ザナがピノを制して初優勝、ログリッチ総合2位浮上…ジロ・デ・イタリア

第106回ジロ・デ・イタリアは5月25日、オデルツォ〜バルディゾルド間の161kmで第18ステージが行われ、チームジェイコ・アルウラーのフィリッポ・ザナ(イタリア)がグルパマFDJのティボー・ピノ(フランス)を制して初優勝した。

フィリッポ・ザナ(右)とティボー・ピノ ©Fabio Ferrari/LaPresse

ピノは第13ステージに続いて2着に終わったが、山岳賞争いでEFエデュケーション・イージーポストのベン・ヒーリー(アイルランド)を逆転してトップに立ち、山岳賞ジャージを奪還した。

首位ゲラント・トーマス(英国、イネオス・グレナディアーズ)は29秒遅れの3位プリモシュ・ログリッチ(スロベニア、ユンボ・ヴィスマ)とともに、18秒遅れの2位ジョアン・アルメイダ(ポルトガル、UAEチームエミレーツ)を突き放した。

トーマスが37歳の誕生日にマリアローザを守り、ログリッチがタイム差は変わらず29秒のまま総合2位に浮上した。アルメイダは39秒遅れとなり、総合3位に後退した。

2023ジロ・デ・イタリア第18ステージ ©Fabio Ferrari/LaPresse

フィリッポ・ザナがティボー・ピノを制して初優勝

この日は5つの山岳ポイントが待ち構えるイタリア北部のドロミテ山塊が舞台。岩盤が針のように屹立する独特の景観を持つ、ジロ・デ・イタリア終盤戦の勝負どころだ。この日のコースはスロベニア国境に近く、ログリッチを応援するファンも沿道にひしめく。

レースは山岳賞1位のヒーリーら5選手が飛び出して戦いが始まった。ところがヒーリーの調子はよくなく、最後の峠で第1集団はユンボ・ヴィスマがペースメークするメイン集団に捕まってしまう。

すかさず飛び出したのが山岳賞ジャージをねらうピノ、ステージ初勝利を目指すイタリアチャンピオンのザナだ。8人となった第1集団は、いったんは30人ほどに数を減らした有力選手らの集団に吸収されるもの、山岳ポイントの獲得を目指すピノが再びアタック。5人の先頭集団となったが、ザナは再びここに加わっていた。

ここからピノの山岳ポイント量産が始まった。ゴールとなるヴァル・ディ・ゾルド以外の4つの山岳ポイントすべてを1着通過。大量にポイントを稼いで、山岳賞で一気に首位に立った。

逃げた5選手のなかで総合成績が最もいいのも6分48秒遅れの13位にいるピノだった。残り55kmでメイン集団との差は4分33秒で、逃げ切りの可能性が高くなり、逃げた選手らは活気立つ。総合成績の逆転も想定されることから、イネオス・グレナディアーズ、ユンボ・ヴィスマ、UAEチームエミレーツがその差を詰めていく。

ジリジリと有力選手がタイム差を詰めていく中で、最後の上りへ。先頭グループはバラバラになり、サバイバルレースとなった。ここからピノとザナの一騎打ちが始まった。最後は先行するピノをマークしたザナが冷静な走りで逆転してトップフィニッシュした。

2023ジロ・デ・イタリア第18ステージ ©Marco Alpozzi/LaPresse

「この機会を与えてくれたチームに感謝しなければならない。100%の状態でジロ・デ・イタリアに参戦することができた。今日は人生に何度かあるチャンスだったので、それをつかんだ。イタリア国旗のトリコロールジャージを着て勝つことは特別なことだ」とザナ。

「集団から飛び出した選手らに追いつかなければならず、それは簡単なことではなかった。ジロ・デ・イタリアでステージ勝利するのが夢であり、今回の栄冠がボクのキャリアの出発点になることを願っている。これまでの人生で最も美しい日の1つとなった」(ザナ)

負けたピノは敗北を認めている。

「一番強い人が勝ったということ。いい1日を過ごせたが、フィリッポ・ザナを突き放すにはちょっとしたコツが必要だった」

クラン・モンタナにゴールした第13ステージで、ピノはモビスターチームのエイネルアウグスト・ルビオ(コロンビア)、EFエデュケーション・イージーポストのジェフェルソン・セペダ(エクアドル)とのゴール勝負に挑み、ルビオに負けて2位に甘んじていた。

「この日のゴール勝負ではネガティブな考えになってしまい、第13ステージのことを思い出した。もう少し自分を信じていたら。小さな間違いを犯してしまった。でも、最悪の心理状況だった2日前にステージ優勝争いを再現しろと言われたら、無理だと思っただろう。明日の最後の山岳ステージで山岳賞ジャージを守らなければならない。ジロ・デ・イタリア最終日の表彰台に上がるのは夢だった。総合成績の表彰台には届かないが、山岳賞も悪くない」(ピノ)

ログリッチをマークするマリアローザのトーマス ©Fabio Ferrari/LaPresse

一方の後続集団はログリッチのアシスト役である・セップ・クス(米国)がペースアップすると、総合2位、ヤング・ライダー賞1位のアルメイダが遅れ始めた。それを見てログリッチがアタック。トーマスがそれに反応するが、アルメイダは着いていけず。アルメイダのアシスト役ジェイ・ヴァイン(オーストラリア)が懸命にサポートする。

トーマスとログリッチは2人になると、追走するアルメイダを振り切るために協力。ザナとピノから1分56秒遅れてゴールした。最終的にアルメイダに21秒差をつけたことになる。

23日の第16ステージがマリア・ローザを獲得するための最初の戦いだったとすれば、この日は2回目の戦いだった。第16ステージではログリッチが脱落し、この日はアルメイダの番だった。この2人を1人ずつうまく利用したのがトーマスだと言っていい。

「プリモシュ、ジョアンとボクはかなり似ている。みんなそれぞれ悪い日を過ごした。そして明日はそれが私かもしれない。でも私は状況に左右されずに、ただしっかりと基本をやるだけだ」と37歳の誕生日にマリア・ローザを死守したトーマス。

「暑さもあり、とてもタフな1日で、最初の2週間とは全く違うレースのように感じた。確かにログリッチは今日とても強かった。でもそれは予想できていた。マリア・ローザを獲得することは私にとって大きなボーナスだ。私は37歳で、こんなことをしているよりもビーチにいるべき人間だ。これまでたくさんの転落期があったので、キャリア最高の瞬間を楽しむのも悪くはないけど」

首位トーマスは37歳、2位ログリッチは33歳。ジロ・デ・イタリアがこのまま終われば快記録が生まれるという。1955年に1位フィオレンツォ・マーニ34歳、2位ファウスト・コッピ35歳で合計69歳という年長記録を塗り替えるのだ。

ジェイコ・アルウラーのフィリッポ・ザナがティボー・ピノを制して優勝 ©Gian Mattia D’Alberto/LaPresse

バーレーン・ヴィクトリアスの新城幸也は34分57秒遅れの98位でゴール。総合成績は4時間27分06秒遅れの123位。最難関の第19ステージをゴールすれば、チーム賞1位の実績を下支えする走りで貢献しながら、目標とする完走を果たすことが確実となる。

そしてチームメートのジョナサン・ミラン(イタリア)は、第2ステージで手中にしたポイント賞ジャージを17日間もキープしている。

●4賞ジャージ
マリアローザ(個人総合成績)ゲラント・トーマス(英国、イネオス・グレナディアーズ)
マリアチクラミーノ(ポイント賞)ジョナサン・ミラン(イタリア、バーレーン・ヴィクトリアス)
マリアアッズーラ(山岳賞)ティボー・ピノ(フランス、グルパマFDJ)
□マリアビアンカ(新人賞)ジョアン・アルメイダ(ポルトガル、UAEチームエミレーツ)

ピノが山岳賞ジャージを奪還 ©Gian Mattia D’Alberto/LaPresse

第17ステージにもどる≪≪   ≫≫第19ステージにすすむ

悪天候でコース短縮の第13Sはルビオがピノを制す…ジロ・デ・イタリア

第106回ジロ・デ・イタリアは悪天候によりクロワ・デ・クール峠の山麓からクランモンタナまでの74.6kmにコース短縮されて第13ステージが行われ、モビスターチームのエイネルアウグスト・ルビオ(コロンビア)がグルパマFDJのティボー・ピノ(フランス)を制して初優勝した。

スイス・アルプスを走る第13ステージ ©Fabio Ferrari/LaPresse

首位のゲラント・トーマス(英国、イネオス・グレナディアーズ)はマリアローザを守った。総合優勝争いをする2位プリモシュ・ログリッチ(スロベニア、ユンボ・ヴィスマ)との差は依然として2秒。

マリアローザのトーマスとそれをマークするログリッチ ©Fabio Ferrari/LaPresse

コロナ罹患というむごい仕打ちのあとに待っていたのは大自然の脅威だった…。選手たちは立ちはだかる幾多の困難を乗り越えてゴールとなる首都ローマまで走り続けてなくてはいけないのか? 第106回ジロ・デ・イタリアは悪天候に見舞われた5月19日、クロワ・デ・クール峠の山麓からクラン・モンタナまでの74.6kmにコース短縮された第13ステージが行われた。

ボルゴフランコ・ディヴレアをスタートし、アルプスの国境を越えてスイスまで走る予定だった第13ステージは大会中盤の大きな勝負どころとされていた。ところが大会最高峰の標高2469mに位置するグランド・サン・ベルナルド峠が想定外の大雪と雪崩の危険性があるとして、主催者は5月16日、本来の峠まで登らずにアルプスを貫通するトンネルを通過するルートに変更することを余儀なくされた。

その時点で距離は当初の207kmから199kmになった。グランド・サン・ベルナルド峠がカットされたことで、特別賞が懸けられる大会最高峰のチマコッピは第19ステージのゴール、トレ・チーメ・ディ・ラヴァレドに変更されることになった。

イタリア側の悪天候により距離が短縮された第13ステージ ©Fabio Ferrari/LaPresse

アルプス山脈のグランド・サン・ベルナルド峠は今大会の注目どころだった。スイスとイタリアの国境にあり、日本の地図帳には「大サンベルナール峠」と表記されたりする。近くのフランス・イタリア国境には「小サンベルナール峠」も存在する。英語読みするとセントバーナードで、峠の修道院で飼われていた遭難救助犬があまりにも有名である。

ジロ・デ・イタリアは2019年も第16ステージのコース一部を悪天候予報によって変更している。標高2618mで、大会の最高峰チマコッピに指定されていたガヴィア峠を迂回したのである。

ジロ・デ・イタリアの山岳ステージはツール・ド・フランスのそれとは違う。バカンス時期の7月に開催されるツール・ド・フランスに対して、ジロ・デ・イタリアが行われる5月はまだまだ夏に遠い。天候が崩れれば標高の高いところは雪が降るのは当たり前だ。

1988年に米国選手として初優勝したアンディ・ハンプステンは女性のようにきゃしゃなボディをした伏兵だったが、雪に見舞われたガヴィア峠で逃げて総合1位に躍り出た。1989年に優勝したフランスのローラン・フィニョンは天気予報をみて翌日の難関区間が雪で中止になることを見込んでいて、その前日に勝負を仕掛けてマリアローザを獲得した。翌日は予想通りに荒天で中止になり、ものの見事に総合優勝を決めたのである。

まさにイタリア北部の修羅場。標高2500m超の山岳で繰り広げられる死闘。選手もそうだが、観客もときに命がけだ。主催者によれば、この悪天候にも関わらず、沿道には熱心なファンが陣取っていたという。

第13ステージはトンネル通過のコースに変更されてスタートすることになったが、さらなる猛威が押し寄せる。とりわけイタリア側の悪天候を考慮してコミッセール団が異常気象プロトコルを適用。さらに距離を短縮して選手の要望に応える決定をした。最終的にクロワ・デ・クール峠の麓に全選手が車両で移動してリスタート。ゴールのグラン・モンタナを目指す事態になった。

ピノ、セペダ、ルビオが抜け出した ©Fabio Ferrari/LaPresse

午後2時59分に135選手がル・シャブルという小さな町をスタート。トレック・セガフレードのマッズ・ピーダスン(デンマーク)だけがスタートしなかった。

悪天候による距離短縮で記憶に残るのは1996ツール・ド・フランスだ。フランス領内からアルプス国境を越えてイタリアのセストリエーレに向かうスタージは、降雪により2度もスタートをやり直した。選手たちはその都度チームカーに乗って冠雪した峠を越え、レースは残り40km地点からやり直した。ここで逃げたのがビャルネ・リース(デンマーク)で、最終的にそのステージで稼ぎ出したタイム差で総合優勝している。

しかし今回はマリアローザのゲラント・トーマス(英国、イネオス・グレナディアーズ)とわずか2秒差で追うユンボ・ヴィスマのプリモシュ・ログリッチ(スロベニア)らの総合優勝争いに影響は与えなかった。動いたのは第6ステージまで山岳賞ジャージを着用していたグルパマFDJのティボー・ピノ(フランス)だ。

ピノがアタックするとモビスターチームのエイネルアウグスト・ルビオ(コロンビア)、EFエデュケーション・イージーポストのジェフェルソン・セペダ(エクアドル)が追従。ピノが何度もアタックするが、2人の南米出身ヒルクライマーを突き放せなかった。セペダがピノに食らいつき、ルビオが最後尾で体力を温存した。

ピノらの逃げグループが最初の山岳で先行したとき、トーマスらのイネオス・グレナディアーズ勢は落ち着いていたという。ベン・スウィフトとパヴェル・シヴァコフがペースを握り、逃げグループとの差をキープした。

「いいペースに乗ることができて、楽に走ることができた。ここからアタックするのは容易ではなかったはずだ」とマリアローザのトーマス。

「ログリッチはおそらく私にあと数日間マリアローザを着させておく作戦だと思う。アタックに出るのは来週だと感じた」

最後の上りで残存させたエネルギー勝負になった3選手。冷静だったのはルビオだ。上りだけでなく切れ味の鋭いラストスパートに自信があり、攻撃する適切な瞬間を確認するために最後の1kmのコース状況をチームカーの監督に聞いていたという。

「ピノとセペダは最強のように感じたので、それを上回るために賢く走ることに徹した」というルビオが最後にピノを制して初優勝した。ピノはステージ優勝できなかったが、第6ステージ以来の山岳賞ジャージを獲得した。

ルビオはUAEツアー第3ステージの山岳ジェベルジャイスに続くプロレース2勝目。U23カテゴリーでは2018年と2019年のU23ジロ・デ・イタリアでステージ2勝を挙げている。

ルビオがピノを置き去りにして第13ステージ優勝 ©Marco Alpozzi/LaPresse

今回のレースではチーム内でアシストとして働き、そして逃げを与えられた大事な日となった。「悪天候で大変だったが、続けなければならなかった」というルビオ。

「とりわけピノがとても強いのは知っていた。彼とフィニッシュまで一緒に行き、戦術的にいいプレーをする必要があった」

2017年からイタリアを拠点として走っているルビオはここで多くのことを学んだ。今大会では総合成績の上位を目指していたが、雨のステージで立ち止まらなければならず、大集団から遅れてタイムを失った。だからこの日はステージ優勝を狙った。

「素晴らしい1日だった。ジロ・デ・イタリアでの初勝利。ステージ優勝できるとは思っていなかったので、実感を持つには時間がかかりそうだ。今後数年間で総合優勝争いできる方法を見つけたいと思う」とルビオ。

総合成績ではトーマスが首位を守り、マリアローザを手放さず。これで4日目のリーダージャージ獲得となり、英国勢としてはマーク・カヴェンディッシュに並んで歴代2位タイ。トップはサイモン・イェーツの13日だ。

「ステージは短縮されたが、結局のところ、いいレースだった」と首位を守ったトーマス。「ゴールへの2番目の登りは厳しかった。グランツールには長いステージが多いが、この日は短くて激しいステージになった。最後の上りは向かい風になって、ライバルの攻撃に備えていたが、誰もアタックしなかった。ログリッチはボクがマリアローザを堅持して喜んでいるだろう」(トーマス)

山岳賞を獲得したピノ ©Marco Alpozzi/LaPresse

●4賞ジャージ
マリアローザ(個人総合成績)ゲラント・トーマス(英国、イネオス・グレナディアーズ)
マリアチクラミーノ(ポイント賞)ジョナサン・ミラン(イタリア、バーレーン・ヴィクトリアス)
マリアアッズーラ(山岳賞)ティボー・ピノ(フランス、グルパマFDJ)
□マリアビアンカ(新人賞)ジョアン・アルメイダ(ポルトガル、UAEチームエミレーツ)

第12ステージにもどる≪≪   ≫≫第14ステージにすすむ

ティボー・ピノが2023シーズン限りで引退…ジロ・デ・イタリア参戦

3大ステージレース全てで区間勝利を挙げているグルパマFDJのティボー・ピノ(フランス)が、2023シーズンの終わりに引退すると報じられた2010年にプロデビューした32歳。

ティボー・ピノ © Gian Mattia D’Alberto – LaPresse

ジロ・デ・イタリア(5月6〜28日)に出場する予定で、7月のツール・ド・フランスにも参加したいという。ラストレースは10月末にイタリアで行われるイル・ロンバルディア。

フランス人がツール・ド・フランス総合優勝を期待した逸材

ツール・ド・フランスの総合優勝者を国籍別に見ると、地元フランス勢が36勝で、2位ベルギーの18勝を大きく引き離している。ところが1985年のベルナール・イノーを最後にフランスから総合優勝者が輩出されていない。すでに38年になる。つまり38歳以下のすべてのフランス人は自国選手がパリでマイヨジョーヌを着用するシーンを目撃したことがないのである。

2019ツール・ド・フランス第14ステージ。左から2人目がピノ。このステージで通算3勝目を挙げた ©ASO Pauline BALLET

1990年生まれのピノもフランス人優勝者を知らない世代の選手だ。近年のツール・ド・フランスで国民の期待を受けて、外国勢に真っ向から戦いを挑んで敗れた。

英雄的存在だったイノー以来となる「強いフランス人の出現」をフランス国民はいつも待ち望んでいた。そんなときに頭角を現したのがピノだ。

2012年にピノはツール・ド・フランス初出場を果たした。山岳コースの第8ステージで、ピノが後続の大集団からわずかに逃げ切り初優勝。一躍フランスの新星となり、イノー以来の優勝を期待された。

ティボー・ピノがイル・ロンバルディアで優勝 © Gian Mattia D’Alberto – LaPresse

翌2013年にピノは、山岳初日となるピレネーのポルトデパイエールからの下りで足がすくんで動かなくなった。これがスピード恐怖症だった。ピノはこの年途中リタイアするのだが、その後モータースポーツなどでスピード感を養い、現在は病を克服している。

2014年は総合優勝には絡めなかったが、激しい新人賞争いを展開し、ピノがバルデを抑えて獲得した。

ティボー・ピノが第99回ミラノ〜トリノで独走勝利 © LaPresse – Marco Alpozzi

ツール・ド・フランス6日後の東京五輪は問題なし…ティボー・ピノ

グルパマFDJのティボー・ピノ(フランス)は 6月27日から7月19日まで開催されるツール・ド・フランスを2020シーズン最大の目標としながら、6日後の25日に日本で開催される東京五輪の個人ロードレースに出場する考えを示した。

ツール・ド・フランス第8ステージで総合優勝を期待されるピノがライバルに差をつけてゴール ©ASO Alex BROADWAY

富士山麓を走る東京五輪のコースが山岳に強い選手に適しているため、フランス勢はピノのほか、AG2Rラモンディアールのロマン・バルデ、ドゥークニンク・クイックステップのジュリアン・アラフィリップらをエースに起用する構想がある。このうちバルデはツール・ド・フランスを欠場し、5月のジロ・デ・イタリアと東京五輪に照準を合わせると発言している。

「ツール・ド・フランスばかりが人生ではない」という考えはピノの頭の片隅にあるというが、ツール・ド・フランス最終日にシャンゼリゼ通りを走ることは重要な意味があり、その後に空路を移動して東京入りする準備を考えているようだ。

「ボクは東京五輪に行くことを確信している」とピノは1月17日に発言。7月19日にツール・ド・フランスの激闘を終えてわずか6日後に富士山でレースするという日程の過酷さは問題ないとした。

ロマン・バルデは2020ツール・ド・フランスをパスする可能性がある ©A.S.O. Pauline BALLET

サンセバスティアンでも実績がある

ピノはツール・ド・フランスの1週間後に開催されたスペインのクラシカ・サンセバスティアンでいい走りをした経験がある。

「サンセバスティアンでの経験もある。ボクたち選手は15日後よりも6日後のほうが脚が回ることが多いんだ」とピノ。
「だから肉体的な疲れはあまり神経質になることはなく、いかに精神的なものをコントロールできるかがキーとなる。頭の中できちんと整理できていたら、ツール・ド・フランスの疲労は6日にはなくなっているはずだ」

2016年にピノは当初、リオ五輪のフランス代表に選ばれていたが、ウイルス感染により代表入りを見送られたという経緯がある。2020年はどうしても五輪を走りたい。バルデとアラフィリップとの役割分担は不明だが、ピノも日本で目撃できる可能性が高くなった。

ピノ(左から2人目)、アラフィリップ(同4人目)は五輪でどう走るのか? 2019ツール・ド・フランス第14ステージ ©ASO Pauline BALLET

●2020東京五輪のホームページ

ティボー・ピノがイル・ロンバルディアでニーバリを振り切って優勝

グルパマFDJのティボー・ピノ(フランス)が10月13日にイタリアのベルガモ〜コモ間の241kmで行われた第112回イル・ロンバルディアで優勝した。2位は32秒差でバーレーン・メリダのビンチェンツォ・ニーバリ(イタリア)。

ティボー・ピノがビンチェンツォ・ニーバリを突き放しにかかる © LaPresse – Fabio Ferrari

「モニュメントと呼ばれる有名レースの中で、このイル・ロンバルディアが一番ステキだ。ずっと優勝したいと思っていた。今は絶好調だけど、とりわけニーバリに勝ったのだから特別だ。ソルマーロでニーバリがアタックしてくれた。これに反応できたのが勝因だ」とピノ。

アルカンシエルのアレハンドロ・バルベルデがスタートラインに立つ © LaPresse -GM D’Alberto

サイクリストを祀ったマドンナデルギザロ教会の横を通過する © LaPresse – Fabio Ferrari

フランス勢の優勝は通算12回目で、ベルギーと並んだ。最多優勝国は地元イタリアで69勝。

ピノはミラノ〜トリノと合わせたダブルタイトルを1週間で獲得。2002年にイタリアのミケーレ・バルトリが達成して以来の快挙。

激しく攻め合うビンチェンツォ・ニーバリとティボー・ピノ © LaPresse – Fabio Ferrari

ティボー・ピノがイル・ロンバルディアで優勝 © Gian Mattia D’Alberto – LaPresse

ティボー・ピノが第99回ミラノ〜トリノ優勝…2位ロペス、3位バルベルデ

第99回ミラノ〜トリノが10月10日に同地で開催され、フランスのティボー・ピノ(グルパマFDJ)が残り1.2kmから独走して初優勝した。2位は2016年の優勝者であるコロンビアのミゲルアンヘル・ロペス(アスタナ)。3位は世界チャンピオンが着用する5色の虹色ジャージ、アルカンシエルを身にまとったアレハンドロ・バルベルデ(スペイン、モビスター)。

チームメートとロペスが交錯した瞬間、ピノが独走を決めた © LaPresse – Fabio Ferrari

ミラノ〜トリノは1872年に第1回大会が開催された伝統レースで、週末に開催される今季最後のメジャーレース、イルロンバルディアの前哨戦として最後の勝利を目指す有力選手が参加していた。

第99回ミラノ〜トリノ © LaPresse – Fabio Ferrari

ティボー・ピノが第99回ミラノ〜トリノで独走勝利 © LaPresse – Marco Alpozzi

レースは最後の上りでピノのチームメートであるダビド・ゴデュら3選手が先行。これに後続集団からピノ、ロペス、バルデルデが追いついた。アシスト役となったゴデュが先頭を引っ張り、役目を終えて力を抜いた瞬間にロペスがアタック。2人が接触して落車したのと同じタイミングでピノが独走を始めた。

ティボー・ピノが第99回ミラノ〜トリノで独走勝利 © LaPresse – Fabio Ferrari

「ついにイタリアのクラシックレースに勝利した。最後の落車がなくても、ロペスを置き去りにできたはずだ。彼は今日に限って世界チャンピオンのバルベルデより手ごわい存在だった。そして世界チャンピオンに勝利できた意義は大きい」とピノ。

「ゴデュには『できる限りのペースで最後の上りを引っ張ってくれ』と頼んだ。役目を終えたゴデュがボクに道を開けてくれたとき、ロペスは後ろを見ていたんだ。落車したので脚を止めたが、待っている状況ではなかった。ゴールを目指して全力で走った」

ティボー・ピノを中央に左が2位ロペス、右が3位バルベルデ © LaPresse – Fabio Ferrari