettiniPhoto©2020

日本から唯一出場した新城幸也はスタート直後に形成された7人の先頭集団に加わり、国際映像に積極的な走りを映し出された。4人に絞り込まれてもその中に残ったが、2選手に先行され、ゴールまで77kmの地点でメイン集団に吸収された。

ベルギー、ポーランド、イタリアなどの強豪国がレースをコントロールしようとした ©Ilario Biondi/BettiniPhoto©2020

最終周回の最後の上りでアラフィリップがアタック

今季はF1も開催されるイモラサーキットを基点として2つの上りが含まれる周回コースを9周する。序盤から新城を含む7選手が先行するが、終盤になってメイン集団がこれを吸収。残り2周で、1週間前にツール・ド・フランスで総合優勝したばかりのタデイ・ポガチャル(スロベニア)が単独で抜け出したが、後続のメイン集団に捕らえられた。

地元イタリアのビンチェンツォ・ニバリがアタックすると、スペインのミケル・ランダら優勝候補がマーク ©Luca Bettini/BettiniPhoto©2020

最終周回の最後の上りまで各国のエースはメイン集団に残ったが、残り10km地点でアラフィリップがアタックすると、わずかにその差がついた。

独走でゴールを目指すアラフィリップを追って、ファンアールト、ヒルシ、ポーランドのミハウ・クビアトコウスキー、スロベニアのプリモシュ・ログリッチ、デンマークのヤコブ・フルサンが追走。しかし10〜15秒の差が詰まらず、アラフィリップを捕らえられなかった。

ジュリアン・アラフィリップが世界チャンピオンに ©Dario Belingheri/BettiniPhoto©2020

「この感情を説明する言葉がない。今日は自分のキャリアの中で最大の目標を達成した」と目に涙を浮かべるアラフィリップ。

「これまでもうなにも残すことなく、多くの犠牲を払ってきた。チームメイトに感謝しなければならない。まだ夢を見ているような気分で、ボクたちフランスチームが達成したことを確認する必要がある」

アルカンシエルを着用したジュリアン・アラフィリップを中央に、左が2位ワウト・ファンアールト、右が3位マルク・ヒルシ ©Dario Belingheri/BettiniPhoto©2020

「最後の上りでは、ピークを越えてからの下りで数秒のリードを得るために全力で行った。考えることをすべてやめて、ひたすらペダルをこいだ。ゴールまで200mで、もう捕まえられないと分かって、夢がかなったと思った。とても幸せだ」

アラフィリップは9月30日に開催されるにフレッシュワロンヌで世界チャンピオンの称号である5色の虹色ジャージ、アルカンシエルを着てデビューする。

●世界選手権エリート男子ロード結果
1) ALAPHILIPPE Julian (France) km 258.2 in 6:38:34 (average speed 38.869 kph)
2) van AERT Wout (Belgium) +24
3) HIRSCHI Marc (Switzerland) +24
4) KWIATKOWSKI Michal (Poland) +24
5) FUGLSANG Jakob (Denmark) +24
6) ROGLIC Primoz (Slovenia) +24
7) MATTHEWS Michael (Australia) +53
8) VALVERDE Alejandro (Spain) +53
9) SCHACHMANN Maximilian (Germany) +53
10) CARUSO Damiano (Italy) +53
リタイア 新城幸也(日本)

アルカンシエルを手中にして天を仰ぐアラフィリップ ©Ilario Biondi/BettiniPhoto©2020

●大会ホームページ
●Liveサイト
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●YouTubeのUCI channel

映画「弱虫ペダル」公開記念ライドに渡辺航と新城幸也参加

映画「弱虫ペダル」公開記念Zwiftライドが7月26日(日)に開催され、原作者の渡辺航(わたなべ わたる)がライドリーダーに、プロロードレーサー新城幸也もオンラインで参加した。ワイ・インターナショナルがライドイベントをサポートした。

Zoomでつながった渡辺航(上から4列目中央)や新城幸也(上から5列目中央)

映画公開を記念し、全世界で利用されているバーチャルサイクリングのプラットフォーム 「Zwift」(ズイフト、米国)上でライドイベントを開催。当日は、Y’sRoad渋谷本館をキーステーシ ョンとして、Y’sRoadの各店舗と原作者の渡辺をオンライン会議システムZoomで結び実況中継をした。渡辺をライドリーダーに、世界25カ国・約2000人の参加者とバーチャルライドを楽しんだ。

Y’sRoad 渋谷本館のモニターに映し出された集団ライド

Y’sRoad 渋谷本館では、映画の自転車技術指導を務めた元プロロードレーサー城田大和(し ろた やまと)が、スマートトレーナーの「SARIS H3」とプラットフォーム「MP1」を使用しライドに参加。さらに映画「弱虫ペダル」小野田坂道役の永瀬廉、鳴子章吉役の坂東龍汰が劇中で着用していたチーム総北の衣装に身を包み、応援に駆けつけてくれた。

永瀬と坂東もバーチャルライドを体験し、永瀬は「坂道の傾斜がきついほどペダルが重くなったりするんですか?」と興味津々で、リアルなライディングに感動していた。また、約2000名とリアルタイムでつながっていることに驚いていた。

渡辺航と参加した全世界のライダーがライド中のチャット(画面中央に表示)を楽しんだ

イベント後、渡辺は「初めてグループライドでリーダーもやらせてもらって、2000人と一緒に走ったのは初めてだったのですごく面白かった」と達成感にあふれていて、永瀬も「汗もかけるし、体も動かせるしロードレースも盛り上げられるし、一石二鳥以上のものが得られるイベントですね」とあらためてバーチャルライドの楽しさを語った。

また、3年前まで現役選手だった城田も「これまでの室内練習に比べ、傾斜や負荷がかかることで実際の道を走っているような体感ができ、景色も変わって楽しめるので、長時間漕げて いいですね。僕が現役時代の時はなかったのに、今の選手がうらやましい…」とコメントした。

城田大和も参加

8月14日(金)に公開となる映画「弱虫ペダル」に注目。

映画の自転車技術指導を務めた元プロロードレーサー城田大和

映画「弱虫ペダル」は2020年8月14日(金)に全国公開

累計2500万部突破の大人気スポーツ青春漫画「弱虫ペダル」。2008年に週刊少年チャンピオン(秋田書店)で連載開始され、連載は2020年で12年目を迎え、現在まで67巻が既刊されている大人気コミックス。アニメ、 アニメ映画、舞台、小説、ドラマなどさまざまなコンテンツでメディアミックスされているが、満を持して初の実写映画化となった。松竹配給のもと、ワイ・インターナショナルは劇中で使用する自転車などの提供と走行技術指導の協力をした。

●映画「弱虫ペダル」の公式サイト
●ワイ・インターナショナルのホームページ

【ツール・ド・フランスリバイバル】2016…フルーム傷だらけの勝利

世界遺産モンサンミッシェルで開幕した第103回ツール・ド・フランスは、英国のクリストファー・フルーム(スカイ)が2年連続3度目の優勝を果たした。2年ぶり6度目の参戦を果たした新城幸也(ランプレ・メリダ)は悲願の区間勝利こそつかめなかったが、第6ステージで敢闘賞を獲得した。2012年の第4ステージに続いて2度目の受賞。

第19 ステージでフルームは苦戦。マイヨジョーヌは落車で破け、手足から出血も
2016ツール・ド・フランス
新城幸也にとって2度目の敢闘賞

初日に区間勝利とボーナスタイム10秒を獲得して首位に立ったディメンションデータのマーク・カベンディッシュ(英国)は、翌日の第2ステージ終盤の上り坂で脱落。このゴールまでの上り坂で少人数の力勝負となり、ティンコフのぺテル・サガン(スロバキア)がわずかに先着。3年ぶり5回目の区間勝利を果たした。

第1次大戦の激戦地でチームプレゼンテーションに登場した世界チャンピオンのサガンとコンタドール

総合成績では前日までの成績で6秒遅れの総合3位につけていたサガンが首位に立ち、マイヨジョーヌを獲得した。同選手はポイント賞争いでも1位になり、5年連続の同賞獲得にも手応えをつかんだ。

第5ステージは中央フランスに舞台を移し、BMCのグレッグ・バンアーベルマート(ベルギー)が終盤に独走して優勝。前日までの総合成績で18秒遅れの20位につけていた同選手が、2位以下に2分以上の大差をつけたことで一気に首位に立った。

この日は起伏の激しい中央山塊に突入したことで有力チームの走りが本格化。首位のマイヨジョーヌを着るサガンは長い上りを得意としていないため、23分45秒遅れの区間110位でゴール。総合1位から76位に陥落した。

第1ステージは世界遺産モンサンミッシェルをスタートした

そして戦いは第8ステージで前半の勝負どころ、ピレネーへ

ピレネーの本格的山岳ステージでティンコフのラファウ・マイカ(ポーランド)ら3人の伏兵が逃げを打った。3選手とも区間勝利の実績があり、総合成績の逆転をねらった走りというよりはこの日の勝利を目指したものだ。さらにこの3選手の中からマイカが抜け出すのだが、後続集団は総合成績で大きく遅れているマイカを無理には追わなかった。とりわけフルームを擁するスカイチームは翌日も重要な山岳区間が控えていることからアシスト陣の消耗を考え、ある程度は逃げを容認する方針をとった。

マイカが先行した意図は自らの区間勝利とともにチームエースであるアルベルト・コンタドール(スペイン)を後続集団内で体力温存させるためだからだ。マイカはゴールまで残り2つの峠を残して吸収され、区間勝利はならなかったが、この日から本格化した山岳賞のトップに立った。

第6ステージで新城幸也はヤン・バルタとアタックし、後続に5分10秒差をつけた
第6ステージで新城幸也が敢闘賞

有力選手の戦いは最後の山岳でも膠着状態だった。ところが残り15.5km地点の峠の頂上を通過するとフルームが一気に加速して高速ダウンヒルを開始。これにはライバルも意表を突かれ、一気に差が開いてしまう。調子が上がらないコンタドールが脱落し、ゴールまでに大差をつけられる。母国スペインでの区間を目前にして総合優勝争いからの脱落である。

「下りでアタックすることはまったく計画にはなかった」

フルームは下り坂でその差を広げてゴールまで逃げ切った。フルームの区間勝利は2015年の第10ステージ以来で、大会通算6勝目。

「上りで何回かアタックしたが、他の選手が着いてきた。だったら下りで突き放してやろうと考えた。ちょっと体力を使ってしまい、翌日の過酷なレースが気になるが、ステージ勝利は気分がいいし、貴重なタイムをかせぐことができた」

ピレネーの第8ステージで、戦闘から2分遅れのメイン集団をスカイとモビスターが引っ張る
ピレネーの第8ステージでフルームが優勝。首位に躍り出た

総合優勝を争うモビスターのナイロ・キンタナ(コロンビア)とアスタナのファビオ・アルー(イタリア)らは13秒遅れ。フルームは区間1位のボーナスタイム10秒も獲得していて、総合成績で一気に首位に立った。前日までの首位バンアーベルマートは山岳を得意としていないため、25分54秒遅れで、その座を手放した。

しかしキンタナとアルーはわずか23秒差でフルームを追う位置にいる。フルームとしては上りでこの2選手の走りを警戒しているだけに、この日の下りを使った奇襲作戦に出たとも考えられる。マイヨジョーヌをめぐる戦いは始まったばかりだ。

第9ステージのアンドラ・アルカリスは雹混じりの豪雨だが、パンタノはファンから傘を借りたらしい

アルプスの個人タイムトライアルで突き放す

第18ステージは距離17kmの個人タイムトライアルが行われ、総合成績で首位のフルームが30分43秒のトップタイムで優勝。ピレネー山脈で行われた第8ステージに続く今大会2勝目で、大会通算7勝目。個人タイムトライアルで勝ったのは2013年以来2度目。総合成績では2位バウケ・モレマ(オランダ、トレック・セガフレード)との差を2分27秒から3分52秒に広げた。

距離は短いものの上り坂を駆け上がる個人タイムトライアル。チームメートに助けてもらうことができない種目なので、個人の実力差が量られる。そんな重要なステージでフルームが1位になり、だれが一番強いのかがはっきりとした。2年連続3度目の総合優勝に大きく前進したのである。

ニースで起きたテロ事件の犠牲者に黙とうを捧げる

フルームはスタートしてしばらくは慎重に走った。すでに総合2位以下とのタイム差は十分にあり、落車や観客との接触のみを注意して走ればよかった。しかし中間地点で暫定トップだったトム・デュムランのタイムに並ぶと後半は余裕ができて全力で走った。

「すべてのトラブルを回避するような走りをしたかった。午前中にコースをチェックしたときはいつも使っているロードバイクで走ろうと考えた。でもチームスタッフはタイムトライアルバイクを使うことをすすめてくれた。軽量なので上りでもロスはないという理由だったが、その選択が今日の結果につながったね」とフルーム。

第20ステージは最後の山岳区間だった。雨中戦となりアクシデントも想定されたが、強力なアシスト陣に援護されたフルームはライバルの反撃をまったく許すことなくゴールした。

第18ステージは距離17kmの個人タイムトライアル

最後の山岳ステージの最後の1kmまで慎重に走った

フルームが4人のチームメートとともにモルジンヌのフィニッシュラインを通過したとき、全身はずぶ濡れだったがようやく安堵の笑顔を浮かべた。2位に4分以上の大差をつけながら最後まで油断せず、ゴールまでの下り坂も細心の注意を払って走った。ずっと後ろを走っていたライバルたちが最後はスパートして追い抜いていったが、そんな数秒のタイムロスはもうどうでもよかった。

「この24時間、ボクはとてもナーバスになってしまった。そんなときにチームメートが声をかけてくれたり、レースで力を貸してくれた。マイヨジョーヌを守れたのはそのおかげだ。圧勝のように見えるけれど、ボクはギリギリの状態だった」

この大会のフルームの勝因は、上り坂に強いライバル選手にそこで勝負をさせなかったことだ。ピレネー山脈の第8ステージでフルームはまさかの下り坂で単独アタック。僅差ながらライバルに差をつけてここで総合1位に立った。そのあとも平たん区間で積極的に動いて毎日のようにわずかなタイム差を稼いでいく。2つの個人タイムトライアルを巧みに使い、十分なタイム差を稼ぎ出すと、圧倒的なチーム力で最後のアルプスをしのぎ、逃げ切った。

この日は前日の落車で体中が痛かったという。脚の疲労も感じていたが、この日は幸いなことに脚力が回復した。しかし冷たい雨にたたられて、苦い経験がよみがえったという。2年前、雨の第5ステージで二度にわたって落車し、手首を骨折して連覇を断たれたことである。

「危険を回避するために常に先頭にいた。最後の1kmになってようやく栄冠をつかめたという感慨と、これまでのさまざまな記憶がよみがえってきた。いまはマイヨジョーヌとともに生きている幸せを感じている」

「凱旋門をバックにピースサイン撮れました?」とフィニッシュ後に新城幸也が声をかけてくれた

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【ツール・ド・フランスリバイバル】2014年はニーバリ初優勝

全体的に天候が荒れ気味の2014年ツール・ド・フランスは、アクシデントに巻き込まれた選手が相次いでレースを去っていった。同じ条件でありながらも、堅実に走り続けた実力者が栄冠のゴールにたどり着いた。総合優勝のビンチェンツォ・ニーバリ(イタリア、アスタナ)もヨーロッパカーの新城幸也も、まさに地に足をつけた自然体のスタイルだった。

第14ステージ、イゾアール峠を下るマイヨジョーヌのニーバリ

第5ステージの石畳区間でニーバリは早くも勝負に出た

ビンチェンツォ・ニーバリ。全21区間のうちマイヨジョーヌを着用したのはなんと19日だ。勝負どころの山岳では1日だけティンコフ・サクソのアルベルト・コンタドール(スペイン)に3秒負けたが、あとはライバルとのタイム差を広げるばかり。気がつけば前年の覇者クリストファー・フルーム(英国、スカイ)、3度目の優勝をねらったコンタドールらのライバルが不意の落車で大きく傷つき、レースを断念してチームカーに乗り込んでしまった。

2014ツール・ド・フランス

地元イタリアのリクイガス・キャノンデールに所属していた2年前、ニーバリはジロ・デ・イタリアをパスしてツール・ド・フランスに乗り込んだ。しかしブラッドリー・ウィギンスとそのアシスト役だったフルームに山岳ステージで封じ込まれた。イタリア自転車界の育成システムに乗り頭角を現したニーバリにとっても、かなわぬ敵が君臨することを初めて知る。

その翌年に心機一転。カザフスタンのアスタナに電撃移籍した。現役選手を引退して同チームの監督に就任することになったアレクサンドル・ヴィノクロフが次期エースとしてニーバリ獲得に動いたのだ。カザフスタン選手だけではツール・ド・フランスに勝てないと考えたからだ。

英国開幕のこの年、第1ステージのゴールスプリントで地元マーク・カベンディッシュがまさかの鎖骨骨折
第1ステージで優勝してマイヨジョーヌを獲得したマルセル・キッテル。第2ステージで脱落しても笑顔で声援に応える

ニーバリの天性に、怨念も含むヴィノクロフの冷静な判断力が加わって飛躍的にレベルアップを遂げたのは周知の事実だ。2013年にジロ・デ・イタリア総合優勝。そしてこのシーズンは連覇のかかるジロ・デ・イタリアをパスしていよいよツール・ド・フランスに照準を合わせて乗り込んできた。

優勝争いのキーとなったのは「北の地獄」と呼ばれる石畳区間を走った第5ステージだった。石畳はレース後半に設定されていたが、前日に右手首を痛めていたフルームが前半の舗装路で2度も落車。手首を骨折してリタイアした。そして石畳区間に入るとニーバリがアシストとともにアタックし、コンタドールに大差をつけた。結果的にはこれがコンタドールにプレッシャーを与えることになり、第10ステージの右足骨折でコンタドールも消えていった。

第9ステージでトニー・ガロパンがマイヨジョーヌ。敢闘賞のアテンドガール、恋人のマリオン・ルスと

結果的に総合2位とは7分以上の大差。これは1987年にヤン・ウルリッヒが初優勝したときのタイム差を超える圧勝だったが、全区間でニーバリにブレーキがなかったこと、そしてアスタナチームの総合力が抜群に高かったことが要因だ。

第14ステージでラファウ・マイカが優勝。さらに第17ステージでも優勝し、山岳王に

アスタナはすべてのアタックに対して大逃げを容認することがなく、メイン集団の先頭に立ってコントロールした。山岳の上りでもジロ・デ・イタリア優勝経験のあるスカルポーニらがけん引役を務めた。ニーバリは最後の山岳で温存したパワーを発揮するだけでよかった。ニーバリがアタックしても、総合2位ねらいのティボー・ピノ(エフデジュポワンエフエル)やジャンクリストフ・ペロー(AG2Rラモンディアール)のフランス勢は追走しなかった。

29歳にしてグランツールを全制覇したニーバリ。次なる目標は世界選手権。イタリアチームのエースとして6年ぶりのアルカンシエル獲得に挑むという。

左から新人賞のティボー・ピノ、総合優勝のニーバリ、ポイント賞のペテル・サガン、山岳賞のマイカ

世界最高峰のこのレースを代表する選手になった新城

新城幸也は総合65位で、自身が2012年に記録した84位を上回る日本選手の最上位記録を更新。5度の出場ですべて完走。ジロ・デ・イタリアの2回を加えるとグランツール7回出場で全完走という安定感を見せた。

第5ステージ、雨の石畳を走るトマ・ボクレールと新城幸也

2014年の新城は安心感があったし、実際に休息日に訪ねてみてもこれまで以上にリラックスしていた。初出場となる2009年は集団スタートの初日に区間5位になったことが結果的に重圧となり、精神的に追い詰められた状態での戦いを余儀なくされた。しかし、出場回数を増すごとに新城自身が「一番楽しみにしているレース」というこの大会でどう走ったらいいのかを知ることになる。

この年は、記録の上では派手な数字はないが、23日間を通して存在感を見せつけた。アルプスやピレネーの山岳ステージで一度もグルッペットでゴールしなかったのは、ツール・ド・フランスの走り方を知り尽くしている証拠だ。

ピレネーの第18ステージでも新城幸也はエースのボクレールを援護した

安定感のある走りは視野の広さを提供する。そのステージのどこに知り合いのカメラマンがいたか。日の丸を掲げている人がどこで応援してくれたか。すべてがよく見えている。世界最高峰のレースだからとムキにならず、自然体でなにごともなかったかのようにパリ・シャンゼリゼにゴールする。区間勝利はなかったが、その実力は世界レベルに上り詰めた。

フランス南西部は一面のヒマワリ畑が広がる

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【ツール・ド・フランスリバイバル】2013年の100回大会でフルーム初優勝

第100回ツール・ド・フランスはスカイのクリストファー・フルーム(英国)の圧勝だった。窮地があったとすればハンガーノックになったラルプデュエズで、そのゴール後に、「好感度を高めるためにわざと?」という質問さえ飛び出るほどで、フルームはキューピーのような屈託のない笑顔で「そんなことはないよ」と返すのだった。

最後の山岳でも上りのスペシャリストを逃がすことなくフルームがマイヨジョーヌを死守

日本でプロ初勝利を挙げたフルームが記念大会を制覇

ホテルでの立ち話やゴール直後のフランス語によるインタビューを聞く限りは好青年だ。そのフランス語はたどたどしくも一生懸命で、「うん、だからそうなんだよね」と司会者も助け船を出したくなる。

ツール・ド・フランスは100回大会で初めてコルシカ島を走った

日本のファンにしてみれば、プロ初勝利は2007年のツアー・オブ・ジャパン伊豆ステージで、親近感もあるだろう。もっと言及するとそのレースでスタート直後に飛び出したのがNIPPOに所属していた新城幸也。フルームは終盤に新城を逆転し、それでも新城は執拗に追撃をかけるがフルームに逃げ切られているのだ。

コルシカ島に日本チャンピオンジャージで姿を現した新城幸也

2012年の最終日前日、ボクはスカイチームと同宿で、エースのブラッドリー・ウィギンスがマイヨジョーヌを確実にした祝宴の席で、フルームとウィギンスの席がずいぶん離れていることを目撃した。最終日の朝には、ボクの部屋の前でカチューシャの監督がフルームを呼び止めるのだが、「ちょっと話があるので部屋に来ないか」という内緒話がつつ抜けだった。

わずか10分でフルームは部屋から出て行ったので、移籍には至らないなと推測できたが、朝食の会場ではボクの立ち話に付き合ってくれ、「来年もスカイでがんばるよ!」とさわやかな口調で話してくれたのだった。

ラルプデュエズのオランダ人コーナー

そういった人当たりのよさを見せながらも、ロードバイクにまたがると別の側面がかいま見られる。2012年は遅れがちなウィギンスを振り返りながら「ついてこられないの?」とばかりの手振り。2013年も下りコーナーで制御不能に陥ったコンタドールに接触しかかって、「無謀なことはするべきじゃない」と内面をチラリと露呈させた。

勝てるところは全部持っていくという強い執念も感じる。ケニアのナイロビで生まれ、南アフリカで育ったという特異な境遇をもつフルームが、どんな考えを秘めてこのスポーツに没頭しているのか。2連覇がかかる2014年の大会とともに興味深いところなのだ。

最終日前日の最後の山岳でキンタナが区間初勝利
最終日の午前中、パリへのフライトでくつろぐフルームとチームメートのリッチー・ポート

日本チャンピオンの新城幸也が再びアタックを敢行

全日本チャンピオンの新城も存在感を示した。日本で国際映像を見ているとたまにしか登場しない歯がゆさもあっただろうが、現地ではマイヨジョーヌなどの実力者に劣らない人気ぶりだった。純白を基調とした日本のチャンピオンジャージは大集団の中でも際立つもので、沿道の地元ファンから「シャンピオンデュジャポン!」「ユキヤ・アラシロ!」と至るところで歓声がわき起こった。

4賞ジャージ。右からポイント賞のペテル・サガン、総合優勝のフルーム、山岳賞のキンタナ(新人賞も受賞)

目の肥えた欧州ファンは、ひいき選手が勝つところを見に来るわけじゃない。その選手のファイトが目の当たりにしたいんだ。ボクがツール・ド・フランス取材を始めた25年前、まずはこう教えられた。その言葉は今も普遍の真理で、新城がこれほどまでの気概をもって走る雄姿をこれまで以上に頼もしく感じた。

目標としていた優勝ができなかったのは、だれよりも自身が一番悔しいはず。落車によって強打した肋骨2本にヒビが入っていても、笑顔でそれを押し隠してスタートしていく。「シャンゼリゼの石畳は肋骨によくない」と思わずもらすのだが、苦悩や努力を決して人には見せないのが新城なのかも。

ツール・ド・フランスの最終日はパリ!

ボクたちは新城が勝つところが見たいんじゃないんだ(見たいけど)…。そのガッツが見たいんだからこの年も大満足だ。

ボクのツール・ド・フランス取材も25年。劇的に変わったのはインターネットの普及による報道の高速化。科学的トレーニングを導入してコンディショニングして乗り込む選手。チームバスに代表される快適なインフラの整備。カーボンコンポジットはあの時代からあったが、スプロケットは7段から11段へ(当時)。おそらくこういった有形なアイテムは飛躍的に進化した。

第5ステージで新城幸也がアタック。一時はバーチャルマイヨジョーヌとなった

変わっていないこともある。沿道で待ち構える観客の笑顔。ラルプデュエズの坂道のキツさ。パリにたどり着くことなくリタイアしていく選手の無念。そして夏のバカンスというワクワク感とともにやってくる一大スペクタクル。

第100回大会とて、あまり肩肘を張ることなく普通にやってしまうのが伝統の重み。きっと100年後も、機材の進化はあれどみんなのワクワク感は変わらないんじゃないかな。

第5ステージでアタックした新城幸也。ゴール後にて

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【ツール・ド・フランスリバイバル】2012年、ウィギンスが英国勢初制覇

2012ツール・ド・フランスはスカイのブラッドリー・ウィギンスが総合優勝し、英国に初めてのマイヨジョーヌをもたらした。2年ぶり3度目の出場を果たした新城幸也は第4ステージで敢闘賞を獲得。3回目の完走を2時間29分13秒遅れの84位という日本人歴代最高位で決めた。

東京中日スポーツの一面に新城幸也の記事が

遅れ気味のウィギンスにいらだちを見せたフルーム

薬物使用によるコンタドールの出場停止、アンディ・シュレックの欠場により、マイヨジョーヌ争いは開幕時点で絞り込まれていた。連覇をねらうオーストラリアのカデル・エバンス、総合力のあるウィギンス、ジロ・デ・イタリアをパスしてこの大会に照準を合わせてきたイタリアのビンチェンツォ・ニーバリだ。

優勝争いが動いたのは本格的な山岳初日となる第7ステージ。この時点で総合2位につけていたウィギンスは、アシスト役のクリストファー・フルームの援護を受けて最後の坂に。しかしライバルであるエバンスとニーバリも離れなかった。ところが献身的なアシストをこなしたフルームがゴール手前300mで抜け出して初優勝。ウィギンスはマイヨジョーヌを獲得するのだが、エバンスとともにそのスパートについていけなかった。

ブラッドリー・ウィギンスが英国勢として初めてマイヨジョーヌを手中にした

ある意味で大会を象徴するようなシーンだった。山岳ではアシスト役のフルームのほうがウィギンスより強かったと言える。フルームは物腰のおだやかな、人のよさそうな普段の性格だが、ロードバイクに乗ると意外と野心的な部分をさらけ出し、その後もウィギンスのアシストをこなしながらも区間勝利へのこだわりをむき出しにした。

マイヨジョーヌ争いはウィギンスが2回のタイムトライアルで圧勝し、エバンスが山岳ステージで陥落。フルームから遅れ気味のウィギンスもニーバリのアタックを封じ込めたかたちで決着を迎える。こうしてウィギンスは第7ステージで手にしたマイヨジョーヌを一度も失うことなく、フルームに手渡すこともなくパリ・シャンゼリゼにゴールした。

連日の果敢な走りで人気者となった新城幸也

第99回大会の話題を2つ挙げるとすれば、英国選手の初制覇と新城の活躍だろう。それは現地プレスセンターや沿道の総意といっても過言ではなく、それだけ英国スカイチームの完勝ぶり、そして新城の連日のアタックは注目された。

プロローグを制したカンチェラーラが大会7日目までマイヨジョーヌを着用した。ウィギンスはずっと7秒差の2位につけていた。優勝争いが動いたのは第7ステージ。最後に激坂が待ち構える本格的な山岳初日だった。

ウィギンスのアシストだったフルームだが、ラプランシュデベルフィーユでツール・ド・フランス初優勝

この日、ウィギンスはアシスト役のフルームの援護を受けて、最後の坂に。ライバルであるエバンスとニーバリも離れない。すでにマイヨジョーヌのカンチェラーラは脱落していて、そのままタイム差なしでゴールすればウィギンスがマイヨジョーヌを獲得する。

フルームがツール・ド・フランスで初めてステージ優勝したのがこの日だった。エバンスとウィギンスはそのスパートについていけず、2秒遅れでゴール。ニーバリは2人からさらに5秒遅れた。

ブラッドリー・ウィギンスは個人タイムトライアルでパワーを見せつけた

「マイヨジョーヌの行方はすでに決しているのだから、そんなに速く走る必要はないんだよ」と、先を急ぐフルームから遅れがちだったことを弁明したウィギンス。

「エースのプレッシャーがないからうまく走れたのだと思う。もっと経験を積んでこのチームで夢をつかみたい」と優等生的なコメントを発するフルーム。両者の心中に秘められた本音を想像するとじつに2012年の大会は興味深い。

ペテル・サガンがツール・ド・フランス初優勝を含む3勝を挙げ、初めてマイヨベールを獲得した
最終日の朝、スカイチームのスタッフがおそろいのTシャツで記念撮影

新城幸也が日本勢として初めて表彰台に登壇

新城の存在感も現地ではウィギンスに負けていなかった。豪州の草分け的元選手、フィル・アンダーソンは「毎日アタックしていた日本選手がいたね。彼は来年期待できるぞ」と語った。フランステレビジョンは「ユキヤ・アラシロは今年、フランス人が一番よく知る日本人になるだろう」とコメントした。

まさに獅子奮迅の大活躍だった。ボクレールのアシスト役として走りながらも第4ステージで敢闘賞。第18ステージでゴール手前までトップ集団で激しく戦った。

3回目の完走を日本人歴代最高位というおまけ付きで決めて、コンコルド広場で日本の取材陣に囲まれて最後のインタビューをしているとき、総監督のジャンルネ・ベルノードーがタイミングを計ってその輪に加わってきた。

第4ステージで新城幸也は敢闘賞を獲得した

「どうだ、見たか。今年の活躍を。来年はうちのチームで初めてツール・ド・フランスで勝つ日本選手になる」

他チームの引き抜きに遭わないように取材陣を意識して語った言葉だ。

英国のベテランカメラマンが「ツール・ド・フランス取材を初めてかれこれ何十年で、ようやく自国選手が総合優勝したのだから感慨深い」とつぶやき、新たな時代の到来を歓迎した。日本自転車界も風が変わろうとしている。日本選手が総合優勝を争うようになるのは果たしていつ?

ヨーロッパカーの新城幸也が2年ぶり3度目の完走を果たした

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【ツール・ド・フランスリバイバル】
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