フランス観光開発機構が「#窓から見たフランス」キャンペーン

フランス観光開発機構が「#窓から見たフランス」キャンペーンと題し、窓の向こうに広がるとっておきのフランスの風景写真の投稿を募集している。窓だけでなく、建物の開口部からのぞいた風景ならなんでもOK。前面に窓枠や開口部を入れた構図の画像を募集している。

フランス観光開発機構の公式インスタ@francefr

撮影場所を記載し、#FranceFromaWindow #FenêtreSurMaFrance #FranceFR @francefr をタグ付し、Instagramに投稿する。ステキな画像は同機構の公式インスタ@francefrがシェアしてくれる。

中央山塊の小さな町にあったホテルにて © PRESSPORTS #FranceFromaWindow #FenêtreSurMaFrance #FranceFR @francefr

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中央山塊の激坂をなんとかしのいだのでこの日は自分にごほうび

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ツール・ド・フランスはパリまでたどり着けなければ最下位にだってなれない

ツール・ド・フランス取材者日記最終回。
その昔、列車は夜になると前後にランタンの明かりを点したという。最後尾につけるのは赤色のランタンで、いわゆるテールランプのことだ。フランス語では「ランタンルージュ」と呼ばれている。ツール・ド・フランスでランタンルージュといえば最後尾、つまり個人総合成績で最下位の選手のことだ。例年シャンゼリゼに凱旋する最終ステージのスタート前に、ちょっとした伝統行事が行われる。最下位選手が赤いランタンを持たされてカメラマンのポーズに応じたりするのだ。

シャンゼリゼに選手たちが到着した瞬間を見計らってフランス空軍が凱旋門からコンコルドにかけて飛行 © ASO

ツール・ド・フランスでは最下位だってある意味で勲章だ。遅れたのにはちゃんとした理由がある。エースのために全力で集団を引っ張って体力を使い果たしたとか、ホイールを提供して道ばたでたたずんでいたとか。つまりある意味できっちりと仕事をしなくちゃ遅れないのだ。

そして決定的なことには、シャンゼリゼにたどり着かなければ最下位には絶対になれないということ。つまり最下位はリタイアじゃなくて完走だ。選手にとってシャンゼリゼに到着することが、ひとつの大きな勲章であり、カメラマンにランタンルージュを持たされてポーズを取ったりしていても、その心の中はまばゆいばかりの自尊心がきらめいている。

1836年7月29日、ナポレオンの命によって建設されたエトワール凱旋門が完成した日、英国のゲラント・トーマスが凱旋 © ASO

1987年に東京中日スポーツ派遣記者として全ステージを追いかけるようになり、毎日欠かさず送稿したのが現地の取材者日記「マイヨノワール」だ。ツール・ド・フランスではないが、かつて最下位選手が着させられた黒いジャージをイメージして、先代の担当デスクがつけてくれた表題だ。

ツール・ド・フランス最終日はシャンゼリゼで選手たちのゴールを見届けたあと、ボクはたいていメトロで6駅離れたプレスセンターまで徒歩で戻って最後の原稿を打つ。あらかた書き上げたころには他の記者はほとんどいない。パリのゴールはいつも最下位。たまたま着ていた黒いジャケットがあたかもマイヨノワールみたいだ。(終わり)

マイヨジョーヌのトーマスを祝福するフルーム © ASO

第20ステージの記者日記

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ゲラント・トーマスがツール・ド・フランス初制覇…アシスト役がエースに

スカイのゲラント・トーマス(英国)が23日間の日程で開催された世界最大の自転車レース、ツール・ド・フランスで初めて総合優勝を達成した。7月7日に開幕した105回大会は、チームメートに4年連続5度目の優勝を目指すクリストファー・フルーム(英国)がいるため、トーマスはアシスト役だった。しかし序盤から常に上位でゴールする安定感を見せ、着実にトップ3に与えられるボーナスタイムを獲得。アルプスの第11ステージで優勝して首位に。終盤戦でフルームからエースの座を譲られた。

マイヨジョーヌを死守したゲラント・トーマス © ASO

総合2位はサンウェブのトム・デュムラン(オランダ)。総合3位はフルーム。パリ・シャンゼリゼにゴールした7月29日の最終ステージはUAEエミレーツのアレクサンドル・クリストフ(ノルウェー)が4年ぶり3度目のステージ優勝。

マイヨジョーヌを死守したトーマス(2番目)、その後ろがフルーム
ツール・ド・フランスでマイヨジョーヌを獲得したゲラント・トーマスを祝福するフルーム

ポイント賞のマイヨベールはボーラ・ハンスグローエのペテル・サガン(スロバキア)で、大会最多タイとなる6回目の受賞。山岳賞のマイヨブラン・アポワルージュはクイックステップフロアーズのジュリアン・アラフィリップ(フランス)。新人賞のマイヨブランはAG2Rラモンディアルのピエール・ラトゥール(フランス)。チーム優勝はモビスター。

世界チャンピオンのアルカンシエルで表彰式を待つペテル・サガン © ASO
山岳賞ジャージのアラフィリップ © ASO
新人賞のピエール・ラトゥール(フランス、AG2Rラモンディアル) © ASO

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この最高に気持ちいい瞬間が体感できるのも最後かな

ツール・ド・フランス取材者日記第20ステージ。800km以上離れたパリへの移動だが、この日のために摂取する栄養と疲労回復のための睡眠を十分にとることを心がけたので、それほど大変ではありませんでした。それでも最高速度制限130kmを何時間も維持するのは相当のストレス。とにかく無事に最終到着地まで走ればいいので、速度は抑えめで、フランス人運転のクルマに抜かれまくります。

フランスの空は広い!

200km地点でボルドーへ。高速道路が渋滞しているようでGPSで市街地を通る指示に従って街中を走る。ようやく高速に乗った先で料金所の渋滞があるようで、ここで一般道へ。ところがボルドーからポワティエまでまっすぐに行くN国道があるんですね。2車線で最高速度は110km。日本の高速道路のようで、こっちのほうがボクには適していました。もちろん無料。

こうして土曜日の夜は、かつて開幕地になったり、最終日前日の個人タイムトライアルが行われた未来都市フチュロスコープへ。ネット予約サイトで直前に安価で1部屋が売りに出ていたので予約しました。身障者用にシャワールームがバリアフリーになったお部屋ですね。

パリまでの809kmはさすがに途中のポワティエ郊外で1泊

今回のツール・ド・フランス取材の旅も、この日がフランスの田舎で過ごす最後のひととき。夕食後、太陽が沈みかけるまで外で乾いた空気を感じるために散歩に出かけました。あー、この気持ちいい瞬間が体感できるのも今年は最後で、これからあと何回味わえるんだろう。

今年は結構グッスリと睡眠でき、朝も毎日ジョギングでその町の魅力を堪能。そして最後の日の朝もパリまでの残り330kmを走りきってゴールしました。

パリに到着。いつもの路上パーキングにクルマを駐めてジュシザリベ!

第19ステージの記者日記     第21ステージの記者日記

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ここまでやるんだ! ツール・ド・フランス…聖地にチームバス乗り込む

ツール・ド・フランス取材者日記第19ステージ。カトリックの聖地であるルルドってどんなイメージがありますか? ろうそくを点して練り歩くミサが幻想的とか、一度は訪れてみたいピレネー山麓の観光名所とか。ボクたちツール・ド・フランス関係者にとっては、絶対にホテルに困らない町として重宝しています。そしてボクにとってここは、自戒の町として毎年必ず訪れるようにしています。

ここは普段、敬虔なカトリック教徒がろうそくを掲げてミサの行進をするところだ

キリスト教の聖地ルルドはベルナデットという少女が不治の病を治すという奇跡の泉を発見した町です。以来、世界中から生死の境をさまよう人たちが、最後に神にすがるために訪れます。杖や車椅子なんてものではなく、ベッドで運び込まれる人もいます。家族に病人がいる人は土産店で聖母マリアをかたどったペットボトルを買い、水をくんで遠い国まで運んでいきます。そのシーンは人生観が変わるほど衝撃的。健康でいることのありがたさを実感し、自分の生活を戒めるためにボクは毎年ルルドに宿を取っているのです。

そんなカトリック教会の真正面にチームバスが問答無用で乗りつけたのには、驚きというよりも見事さを感じました。日本で言えば大相撲の土俵を自転車で乗り回すような感じです。ある意味でツール・ド・フランスってここまでするんだと、改めてそのスゴさを実感したのです。

ベルナデットが聖なる泉を見つけた場所にイタリア人選手が祈りを捧げにやってきた

大会も第3週になると、すべての関係者はちょっと感傷的になってしまいます。過酷だけど、最高に楽しくて、世界有数の観光大国をあますことなく旅する23日間。日本人のボクにとっては、快適なフランス滞在もあと少し。ピレネーの最後の山岳ステージでは乾いた風がそよぐ原っぱに寝転がってみました。本当に気持ちいいなあ。

この日はゴールからすぐ近くの小さな村に宿泊。以前滞在して気に入ったところです。教会の前に広場があって、それに面したホテルのテラス席で夕ごはんを楽しむ。でも原稿書いてます。リラックスしてごはんを食べればいいんだけど、貧乏性なんですね。この旅もいよいよ終わりへ。明日は800km離れたパリに向かいます。

ゴールの町の人たちはおそろいウエアでボクたちを歓迎してくれる

第18ステージの記者日記     第20ステージの記者日記

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パリの次にツール・ド・フランスが愛するポーの町とは

ツール・ド・フランス取材者日記第18ステージ。ルルドは世界中からキリスト教信者が集まるのでホテルにはこと欠きません。だからボクたち取材陣も「ルルドに行けばホテルはある」と頼り切っています。ここから40km離れたポーが105回の歴史があるツール・ド・フランスで70回も訪問しているので、必然的にルルドに宿泊する回数も多くなります。毎年2〜3泊はしているので、パリの滞在よりも多いですね。

ルルドで毎晩行われるミサ。生にすがる人たちがわずかな望みを求めて神にすがる光景に人生観が変わるほどの衝撃を受ける

いつもは駅近くのイビスホテルを利用していましたが、グロット(奇跡の泉がわき出る教会)の近くにある4つ星ホテルが2泊朝食付きで1万円弱で取れたので、イタリア系のホテルに泊まってみました。目の前のグロット通りが第19ステージのコースのようです。

これだけスタート地点に近いと困ったこともあります。クルマを駐車しているところがフェンスで取り囲まれて、出られないなんて事態になるんです。毎日ボクたち関係者はスタートの町に設定されたPPO(通過義務地点)にアクセスし、ここから役割や動き方によって駐車位置を指示されるんですが、ルルドはPPOがコースの向こう側に。ということはかなり面倒なことになるんです。

例えば皇居前からスタートするからといって、宿泊している東京駅八重洲口から入ろうとしてもダメ。首都高速の環状線に乗って新宿に向かい、新宿通りを使って四谷・半蔵門とたどっていかなければスタート地点に入れてもらえません。なんでこんな難しいことをするかといったら、フランス独特の町の作りに起因します。心臓部に教会があってマルシェがあって、かつて城郭があったところに環状線を備える。文化と歴史、伝統と宗教を理解しないと、このレースは会場までだって絶対にたどり着けません。

サルドプレスやチームが宿泊するホテルがある公園はフォーミュラカーの市街地サーキットでもある

で、連泊の気楽さがあってクルマ通勤なノリでルルドからポーへ。勝手知ったるサルドプレスに正午には乗り込んで、その他の原稿と最終日までに送稿する原稿の下書きをします。そんなときは選手が必死に逃げていてもテレビモニターなんか見もしません。結局ゴール手前で捕まるので。

大会もこの日が終わってあと3日。30年ほど取材していると最近はあっという間に大会終盤になってしまうことに気づく。以前は日本語を話す相手もいなく、とてもさみしくて早く日本に帰りたかったものだ。近年はSNSの普及で日本の自転車好きの人たちと交流できたりするので、単身で全日程を回っていても1人じゃないという頼もしさがある。

ツール・ド・フランスが終わると欧州の短い夏も終わりそうだ。あともう少し、頑張ればパリに着くかな。と、思って公式プログラムを見直したら、最終日にパリまでの800km陸路移動があるし。

ポーのサルドプレスは劇場。もう何十回も訪問している

第17ステージの記者日記     第19ステージの記者日記

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