【Column】ボクのツール・ド・フランスはマルセイユから始まった

ボクがツール・ド・フランスを初めて取材したのは29年前、1989年のことだ。大会途中での現地入りで、7月14日に空路でパリに入り、そこから高速鉄道でマルセイユに向かった。シャンゼリゼでは革命200周年の祝賀行事が華々しく催されていて、その喧噪を乗り換えの地下鉄駅で耳にした。

2013ツール・ド・フランス第5ステージ。マルセイユにゴールした新城幸也

かつて当コラムで「ボクのツール・ド・フランスはルーアンから始まった」という原稿を書いたが、ごめんなさい。あれはウソです。いや、実際には「定義」の問題で、フリー記者として全日程を単独で初取材したのが1996年のルーアン。初取材したのは冒頭にも記したが1989年のマルセイユなのである。もうこれ以上ハナシを複雑にしたくないが、ツール・ド・フランスを初めて見たのは、自転車専門誌サイクルスポーツの編集部員に配属されたばかりの1988年だ。

ボクのツール・ド・フランスはルーアンから始まった

マルセイユの観光名所であるビューポール(旧港)

話はツール・ド・フランス初取材となる1989年。ボクはジョナサン・ボイヤーという米国人と日本で偶然知り合うことができた。彼は1981年のツール・ド・フランスに米国選手として初出場した元プロ選手だ。フランスの英雄ベルナール・イノーのルノーチームでアシストをこなしながら見事に完走している。映画スター顔負けの端正なマスクを持ち、四肢は女性のトップモデルのように細くて長かった。彼は自分のカッコよさを十分自覚していて、ツール・ド・フランスのスタート地点にテンガロンハットをかぶって登場し、女の子のハートを釘付けにしたと聞く。聞けば出身地のモンタナ州に「ボイヤーインターナショナルエアポート」を所有している大富豪の御曹司だった。

ボイヤーに出会ったのは北関東にある小さな町の内科医院だった。直前のハワイ・アイアンマンで日本勢初の快挙である9位でフィニッシュした宮塚英也を取材するために、栃木県の某所に足を運んだのだ。ボイヤーはすでに現役を引退していたが、その容姿と数カ国語を操れる能力を生かして、オランダの強豪PDMチームの広報に就任していた。

その地方病院の開業医は、人体から血液を一時的に採り出して冷凍保存し、しかるべきときに体内に戻すという医療行為を研究する先駆者だった。ボクがボイヤーに「ツール・ド・フランスに初めて取材に行くんです」と告げると、「ホテルを取るのは困難だから、オレに任せてくれ」と言って再会を誓ってくれた。

マルセイユの街中でのんびりと過ごす人たち

それから半年後、マルセイユで世界最高峰の自転車レースの現場に到着したボクは、その巨大な一大イベントに完全に舞い上がってしまった。そんなときに関係者らしき人が「PDMの広報がお前を探しているよ」と話しかけてきた。必死になってボイヤーを見つけると、「待ってたぜ」とばかりにガッチリとした握手を交わしてくれた。それからというもの、ボクはチームの空き部屋をあてがわれたり、あるいは彼がゴール地点の町をかけずり回って見つけたホテルにありついた。感謝の言葉を伝えると、映画スターばりのニヒルな表情でウインクして見せた。

2年後、PDMは全選手が集団発熱し、ツール・ド・フランスの途中でチーム全員がリタイアした。血液ドーピングの失敗かとうわさされた。ボイヤーの姿を自転車レースの現場で見ることは二度となかったが、6年ほど前にfacebookで発見したので、友だち申請したら受け入れてくれた。彼の書き込みから判断すると、現在はアフリカの未開発国に拠点を定め、その国の自転車ロードレースの発展のために地道な努力をしているという。

あれ以来、ツール・ド・フランスはすでに30年ほど担当しているが、いまでもマルセイユに到着したときのドキドキ感は忘れられない。2013年は第5ステージでマルセイユにゴールした。その日、2km地点で新城幸也とレザのヨーロッパカー勢、ルツェンコ、シカール、ドヘント、ドラプラスがアタックし、6人の第1集団を形成した。この中で3分42秒遅れの新城が総合成績では最も上位で、10km地点では一気に5分05秒差をつけたことで新城がバーチャルマイヨジョーヌ、つまりこのままの状況でゴールすれば総合1位になる存在となった。

マルセイユにゴールした2013ツール・ド・フランス第5ステージ。新城幸也は積極果敢な逃げに乗り、一時はバーチャルマイヨジョーヌの位置に

フランスの実況中継では「グループアラシロ」と紹介されるようになったが、これは当然だ。新城の存在が最も重要だからだ。一緒に逃げているメンバーは実力者ぞろい。ルツェンコはU23の世界チャンピオン、シカールは2009年にジュニアの世界チャンピオンになっている。一緒にゴールを目指そうという意思も統一され、しかも6人という集団は高速巡航を維持できる絶好の数で、一気にその差を開いていく。16km地点で10分30秒、20km地点で11分30秒、37km地点で12分45秒まで開いた。

しかしその後は追撃集団の先頭でオリカ・グリーンエッジが徐々にペースアップを始め、タイム差は少なくなっていく。残り54kmで先頭集団は2つに分断し、先頭には新城、ルツェンコ、ドヘントが残る。新城のチームメートであるレザは、ちぎれたシカールとドラプラスの背後で体力を回復させた後に、一気にスパートして前の3人に追いつく。

こうして先頭はヨーロッパカーの2人、アスタナのルツェンコ、バカンソレイユのドヘントだけになった。しかし残り40kmになって後続集団が本格的に追撃を開始。新城は220km地点でついに捕まり、結果的に優勝争いは大集団のゴール勝負となった。それでも218kmの間、国際映像に映し出された日本ナショナルチャンピオンジャージーは世界中の注目を浴びた。敢闘賞もならなかったが、見果てぬ夢にさらに一歩近づくような快進撃だった。

新城幸也。2013ツール・ド・フランス

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【Column】洋菓子のパリ〜ブレストは自転車の車輪に似ているから命名された

決められたコースを独力で走る長距離サイクリング。迷い道や機材故障なども自らの備品や能力で処理し、制限時間内にフィニッシュすればサイクリストとしての能力が認定される。最高峰の大会はフランスのパリ〜ブレスト〜パリで、それが洋菓子の名前に関連しているというのだから面白い。

車輪に似ているので自転車レースの「パリ~ブレスト」と呼ばれるようになった洋菓子

フランス語でバッジのことをブルベ(brevet)というが、いろいろなスポーツで選手の実力レベルを認定し、実力者の証としてバッジを授与することもブルベといわれるようになった。簡単に言えば、日本でもスイミングスクールでよく開催される、いわゆる記録会のこと。その自転車版が「長距離サイクリングの実力認定制度」、いわゆるブルベ・ランドヌーズ。ランドヌーズ(遠乗り)だから、レースではなくサイクリングだ。

ブルベ認定の基準はスポーツによって異なる。水泳では50mフリースタイルや100m平泳ぎなどで規定の「タイム」をクリアすること。アルペンスキーでは特定の「技能」をマスターしていること。そして自転車の場合は、200km、300km、400km、600kmなどの設定された「距離」を、制限時間内で完走できれば合格だ。200kmを完走したサイクリストは、「次は300kmだ!」と、レベルアップしていく楽しみがある。

冒頭写真のパリ~ブレストをオーダーしたのはトラックの運転手ばかりがテーブルに着く街道筋のレストラン。いかつい男たちもパリ~ブレストは大好き

ブルベの発想はいかにも大陸的な考えだ。ブルベが盛んに行われている一部のヨーロッパや北米、オーストラリアなどの大陸はあまりにも広大な平原を持ちあわせたことから、長距離サイクリングのモチベーションを高めるために、「距離」を目的地に置き換えたのである。日本と違って国土の大半が平らなフランスでは散漫になりがちなロングライドには「距離」という目標を設定する必要があったわけだ。

2008年のツール・ド・フランスはブレストで開幕した

日本やニュージーランドのように細長い島国では、列島横断が長いところで300km程度と手ごろ。東京〜直江津間なら314kmと走りごたえがあり、ブルベ・ランドヌーズの文化としては後進国となる。しかも豊かな自然や風光明美な山岳があり、たとえば「車両が通過できる最高峰である大弛峠」や「日本横断」という明確な目的が設定できる。

一方、フランスを中心に熟成していったブルベ・ランドヌーズは、設定された距離を制限時間内に完走すれば認定書がゲットできる。レースではないので所要時間は発表されず、アルファベット順に完走者の名前が掲載されるのが特徴だ。時間制限は平均時速に換算しておよそ時速14kmから15kmほど。食事や仮眠、パンク修理やミスコースなどのトラブル処理を含めた平均時速だから、実際の走行スピードはもっと速い。

ブレストは大西洋に面した港町でムール貝などがおいしい

世界で一番有名なブルベは、フランスのパリ〜ブレスト〜パリだ。ブレストはブルターニュ半島のはずれにある港町で、パリから600kmの位置にある。これを往復するから距離は1200kmで、制限時間は90時間。平均時速で13km強。

同じ名前をいただいた車輪の形をした洋菓子でも有名だが、もともとパリ〜ブレスト〜パリは自転車のロードレースで1891年に始まり、10年に1度開催されていた。しかも非常にユニークな競技で、スタートしてしばらくすると選手1人に1台ずつ先導のモーターサイクルがついた。第1回大会を制したフランスのC・テロンの平均時速は16.814kmだった。

パリ〜ブレスト〜パリの主催はフランスのスポーツ新聞「ル・ベロ」だ。ライバル紙だった「ロト」は発行部数で「ル・ベロ」に水を開けられていて、起死回生の企画が必要だった。もう少し立ち入った話をすると、「ロト」は1902年まで「ロト・ベロ」という新聞名だった。「l’Auto=ロト」はオートモービル、「vélo」は自転車で、つまり自動車や自転車のレースを中心に報道するスポーツ紙だった。ところが「ベロ」の名称使用をめぐって「ル・ベロ」に法廷闘争で敗れ、改名を余儀なくされたのだ。

2008年のツール・ド・フランスはブレストで開幕した

当時の「ロト」はパリ〜マドリッド間自動車レースで大失敗していた。エンジンがついた乗り物で長距離レースをしても、もはや人々の関心をあまり引きつけなかった。「パリ〜ブレストよりももっと壮大なスケールの挑戦を企画して成功させたい。そうだ。自転車で広大なフランスを一周してみよう」と考えて実施したのがツール・ド・フランスである。

「ロト」は紆余曲折の後に「l’Equipe=レキップ」と紙名を変更していまも存続する。その発行元は現在、ツール・ド・フランスやパリ〜ダカールなどを主催するメディアグループ「ASO社」となっている。

現在では日本でもブルベが開催されるが、制限時間は本場よりかなり厳しいものだ。とにかくブルベ発祥のフランスには信号機がほとんどなく、しかも車のドライバーはサイクリストを尊重してくれる。日本のブルベ完走者は本場フランスでも十分に通用する。

2008年のツール・ド・フランス。パリからクルマで8時間かかった

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2019ツール・ド・フランスの開幕地はベルギーのブリュッセル

2019年に開催される第106回ツール・ド・フランスはベルギーのブリュッセルで開幕することが発表された。大会最多の5勝を誇るベルギーの英雄エディ・メルクスの大会1勝目からちょうど50年の節目となる。また2019年は総合成績の首位選手が着用する黄色のリーダージャージ、マイヨジョーヌが制定された1919年から100年となる記念の大会だ。

初日となる7月6日はブリュッセルをスタートしてシャルルロワを訪れ、再びブリュッセルにゴールする距離192kmのレース。2日目はブリュッセルでチームタイムトライアル(距離28km)が行われる。全23日間で、3日目以降のコースは2018年10月に発表される。

2019ツール・ド・フランスの第1ステージ

パリ〜ニース、ドーフィネの出場全チーム発表…ツール・ド・フランスの姉妹大会

2018年のロードシーズンもいよいよ開幕。ツール・ド・フランスを主催するASOが、1月8日に姉妹大会となるとパリ〜ニース(3月5〜12日)とクリテリウム・デュ・ドーフィネ(6月4〜11日)の出場22チームを発表した。どちらも8日間のステージレース。パリ〜ニースはシーズン最初の本格的なステージレース、クリテリウム・デュ・ドーフィネはツール・ド・フランスの前哨戦として注目されている。

2017パリ〜ニース

ツール・ド・フランスと同様に自動的に出場権が与えられるトップ18チームに加え、ワイルドカード(主催者推薦枠)として4チームが出場権を得た。パリ〜ニースはコフィディス、デルコ・マルセイユプロバンスKTM、ディレクトエネルジー、フォルテュネオ・サムシック(すべてフランス)。クリテリウム・デュ・ドーフィネはコフィディス、フォルテュネオ・サムシック、フォルテュネオ・サムシック(以上フランス)、ワンティ・グルップゴベール(ベルギー)の4チームが出場権を獲得。

トップ18チームはAG2Rラモンディアル(フランス)、アスタナ(カザフスタン)、バーレーン・メリダ(バーレーン)、BMC(米国)、ボーラ・ハンスグローエ(ドイツ)、FDJ(フランス)、ロット・スーダル(ベルギー)、ミッチェルトン・スコット(オーストラリア)、モビスター(スペイン)、クイックステップフロアズ(ベルギー)、ディメンションデータ・ケベカ(南アフリカ)、EFエデュケーションファースト・ドラパック(米国)、カチューシャ・アルペシン(スイス)、ロットNLユンボ(オランダ)、スカイ(英国)、サンウェブ(ドイツ)、トレック・セガフレード(米国)、UAEエミレーツ(UAE)。

2017クリテリウム・デュ・ドーフィネで総合優勝したヤコブ・フルサング(アスタナ)

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ツール・ド・フランス出場22チーム発表…主催者推薦でフォルテュネオなど4チーム
https://wp.me/p9qRLD-iO

ツール・ド・フランス出場22チーム発表…主催者推薦でフォルテュネオなど4チーム

2018ツール・ド・フランスに出場する22チームが1月8日に主催組織のASOから発表された。自動的に出場権が与えられるトップ18チームに加え、ワイルドカード(主催者推薦枠)としてコフィディス、ディレクトエネルジー、フォルテュネオ・サムシック(以上フランス)、ワンティ・グルップゴベール(ベルギー)の4チームが出場権を獲得した。

フォルテュネオ・サムシックのワレン・バルギル

2017年の大会で山岳賞とスーパー敢闘賞を獲得したワレン・バルギルは地元チームのフォルテュネオ・サムシックに移籍。同チームは選出されたが、ブライアン・コカールが移籍したフランスのビタルコンセプトは選ばれなかった。

●ツール・ド・フランス出場22チーム
AG2Rラモンディアル(フランス)
アスタナ(カザフスタン)
バーレーン・メリダ(バーレーン)
BMC(米国)
ボーラ・ハンスグローエ(ドイツ)
FDJ(フランス)
ロット・スーダル(ベルギー)
ミッチェルトン・スコット(オーストラリア)
モビスター(スペイン)
クイックステップフロアズ(ベルギー)
ディメンションデータ・ケベカ(南アフリカ)
EFエデュケーションファースト・ドラパック(米国)
カチューシャ・アルペシン(スイス)
ロットNLユンボ(オランダ)
スカイ(英国)
サンウェブ(ドイツ)
トレック・セガフレード(米国)
UAEエミレーツ(UAE)
主催者推薦枠
コフィディス(フランス)
ディレクトエネルジー(フランス)
フォルテュネオ・サムシック(フランス)
ワンティ・グルップゴベール(ベルギー)

●関連ニュース
2018ツール・ド・フランス…伝統のラルプデュエズ、石畳も待ち構える
http://pressports.com/2017/12/05/201/

ツール・ド・フランスの過酷さをイヤでも体験してしまうのがエタップ・デュ・ツール

ツール・ド・フランスに出場できるのは一流プロばかり198選手。2018年は1チームの出場選手数が9から1減するのでさらに狭き門となる。そんなは世界最高峰の自転車レースに、一般サイクリストが1区間だけではあるがまったく同じコースを走れる大会がある。それが毎年1万人以上が参加するエタップ・デュ・ツールだ。

本番のレース、つまりツール・ド・フランスの一流プロがそこを走るレースの数日前に開催される。主催者もコースもツール・ド・フランスとまったく同じ。マビックの黄色いサポートカーも伴走し、世界最高峰の自転車レースに出場する選手になったような気分が味わえる。沿道には本番ほどではないが大観衆が詰めかけ、熱い声援を送ってくれる。

「通過する村の子供たちが応援の歌を歌ってくれました。町の音楽隊がずっと演奏を続けてくれました。峠の上り坂にはファンが生け垣のように集まっていて…。こんな感動的なシーンは体験したことがありません。ずっと涙が止まらなかった」
日本からこの大会に参加した人は口々にこう証言している。

大会にはフランスの著名人やかつての一流プロ、ツール・ド・フランスに出場していない現役プロなどがスタート第一列に並ぶ。元F1ドライバーのアラン・プロストはその常連で、毎年上位でフィニッシュしている。2003年にはF1時代の佐藤琢磨が、2008年には片山右京が参戦している。

1万人以上が参加するイベントだけに、スタートは第1列の招待選手から1万番台の選手まで1時間近くを要する。それでも計測チップを装着するので個人の所要時間はきちんと算出され、性別・年代ごとの表彰も行われる。優勝者には表彰式でマイヨジョーヌが与えられる。

世界最高峰の自転車レースのコースを使用するだけに、だれもが気軽に参加できるというわけではない。もちろん順位を争うのはごく一部の選手で、あとは地元のサイクリストと一緒に集団走行しながらゴールを目指すのだが、やはり計画的にトレーニングしている人しか挑戦する権利はないだろう。

日本の参加者にアンケートを採ったところ、月間の平均走行距離は750kmだった。「それくらい練習しないとこのレースに挑戦する資格はないですよ」と70歳の参加者が言い切ったくらいだ。
「フランスの選手は下りのスピードが速いが、意外と上りは遅いので練習していれば結構抜ける」という日本人参加者も。

最大の魅力はツール・ド・フランスの過酷さやレベルの高さを、身をもって体験できること。参加者が足をついて絶望した峠を、数日後に一流プロが顔色一つ変えずに飛び去っていくかもしれない。やはりツール・ド・フランスの本当のスゴさは現場に足を向けないと分からない。

2018年7月8日に開催される第27回エタップ・デュ・ツールは、同17日に開催されるツール・ド・フランス第10ステージとまったく同じものが採用された。43km地点を頂点とする標高1477mのラクロワフリ峠、距離6kmながら平均勾配11.2%の難度があるプラトーデグリエールの坂、ロンム峠を走り、最後に標高1618mのコロンビエール峠が待ち構える。大会最初の山岳ステージで、マイヨジョーヌの行方も左右する注目の1日。アヌシーとル・グランボルナンは2013年の第100回大会にも訪問した町で、長い夏休みをのんびり過ごすバカンスの象徴でもあるエリアだ。挑戦してみる?

ASO/Manu MOLLE

国際興業のエタップ・デュ・ツール参戦ツアー
http://www2.kokusaikogyo.co.jp/travel/letapedutour/

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