【ツール・ド・フランスリバイバル】2011年、マイヨジョーヌ南半球へ

第98回ツール・ド・フランスはオーストラリアのカデル・エバンス(BMC)が南半球にある国の出身選手として初となる総合優勝を達成した。34歳だった。1分34秒遅れの総合2位はルクセンブルクのアンディ・シュレック(レパード・トレック)。2分30秒遅れの同3位は兄フランクで、兄弟がパリの表彰台に一緒に立つのは史上初。

第4ステージで勝利を確信したコンタドールがガッツポーズするが、写真判定でエバンス(右)が先着していた

エバンスは第4ステージで区間優勝すると、合計6区間ある山岳コースでも有力選手から致命的な遅れを取ることなく、最終日前日の個人タイムトライアルへ。得意とするこの種目で57秒遅れの総合3位から一気に首位に立った。

「自転車をやり始めてからここまで20年間。ツラいことも多かったが、たくさんの苦労が今日の栄冠をもたらしてくれた」とエバンス。

もともとはMTB選手でW杯シリーズ年間王者に2年連続で輝いた実績がある。自国開催のシドニー五輪後、欧州を活動拠点にしてロードレースに本格転向。2009年には世界チャンピオンになったが、アシストを含めた総合力が問われるツール・ド・フランスではチーム力に恵まれず何度も優勝を逃してきた。

開幕地バンデ県に本拠地を置くヨーロッパカーチームは、地元出身選手を多用したフランス純血チームに。新城幸也はそれに押し出される形でメンバー落ちしたが、「ユキヤが選ばれないのは理解できない」という地元ファンの声が聞かれた。

干潮時にしか海面上に姿を現さないパサージュ・デュ・ゴワが開幕日のスタート地となった

ジロ・デ・イタリア制覇のコンタドールが読み違えたこと

この2011年大会の開幕では、スペインのアルベルト・コンタドール(サクソバンク)は3年連続4回目の総合優勝を目指す大本命だった。後日前年の総合優勝が薬物使用によって取り消されるが、コンタドールの実力はだれもが認めていた。ただしコンタドールにとっては、じつのところ番狂わせなツール・ド・フランス出場だった。

コンタドールは5月に開催されたジロ・デ・イタリアで圧勝していた。周囲はマルコ・パンターニ以来となる12年ぶりの二大大会制覇を期待した。しかし開幕地に登場したコンタドールの調整不足は明らかだった。科学的コンディショニングが導入される近年においては、その間隔が1カ月しかない23日間の過酷なレース2つをベストで臨むことは非常に難しいことなのだ。

コンタドール(3人目)は第1ステージの終盤に落車に巻き込まれ、いきなり1分20秒遅れた

コンタドールも当然、世界最高峰の自転車レースであるツール・ド・フランスを最重要視していた。それでもなぜジロ・デ・イタリアに出場したのか。それは前年のツール・ド・フランスで誤差の範囲ほどの微量ながら禁止薬物が検出されたことで、それを理由に主催者からシャットアウトされる可能性があったからだ。

ツール・ド・フランスの欠場を想定してジロ・デ・イタリアに参戦。その大会で地元イタリア勢を寄せ付けることなく圧勝。皮肉なことにその後、ツール・ド・フランスに参加ができることになるのだが、ジロ・デ・イタリアの疲労をコンタドールは取り切れていなかった。案の定、第1ステージの終盤に発生した落車で立ち往生し、初日で1分20秒もロス。失ったこのタイムは終盤になって大きく影響してくる。

絶好のスタートを切ったのはエバンスだ。2007、2008年と僅差で総合2位になっていたが、ここ2年は若手期待のアンディ・シュレックが台頭し、この34歳の選手は優勝候補の大本命とは見なされていなかった。しかし初日に3秒遅れの総合2位につけると、序盤戦にマイヨジョーヌを独占したトール・ヒュースホウトをわずか1秒差で追走。絶好の位置で勝負どころとなる山岳ステージを迎えた。

コンタドールの不調で優勝の最有力となったアンディは、兄のフランクとともに前半戦になりを潜めた。まるで調子が悪いのかとも思えるような、動きの見られない走りだった。それでもライバルとなるコンタドールがタイムを失い、うるさい存在であるアレクサンドル・ビノクロフが落車によってレースを去っていく。

中央山塊の第9ステージでトマ・ボクレールがマイヨジョーヌを獲得しても、シュレック兄弟が山岳ステージで勝負に転じる計画は変わらなかった。

2011ツール・ド・フランスでマーク・カベンディッシュは区間5勝、マイヨベールも獲得した

フランスのボクレールが意地を見せた

ところがここで頑張ったのがボクレールだ。1985年のベルナール・イノー以来、最終的なマイヨジョーヌから遠ざかっているフランス勢にあって、ボクレールは見事なまでの執着心を見せつけた。

「山岳でマイヨジョーヌを手放すことになるよ」とは言い逃れ。あるいはチームメートのプレッシャーを減じるためのハッタリだった。

ピレネーの3日間をボクレールはマイヨジョーヌを守り抜いた。さらにアルプスでも2日間崩れなかった。ファンは「パリまでマイヨジョーヌを守るのでは」という期待もわずかにふくらんだ。しかしそこはボクレール。

最後の山岳となるラルプデュエズ。一発逆転をねらったコンタドールに対して、アンディが反撃を許さずにゴール。さすがにボクレールも脱落して、ようやくここでアンディがマイヨジョーヌを獲得する。

広告キャラバン隊は夜遅くまで騒いでいるが、朝早くから販促物の封入作業も

しかし2011年の大会は、それでドラマがフィナーレを迎えるという筋書きではなかったようだ。

最終日前日の個人タイムトライアルへ。合計6区間ある山岳コースで有力選手から致命的な遅れを取ることがなかったエバンスが、得意とするこの種目で57秒遅れの総合3位から一気に首位に立った。およそ10年間、ツール・ド・フランスでは苦悩の日々を費やしてばかりだったが、まさにマイヨジョーヌへの執着心が爆発した。

2011年の大会はたった1枚しかない黄色いジャージへのこだわりが強かった選手に最終的に落ち着いたという感がしてならない。


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イネオスはツール・ド・フランス欠場も…感染リスクと経済的価値観の再考

英国のイネオスを率いるデイブ・ブレイルズフォード監督は、衛生状態が保証されない場合、8月29日から9月20日までの日程で延期開催されるツール・ド・フランスに出場しない可能性があると語った。英国の日刊紙ザ・ガーディアンのインタビューに答えた。

マイヨジョーヌのベルナルをイネオス勢がガードする ©ASO Pauline BALLET

チームのゼネラルマネージャーであるブレイルズフォードは、新型コロナウイルス感染を阻止するあらゆる健康対策が主催者によって提供されなければ、チームはツール・ド・フランスに出場しないとした。

「ツール・ド・フランスに参加することはうれしいが、不参加が望ましいと判断した場合、我々はレースを欠場する権利を行使する」という。新型コロナウイルス流行当初に開催されたパリ〜ニースでは出場を見送っていて、「状況を注意深く監視したい」としている。

「世界は今スポーツを必要とせず、医師や看護師こそが必要。サイクリング不足で死んだ人はいない」

タイムズのインタビューでブレイルズフォード監督は、「このパンデミックは必然的にプロの自転車チームが運営する現在の経済モデルに影響を与え、その考え方を変えなければならない」と説明している。

「プロスポーツが進化したことは幸運だったが、この不確実な時代に謙虚さを持つことは悪いことではない」とブレイルズフォード監督。

「世界は今スポーツを必要としない、それは医師や看護師を必要とします。サイクリング不足で死んだ人はいない」

●ザ・ガーディアンの記事
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アスタナがジロ・デ・イタリアバーチャル第1S優勝…19日はレジェンド参戦

全7ステージで争うジロ・デ・イタリアバーチャルは4月18日、出場選手それぞれの自宅をオンラインで統合して距離32.1kmの第1ステージを行い、アスタナプロチームが優勝した。アスタナのアレクセイ・ルツェンコが個人最速タイムとなる44分41秒を出し、チームメートのダビデ・マルティネッリの記録と合わせて1時間35分04秒でバーチャルフィニッシュ。マリアローザを獲得した。

カザフスタンナショナルジャージを着るアレクセイ・ルツェンコ。イベント協賛メーカーのタックスを使用する

アスタナチームは、エリア・ビビアーニとU23選手のサムエーレ・ゾッカラートで構成されたイタリアナショナルチームに6分46秒差、フレッド・ライトとグレガ・ボーレのバーレーン・マクラーレンに9分40秒差をつけて首位に立った。プロカテゴリーはステージごとに選手が替わるため、個人総合成績ではなくチーム総合成績でマリアローザを争う。

ピンクレースはトレック・セガフレードが首位に

Garminエッジを見ながらダンシングするトレック・セガフレードのリジー・デイニャン

女子のピンクレースでは、1時間01分02秒の最速タイムを出したエリサ・ロンゴボルギーニとリジー・デイニャンのトレック・セガフレードが合計タイム2時間10分04秒でトップに。マリアジュリア・コンファルニエーリのアリアナ・フィダンツァからなるイタリアナショナルチームは4分18秒遅れ、モビスターは11分03秒遅れで3位。

欧州チャンピオンジャージでペダルをこぐエリア・ビビアーニ

イタリア代表として参加した欧州ロードチャンピオンのエリア・ビビアーニは、「このイベントは本当に素晴らしいと思う。苦難の時代にサイクリングというスポーツがイタリア赤十字社のために資金を集めながら、ファンになにかを返す新しい方法を見つけたからだ」と語っている。「アスリートとして私は参加して幸せだ。本当に実際のレースのように感じる上り坂で、正確なシミュレーションでペダルを踏んでいる選手にとっては本当の意味でチャレンジだ。いい経験なのでみんなにオススメしたい」


困難な時代にスポーツは真っ向から勝負を挑む

イタリア自転車競技連盟のレナート・ディロッコ会長は、「サイクリングがますます多くの人々にとってインスピレーションと活力の源になるのを見て大きな満足感を覚えた」と語った。

「私たちが直面しているこの困難な時代に、スポーツは多くの課題に立ち向かい続け、真っ向から勝負を挑んでいる。ジロ・デ・イタリアバーチャルもこの一例だ。ラ・ガゼッタデッロスポルトとRCSスポルトがバーチャルミラノ〜サンレモの成功を収めた後に立ち上がり、サイクリングコミュニティの新たな精神を具現化した。私たちはそれを誇りに思うべきだ」

今回のバーチャルレースにイタリア代表は男子、女子、23歳未満を派遣した。イタリアにとどまらず、世界中で行われているすべてのスポーツの中に存在するコミュニティを示したものだ。

「選手、スタッフ、ファン、私たちは今まで以上に一つのチームだ。チームとして私たちは成功する。ジロ・デ・イタリアが再びイタリア半島を縦横無尽に駆けめぐり、最高のシーンを示す日を楽しみにしている」

トレック・セガフレードのエリサ・ロンゴボルギーニ。スマートトレーナーはチーム契約「サリス」の前ブランド名「サイクルオプス」

バーチャルだけどテイストはコルサローザと同じだ

ジロ・デ・イタリアのマウロ・ベーニ統括ディレクターは「私たちの最愛のレースがイタリアの道路上に戻る日を待っている間、ジロ・デ・イタリアバーチャルが選手とファンの両方にとって魅力的な経験になると思った」とコメントしている。

「異なる特性を持つ選手を満足させるために7つのステージを選択した。このイベントには、トルトレートでの第10ステージのフィニッシュ、ノベコリのアップダウンの多いルート、マドンナ・ディ・カンピリオとラスト30kmで1000m以上の獲得標高となるセストリエーレ、ミラノでの15.7km個人タイムトライアルなど多様な課題がある。コルサローザ(ジロ・デ・イタリアの愛称)の本当のテイストが味わえる」

●Garminバーチャルライドのホームページ

🇮🇹ジロ・デ・イタリアバーチャル / 延期された2020ジロ・デ・イタリア特集サイト

【ツール・ド・フランスリバイバル】2010年、コンタドールの栄冠はく奪

前年に2度目の優勝を果たしたアスタナのアルベルト・コンタドール(スペイン)がサクソバンクのアンディ・シュレック(ルクセンブルク)をわずかに制してパリでマイヨジョーヌを着用した。ところが後日、微量の禁止薬物がコンタドールが受けたドーピング検査で検出され、2011年になってタイトルはく奪。総合2位シュレックが繰り上がり優勝者となった。

アンディ・シュレック。マイヨジョーヌとマイヨブランの統合ジャージは実際にあるわけではなく、撮影のために用意されたもの
頼もしいアシスト役として存在感あふれる走りを見せた新城幸也

前年に初出場にして日本選手初の完走を果たした新城幸也(ブイグテレコム)はこの年も連続出場。23日間を戦い抜き、2年連続となる完走を果たした。

呼吸器疾患と精神状態に苦しんでいたコンタドール

前年はチーム内に難敵ランス・アームストロングを抱えながら、チームぐるみの妨害に耐えて総合優勝したコンタドール。2010年は2年連続3度目の優勝に挑むために、オランダのロッテルダムで開幕した大会に乗り込んできた。

この年の7月はウィンブルドンでナダルが優勝し、サッカーW杯でスペインが快進撃していた。4年に一度の遭遇としてサッカー大会と日程が重なった第97回ツール・ド・フランス。9日目にコンタドールは自国スペインの優勝を喜ぶことになり、「7月はスペインスポーツの強さを見せつけたい」と総合優勝への意欲を見せた。そして幸先のいいスタートを切る。序盤のアルプスを終えて首位アンディ・シュレックを41秒差でピッタリとマークした。

ところがコンタドールは、ことあるごとにサッカーなど別の話題を持ち出してみて、自らの調子に関する質問をはぐらかした。じつはコンタドールは、2010年大会にこれまでのようなベストコンディションで臨んでいなかった。欧州の異常気象によって呼吸器系の持病に苦しんでいたとも伝えられる。

アスタナとサクソバンクのつばぜり合いは最後まで続いた

精神面でも追い込まれていたとして当然だ。2009年、アスタナチームはランス・アームストロング派に傾倒し、コンタドールへの忠誠を拒否した。チーム内にいたこの最大のライバルが、幸いなことに2010シーズンはアームストロングと結託していたブリュイネール監督とともに立ち去るのだが、それと入れ替わってカザフスタンの英雄的存在アレクサンドル・ビノクロフが復帰してきた。

大会側も2006年から4連覇を続けるスペイン勢にハンデを押しつけてきた。スペイン勢が活躍の場としない北フランスの石畳みをコースに組み込んだのだ。もちろんコンタドールも「北の地獄」と呼ばれる石畳の悪路は未体験。案の定、コンタドールはここでアンディ・シュレックから1分13秒というタイムを失った。この第2ステージが終わってコンタドールはシュレックに対して31秒遅れだった。

マイヨジョーヌのアルベルト・コンタドールが山岳で揺るぎない走りを見せた

ライバルはシュレック。親しい仲もついに決裂?

アルプス初日の第8ステージでも、コンタドールは区間優勝のシュレックから10秒遅れでゴール。翌ステージでマイヨジョーヌはシュレックのものになった。この時点で総合優勝争いはシュレックと、それを41秒差で追うコンタドールの2人に絞り込まれた。

中央山塊のマンドにゴールする第12ステージで、コンタドールはシュレックを引き離すことに成功したが、区間勝利に固執したばかりにゴール時点ではわずか10秒しか稼ぎ出すことができず。タイム差は再び31秒になった。

そして運命の第15ステージ。ピレネーのポルトデバレスを上る山岳区間がキーポイントとなった。残り21.5km地点を頂上とするカテゴリー超級の峠で、コンタドールはアシスト役のビノクロフとともにシュレックの様子をうかがった。長い峠道で山岳スペシャリストのシュレックに差をつけることは容易ではなかった。

ツールマレー峠

頂上まであと3kmという地点でマイヨジョーヌを着るシュレックのほうが先手を打った。急加速によって一気に差を開く。あわててビノクロフがこれを追う。コンタドールは反応がわずかに遅れた。ところが次の瞬間、シュレックのペースが明らかにダウンした。

「ここだ」とばかりにコンタドールがカウンターを仕掛けた。この時点で総合3位のサムエル・サンチェス、同4位のデニス・メンショフも追従。

シュレックはフロントチェーンリングのチェーンを脱落させていた。あわててしまったのはシュレックだ。一度自分でかけ直すが失敗。再び地面に足をつけて震える手でチェーンをかけ直した。わずか十数秒のことだったが、上りでコンタドールらに追いつくことができず、ゴールまでの下りでも追いつけなかった。シュレックはこの日39秒失った。総合成績は8秒差で2位になっていた。

ゴール後の記者会見に出席したコンタドールは「ここでタイムを稼げたのはうれしい限りだ」と語り始めたが、記者団が「シュレックのメカトラブルは見ていたのか」という質問に、笑顔が消えた。

「見ていない。シュレックがペースダウンしたのは知っているが…」

ホテルに到着して国際映像で流されたそのシーンを見て、コンタドールはさらに青ざめたはずだ。すぐに緊急のビデオ出演。「シュレックのトラブルに乗じるつもりはなかった」と謝罪した。

2010ツール・ド・フランス

マイヨジョーヌが不運で遅れたときは待たないといけないのか?

マイヨジョーヌがトラブルに見舞われ、それで総合優勝の行方が大きく変わっていくという例は過去にもある。今回はまさに大詰めの、それも最大の勝負どころでトラブルが起きた。それはシュレックにとって不運なことだったが、コンタドールのアタックまで否定するものではないというのが、プレスセンターの雰囲気だった。

じつは第2ステージでシュレック兄弟が落車で遅れたとき、メイン集団が彼らの復帰を待ったというのも異例だった。もしこのとき、コンタドールを含めた有力選手がペースダウンに同意しなければ、アンディ・シュレックは大会3日目にして総合優勝争いから脱落していたとしても不思議ではない。

ゴール後は悪態をついたシュレックだったが、コンタドールの対応に翌日には冷静さを取り戻したのはさすがだった。

2010ツール・ド・フランス

コンタドールはこれまで、アームストロングの急先鋒として期待され、人気が高かった。そのアームストロングが失速したことで手のひらを返すかのようにアンチコンタドール化したファンは無情だ。

「精神的には昨年よりもツラい大会だった」とコンタドールが語った理由は、表彰式で耳に入ったブーイングだろう。

ランス・アームストロングが最後のツールマレー峠でアタックし、意地を見せた

第97回ツール・ド・フランス。新城に幸運の女神はほほえんだか?

「逃げます!」と宣言するのは簡単です。でも実際にはとんでもなく難しいことなんです。簡単にできることだったら、さっさとやっています。

国際映像に向かって手を振ったり、沿道の日の丸にこやかにほほえんだりしながらも、新城幸也は苦悩していた。だってツール・ド・フランスには21の白星しかないからだ。そのなかには個人タイムトライアルがあり、さらに急峻な山岳ステージを差し引くと、新城のようなアタッカーが勝負できるステージは片手の指の数ほどしかない。

数少ないチャンスをいかにものにするか。ずば抜けた実力とともに、そのときの運も味方につけなければならない。

2009年のツール・ド・フランスに初出場した鉄馬(カミンマ)こと新城は、マスドスタートの最初のレース、つまり大会2日目の第2ステージでいきなり区間5位に食い込んだ。世界中が驚いただろうが、取材歴が20年以上になるボク自身もビックリした。

当然のように日本のファンの期待は一気にふくらんだ。「出場するからには勝ちにいかなきゃ意味がない」と意欲を語る新城の表情に、心の中ではプレッシャーにもなったはずだ。

新城幸也のチームジャージにはエリとソデに元日本チャンピオンの誇りを配置

昨年の経験があるので、23日間のペース配分がわかっているのが強み。

複線は5月のジロ・デ・イタリア。距離162kmで行われた第5ステージで新城は15km地点で単独アタック。これに他の3選手が追従してゴールまで逃げまくった。途中で1選手が脱落すると、数にものを言わせた後続の大集団が残り1kmで3人を飲み込もうとしたが、ここから新城が起死回生のスパート。大集団からまんまと逃げ切った。

空気抵抗の大きい先頭を突っ走ってゴールを目指した新城は、最後にパワーを集中させることができずにクイックステップのジェローム・ピノーに優勝をさらわれ、3位となる。

「悔しい。こんなチャンスは二度とないかも知れないのに。日本のみなさん、ごめんなさい!」

この年のツール・ド・フランス開幕時、「ピノーに会ったら両手を差し出して、なんかプレゼントはないの?って言うんだ」と新城は冗談っぽく語っていたが、そのピノーには貴重なアドバイスをもらった。

「ああいう無謀なアタックを20回やって、1回勝てたらもうけもの。ツール・ド・フランスとはそういうものさ」

新城幸也が2年連続でシャンゼリゼに帰ってきた

目立つことだけでなく、キッチリと仕事をこなす

チームはスプリンターとしての新城の実力を高く評価している。それでも本人は全面的にスプリンターであることを否定する。「スプリンターは最後の勝負まで静かにしていなければいけない。おとなしくしているのは退屈で好きじゃない。アタックしたほうが楽しいじゃないですか」

ツール・ド・フランス2回目の休息日にて。日本人記者が集まった記者会見もリラックスして臨めるようになった。これも2年目の実績である。

2年連続出場を決めた新城は、2009年以上に総合力を高めていた。第11ステージでは区間6位。それ以外の平たんステージでもトップが見えるところで勝負に加わった。すべてスプリンターとしての実績だ。

しかしアタッカーとしての新城はヨーロッパの列強に封じ込められたと言っていい。

「ツール・ド・フランスのようなメジャーレースが、スタート直後の1回のアタックで決まってしまうのは絶対におかしい!」

新城がいつもとは違う口調で吐き捨てたことがあった。

つまり自転車レースというのは駆け引きや心理作戦があり、総合成績と区間勝利が同時進行で展開していく複雑さがあって興味深いのだと。それが序盤の単調なアタックで決まってしまうのは我慢ならないということだ。

その一方で新城が前に出ようとしたときには封じ込められる。「日本人に勝手なことをされては困る」という意志があるかのようだ。

それを打ち破るのは容易ではない。次は果たせなかった一発勝負を。そして5年後には総合優勝を争うオールラウンダーに。夢が夢でなくなる時代は確実に近づいている。


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ジロ・デ・イタリアバーチャル、4月18日開幕…ファンも参加可

ジロ・デ・イタリアバーチャルbyエネルが4月18日に開幕する。リアルなジロ・デ・イタリアに出場するレベルの「プロ」、自転車界の元スター選手「レジェンド」、女子の「ピンクレース」が連日開催され、世界中のサイクリストもオンラインで参加できる。全7ステージで5月10日まで行われる。

2017ジロ・デ・イタリア © LaPresse – Fabio Ferrari

開幕前日にイタリアのプロ2チーム、アンドローニジョカトリ・シデルメクとビーニザブKTMが参戦することになり、発表されていた6チームに加わった。プロカテゴリーは合計8チームが第1ステージ、リアル大会の第10ステージ最後の32.1kmに挑む。プロとピンクレースは各チーム2選手がステージごとに出走する。

第1ステージでは、2019欧州ロードレースチャンピオンのエリア・ビビアーニがイタリアナショナルチームとして出場し、アスタナのアレクセイ・ルツェンコとダビデ・マルティネッリ、バーレーン・マクラーレンのグレガ・ボーレ、ユンボ・ビズマのパウル・マルテンスらと戦う。

19日のレジェンドにはイバン・バッソ、ステファノ・ガルゼッリ、アレッサンドロ・バラン、クラウディオ・キャプーチ、アンドレア・タフィ、ステファノ・アロッキオ、アレッサンドロ・ベルトリーニらが同じコースに挑む。

ジロ・デ・イタリアバーチャル第1ステージはリアルジロ・デ・イタリア第10ステージのラスト32.1kmを走る

第1ステージ出場選手
●ジロ・デ・イタリアバーチャル

アスタナ=ダビデ・マルティネッリ、アレクセイ・ルツェンコ
モビスター=ヨハン・ヤコブス、ホルヘ・アルカス
バーレーン・マクラーレン=フレッド・ライト、グレガ・ボーレ
ユンボ・ビズマ=パウル・マルテンス、タコ・ファンデルホールン
アンドローニジョカトリ・シデルメク=マルコ・フラッポルティ、ニコラ・バジョーリ
バルディアーニCSFファイザネ=ミルコ・マエストリ、ニコラス・ダッラバッレ
ビーニザブKTM=シモーネ・ベビラクア、フランチェスコ・ボンジョルノ
イタリアナショナルチーム=エリア・ビビアーニ、サムエーレ・ゾッカラート

アスタナの第1ステージ出場選手はダビデ・マルティネッリとアレクセイ・ルツェンコ

第1ステージ出場選手
●ピンクレース
アスタナ=リリアナ・モレノ、カティア・ラグーサ
モビスター=バーバラ・ジュアリージ
トレック・セガフレード=エリサ・ロンゴボルギーニ、リジー・デイニャン
イタリアナショナルチーム=マリアジュリア・コンファルニエーリ、アリアナ・フィダンツァ

2015世界チャンピオンのリジー・デイニャンがトレック・セガフレードの選手としてマリアローザに挑む ©kramon
ジロ・デ・イタリアバーチャルの日程。アマチュアは自宅から毎日参加できる

ファンが自宅参加するにはどうしたらいいの?

ジロ・デ・イタリアバーチャルに参加するにはGarmin Edgeサイクルコンピュータが必要(使用できるGarmin Edgeはこちら)。www.garminvirtualride.com/itでガーミンコネクトアカウントを取得。登録は無料。登録後、ジロ・デ・イタリアバーチャルの7つのステージのGPXファイルをアップロードする。

自転車を搭載するスマートトレーナーは推奨されるTacx社製品でなくても、同様の機能を備えたインタラクティブなスマートトレーナーなら使用可能。

イベントにサインアップすると選手としてジロ・デ・イタリアバーチャルの7つのステージすべてで競うことができる。登録は個人総合成績を争う「アマチュア」と、「レジェンド」「プロ」「女性」の4つのカテゴリーに分かれている。登録ポータルは4つの言語でアクセスでき、イベントの公式ルールブックは英語とイタリア語の両方で確認できる。

●Garminバーチャルライドのホームページ

🇮🇹ジロ・デ・イタリアバーチャル / 延期された2020ジロ・デ・イタリア特集サイト

一般参加に関する詳細は下記ニュースを参照のこと。

カステリがマリアローザ販売。1枚5ユーロを赤十字社に

ジロ・デ・イタリアのリーダージャージを協賛するサイクリングウエアメーカーのカステリがバーチャルレースにも協力。マリアローザなどのリーダージャージレプリカを一般発売し、1枚につき5ユーロ(600円)をイタリア赤十字社に寄付する。

マリアローザ(個人総合成績)

●カステリのホームページ

モンベルがアウトドア義援隊協力お願い…医療現場を支援

日本のアウトドアブランド、モンベルが新型コロナウイルス感染症対策を支援するため、アウトドア義援隊による援助金受け付けを開始した。

辰野勇代表自らがミシンを使って医療用防護服を試作する

東日本大震災、熊本地震、2019年の令和元年台風第19号災害の折にも、モンベルは一般に呼びかけて義援金を集めて被災者を支援した。今回の新型コロナウイルス感染症拡大を受け、医療活動を行っている機関や感染抑制のため活動している各自治体保健所や役所などへの支援を実施する。

「できることから着手させていただきたく、ご協力をお願いいたします。今回の災害は国民のすべて、世界人類すべてが被災者です。しかし、被災者も互いにできることで助け合うしかありません」と同社。

モンベルはすでにスリーピングバッグカバーの素材、デュポン社製「タイベック」を使った防護服を製造し、大阪市にある住友病院へ届けた。また、災害時用に備蓄したレインウエアも医療現場に届ける予定だという。

●モンベルの詳細ホームページ